1-30 法なき国の鴉と魔女4
魔女の道は大娼館にある。
薄闇の箱。輝く火。欠片すら鍵となせ。
教会から出てしばらく歩いた頃にミゼラティたちを呼び止めた『鴉』が、突然にそんな事を語った。シスター・フィリアの伝言だと前置きして。
「……大娼館に道が? 本当に彼女がそう言ったのか?」
「そうだ。だいぶ悩んでいたが、チビのことが気になったんだろうな。受け取れ」
言伝を拙く投げてきた『鴉』に、ヴァイスリヒトとヒューグウェンリルは面食らい、訝しんだ目を向ける。
その反応も仕方ない。なにせ清らかな修道女からの言葉が「あらゆる欲に塗れた館に向かえ」という――予言、もしくは神託?――という、何とも奇妙なものだったのだから。
男はともかく、幼女をそう簡単に娼館に連れ込むわけにはいかない。『鴉』はどうだか知らないが、少なくとも騎士たるヴァイスリヒトはそんな事を思ったようだ。
しかし幼女は頷いた。あっさりと。
「分かった。行こう」
過保護者二人がぎょっとした顔で見るので、幼女は――ミゼラティは、ちょっと肩を竦める。道徳を気にしている場合か、というふうに。
「修道女殿の清らかなる宣託だ。有難く受けようじゃないか」
「自ら罠を踏みに行くようなものだ。安易に受けるのは止めておけ、お嬢さん」
難しい顔をしたヴァイスリヒトが窘める。
「それよりも、隠密と転移の魔法を重ねれば問題なく潜入できるのではないだろうか。そちらの男の練度は知らないが――」
ここで騎士は青年を一瞥し――視線を受け止めた方も冷ややかな眼差しを返し――それから、片手を己の胸に当てて言った。
「私は騎士だが、それなりに高位の魔法も扱える。どうだろうか」
そんな提案を穏やかな声で持ちかけてきたヴァイスリヒトに、ミゼラティは内心で嘆息する。
(そうだな、四騎士筆頭殿。君はいつも「それなり」に高位の魔法で私を追い込んでくれた)
義妹ではなく魔女として。神託の執行者として。
常に破滅へと導いてくれた、冷たく美しい銀の騎士。銀は魔除け。さもありなん。
だが今は過去ではない。知らぬ差異や未知なる運命に遭遇してはいるものの、破滅の道は辿っていない筈……だと思いたい。
口をついて出そうな皮肉を押し込め、ミゼラティもまた「それなり」の説明を返す。
「例の『災禍の魔女』が何を仕掛けているのかまでは、分かっていないだろう? 王城に直接乗りこむのは無謀だよ、長兄殿」
そう言ってから苦笑を零す。己に向けて、自虐的に。
肩書を名乗っている以上は非力でもないだろう、彼の存在。
偽物とはいえ、簡単に一国を支配する程の力があるのは既に証明されている。鈍色の空。淀んだ空気。暗すぎる夜によって。
だからこそ、万全の態勢でいくべきなのだ。
油断は禁物。何度も重ねた失敗からの経験として。
驚かせてもらった礼も兼ねて、ここは是非とも背後から急襲したいところ。
ああ、盛大に驚嘆させてあげよう。こんなビックリ箱の贈呈も悪くない。
――そうだろう、『災禍の魔女』殿?
まだ顔も見えない相手に対し、ミゼラティは心中で微笑む。
子供らしい悪戯。無邪気な作戦。ただし、箱の中身は現時点において全くに可愛らしいものではないが。猫の爪は鋭く、いつでも引っ掻けるよう潜めている。
そんな事を考えながら、ミゼラティはふと独り言を零した。
「しかし、修道女が大娼館に導を見出すとはな」
「それはシスターに対する侮辱か? それとも、妄言だとでも思ってんのか? 言っとくが、アレはそんなオンナじゃねえぞ」
聴覚優れた『鴉』が即座に聞きつけ、威嚇するような声でミゼラティに凄んできた。
口が悪いこの少年は、アレだのオンナだのといちいちぶっきらぼうな言い方をするが、これも彼なりの修道女に対する信頼なのだろう。
非常に不器用だが、微笑ましくもある逆しまの少年。
それはそうと誤解なので解いておこう。経験上、拗れた人間関係を放置しておくのは良いことではない。
ミゼラティは失笑しつつ、自らの呟きを補足する。
「曲解してくれるな、鴉の子。私は君ほどに彼女のことを知らない。ただ、修道女と大娼館の主との繋がりに興味が湧いただけだ――それに」
疑念の目を向けてくる『鴉』に、幼女は続ける。
「神聖と淫靡が手を重ねるなんて、どこか背徳な匂いがしないか?」
唇に人差し指を当て、子供らしからぬ態度でどこか妖しくミゼラティが笑う。
宵闇の下、月の代わりに不敵に煌めく猫の目。獲物を捕らえるように。
うっ、と『鴉』が息を飲み、男二人がそれぞれに目を逸らす。囚われないように。
「お嬢さん、君は……いや、好奇心を持つのはいいが、多少は子供らしくしていても良いと思う」
「我が君。不敬にて申し訳ありませんが、いま少しあどけなさを装って頂ければ幸いにございます」
「チビ、お前はもうちょっと可愛げを作れ」
「……こうまで立派な普通の幼女を捕まえて、何を言うんだ君たちは」
未だに己を識らない幼女は、疑念を抱く騎士と特に気にしていない青年、それからひっそりとした影のような少年と共に、託宣が示す場所へ向かうことにした。
◇ ◇ ◇
大娼館『蜜花失楽園』
夜の中、ぼうと浮かび上がる快楽の巣。聖堂のような白さを持つ大きな館は薄っすらと珊瑚色の光を帯びており、外見に反して淫らな雰囲気を纏っている。
その様はまるで清純たる娼婦。薄レースの向こうに素肌を覗かせ、手招いている。
ミゼラティは立ち止まり、建物を囲む形で植えられている花を見た。
時々ごとに種類と色を変える、魔法の細工物。
今は黒い百合の花。夜よりも暗く、艶やかに。
本来は純粋無垢の白が常のそれが黒く染めあげられ飾られていることから、やはりこの娼館も現状に不満があるようだ。
黒百合の「憎悪」が向けられているのは、さて男か女か両方か。
「アレは呪いの一種です、我が君。子供のまじない程度の効力しかない為、脅威とはなりえませんが……処分致しますか?」
小さな背中を守るようにして、背後に立っていたヒューグウェンリルがそっと警戒を囁く。ミゼラティは「必要ない」と首を振り、扉のほうへと足を進めた。
薔薇の刻印が押された重厚な扉の前には、彫像らしき影が二つ。それは門番然とした者たちで――ヴェールのついた帽子を被っているので顔は見えない――それぞれが、扉の左右に立っている。
ミゼラティたちの姿を見るなり扉を開き、深々と頭を下げた。
何も喋らなかったが、とても丁寧なお辞儀は告げていた――ようこそ、お客様。
言葉なくも恭しく招かれたミゼラティたちは、薔薇の門を通って館の中へ。
やがて扉は音も無く静かに閉じられ、門番然とした者たちは背を真っ直ぐに伸ばして元の彫像のように佇んでいた。
◇ ◇ ◇
案内されたのは一つの客室。
飴細工のような金の装飾で縁取られている黒檀の一枚板のドアを押す。
中は、とても広かった。
蜜色の毛皮が掛けられたソファと薄い天蓋が下がる大きな寝台には、寛ぐ以外の用途を窺わせる淫蕩な雰囲気がある。また、窓際には水晶硝子で出来た花瓶が置かれていて、そこに生けられた金と銀の花が微かな香りを振りまいていた。
ランクがあるなら「特別室」か。
しかし壁に掛かっている代物を見れば、別の意味を持つ「特別」だということが分かる。金の額縁に入った絵画だけが飾られていれば良かったのだが、そこは「特に普通から別たれた室」だった。
壁に掛かる先の分かれた鞭は、多種多鞭。柔らかなものから硬いものまでとりどりに。
拘束具も一つではない。手枷、足枷、首輪に全身拘束具と、まんべんなく。
片隅に置かれたクローゼットに至っては、開けるまでもない棺。骸骨の一つや二つ入っていてもおかしくない程に、淀んだ空気を放っていた。……流石に「肉の付いた活きのいいもの」は無いだろうが。
そんな豪華で淫猥な室内において『鴉』以外の男たちが警戒の眼差しで周囲を掃く中、ミゼラティはスタスタと歩いて部屋の中央に向かった。
立ち止まったのは、大きなソファの前。その滑らかな毛皮をひと撫でし、両腕を組んで一つ頷くと、堂々と腰を下ろした。毛皮は温かく、柔らかに体を包みこんでくるのもあって非常に座り心地が良い。
(こういうのは久し振りだな)
かつての過剰な贅沢の髄(その末路は破滅ではあったが)を、しみじみ味わいつつミゼラティが遠慮なく寛いでいれば、右後方より声がした。
「君は随分と落ち着いているな。……ここが怖ろしくはないのか?」
話しかけてきたのはヴァイスリヒト。声に騎士特有の清廉な咎めと、一握の杞憂を含んで。
ミゼラティは後者には気づかず、姿勢はそのままに顔を上げて答える。
「これでも一応、警戒はしているさ。騎士殿は私が憐れなほどに怯える姿が見たいのか」
「そうではない。そういうことではない。私は、もしかするとこうした場所で君が――」
「――おい、止せ」
鋭い声を投げたのは、ミゼラティと同じく平然と部屋の隅にいた『鴉』の少年。険しい顔でヴァイスリヒトを睨み付けながら、幼女の側に立つ。
「オマエ、ここがどういうところか分かってて言っているのか。チビの傷を抉るのが北の騎士のやり方か!」
「何を言っている。私が彼女を害するなど――」
――パン、と手を打ち鳴らす音が一つ。
騎士と『鴉』の険悪な会話を止めたのは、ソファに座る小さな幼女。足を組んで君主然とした格好から二人を見遣り、溜め息を吐く。
「冷静になれ、ご両人。長兄殿は単に気遣いが下手なだけで、鴉の子は少し過敏なだけだろう。君たちはそれぞれに擦れ違っている、それだけだ。つまらないことで揉めるのは止せ」
説明するようにそう言ってから、ミゼラティは軽く片手を振る。
すれば窓際の方で何か音がした。
それは水晶硝子の器に生けられていた花が砕けた音だった。金と銀の欠片がバラバラになって器の中に沈んでいる。
「幻惑香と惑乱の呪いの重ね掛けか。……このような歓待はよろしくないな――館主殿」
声に僅かな冷ややかさを混ぜ込んで。幼くも美しい顔に少しの苛立ちを寄せて。
いつの間にか手にした白角杖で、ミゼラティが床をガツリと突いた。
瞬間、大輪の花のような魔法陣が地面に広がり――すぐに消えた後には、一人の女の姿がそこにあった。
頭の上で結い上げた金の髪。レースをふんだんに使用した蟲惑的な赤のドレス。
紅色の唇を真一文字に引き結び、震えているのはその身に絡みついた黒棘の影のせいか。
傍らには金色の長煙管と、頭部に魔石がついた蛇の杖。
杖の石は砕けた花と同じ運命をなぞっていた。魔術を行使した罪、その代償として。
胸の前で両手を組んで跪いているその女の祈る姿勢が表しているのは、赦しだった。恐怖からの。深く項垂れたまま、震える声にて言う。
「御無礼お許し下さい、貴き御方。わたくしが見誤っておりました」
「我が君の御心を厭わせた愚者が。――消しますか」早々に敵意を剥き出しにして女の前に立ち、睥睨するヒューグウェンリルを幼女が片手を挙げて止める。
「試したかったのか、それとも軽い悪戯のつもりだったんだろう。君も、つまらないことで腹を立てるのは止めておけ」
そのようにして三人目も宥め、諌めておいてからミゼラティは溜め息と共に言った。
「初めまして、館主殿。顔を上げてくれないか。宣託の導きをしてくれるんだろう?」
幼女らしからぬ声音で告げれば、女はゆっくりと顔を上げる。
「はい。御導き致します、貴き御方」
「そう畏まらなくていい。君の目の前にいるのは平凡な子供じゃないか」
可愛らしく微笑み、幼い声で同意を求めるその瞳はけれど妖しく――冷たく――館主の女を見下ろしている。寛ぎを邪魔されたことに対する不機嫌さを、隠しもせず。
その感情のさざなみを感じ取ったのだろう、背後にいた騎士が割って入ろうと口を開きかけたのを、横から遮ったのは『鴉』だった。
「アンタが魔女退治を手伝ってくれると聞いた。どうやるんだ」
場の雰囲気を壊す様に――戻す様に――手段を訊ねた少年に、館主の女がミゼラティをそっと窺う。畏れた瞳を向けて、待つのは命令。
幼女は溜め息をついて片手をひらひらさせると、ソファに深く凭れて身を沈め、柔らかい毛皮で気分を鎮める為に再び寛ぐ姿勢をとる。
それを見た女は祈る姿勢を止めたが、それでも跪いたままで導きを口にした。
「先ずわたくしから捧げますは、災禍の魔女の根源とその力の在りかでございます」
「明確かつ簡潔に語れ」
そう刺々しい声で言ったのは、ヒューグウェンリル。幼女の斜め前に立ち、冷ややかに見つめる。
口調から丁寧さが剥がれているのは、ミゼラティに対する試し行為が原因か。館主の女は目を伏せて答える。
「はい。至らぬ言動失礼致しました。……魔女は輝く炎の形をした奇妙な装飾具を手にしており、それが全ての元凶、災禍を巻き起こしているのです。今は力の補充がため、隠された宝物庫に置いてあるとのこと」
「……輝く……炎……?」
ヒューグウェンリルが肩越しに幼女を見遣る。目に僅かな焦燥の色を浮かべて。
ミゼラティもまた体を起こし、女を見た。苦い顔つきでこめかみを押えて考え込む格好になった幼女に、騎士と少年が揃って顔を見合わせる。
不意に訪れた沈黙は長く、やがて焦れた少年が口を開いた。
「おい。急に黙り込んでどうした。火の飾り?だか何だかが元凶っていうんなら、それを壊せばいいだけなんじゃねえのか。簡単だろ?」
「…………簡単、だったらこうも深く悩みはしないんだよ、鴉の子」
ミゼラティが息を吐き、ヒューグウェンリルと視線を合わせる。
「……真たる物だと思うか?」
「判定はつきません。ですが我が君、我が失態である『鍵』のことを考えるに、恐らくは……」
「館主殿は、どう思う?」と、ここでミゼラティが女にも尋ねた。
割れた魔術の飾り石から、幾らかは理解があるのだと感じたのだろう。
不意に話を振られた女はビクリと身を竦ませたが、ミゼラティの瞳には先程に感じた棘も爪も見えなかったので畏敬の姿勢はそのままに答えた。
「わたくしの階位では、ただ禍々しいものだとしか……ですが、修道女の導に提示された単語から愚考致しますれば、答えは――」
「――ああ、ありがとう。とりあえずは確信した」
館主の言葉を遮るように礼を言い、長い溜め息を吐いてミゼラティが項垂れる。やっぱりか、とでもいうように。
様子を見守っていた騎士が、そこでようやく会話に入る。
「君の……いや、君たちの懸念は何に対してのものだ?」
ヒューグウェンリルと女は口を噤み、答えを委ねたはソファに座る幼女。委任された雰囲気を感じ取ったらしく、観念したように顔を上げると、騎士と少年を交互に見てから口を開いた。
「君たちも視野は広いんだろうが、これに関しては知らなくても当然だろう。私も、実際に遭遇したのは初めてだからな」
「たかだか装飾品だろ。なんなんだよ、一体!」
いつまでも言葉を濁す三者に、忍耐の騎士はともかく『鴉』たる少年が苛立ったのも無理からぬこと。子供らしからぬ態度でいたとはいえ、同じ運命を重ね継いだミゼラティとは違ってその中身はやはりまだ子供なのだ。
ミゼラティは気鬱から立ち直ると、浮かぶ苦笑はあえて隠さず彼らに明かす。曖昧ながらも確定している鬱屈の正体を。
「例の魔女殿が手にしたのは『幸運』だ。……そして、これからの私たちにとっては不運でしかない」
ふー、と息を吐いてミゼラティは続けた。
「君たちは全くに位階が違う存在を知っているか?」
そう語り掛けた目は凪いだ海のように静かで、それでいてどうしようもない苦悩が混じった光を帯びている。
「ビックリ箱はまだあったか……本当に面倒だな『災禍の魔女』は」
密かに呟いたそこには子供らしく純粋な興味と恐れが、ひとかけら。
火刑の魔女、火に怖じる




