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1-27 法なき国の鴉と魔女

 


 ――転送魔法が盛大に暴発した、というところまでが最後の記憶。


 次に目を覚ましたミゼラティが見たのは、整った顔立ちをした二人の男。そう遠くない――どころか、むしろ近すぎる距離にいた彼らは剣呑な雰囲気で互いを睨み付けていたが、幼女が目を覚ましたことに気づくとたちまちのうちに表情を変えた。

 そして、何もなかったかのように話しかけてくる。

「ああ、我が君。お目覚めになられましたか。申し訳ありません、不要物の排除に間に合わず、貴方様に余計な負担をお掛けしてしまいました」

「よくぞ言う。お前が彼女を引っ張らなければよかったのだ。――大丈夫か、お嬢さん? どこか痛みは? 気分が悪かったりはしないか?」

「あー……」

 幼女は、己の頭上でよく分からない牽制をし合いながらも身の上を案じてきた男たちを見て、即座に状況を理解した。


 巻き込んだのと、巻き込まれたのと。

 ともかく、面倒で厄介なことになったのは間違いない。かぶりを振りつつ体を起こせば、自分が枕にしていたものが男たちの太腿だったと気づいて慌てて離れる。

 体の節々に鈍痛が走ったが、これは魔法暴発の際に彼らを庇って衝撃を飲み込んだのが原因だろう。

(魔力の足しにはなったが、ちょっと無謀だったな……いやしかし、地味に辛い)

 風邪を引いた時に感じる関節痛のような不快感。顔を顰めていれば、目敏い男二人から即座に気遣いが飛んできた。

「ああ、やはり不要物が傍にあるせいでお加減が。我が君、どうぞこちらへ。お守り致しますゆえ」

「待て。彼女に触れるな。お嬢さん、彼から離れて私の側に来たまえ。私が君を守ろう」

「……いや、うん。厚意だけ受け取っておくので、お構いなく。それよりも……ここはどこだ」

 妙な張り合いをしながら近づいてくる彼らを片手で制しつつ、ミゼラティは辺りを見回す。

 目にしたのは鈍色の空。薄暗く薄汚い外壁。

 行き止まりに積まれた木箱の上には、片耳欠けた黒猫が一匹。

 左右には建物の壁があり、どうやら今いるのはどこかの裏路地だということが分かる。あの子猫――皇女様が誘拐されかけていた暗がりに似ているが、ここの方がずっと薄暗く、くすんでいる。

 灰錆色の物陰。建物の隙間である前方を見れば、通りらしきものとそこを歩く人の姿が見えた。

 空が曇っているせいか、覗いた外界は覇気がなくどんよりと淀んでいる。

 この雰囲気、その町並みには心当たりがあった。


 西にある無法国サーペンス。

 ――しかも。


「今時分だとアレの時か」

 うんざりした声音で呟き、溜め息と共に肩を落とす。

 確か例の支配者は素晴らしい暗君であるから、内部はいっそう混沌と化している筈。

 そうなると、長居するのはよろしくない。治安も道理も、人の道から外れているからだ。

 それこそ、つい先程までいたあの場所――ヒューグウェンリルの所属元である外道実験塔――よりも悪辣といっていいだろう。ダークエルフのレインとその家族に降りかかった残酷なことが、ここでは当たり前の日常が如く連日起きている。


(……でも『災禍の魔女』の時には、実に良い隷属国だったんで重宝したんだよなあ)

 悪逆無道。罪悪感など微塵も抱かない輩が、愉しく生きている国。

 その裏では数え切れない程の者たちが、悲しく生き延びている国。

 狡猾で、残酷で、それでいて逞しくもある雑草のような国。

 それが西国サーペンス。

 懐かしい空気だなとミゼラティがしみじみしていれば、すぐ背後から声が掛かる。

「――我が君。いまお尋ねするのは場違いだと承知しておりますが、彼の磔刑者はどうされました」

 囁き声。もう一人には聞かせない為の。

 彼が問うているのは、あの歪んだ実験棟にて慈悲を願い出た『さなぎ』のこと。

 外套越しに薄く伝わる相手の体温を感じながら、ミゼラティはほんの少し首を傾げつつ同じ声量にて返す。

「位置は把握していただろう? だから、共に送っておいた。空間内に昏睡魔法を敷いておいたから、状態悪化は回避できるんだが……」

 ミゼラティが口元に手を当てて、眉根を寄せる。

「それでも、彼らは『混ざりもの』だからな。早く再構築しないと、復元率が下がる」

「成程。では、早急に帰還せねばなりませんね」

「そうだ。でないと、私は約を違えることになる」

 希望を与えた以上は、その責任をとる。

 身の程を知らない馬鹿なこどもの大言壮語だった、と笑って済ませるものではないのだから。


「――密談はそこまでにしないか、お嬢さん」

 ひそひそ、こそこそと。

 ヒューグウェンリルとの会話が止まないことに焦れたのか、途中で氷の一声が背後から割り込んできた。

 従僕者の隣、氷花の美貌を持つ青年――運命の宿敵でありかつての義兄、ヴァイスリヒト。

 塔の最下層から最速で追いつき、脱出間際のところを捕まえてくれた追跡者の正体。

 もはや人違いでしたとの言い逃れは出来まい。

 ミゼラティは溜め息を吐くと、観念して振り返る。

「……御機嫌よう、長兄殿。先日ぶりだな」

「ああ。君は……見る分には変わりないようだ。きちんと食事は摂っているか? 体を冷やしていないか?」

 わざわざ身を屈めて視線を合わせた上で話す、四騎士筆頭殿。再会の挨拶もそぞろに、甲斐甲斐しい気遣いを投げかけてくる。

 本当に、どうしてこうも構ってくるのだか。ありがた迷惑まではいかないものの、それでもイマイチ居心地悪いのはこれまで重ねてきた過去での対応のせいだ。


 三十六回も関わって来なかったくせに、何をいまさら!

 ――などと、拗ねる時期はもう過ぎた。

 寂しさや悲しさは昔ほどには感じない。ただ、向けられる情の温かさや優しさに、落ち着かなくなるくらいか。

 君の方は随分と変わったな、とでも言い返したくなったが、重ねた過去持たぬ相手には意味も無いこと。薮中にいる蛇は、そっとしておくものだ。

「長兄殿も息災で何よりだ。……ところで、そろそろ移動しないか。このまま裏路地にいても仕方ない」

 余計な皮肉は言わずに適当にあしらっておいて、ミゼラティは再び辺りを見回した。

 通りの向こうはやはり活気はなく、行き交う人はみな一様に暗い顔をしている。

 では更に状況を把握しようかと腰を上げ、そちらへ行こうと足を踏み出したミゼラティだったが――左右にいた男たちがそれぞれ即座に動いて、目の前を塞ぐように立った。

 足を止めた、いや止められた幼女はウンザリ顔で『壁』を見上げる。


「揃いも揃って何の真似だ」

「ここは無法国だ。何があるか分からないのだから、お嬢さんが先を歩くのは許可できない」

「業腹ではありますが、私もこの男に同意致します。我が君はどうか、私の背後へ」

「そう言うなら、君たちもその端麗な容姿と美貌をどうにかしろ。ちっぽけな幼女よりも悪目立ちがすぎる」

 呆れた口調でそう指摘したミゼラティに、男たちは揃ってお互いを見て――何かを目で交わし合った?――それから幼女以上の溜め息を吐くと、片方は腰に、片方は額に手を当てて言い返した。

「他人事ではないよ、お嬢さん」

「貴方様はそれ以上です、我が君」

「ん?」

 無造作に束ねているとはいえ、その黒髪は流水のように滑らかで艶めいている。

 長い睫毛で縁取られた大きな瞳は、黒曜石さながらの輝きを持った深い闇色。幼い姿なれど、どこか妖しい雰囲気を持つ彼女はその身を黒い外套に包んで隠している――つもりらしいが、どうにも端々から美貌が零れているのであまり意味がない。

 それなのに、当の幼女はどうしたことか己の外見に対して全くに無頓着なのだった。

「ひとつ訊くが、君は鏡を見たことがあるか?」

「……私を何だと思っているんだ。それともそれは何かの謎かけか、長兄殿」

 詳細を端折って訊ねるヴァイスリヒトに、胡乱気な目を向けるミゼラティ。そうして彼らが未だ裏路地から出ずに、淡々と話している時だった。


 ――ふつり、と。

 彼らの声は突然に止まり、会話が止む。

 不意に落ちる静寂。

 左右を建物に挟まれた薄暗い路地にて、彼らは互いに視線を交わし合う。

「前が三、後ろが一」と、ミゼラティのすぐ側まで距離を詰めたヴァイスリヒトが、通りが見える前方に視線を留めて言う。その腰から下げた剣の柄に手を掛けて。

「単なる物取り、ゴロツキの類でしょうか」

 腰に当てていた片手を懐に差し入れ、騎士とは反対の方向を見ながら言い返したのはヒューグウェンリル。

 警戒態勢に入った左右の男たちを横目に、幼女だけは何故か少し上の方を見つめて眉間に皺を寄せつつ呟いた。


「来たな……サーペンス名物、略奪くびり」

 ミゼラティの呟きが聞こえたわけではないだろうが、それを合図に前後の暗がりから人影が姿を現した。



 ◇  ◇  ◇



 人影はミゼラティより幾らか大きいものの、それでも身につけている服らしき布はボロボロで、四方から覗いている手足は細く枯れ木のようだった。

 子供の体格だが汚れて浅黒い顔つきは厳しく、暗く荒んだ目はとっくに子供ではないことを示している。

 暗君統治するサーペンスでは、これが普通の子供なのだった。強者に食われ、羽根をすっかり毟られた憐れな小鳥の如く辛うじて残ったのは無残な骨ばかり。

 そんな「子供を通り過ぎたもの」たちは、それぞれが短い刃物を手に、ミゼラティたちを取り囲んでいた。

 刃物、とはいってもそれらは粗の目立つ手製品。割れたガラスの尖っていないほうに布を巻き付けたもの、獣の骨を石で削ったもの、拾い集めた鉄釘クズを粘着性のある物質で固めて棒切れに巻いたものなど。

 粗雑な得物で、帯刀している他国の騎士(恐ろしい)と、今だ得体が知れぬものの上位の魔法を扱う男(非認定の従僕)。それらを相手にして勝てるとでも思っているのか。

 子供ゆえの無知。

 けれども、彼らはそうしないと生きていけないのだ。肉も羽も毟られて、どこかから取り上げないと明日を迎えられない。口を開けてさえいれば餌をもらえる雛でいたかっただろうに。


「我が君に刃を向けるとは――消しますか」

 従僕たる青年は淡々と冷酷にのたまい、冷たい目で彼らを睥睨する。

 懐から抜き出した手には、黒い杖。相手は子供なのだから情けの一片くらいは見せてもいいだろうにとミゼラティが見上げたその横顔に、柔らかなものは欠片もない。

「……先ずは対話を試みようか」

 何とも言い難い表情でヒューグウェンリルを制しつつ、ミゼラティは反対側にいる男の方にも視線を向ける。

 騎士のほうは、騎士だった。剣の柄に手を掛けてはいるがその眼差しは厳格ながらも澄んでおり、暗い道に身を落とした子供らを気遣わしげに見つめている。

(良かった、長兄殿の方はまだ情けがある)

 ヒューグウェンリルとは違い、ミゼラティを過保護なまでに構うものの流石に子供相手だとそれなりに優しく――……。


「君たちの置かれている環境には、同情する。だが、その敵意を刃に乗せて向かって来るならば相応の報いがあることは理解しておくと良い」

 宣戦布告?

 いやこれはただの警告、もしくは牽制だろう。

 彼は騎士道精神を持ち合わせた、清廉な人間だ。本気で子供をどうにかするわけが無い。三十六回の記憶通りならば。……既に幾らかの見知らぬ性格を垣間見せてはいるけれど。

 ともあれ、このままではどうしようもない。

 ミゼラティは内心で溜め息を吐くと、先程まで見つめていた前方の一点――やや上方の妙な暗がり――に視線を留めて口を開いた。


「そろそろ君も参加しないか、鴉の子」



 ◇  ◇  ◇



 ざわり、と暗がりの陰が蠢いたのは錯覚だっただろうか。否、そこから水が滴るように影が一つ落ちてきた。音も無く、すうっと地面に水が沁み込むが如く静けさで。

 ――それは正しく影だった。

 ミゼラティたちを囲む子供たち同様にボロ布でその身を、その顔を包んで隠していたが、人の気配がほとんど無い。陽炎の揺らめきに似た微かなものが、辛うじてそれが「人」であることを教えてくれているのみ。

「我が君、これは」

 ヒューグウェンリルが身構え、それを睨み付ける中でミゼラティは答えた。

「この子たちの纏め役だ。……こちらは対話を望んでいるのだが、応じてもらえないか。君は力量を計れているだろう?」

「……」

 問い掛けに、しかし『鴉』は答えない。顔を覆う布の隙間より覗く暗い目で、ミゼラティをじっと見つめている。

「下がりたまえ、お嬢さん。あまり隙を見せないほうが良い」

 ヴァイスリヒトもまた警戒の姿勢に入り、柄に添えられていた手はすぐにでも剣を抜けるようになっている。彼らは出現した『鴉』の人外じみた気配の希薄さに異常を感じ、すっかり応戦準備に入ってしまっていた。

 それを見てとったミゼラティは、自身の額に片手を当てて反省する。

(しまった。私が警戒を強めたか。どうにか彼らを宥めて、子供たちと会話を――)


「オマエが頭か」


 直ぐ耳元で声がした。

 ミゼラティは相手を確認しようと振り向き、両側の男たちは彼女を護るために動いた。

 けれども、何よりも早かったのは声――『鴉』だった。

 腰に回る腕。急な浮遊感。

 ミゼラティは自身の足が地面から離れるのを感じ、ヴァイスリヒトたちが小さくなるのを見る。

 そのようにして幼女は屋根の上に。

 ――彼らを見下ろす形で、そこにいた。


(魔法……じゃないな。純粋な身体能力か)

 近くなった鈍色の空を一瞥し、それから自分を小脇に抱えるものに視線を向けて、ミゼラティは話しかける。

「交渉は決裂か、鴉の子」

 すると『鴉』が鼻の頭に皺を寄せてミゼラティを睨み付けた。唸る犬を思わせる顔で。子供ではない野生の獣。獰猛な。

 しかしながら、幼女が怯えることはない。

 そして、引くこともない。眼光鋭い暗き瞳を正面から受け止めて、更に言う。

「会話をする気がないのか、言葉が見つからないのか、どちらだ鴉の子」

「……この状況でその態度か。オマエこそ『お行儀良く』出来ねぇのか、チビ」

「私が提案しているのは対話で、君に媚態を示すことではない。それとも、なんだ。幼女に『お行儀良く』させる趣味があるのか、君は」

 向けられた嘲笑にミゼラティが淡々と返せば、『鴉』がいっそう強く顔を歪めて凄む。


「虚勢はそこまでにしておけよ、チビ。おキレイな子供でいたいのならな」

 歯を剥き出し唸る犬のような気迫で幼女に迫り、その間近で『鴉』が口にするのは警告。

 ミゼラティは抱えられた格好のまま胸の前で両手を組むと、やれやれと溜め息を吐く。

「何も『子供でない子供』はサーペンスだけの特権じゃない。……まあ、君には私が綺麗な子供に見えているようでなによりだが」

「……。……オマエ――?」

 子供でない、という件を聞いた途端に『鴉』が眉を寄せ――それは嫌悪ではなく憐憫で――途方に暮れたような表情を見せる。

 獰猛な気配はすっかり消え、顔隠した布の隙間からミゼラティを見つめる瞳には同情の念があった。

 何か痛ましいものを見るような、その顔。窺い見えた眼差しにミゼラティは疑問を抱いたものの、相手が大人しくなったのをこれ幸いにと再び提案を持ちかける。


「なあ、鴉の子。無益な血河を築くよりも、まずは対話をしないか。そのほうが、きっとずっと良い」

「……ああ。……ああ、分かった。応じてやるよ、チビ」

 身体的特徴を名前代わりにするのはどうかと思うぞ、と指摘しておきたかったが、それよりもなによりも眼下に取り残された男二人が無茶をしていないかという方が気になった。

 ミゼラティは『鴉』に言う。

「まずは、急いで下に戻ろうか。過保護が過ぎる者たちが、何かをやらかしそうで怖ろしい」

「なんだそりゃ。狂戦士でもいるのか?」

「……いや、うん……まあ、当たらずとも遠からず、というか」

 もごもごと口ごもる幼女を『鴉』は抱き上げ、屋根の上から地上へ飛ぶ。


 降り立った地面、元の場所。

 そこには、目が全くに笑っていない下僕然の男によって敷かれた血の色をした魔法陣と、そこから明らかに危険な魔法が今にも起動せんとするのを抑えている凛然とした男がいた。

 しかしミゼラティの帰還を目にした途端に微笑でもって出迎えた彼らを見て、『鴉』が納得半分、驚愕半分からの引き攣った顔をする。

「……なんだ、あのとてつもなく禍々しい呪陣は。それを普通に制しているあの男も、なんなんだ」

 魔力の感知能力が無くともしっかりと理解できる血の色の呪いは、子供らしさのなかった他の子供たちをすっかり怯えさせていた。

 身を寄せ合い、その場に硬直している泣きそうな顔をした仲間に『鴉』が駆け寄るのを、地面に降り立ったミゼラティは見る。

「……人外か、オマエの過保護者とやらは」

「さすがに彼も本気ではない筈…………いや、この式の書き方は本気だな…………あー、子供相手に大人げないことをしてすまない」

 驚きに顔を顰めつつ子供たちを慰める『鴉』に、ミゼラティはただ曖昧に謝罪するしかないのだった。



黒さ変わらぬ闇色烏

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