1-25 魔女の情けは天秤に3
「――ここには何が?」
勝手知ったる我が家の如く。迷いも悩みもせずに道案内する青年と共に塔の内部を歩いていたミゼラティは、厳重な呪いを刻まれている扉の前で足を止めた。
背後に立つ青年、ヒューグウェンリル――隣に並べと言っても聞きやしない――は、薄い微笑を浮かべて答える。
「廃棄場です。実験体やなんやらの」
「……成程」
曖昧ながらも不穏な台詞。試しに耳を澄ましてみるが、防音性が高いのか中からは全く音がしない。
だが、妙な気配がある。
「……中を見ても?」
従者然としている灰青髪の青年に入室を確認すれば、相手は微笑したまま頷いた。
「貴方様のお好きなように。――ああ、けれども、私が前に立つことをお許し下さい。御身に何かあるといけませんので」
そう言ってミゼラティの前に移動して自ら盾となる隊列をとると、扉に触れながら告げる。
「解錠致します。どうぞそのまま、私の後ろに」
錆びた血の色をした刻印は、ヒューグウェンリルが触れた瞬間に溶けて消えた。それに合わせて扉が重厚な音を立てて開いたが、そこは――。
――そこには人道から外れた闇があった。
辛うじて人の原形を留めた片足の無いなにかが、部屋の片隅に転がっている。微動だにしないが、僅かに胸の辺りが上下しているので生きてはいるのだろう。顔があるべき場所には獣の角がてんでバラバラに生えており、妙なオブジェに見えた。
その側には、四つ這う肉塊。目鼻は無く、口のみが動いており声らしきものを出しているようだが、軋んだ金属音のような音が微かに聞こえるのみで言葉を為していない。
どこかから、タスケテ、ともコロシテ、とも聞こえる音らしきものが聞こえたので見回せば、肉塊の近くに水溜まりのようなものがあった。水銀色のそれが、嘆願を吐いていた。合成段階で何かしらのエラーがあったらしい。
壁に寄りかかるようにしている人型の何かは天を見上げ、口元をパクパクと動かしていた。よく見ればその喉は縦に切り裂かれ、小さな歌鳴鳥が三羽ほど縫い込まれている。『謡いビト』でも作ろうとしたのだろうか。人の形をしたオルゴールとして。
地獄の箱庭。
そこは臓腑、血、失敗作の上げる声ならぬ声に満ちていた。
「これは、また……凄まじいな」
汚れ、穢れたその場所は名前通りの「廃棄場」だった。
どれもが歪で禍々しく、血と臓腑と失敗作の成れの果てで満たされている。
しかも内部のあちこちには血の色をした何かがこびり付いている為、注意しないとそのまま踏みつけてしまいそうだ。……踏んだ途端にそれが声など上げたりすれば、気が滅入るどころではない。
それでも、ミゼラティはこの地獄の中をつぶさに確認した。ダークエルフならば「混ぜられても」判別はつくと考えて。
その結果、判明したのはここに探し人はいないということ。
胸いっぱいの不快感と引き換えに得た、少しばかりの安堵。
「まずは良かった、と喜ぶべきか……いや、不謹慎だな」
周囲の惨状に眉根を寄せつつ、ミゼラティは顎に手を当てて考え込む。
「まだ廃棄段階ではない、か。ヒューグ、次へ――」
「――御身失礼致します」
移動しよう、とミゼラティが言いかけるのと背後の青年がその小さな体を抱き寄せるのは同時のことだった。
素早く後ろへ引き寄せられたミゼラティは、天井から糸を引いて落ちてきた何かが目の先に落ちるのを見る。
べちゃり。
「不敬な愚物め」
柳眉を顰めたヒューグウェンリルが睥睨し、それに向かって片手を振った。
じゅっ、と肉を焼いたような短い音を立てて、べたついた何かが消える。痕跡もなく。
ミゼラティはその振る舞いを見て何かを言いかけたが――「貴方様の傍に侍らう権利を得ているのは、私ですので」などと、とてもいい笑顔で訳の解らないことを言いのけられたので、嘆息だけを返しておいた。
話し合うと長くなりそうだ。いやきっと長引く。
――ともかく今は探索だ。
ヒューグウェンリルの腕から抜け、扉に向かって歩き出そうとしたミゼラティはしかし踵を返す間際で、ふと足を止めた。
「ミゼラティ様?」
同じようにその場に止まり、首を傾げた青年にミゼラティは片手をスッと上げて「静かに」という仕草を見せた。
怨嗟、呻き、嘆きの声に混じって何か別の音が――声が――聞こえる。
≪高貴ナル御方、美シキ黒曜ノ君。ドウカ我ガ嘆願ニ、オ慈悲ヲ≫
それは声というにはあまりにも細く、また幾重にも束ねられた雑音でしかなかった。
けれども、何の混じり気もない懇願だった。
劣悪なる箱庭において乞われた純粋な祈り。
それ故か。ミゼラティに真っ直ぐ届いたのは。
声の主は、奥の壁際にいた。磔台に吊られたさなぎにて。
逆さ十字の磔台。
そこは最後に自分の死が重なり最期に終わる場所だった。
「――っ」
それを目にした瞬間、ミゼラティは息を飲む。
だがその時、背後より伸びてきたヒューグウェンリルの手で両目を覆われ、隠された。頭上で、声が語る。
「御無礼仕ります。あれはお目汚しとなりますゆえ、斯様な手段をとることをお許し下さい」
幼女の微細な反応を、この青年は見逃さなかったらしい。繊細なガラス細工にでも触れるような加減でミゼラティに触れたまま、更に言葉を紡ぐ。
「消しますか、あれも」
そうして背後から問う声は、嫌悪と殺意で冷たく尖っていた。
偏執的な敬意もしくは狂愛を見せる、ヒューグウェンリル。会ってまだ二回目だというのに、いつの間にか当たり前のように付き添っている青年はいつしかただの同行者としてではなく、従僕感たっぷりに振る舞っている。
(幼女に虐げられるのが趣味なわけでもあるまいに)
ミゼラティは目を覆われた格好から、苦笑を浮かべる。
稀に身分の高い貴族階級にそうした性癖を持った者がいたりするが、まさか彼もその一人だったりするのだろうか。
だとすると、自分はこの後に彼を西の国にある大娼館にでも連れて行けば丁度いい返礼となる?
(……これが何事もなく片付いたら、提案してみようか)
笑う余裕が出来たお蔭か、いつの間にか冷たく凝ったこわばりが解けていた。
逆さ十字の磔台は通り過ぎた過去のもの。
今の自分はここにいる。
確かにまだここに生きて在る。
(……いい加減に、慣れておこう。油断は破滅に繋がる)
ミゼラティは目を覆うヒューグウェンリルの手を軽く叩いて解かせると、逆さ十字の磔刑者を再び見上げて対話することにした。
「引き止められたついでだ、君に訊こう。ダークエルフを探している。見ていないか?」
すると、その吊られた者――さなぎを思わせる楕円形をした『彼』は、ぐねりと蠢いて答えた。
≪半月ホド前、上層デ見カケマシタ。半月ガ形トシテ≫
「……半月……さなぎにしたのか? 多重混成の実験となると、厄介になるぞ」
ミゼラティが眉を顰め、唸るような声で呟く。
やはり時間が経過しすぎていたのか。生死の天秤が悪い方へ傾いている。
それでも、探し人が実験体として希少な価値を持っていること、外道たる錬金術師たちに『矜持』があることに僅かな可能性を賭けてみたかった。
――秀でた錬金術師ならば、そう簡単に「貴重品」を台無しにしたりはしない。
(彼らが『優秀』であるのが前提条件だが……さて、どうだろうな)
それはかつての過去、自身にも覚えがある経験からの思考。
ともかく急いだほうが良さそうだ。
再び歩き出そうとしたところで、吊られた者より声が掛かる。
≪黒曜タル貴人ノ御方。道ヲ標シマシタ我ガ身ニ、ドウカ、オ慈悲ヲ≫
「ん……ああ。そうだったな、礼を欠いていた。すまない」
ミゼラティは向きを変えると、地面に落ちているヘドロじみた汚れに気をつけながら、蠢く『彼』に近づいた。
ヒューグウェンリルが引き止めようとする素振りを見せたが、何も言わずに大人しくその後に続き、ミゼラティと『さなぎ』のやりとりを見守る。
「――さて。慈悲を、と言うが私に何を望む」
≪救イヲ≫
「それは生と死のどちらだ。君はまだ『混ざりきっていない』から、選択肢が二つあるのだが」
ミゼラティの言葉に、さなぎが身を震わせるように、どくり、と蠢いた。
一瞬ばかりの沈黙の後、ざらついた声が返る。
≪生ヲ選ンダトテ、コノ身デハ≫
「手段はある。少しばかり手荒になるが、復元は可能だ。道具と素材さえあれば」
「どちらもご用意できます、ミゼラティ様」と、背後で恭しく答えるヒューグウェンリル。
さなぎが、ぶるぶるっと震える。わななくように。
≪黒曜ノ君。許サレルナラバ、ドウカ、生ヲ。一握ノ慈悲ヲ我ニ≫
それは、すすり泣きを思わせるような声だった。身も声も震わせ、切々と一つの選択肢を掴んでミゼラティに差し出す顔のないさなぎは、確かに「泣いて」いた。
ミゼラティが頷き、聖獣の角杖で地面をかつりと突く。
「分かった。……けれど、先に済ませないといけない用事があるから、少し待たせてしまうことになるが構わないだろうか?」
さなぎが震え、蠢く。「オ待チシテオリマス」とだけ答え、こうべを垂れるように楕円形の上部をゆるりと下げた。
健気なさなぎにミゼラティは微笑を返し、背後のヒューグウェンリルを見る。
「――と、いうわけだ。さっさと済ませそう。何もかもを」
「畏まりました」
ヒューグウェンリルもまた目を細めて微笑を返し、「では、直行致しましょう。ご案内しますので、私の手を」
そう言ってミゼラティに手を差し出し、彼らはその場より消えた。正しく字の如く。
◇ ◇ ◇
――子供の声を聞いた気がした。
それは闇に沈んでいた意識を浮上させる呼び水だった。
少し前まではレインという名を持っていたダークエルフだったものは、ぼんやりとした視界の中で身動ぎをする。
いまのは幻聴だろうか。それとも都合のいい夢を見ていたのだろうか。
終わらない悪夢の現実から逃走した果てに見た、何度目かの夢として。
重い手足。いや、それが手として存在しているのか、足として形を残しているのかはもうよく分からない。見えるものが何もかも滲んでいて、碌に見えやしないからだ。
体のあちこちを弄られた。抉られた。妻がそうされたように、同じ目に遭わされた。
(……君も痛かっただろう……ルーン……)
けれど悲しくはない。この身を犠牲にして、妻子を逃がすことが出来たのだから。
後悔は――ない、と言えば嘘になる。
また妻と子に会いたい。生きて家族の元へ帰りたい。
痛みはもう感じない。視界は不明瞭、音すらも遠く聞こえて自分がどんどん世界から離れていくのを感じる。
(アルは……レインと共に……逃げ切れただろうか……)
疑うことを知らないが故に醜悪な人間に捕まり、その結果、家族ごと地獄へ放り込まれたがそれでも彼らは揃って我が子を守った。自らを犠牲にしてでも守り通した筈――……。
希望の見えない悪夢の中、レインはますますぼんやりしていく意識を実感しながら、それでも思い出せる限りの家族の肖像を、記憶を脳裏に並べあげて束の間の安らぎに身を浸す。
細い糸めいた奇跡を願いながら、妻と子を思い浮かべていたその時だった。
また、子供の声が聞こえたような……。
――いいや、確かに聞こえた。
レインは目を開け、血の色をした混濁の海から意識を浮上させる。
すると、そこには――眼下には、小さな影が落ちていた。
子供だ。子供がいる。――ああ、逃げきれなかった?
いいや、良く視ると小さすぎる。あれはアルじゃない。
見知らぬ子供。黒い外套。黒髪の子供。どうしてこんな場所に。迷子。いや側に誰かいる。ここの外道者の一人か。
連れてこられた? 誘拐。我が子、アルにしたように卑怯な手を使って。善意を逆手にとって。
愚劣なる人間。あの子が何をした。これから何をする。
ああ、言わなければ。ここは危ない場所なのだと。
ああ、助けなければ。ここは悪意しかない地獄なのだから。
レインは重い四肢を動かし、ひどくゆっくりとした動作でその小さな影に向かって手を伸ばす。
どこか遠いところで、耳障りな雑音が聞こえていた。
◇ ◇ ◇
「バカな! あれだけの禁呪を埋め込んだんだ、意識などとっくにないはずだぞ? なのに、なぜ今になってまた動く!?」
「素晴らしい! おい、記録しろ。まだ実験が続けられるぞ!」
蜂の巣でも突いたかのように狂乱するは、この地獄の作り手である外道錬金術師たち。
彼らは、反応を失い、呼びかけにも応じず、すっかり動かなくなった実験体を解体すべく、いそいそと道具の用意をしていたのだった。
折角のダークエルフだ。骸となっても、腑分ければまだまだ「使える」のだと笑い合って。
だというのに、その分割作業の前に動いたのだ。どこからともなく出現した、謎の幼女の存在によって。
「おい、あの子供は何だ。何処から現れた」
「知らん! あの厄介な王国騎士共が寄越した斥候ではあるまいが……待て、あの子供の側にいる奴は――」
ざわざわ、ひそひそと。幼女と実験体を遠巻きに見ていた錬金術師のうちの一人が、幼女の側にある人影に気づいて声を上げた。
「――フール! 貴様、フールだろう! なぜここに居る!」
呼びかけに、幼女の背後に立っていた長身の青年が僅かに首を動かして声の主を一瞥する。
だが何も言い返すことはなく、塵芥を見るような眼差しで彼らの姿をなぞり冷笑を浮かべただけで、むしろ反応して見せたのは青年の側にいた幼女のほうだった。
「フール? ……愚か者?」
不快そうに眉を寄せたミゼラティに、青年が――ヒューグウェンリルが微笑する。
「あれらはかつての同僚で、呼び名は彼らの下らぬ劣等感によるささやかな嫌がらせです。どうかお気になさらず」
表情一つ変えずそう言い切り、ヒューグウェンリルは視線を自身の主へと戻す。
彼が心を傾けるのは、傍らの小さな宝石のみ。雑言を投げかけられたとて、どうというものではない。
「それよりも――いかがなさいますか。私が見たところ、あの実験体がレインとやらでしょう。尤も、既に終わりかけているようですが……」
「ああ、大丈夫だ。彼は混ざり切っていないし、辛うじて発狂を免れているようだから、再構築して戻すのが最適解……なんだが――」と、言ってミゼラティは離れた先に居る錬金術師たちの方を見る。
「あちらは確実に妨害してくるな」
「その通りです。どうにも浅ましい愚者の集まりですから。――消しますか」
「君は、その少しばかり物騒なところをどうにかしような。……彼らには、昏倒させてから記憶を消す手段をとろうと思う」
「名案……ではありますが、あれらに情けなどかけずとも」
「生憎と、私は聖人君子じゃあない。これは情けではなく調整だ」
「調整、ですか……、……分かりました。愚問、失礼致しました」
ヒューグウェンリルは曖昧な首肯を返すと、特に詳細を訊ねることなく素直に引き下がった。
そして次に持ち出したのは、一つの提案。
「具申致します。あれらが愚物……もとい、かつての同僚たちの対応は、私に任せて頂きませんでしょうか」
「それは……構わないが、先程も言ったとおり、出来るだけ穏便な方法で済ませてくれると助かる」
「承知しております――が、多勢に無勢。もしもの事態に備え、多少の差異が発生するやも知れぬことに許可を頂ければと思います」
「差異……まあ、最優先事項はこちら側の生存だから、その辺りは……うん。でも、出来るだけ穏便にな?」
「ええ、承知しております。――お任せ下さい」
にっこり微笑み、お辞儀を返すヒューグウェンリル。
怪しい。実に怪しいのだがけれど今は時間が惜しい。ミゼラティは錬金術師たちの相手をヒューグウェンリルに任せると、自身は実験体――レインという名のダークエルフだったものに視線を戻し、その巨体を見上げて問いかけた。
但し、言の葉ではなく思念にて。
≪君がレインか。ダークエルフの≫
そう呼びかければ、実験体の動きが止まる。
ミゼラティに向かって伸ばされていた腕が空中で止まり、恐らくは目だろうものが動いて小さな姿を捉える。
≪なぜ その 名前 を。きみ は 誰 だ≫
≪君の妻子に聞いた。今は私の家で保護している≫
ミッドナイトブル―の硬玉を思わせる深い青の瞳が、驚いたように瞬き、口だろう器官が震える。
≪ルーン と アル が 君の ところ に。ああ 無事 なの か。生き て いる の か≫
≪治療はしておいた。そういうことだから、後は君が来れば大団円だ≫
そうして「さあ行こう」とばかりに片手を差し出したミゼラティに、実験体――レインはその巨体を大きく震わせて俯く。
≪わた し は 行け な い。ここ で 殺し て くれ≫
その口から零れたのは呻き、そして返された思念は拒絶と死の嘆願。
ミゼラティは困った表情で首を傾げ、レインに問う。
≪どうしてそうなるんだ。君が来ないとどうしようもない≫
≪この 体 は じき に 朽 ちる。それ に もう 戻 れな い≫
≪私が戻す。手間も時間も掛かるが、戻せる。君は、妻子が待つ場所へ帰りたくはないのか≫
問い掛けるというよりは最早、問い詰める形でミゼラティは言う。
声に苛立ちが混じったのは、時間の経過を気にしてのこと。あどけない子供というよりは鋭い黒曜の刃を思わせる眼差しで巨体を睨み、告げるは優しい勧誘――ではない。
≪――生きたいのか死にたいのか、とっとと選べ≫
差し出した手を引っ込め、代わりに手にした聖獣の角杖で床をがつりと突いた。
判決でも下すように。
――降る審判。レインは顔らしきものを上げると、その深い青い瞳でミゼラティを見つめ返して答えた。
≪美し き 黒曜 石。どう か わた し を家族 の 元 へ≫
深く、深く頭を垂れて。零したのは抱いていた奇跡。
真なる願いを聞いたミゼラティは、ようやく苦笑を浮かべる。
「最初からそう言えば良いんだ。よし、じゃあ共に帰ろう。――こちらはすっかり済んだぞ、ヒュー……」
大団円の可能性を手に入れたミゼラティは、喜びのままに従僕たる青年がいる方を振り返ったが――。
――そこで、絶句する羽目になる。
天秤は善も悪も区別しない




