1-3 薄暗がりの悪と子猫
――しまった、これじゃどうにもならない。
夜よりも暗い裏路地。
悲鳴の残滓を辿り、着いた先にて待っていたのは自分よりも更に年下だろう幼女と、今まさにそれを麻袋に詰めようとしている柄の悪い男たちだった。
ここへ来るまでに脳裏に浮かべていた様々な料理が、一気に払い落とされてしまった。ガシャン、パリンと食器類が割れる音すら聞いた。空腹時のがっかり感が、これで伝わるだろうか。
溜め息を零し、被るフードごと頭を抱えていればこちらが一人だけであることを確認した男たちがようやく動きを見せる。
リーダーらしき男が向き直り、にやにや笑いを浮かべて話しかけてきた。
「探し物かい、『お坊ちゃん』」
無造作に羽織っている外套のせいで、こちらの性別が分かっていないようだ。……が、まあ別に良い。問題にするのはそこではない。
「子供を袋に詰めてどうするつもりなのか、お尋ねしても?」
用途の想像はついたものの、礼儀(?)として聞いてみた。すると、何か可笑しかったのか男たちが顔を見合わせて笑う。
「坊ちゃんには、ちいっと早いんじゃねえかなあ」
下卑た笑い、とはこうした表情を指すのかと感心するほどには男たちの顔は醜かった。そして、素晴らしかった。悪党らしくて。
なので、素直な感想を告げてみた。
「悪行に早いも遅いも無いだろう。どのみち通るものだ」
大小の違いはあるが、誰にでも平等に悪いことは起こる。
それは善も悪も同じ。でないと、この世界のバランスは崩れてしまう。傾いた結果が「災禍の魔女」による大禍であり、魔王による破滅である故に。
人が幾らか世界の負担を背負わなければ、壊れる平穏。……天秤をどうにかすべきではと思うのだが、ああ、今はそれどころじゃなかった。
幼女は首まですっぽりと袋の中に入れられているし、男たちは更なる「稼ぎ」を前にニヤニヤ笑いを深めている。
しかし、自分の背後には来た道がそのままあり、退路が断たれているわけではない。見なかった振りをして悪行ごと彼らを見逃すことも選択できるのだが、それはさておき麻袋の彼女に対してその天秤は平等なのだろうか。
私を助けるものはいなかった。
救おうとしてくれるものもいなかった。
いつの世界線でも最後に一人だけ、独りきりで最期を迎えた。……見送る兄弟たちは、数には入らないだろう。
私は災禍の魔女。
世界の平衡を保つためにいつかは滅ぶ存在。
だからといって、まだ幼女であるあの存在に私が背負ってきた負担を乗せていいことにはならない。
見知らぬ誰か。けれども、見つけてしまった以上は仕方がない。
私は災禍の魔女。
悪は我が属性の一つであり力の糧ともなる。
だから――この「災禍」は私のものだ。
「私はそちらの素性と所業に興味はないし、情けも無い」
外套の下で魔力を紡ぎながら、彼らに告げる。
「ただ私が見つけてしまった以上、すまないがそこは運が無かったと思って諦めて欲しい」
きちんと謝罪はしておいたので、大丈夫だろう。こちらの言動に訝しげな顔をしている男たちを余所に、私は足を少し開いて臨戦態勢に入る。
不穏な気配を感じとったようで、男たちもまた表情を引き締めて身構えてくれたので、良しと思った。
何度もいうが、私は災禍の魔女。
有無を言わさず一般人に先制攻撃をして、何かしらの業が溜まっては堪らない。
悪の存在というのは、常に理不尽が付き纏うものなのだ。
しかしながら今の状況は、人攫い真っ最中の現場。成年男性と対峙しているのは、着の身着のままの幼い少女。加えて、誘拐途中の幼女というオマケが付いている!
――となると、正当防衛が成り立つのではないか? いや、なるはずだ。
更には、無垢な幼女に救出の対価としての金銭を要求するのは(人道的に)悪辣行為になるが、彼らのような裏稼業の存在にならば世界も少しは見逃してくれるだろう。
――いいや、是非とも見逃してもらいたい。
こちらはもう空腹を越えて、飢餓感を覚えているのだ。むしろ世界の崩壊を早めたくなければ目を瞑れ。そして少しの「運」(金)を寄越せ。と、言い返しておきたい。
空腹は人の理性を低下させるものだ。
これ以上どうでもいいことを考えていると更に深みにはまりそうだったし、また余計な業も積もりそうであったので、とりあえずは目の前の悪行集団を片付けることしたいと思う。
ここは裏路地。
薄暗い影が淀むところ。
悲鳴はきっと、届かない。
だから、ああ――私の魔力と欲の糧となってくれ給え。
◇ ◇ ◇
破滅の刃。絶望に至る慈悲。
様々な呼び方をされた短剣を手に、私はその場に立っている。
足元には、大の男たちの山が一つ。
自身に強化を、短剣に昏睡魔法をそれぞれ乗せて、確実に一人ずつ仕留めた――勿論、血は流していない――ので、多少時間は掛ったものの、どうにかこうにか鎮圧に成功した。齢六ながらも過去の経験から得てきた智慧を使って頑張ったので、ここは是非とも褒めて欲しい。
ひと仕事、いや、ひと善行終えたのもあってか、どことなく体が軽い。
短剣を納めて肩をぐるぐる回していれば「あの」と、か細い声が聞こえた。
声のしたほうを振り向くと、麻袋から人の生首が生えているのを見つける。
薄暗い中に、ぼうっと浮かび上がるそれに一瞬ぎょっとしたが、そういえばそこには誘拐(未遂)された幼女がいたのだった。
「ああ。もうそこから出ても大丈夫だ。安全は確保した」
そう声を掛ければ、幼女はこくりと頷いてもぞもぞと袋から抜け出した。
「一先ず、ここから出ようか」と告げて背を向ければ、「まって」という小さな声と駆けてくる足音が聞こえたものの、構わずにそのまま歩いていく。
安全を期すための先駆けのつもりだったが、ここは殿の方が良かっただろうか――などと悩んでいる内に、大通りの道に出た。
裏通りと比べると広い通りは開けている上に月光も手伝って、かなり明るい方だった。
ここならば一息つけるだろう。月を背にして幼女に振り返り、改めて声を掛ける。
「さて、お嬢さん。君の方に怪我はないか?」
敢えて逆光にしたのは、見ず知らずの相手に顔を覚えられないようにするためだ。何ごとも用心しなければならない。例えその相手が幼女であったとしても。
幼女は顔を上げて、眩しそうに目を細めつつもこちらを見つめて頷いた。
「はい。お助けいただきまして、ありがとうございます」
鈴の鳴るような声、大きな瞳。月の光を受けて輝く金色の髪は軽くふんわりとしていて、幼女は実に毛並みの良い血統書付きの子猫のようだった。
事実、そうなのだろう。彼女が身につけている服の生地や装飾といった身なりと雰囲気が、高い身分にあることを示している。
そのような貴きお嬢様が、なぜ一人であのような場所にいたのか。……まあ、おおよその見当はつくのだが、確認はしておこう。
「一人で裏路地に居たのは何故だか、訊ねても?」
「はい。きょうは、お星さまがきれいだったので、それで少し……お散歩が、したくなってしまって」
小さな手を胸の前で祈るように組み合わせ、潤んだ瞳で見上げてくる彼女の顔には反省の色が浮かんでいる。それはともかくとして。
「護衛と監視が居る筈だろう。そこは、どうしたんだ」
問いに、幼女が少しはにかむ。
「それは……その、お付きの魔導士のかたに、誤魔化してもらうよう頼みました」
えへ、と照れたように笑う彼女の顔には無邪気な素直さがあった。彼女の守護番担当者たちには同情の念を禁じ得ない。
今頃きっと、血相を変えて探し回っているだろう。
そして、彼女はそういった周囲の苦労は知らないのだ。高貴なる身分故に。真綿で包まれた世界に居る為に。
だが、彼女の天秤を戻したことに後悔はない。僅かではあるが、「二つの糧」はきっちり手に入ったので。
ポケットの存在感を確認しつつ、幼女に掛けるのはちょっとした情け。
「宜しければ家まで送りましょうか、お嬢さん」
すると彼女は大きな目をうるっと潤ませて、笑顔を浮かべる。
「本当ですか! ありがとうございます、お兄様!」
……ん? こちらもか。
見つけたものは糧と糧