1-29 法なき国の鴉と魔女3
かつて北国の実験塔に所属していた青年は明かした。災禍の魔女の正しき名を、その正体を。
――まさか他国に『災禍の魔女』の偽物が出ようとは!
この西国サーペンスは隷属化させた後でしか関わらなかったせいもあり、詳しい内情は知りもしなかったが実はかつてもひっそりいたのかもしれない。そして、いつの間にかひっそり消えた。消されたのかもしれないが。
ミゼラティは溜め息を吐く。
死と破滅が確定しているだけの存在を騙るとは、なんとも愚かなことを考えたものだ。
末路を体験している身としては、馬鹿げているとしか言いようがない。
見知らぬ女の壮大な自殺計画。
――大迷惑にも程がある!
幸い、ヒューグウェンリルからの情報で確実に偽物だと判明したが――当たり前だ、本物はここにいる!――かといって、野放しにはしておけない。
なにせその偽物によって、覚えのない罪、他人の憎悪が本物の『災禍の魔女』宛に今も積み重ねられているのだから。
冗談じゃない。
負債の肩代わりなど誰がするものか。これは早々に片付けるべきだ。でないと、真たる冤罪にてこの運命を終わらせる羽目になる。
本当に冗談じゃない!
平穏な日常(予定)に、明るい未来(仮定)に戻る為に、急いで解決しなければ。
大いなる負債を抱えたその『魔女』が破産してしまう前に。
(そうなると、転送は失敗して良かった……いや、長兄殿も連れてきてしまったからどうだろうな)
ミゼラティは溜め息を吐くと、下がりかけていた気分を俯いた顔と共に持ち上げる。
更なる安心感――もとい情報を得る為に、ヒューグウェンリルに対して質問を重ねた。
「君の同僚、ということは……彼女は錬金術師なのか」
「それは……ああ、重ね重ね申し訳ございません、我が君。正しくはそれも『否』だと告げる我が無礼をお許し下さい」
ヒューグウェンリルがお辞儀をするように頭を下げ、嘲笑を浮かべて続きを語る。
「彼の者は、素養なき故に何も成せなかった凡人。日々を無駄に過ごした挙句、とうとう我が書庫より研究の一つを盗み逃げたつまらぬ愚物というのが正しき情報にございます」
「盗まれたものは?」
横合いから問いを投げたのはヴァイスリヒト。
愛しき主君との会話に介入してきた無粋な騎士に対し、青年は冷ややかな視線を向けたのみだが小さな手に袖をそっと引かれた為、渋々といった様子で答えを返す。
「……『深遠の鍵』だ」
感情なき声で告げた後にミゼラティの方を振り向き、こちらには柔らかに告げた。
「我が君はご存知でしょうから、これ以上の説明は不要でありましょう」
それは同じ知識を持つ者でなければ解けぬものであり、敢えて難解な物言いをした青年の悪意に流石の騎士も気づいた。嫌悪の眼差しを向けるも、当の本人は口端を持ち上げて鼻先で笑ったのみ。
両者の間に沈黙が下り、敵意の火花が飛ぶ。
一触即発――などさせている場合ではない。
「そういうのは後にしてくれ、ご両人。……しかし、そうか。盗んだのは『鍵』だったか……頭が痛くなるな」
二人を仲裁しつつ幼女が己の眉間を揉んでいれば、ヴァイスリヒトが解明されぬままの疑問を投げてきた。
「お嬢さん。不勉強で申し訳ないが、鍵とは何かを教えてもらえると助かるのだが」
「うん? 君は知らないのか。……いや、そうか。分野外ならば当然だな」
「愚物が。己が低能さを恥じ、そのまま沈黙していればいいものを」
「君は君で、些末なことで長兄殿に突っかかるんじゃない。……『鍵』には様々な種類があるんだが、得ている情報から推測した結果、この場合は一つきりとなる」
騎士に噛み付くヒューグウェンリルに代わり、幼女が教鞭をとる。
「――『汝、久遠を見透かし、いにしえを開け。さすれば奇跡、与えられん』」
子供らしからぬ声にて歌うように紡がれたのは、何かの一節。厳かに。
「これは、ある失われし詩の一つだ。件の偽者は、ここにある『鍵』を使って何かしらの奇跡を得たんだろう」
「奇跡を……では、彼女が暗君ドゥラクに囚われ、利用されているという可能性は?」
「彼女が何を望んだのか、私は知らない」ミゼラティが機嫌のいい猫のように目を細める。
「だが他人が錬成した『鍵』を盗み、魔女を――よりにもよって災禍の魔女を騙った時点で、その可能性は低いと私は思うがな」
そして怜悧な光を映した瞳で嗤ってみせた――「もっと残酷な事実を見ないと理解出来ないか、清き騎士殿は?」
ヴァイスリヒトはその眼差しに気づき、思案顔になる。
「……彼女が得たのは、危険なものでしかなかったと?」
「または、それ以上の何かか。……幾らでも予想は出来るが、本人に会ってみないことには分からないな」
「申し訳ありません、我が君。私の管理不行届きにて、かような愚行を招いたことを深く陳謝致します。この償いは、我が命に代えてでも――」
「止せ、却下だ。そんな物騒な反省は求めていない。ともかく、帰還は後だ。先ずは魔女に会って……」
「――お止めなさい」
清らかな声が、ミゼラティたちの会話を一閃した。
◇ ◇ ◇
届いた声を受け、三人が振り向いたのは礼拝堂の奥。
暗がりから一人の女が進み出てきた。ひっそりと。影に『鴉』を引き連れて。
教会の管理人であり修道女たるシスター・フィリア。三角に折った白い布で柔らかな金の髪を包み、くすんではいるものの清潔な修道服を身に着けている。
彼女は三人がいる所までやってくると、透き通る青の美しい瞳でミゼラティをひたと見つめて言った。
「ようこそ教会へ、お嬢さん。話はすっかり聞きました。魔女に会うなど、考えてはなりません。興味本位ならばお止めなさい」
「初めまして、シスター。盗み聞きについては問わないでおこう。貴方たちに迷惑を掛けることは無いので、放っておいて欲しい」
ミゼラティがそう言い返せば、シスター・フィリアは幼さが残るも孤高の瞳にて静かに窘める。
「なりません。猛禽たる君主に目を付けられれば最後、酷い目に遭うのですよ。これまで、そういう目に遭った悲しき子らを多く見てきました」
「その鷹を今から狩りに行くのだよ、シスター。肉を食らい過ぎて飛べなくなったようだからな」
不敵に微笑む幼女の目の奥に、シスター・フィリアは得体の知れぬ光を見る。
「……っ、貴方は……」
修道女は何か怖ろしいものでも見たかのような顔をすると、スッと胸の前で十字を切った。加護の祈りというよりは、自らの魔除けとして。
それを見たミゼラティは目を丸くし、やがて小さな肩を震わせる。苦笑から。
「そう恐れないでくれ、私はただの幼女だ。ああ、呪いなど置いていったりはしない。すぐに出ていくよ」
幼女は大人びた微笑を返すと、冷たい目をして修道女を見る青年の腕を軽く引き、いつの間にか側に立った騎士と共にその場を後にした。
◇ ◇ ◇
教会の扉を開けたミゼラティが目にしたのは、滑らかな夜の色。
黒墨に濁った青を混ぜた色で塗りつぶされた空には、星が一つも瞬いてはいない。まるでこの国の現状を表しているかのように。
実験塔に侵入した時点では真夜中だったが、この国に飛んだ時はどうだったか。
薄暗い路地にいた上に曇天でもあったので、正確な時刻は分からない。だが、通りを行き交う人の様子を見た限りでは夜も明けた日中のどこか(朝だか昼だか)であったのを覚えている。なにせ黒猫の姿がはっきり見えていたので。
なのに、また夜になっている――ということは、いつの間にか日を跨いでしまっていた?
教会で休憩をとりすぎたか。
鈍闇の中で、ミゼラティは眉根を寄せる。
(この時間経過は痛いな。レインとさなぎの状態が気掛かりだ、早く戻ってやらないと――)
置いてきた心残りについて悩みながら、歩き出した時だった。
「オレも連れて行け」
背後、教会のほうから声がした――と思いながら前に一歩進んだところ、連れ添う影が一つ増えていた。
それはシスター・フィリアの側に潜んでいた黒。闇色を纏う『鴉』の少年。
ミゼラティは足を止めて振り返ると、後方に落ちてきた影に言う。
「君は教会の守護者ではないのか、鴉の子。よからぬ悪の手はここにも伸びてくるのだろう?」
「残っているガキどもには『ナナカゴ』がある。しっかり隠してもいるから、多少なら大丈夫だ」
「加護、……ああ、シスター・フィリアと建物からのもあるものな」
「……ちょっ、と待て。それは何のことだ、チビ」
「ん? そのまま、言葉通りの意味しかないが」
「オマエの言い方だと『ナナカゴ』のことじゃねえよな?」
「ああ。それとはまた別の……もしや気づいていないのか?」
この世界、各国には奇跡の仕組みの一つとして神獣からの守護がある。
それが七つ神の加護――通称ナナカゴ。
七歳未満に限るという制限があるものの、それ以外の条件は難しくなく、神獣の祈りが届く場所にて洗礼を受ければ誰でも得ることが出来る簡単な代物だ。
気休めのお守り程度だといわれているものの、低級な魔物の類ならば退けるほどの軽い退魔の効果がある。無神論者であっても構わない。七つまでは神の子ゆえに。
そのことだと思っていた『鴉』は、ミゼラティの妙な表現に違和感を覚えたので指摘した。
ミゼラティもまた彼らは自覚しているのだと思っていたので、訊ね返されて驚いたのだった。
「私たちを囲んだ子供たちと君には、加護が多重に掛かっているんだよ鴉の子。一つは神獣のだが、残りは修道女とこの教会からだ」
「……いや、待て待て。シスター・フィリアはともかく、『この教会から』っていうのはどういうことだ」
理解が及ばないらしい『鴉』が困惑して詳細を求めると、ミゼラティは少し考える素振りを見せて言う。
「これも、そのままの意味でしかないんだが……、そうだな。建物に宿っている精霊みたいなものからも守護を得ている、とでも言っておけばいいか?」
「引っかかる物言いが気になるが……どうもオレの理解の範疇外みたいだな。ともかく、その多重分の加護に関しては気にすんな……って解釈でいいか?」
難しい顔をして確認する『鴉』に、ミゼラティは頷く。
「ああ、そこは断言する。悪いものでは決してないから、安心すると良い」
「そうか。――なら、この話はここまでだ」
「引き際が良くて助かるよ、鴉の子」
「時間が勿体ないだけさ……あの蛇どもの巣へ行くんだろう? 動くなら正に今だ」
「ああ、そうだな。――そうだった!」
そこで、ミゼラティはこれからの目的を思い出し――忘れていたわけではないが――改めて確認しておきたいことがあったので隣に立つ人物に視線を向けた。
見上げたは銀髪の青年、運命の四騎士でもあるヴァイスリヒト。
「私は今から魔女の元へ向かうつもりだが、……君もついて来るのか、長兄殿」
そんなことを訊ねれば、相手が不思議そうに首を傾げる。今更に何を、というふうに。
「当然だ。その男だけでは心配だからな」と、ここでミゼラティの後方に立つ男に冷えた眼差しを向け――再びミゼラティに視線を戻すと、穏やかな声で答えた。
「言っただろう? 私は君を守ると」
もはや当たり前のようになった儀式が如く、その場に片膝をついて幼女と視線を合わせると、胸に片手を当ててヴァイスリヒトが微笑む。
「大丈夫だ、お嬢さん。私は魔女を恐れはしない。必ずや君の盾となろう」
柔らかく笑む金色の瞳が、ミゼラティを見透かす。
しかしミゼラティは安心するどころか傅く騎士に対し強張った顔をし、心の中で言い返す。
(そうだな、君にとって魔女など脅威ではない)
常に温かな声と紳士的な態度にて接してくる、四騎士の一人。
――重ねてきた過去にて常に見せていたあの氷はどこへ行った?
冷たい眼差しは、冷ややかな態度は、冷酷な剣の切っ先は、いつも、いつの日も、いつまでも、その矛先を変えることなくこの身に向けられてきたのだ。
それなのに、今の騎士は、長兄は――ヴァイスリヒトは言う。君を守ると。守ってくれるのだと、そう言って……優しく微笑む。
(魔女を恐れないと君は言うが、ならば私は? 私こそが災禍の魔女だと告げたら、君は――貴方はそれでもまだ守ると言ってくれる?)
ヴァイスリヒトの献身が、ミゼラティには理解できない。
これまでの過去からそこに安心は見いだせず、むしろ疑うが故に怖ろしいものとして映るだけ。
意識が揺らぐ。ここでの彼は信じてもいいのか?
気持ちが揺れる。この手をとっても構わない?
優しい目で見つめてくる騎士に、しかしミゼラティは後ろへ後退り――そしてそれは何かに背中をぶつけたところで止まった。
ふわりと包みこむようにして小さな両肩に何かが触れ、頭上から声が降る。
「私が必ずお守り致します、我が君……例え相手が騎士であっても」
それはミゼラティにしか聞こえぬ音でもって届けられた、静かな宣誓。
思わず頭上を振り仰いだ幼女は、これ以上は望めぬほどの愛しい眼差しで見下ろす青年を目にする。
「……きみ、は……なぜ、――っ」
そういえば、こちらの献身もまた謎のままだった。
前後から理由なき親愛を受けた幼女は、とうとう混乱してしまう。
遂には言葉を見失い、そのまま口を噤んでしまったそんな小さな主君に、ヒューグウェンリルは少しばかりの苦笑を見せるも、しなる弓が如くゆるりと上体を屈めた。
曇る霧色の灰髪を編んだ三つ編みがその肩口より流れて滑り、硬直しているミゼラティの小さな肩に軽く触れる。慰めるように。
揺れる瞳でそれを見つめる幼子の耳元で、彼の青年は囁くような声音で宣告した。
「――久遠の刻より愛しております、我が愛しき運命」
「え……――はあっ!?」
二度目に吐いた言葉は、確かな音を持っていた。
それは対面にいた騎士にもはっきりと聞こえ――否、しかと届いた。確かな宣戦布告として。
ヴァイスリヒトは柳眉を顰めるなり立ち上がると、ミゼラティに近づいて片手を差し出す。
「こちらへ来たまえ、お嬢さん。幼子に愛を囁く異常者の側になど居てはいけない」
「おや。純粋たる我が敬愛をそう捉えるとは。ああ、騎士殿の眼は随分と歪んでおられる」
「……抜け抜けと。お嬢さん、私も宣誓する。暗君、魔女、そしてそこの異常者から君を護ると」
「おやおや。薄っぺらな言い訳で包んでみせても、汚らしい感情は誤魔化せていないようですが?」
「……待て、君たち。話題がおかしい。いやそんな事より今は魔女を……おい、止せ。呪陣の構えを解け、そちらも剣の柄から手を離せ長兄殿!」
前方に死神、後方に禍神。
少し前に似たような体験をしたが、こちらはまさに狼と虎。
いつしかミゼラティは立ち直り、自分を挟んで前と後ろで喧々囂々とやりあう男二人を止めるべく動き出す。
その少し後方では『鴉』が所在なく佇んでおり、「夜が明ける前に行動しようぜー」と呆れた声で呟くのだった。
ヴァイスリヒトとヒューグウェンリルの、大人げない――むしろわざとらしいとも思える喧騒が、実は酷く強張ったミゼラティの硬化を解く為の茶番であったことなど知る由もない。
教会の側に咲く小さな白花が風に吹かれ、歩き去る彼らに手を振るようにその身を揺らして見送っていた。
三人成嘘に天もお許し




