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1-31 罪満たされし蜜と罰

 


 魔女は宝石の海を揺蕩っていた。

 真白の空間に、煌めく星屑の集合体がとりどりにひしめいている。


 少し手を伸ばせば、触れたのは金剛石。冴え冴えとした無色透明さが美しい。

 もう一方の手を動かせば、鮮やかな輝紅玉を捕まえた。血の色よりもなお艶やかに輝いている。

「ふふふ……キレイ……」

 うっとりとした声で呟き、天井を仰ぐその体には何も身につけてはいない。陶磁のようなすべすべした肌を無防備に曝け出し、そこに様々な宝石を並べては悦に入っていた。

 紫がかった青い瞳は夢見るようにまどろみ、手にした石をためつすがめつ眺めている。灰みの強い薔薇色の髪が一面に広がり宝石に被さる様は、まるで優雅に抱きしめているようだ。

 事実、宝石の所有者は魔女となっていた。彼女のものにした。自身のものではない力にて、強引に。

 当然ながら、それらは全て血塗られた。所有者の意思を、全くに無視した手段にて。

 石を摘み取ったその指先で、本来の持ち主の懇願する目を、嘆願する喉を、取り返そうと伸ばされた手を、魔女は鈴のような声でころころと笑いながら、軽やかに潰し、引き裂き、切り落とした。

 血飛沫、血走り、滴り落ちた赤で石が汚れる。

 けれど魔女は気にしなかった。汚れは誰かの血、誰かの涙であり、自分の汚れでも痛みでも悲しみでもなかったから。

 だから気にならない。幾ら汚そうとも。

 それどころか輝紅玉は自分の血、金剛石は自分の涙。

 この手に在るべき我が身の血肉。


「これこそアタシの夢だわ……神サマはいた、やっぱりいたのよ……ふ、ふふ……アハハハハ……!」

 夢見る眼差しは少女のように幼かったが、けれどその両手いっぱいに宝石を抱え込んで高笑いする姿は正しく見事な魔女であった。



 ◇  ◇  ◇



(さて……どう動いたものか)

 件の偽『災禍の魔女』が手にしたものが想定外の力だったせいで、ミゼラティたちは急襲を一旦取り止めて作戦会議を開いていた。

(よりにもよって上級妖魔の装飾品とはなあ……)

 相変わらず一人だけソファに座ったまま、ミゼラティが考えるのは「想定外」……「妖魔」のこと。


 ――妖魔。

 それは総じて美しいものを好む種族であり、階級に応じてその容姿や性格は大きく異なっている。

 もっとも数が多いのは、下級種。小鬼程の矮躯で知能が低く、汚らしい外見ながらも抜け目ない狡猾さと、絶対な強者には決して逆らわない卑屈な思考を持つ。

 決して強くはないが貪欲なまでに金銭や肉欲を求める即物行動をとる為、他の害獣魔物同様に討伐対象として依頼が上がることが多い。

 次に数が多いのは、中級種。人の型をしているものが多く、その性質は享楽もしくは残虐と極端だ。

 また下級に比べて知能や魔力が格段に高くなり、他者の悪事に手を貸しては問題を大きくして愉しむという、何とも面倒な存在でもある。


 ――この時点で充分に厄介なのだが、ここから上の存在である上級妖魔となると更に厄災度が増す。

 まず、上級種は誰も彼もが容姿端麗で類稀なる美貌を持つが、中級からは全てが遥か高みの差がある。

 竜や魔王、神とは一線を引く異界の存在。絶対なる強者が故か、その思考と価値観は霧の中。解明されてはいない。生息地どころかその数すらも知る術はなく。

 情深き原罪。無慈悲なるもの。至上たる愉悦。最期の冷酷。

 様々な呼び名はあれど姿を見せるのは極少であり、姿を見た者がいたとしてもその形は記憶から消され、漠然とした存在感と畏怖だけが存在証明として残されているのみ。

 姿を写した書物はあれど、真実かどうかは分からない。

 それでも、古代図書館の奥深くに、資料として残っている――残すのを許された?――のをみる限りでは、確固たる秘密主義ではないようだ。

 掴みどころのない存在はまるで陽炎のようで、他者をとかく翻弄する。

 人によってはその神秘性に何か特別な意味を見るだろうが、上級妖魔にはどうでもいいこと。彼らは自身の感性の趣くまま、興味を引くものにしか相手にしないゆえ。

 一説によると、瞬きひとつで瞬時に国を滅ぼしたという。

 事実、北東に一つの滅びた国があった。何をされたのか――何をしたのか――は、依然として不明のまま。亡国となった確たる真実だけが、残骸としてそこに在るのみ。


 そのようにして最悪な存在の力を、彼の災厄たる魔女殿が手にしてしまったからこそ、いっそう慎重にならざるをえないのだった。

 元を辿れば『鍵』を作ったヒューグウェンリルが元凶だが、流石にここで責めるのはお門違い。

 罰すべきは盗人であり、被害者である彼に管理不行届き云々を問うつもりはない。

 それでも当人は大変深く悔やんでいるようで、「あの愚者の愚行が、我が君にこのような煩いをかけるとは。ああ、お許し下さい。我が矮小たる命では到底足りぬでしょうが、せめてもの償いを」などと言って自害に走りかけたものだから、必死になって止めたばかりである。主にミゼラティが。むしろこの青年はミゼラティの言うことしか聞きやしないので。


 そもそも、当の『奇跡』は無作為に抽出されるものであるからして、誰の責任でもない。

 だが――その力を手にした者が、よりにもよって『災禍の魔女』を騙ったのは果たして偶然だろうか?


(……私の破滅の伏線じゃないだろうな)

 ひやりと背筋を伝った悪寒を、ミゼラティは振り払う。

 だとしたら、尚更その偽物をどうにかしなければいけない。災禍の魔女宛で、冤罪がどんどん加算されているのを思い出したミゼラティは気を引き締める。

 集中すべきは、自己の中でなく外。

 余所見はこの件が片付いたら幾らでも出来るのだから、ここまでだ。


(どうも私は暗い方へ考えが偏りがちになるな……癖でもついているのか?)

 吐息を零すついでに悪寒をふるい落したミゼラティは、室内に意識を戻す。

 水晶硝子にあった金と銀の花は取り除かれ、代わりに白い花が生けられていた。淀んだ空気の清浄化と、監視の目からの隠蔽をもたらすものとして。

 それは大娼館の女館主――ヴェルジェと名乗った――彼女が手配した浄花だった。

 彼女は自らの行動をたっぷり詫びた後、改めて城について語りはじめる。


「あの王と魔女は、毎夜、己の享楽の為に城で宴を開いているの。不当に集めた小さな子供ばかりの宴をね」

 ただの幼女に過分な畏怖は不要だろう?とミゼラティが強引に理解させたのが功を奏し、今のヴェルジェは元々の女主人の口調で話している。気が強くも心優しい女主人然としたそちらが本来の性格なのだろう。

「宴が始まるまで、子供たちはだいたい部屋に置かれているわ。バラバラに配置された小部屋に、一人ぼっちでね。……どうして一か所にしないのかって聞いたら、あの男はこう言ったの。『小さな玩具箱みたいで面白いんだ。何をしても声は聞こえないし、どこにも届かないからじっくり楽しめる』なんて、下卑た笑いを浮かべて、ね――あの外道共!」

 その時の様子を鮮明に思い出したのか、怒りと悲しみを混ぜた表情でヴェルジェが悪態をついた。

 鏡台前にあった背凭れのない丸椅子に腰をかけて、足を組んでいる。横に深い切れ込みの入った赤いドレスからすらりとした足が覗いているが、娼館特有の空気に馴染んでいるので特に指摘するものはいない。

 気持ちを落ち着ける為だろう、パチンと扇を閉じた時にはもう澄ました顔をしていたが、その手元はよく見ると細かに震えていた。

 暗く淫らな欲望渦巻く蜜の館主とはいえ、ある一定の線引きはあるものだ。

 道理、信念といった色々な敷居値。

 暴君と魔女はそれらを踏み越えたのだ。躊躇いなく。情けもなく。道を外れた獣として。


(成程。この国の空気が淀んでいるような気がしたのは、比喩でも何でもなかったか)

 ミゼラティは、きゅっと噛みしめられた女の唇の緋色を眺め、それから部屋全体を見回すように視線を、意識を巡らせる。

 いまも継続しているらしき、その蛮行、その愚行。

 対象が年端もいかないというならば、尚更、時間は掛けられない。

(子供たちは、てんでばらばらの散開状態ときたか……そこまで馬鹿ではないのがまた憎たらしいな)

 そんな事を考えつつ部屋の各所に視線を流していたミゼラティだったが、ふと女館主の組んだ足に視線が止まる。

 赤い布から艶めかしく伸びた白い足。真紅と真白のその対比はとても美しいものとしてミゼラティの目に映り、うっかり幼女らしからぬ発言を零してしまう。


「こうして改めて見ると君は実に妖艶で美しいな、館主殿。色欲の悪魔も、君になら他愛なく傅くだろう」

 それは心からの称賛でいたのだが、ヴェルジェは途端に顔を赤らめて「あ、ありがとうございます」とだけ言うと、組んでいた足を解いて膝を閉じてしまった。膝の上に両手を置いて、恥ずかしそうに俯く始末。

 はて、真っ当に褒めたつもりなのだが。

 ミゼラティは内心で首を傾げる。

(もしかして、足に何かしらの心理的な不安要素を抱えていたのか? だとすると、部位を指摘した上で褒めたのは不躾だったか)

 懸念を抱いたミゼラティが眉間に皺を寄せていれば、傍らで溜め息が零れる音がして――吐息の主が諌める。

「そう淑女の肌をまじまじと見るべきではないよ、お嬢さん。それと、強制するつもりはないのだが、君はいま少し淑やかさを学んでくれると嬉しい」

 婉曲的だが、騎士たる長兄殿から飛んできたのは説教。

 声は柔らかでいたが、それは確実な小言。

 ミゼラティは憮然としてソファに深く凭れかかると、ムッとした顔をして反論する。

「淑女たれと言われても、必要のないものを身につけるつもりはないんだ。諦めてくれ、騎士殿」

「社交界などで役に立つ。君が穏やかに生きる上でいつか必要になる礼節だ」

「何をどうしたら、私のような孤児と社交界とが結びつくんだ――夢物語はそこまでにしておいて、今は現実を見ようか」

 ぱんぱん、と軽く手を叩いてヴァイスリヒトとの会話を打ち切り、ミゼラティは作戦会議の続きを始めようと視線を女館主に移す。しかし彼女はまだ賛辞からの羞恥にて耳を朱に染めて俯いていたので、会話を投げた相手は『鴉』の少年となった。


「鴉の子、君は何か策があるか」

 問いを受けた少年が顎を擦って、眉を寄せる。

「あー……館主の情報が確かなら、オレの用意していた手は無効になっちまった。悪い」

「どのような方法を考えていたんだ?」と訊ねたヴァイスリヒトに、少年が苦笑を返す。

「ガキどもが大部屋にいたら、オレが囮になって引っ掻き回してやるつもりだったんだよ。手っ取り早いし、消費もオレ一人で済む、っていうシンプルなやつさ」

 おどけるように肩を竦めつつも、苦々しく『鴉』は笑う。

 修道院の仲間を、血の繋がりはないが幼い兄弟たちを、自身の命と引き換えにしてまで救う予定でいた齢十二の少年。

 けれどもその決死の覚悟はあっけなく潰されてしまった。少年は苦笑によって冷静を装っているようだが、内心は業火の如く怒りで煮えくり返っていることは想像に難くない。

 一方、ミゼラティは少年の策が砕けたことをひっそり喜んでいた。

 何故なら、それによってこの少年の命が「掬われた」から。

 知人ではなく仲間でもない他人とはいえ、共に居る時間の経過により既に多少の情が湧いてしまっている。出会いもあまり良い方ではなかったが、それでも今この少年に犠牲を払って欲しくはないと思えるほどの情が移っているのだ。

 ミゼラティは少年の背中を軽く叩いて慰め、会話の先を繋ぐ。


「魔女が手にした災厄の事を考えたら、遮蔽や隠密関連の魔法以外は使わないほうが良いな。感知されて気づかれでもしたら……いや。既に館主殿を招く際に、私が使ってしまっていたか」

「ご心配には及びません、我が君」

 苦悩の表情で唸るミゼラティの肩を、そっと押さえたは背後の従者。いつの間に移動したのかヒューグウェンリルはソファ越しに上体を屈めて小さな主君に囁く。

「僭越ながら、入室の際に多重の遮蔽魔術を敷いておきましたので、感知の心配はないかと」

「しかし、上級妖魔の遺物だぞ。少しは――」

「遮蔽と偽装を交互に重ね、館外で見た子供のまじないに溶かし込んでおります故、騙されることでしょう。アレの低能さは知っておりますので」

 そういえば、偽魔女はこの青年の元知人――「元同僚、です。不躾ではありますが、どうかそこはお間違えなさいませぬよう」

「あ、ああ。分かってる。覚えているとも……」

 思考を読んだかのように言葉を続けた従僕たる青年に、ミゼラティはドキリとしつつも彼を見上げて微苦笑を返す。

 そのようにして見つめ合い、ミゼラティが多重魔術を褒めていれば――「話が逸れているぞ、お嬢さん。戻ってきたまえ」

 ヴァイスリヒトがミゼラティの目の前で、片手をひらりと振った。注意を受けて、ミゼラティが意識と視線を戻す。

「え、あ、すまない」

 素直に応じた幼女に、それで良いと騎士が微笑む一方で、その横入り相手に青年が殺意の籠もった目を向ける。

 それをオロオロと見つめる女館主には、『鴉』が声を掛けて彼女にアレは戯れ合ってるだけだ、と傍観するよう促す。

 多種多様のやりとりが終わり、作戦会議に戻るのは幸運にもそう時間は掛からなかった。


「相手の技術レベルは不明だが、大きく底上げされていると見たほうがいい。……かなり気分の悪い気配がする」

 それぞれに策を考え、提出し、話し合っている最中に、ヴァイスリヒトがそんなことを言った。

 端整な顔には、この娼館に入る前と同じ強い警戒の色がある。

 元より、四騎士自体が『災禍の魔女』に特化した存在だ。災禍の気配に気づかぬわけも無かった。

 四騎士は運命の天敵。世界を破滅に導く『災禍の魔女』を確実に滅ぼすもの。

(そうか、一人だけとはいえ長兄殿は四騎士中最強の存在だ。偽物といえども『災禍の魔女』を名乗っている以上は、四騎士としての特効が確実に……、……いや。待てよ)

 ここで不意にミゼラティを別の不安が襲う。


(偽者のほうはともかく――今の私は範囲内か、範囲外か?)


 ヴァイスリヒトの雰囲気がその美貌に似て凍てつくような形を取り始めているのは、正しく自分に特効効果が発動している為ではないだろうか?

 被害妄想かも知れない。

 かといって、可能性が無いわけでもない。

 そんな答えを見つけてしまい冷汗が出たミゼラティを、僅かな恐怖と緊張が包む。

「……っ」

 思わず、壁際にいる険しい顔をした長兄に自分の方から視線を投げてしまった。男の口調で話す小生意気な幼女ではなく、かつての過去の少女――僅かな時間を過ごした妹としての眼差しで。

 縋るわけではなかった。


 ――にいさま。


 それは、とりとめようのない感情を含んだ少女の瞳でいた。

 彼の騎士は――長兄は、ハッとした顔をするなり組んでいた腕を解くと、ミゼラティの元へ駆け寄ってきた。

「――顔色が悪い。大丈夫か、お嬢さん」

 目の前で片膝をついて視線を合わせ、優しく話しかけてきたヴァイスリヒトを見て、少女は、かつての妹は――それで少しの安堵を覚え……しかし、小さな両手を丁寧に握られたところで正気に返った。


「あ……っ! ……だ、大丈、夫。こっ子供たちの、ことを、考えて……考え過ぎて、いた」

 それらしい言い訳をつっかえながら返し、掴まれた優しい輪から手を抜けば、ヴァイスリヒトは柳眉を微かに寄せたものの「そうか」と言って立ち上がった。

「今は君の意思に従おう。だが少しでも体調に異変を感じたら、すぐに教えてくれ。――いいな、お嬢さん?」

 穏やかな声で語り掛け、ヴァイスリヒトが微笑む。しかし、最後の確認には強く念押しする圧力があったのでミゼラティは無言で頷くに留めた。

 やはり『災禍の魔女』に対する特効は発動しているのか。

 もしくは、非常に美しく精悍な容貌に当てられていただけなのか。


(どちらであっても、私がこの長兄殿が苦手であることには変わりないな)

 ミゼラティは引いた汗の冷たさに軽く震え、作戦内容を纏める作業に戻ることにした。



徒花たる魔女へ

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