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1-24 魔女の情けは天秤に2

 


 籠は空中に停まっていた。ピンで留めたように、正しく固定された形で。

 よろめき傾いだ小さな体も、倒れる途中で停まっていた。俯くような格好で前のめりになって。


「あ、ああ……」

 異様な光景。過ちの凶行。

 少年は真っ青な顔をして震え、短刀から手を離して後ずさった。小さな幼女の体に、そうして凶器が献上される。狂気は取り残されて。

「何をしているの、アルッ……!」

 家の奥より。

 悲鳴じみた声を上げて駆けつけてきたのは、一人の女。少年と同じ長い耳をしているが、肌の色は白い。現場の惨状に、絶望めいた色をその瞳に浮かべる。

「ああ……何ということ――何てことを!」

 女は少年以上に蒼白になると、少年の頭を押さえつけるようにしながら膝をつき、平伏の姿勢をとった。

「申し訳ありません、高貴なる御方! 我が身全てで贖いますゆえ、どうか、この子は……この子だけは!」

「母上、何を……嫌だ、ならばオレも母上と共に――!」


 ――つっ、と。


 項垂れたままの幼女の右手が持ちあがった。

『待て』か、それとも『黙れ』の意味か。

 気配を感じ取って顔を上げた母子は、それを見て瞬時に口を噤み、再び頭を垂れて平伏した。

 束の間の沈黙。

 少しして、静かな声が問う。

「この短剣は……欠けても?」

「勿論です。いかようにも」

 短く答えたのは母親。その身は依然として震えていたが、声は揺れてはいなかった。聞き苦しくないようにと判断した為だろう。

 部屋の奥――いいやその前から既に感じとっていた脅威が今ここにあるという事実。

 それ故に、間近にてその深淵を見てとったエルフの女は、我が子がしでかした罪に死を予感した。

 凶器突き立てられた小さな体躯。だがそこに秘められた魔力は美しくも膨大で、強い威圧感がある。

 これは高貴な存在だと、即座に判断した。エルフとしての鋭敏な感覚が、生き物としての本能が。

 確かに告げていたのは、「服従せよ」という意思。――手遅れなのかも知れないが。

 母子が静寂を守り沙汰を待つ中、幼女の手がゆっくり動き、自らを貫いている短剣の柄に触れた。


 それだけ。

 それだけで、幼女の脇腹から行儀の悪い肋骨は消えていた。

 傷痕もなく、短剣の跡もなく、滑らかなままに。

 ――ふう、と。

 溜め息零して幼女が――ミゼラティがようやく上体を起こす。

 前髪を掻き上げると、目の前の侵入者を見下ろして口を開いた。

「まさか、エルフの親子に居直り強盗を仕掛けられるとは思ってもみなかったよ」

 ああ驚いた、と返された声は飄々としており、女は一瞬きょとんとするもすぐさま畏敬の態度に戻る。

「……っ、誠に申し訳ございません。此度の咎は、全てこの私めに――」

「――それより、先ずはその姿勢をどうにかしようか」

 地面に深々と頭を垂れる女の言葉を遮り、ミゼラティが腰帯に提げていた杖を手にして軽く床を突いた。

 コツ、と。

 鳴った音ひとつで即座に顔を上げた母子を見やりながら、言葉を続ける。

「怪我つきの上に呪いつき……いや、付けられたか」

「ご慧眼恐れ入ります、高貴な御方。これは――」

「――話の前に、治療が先だ。移動しよう」

 ミゼラティは片手を振って起立を促すと、蒼白顔の親子を連れて奥の部屋に歩いていった。



 ◇  ◇  ◇



 その塔は、周囲一帯を闇よりも深い夜に染めていた。

 月が出ている筈なのに、新月の夜のように暗い。

 闇色の空。

 地面に描かれた外道方陣――人道から外れたことを示している血の色をしたそれは、陰鬱な光を帯びていて禍々しい。

 侵入防止の防壁と視覚阻害効果を果たしているらしく、精神を集中させねば見えない程に、塔はその輪郭をぼやかされていた。

 ミゼラティはすっかり馴染みとなった黒外套を身につけているが、今回はフードを引き下ろし、顔を隠している。

 この場所は、四騎士の管轄外だが――元々、歪な治外法権の場所でもある――それでも、用心に越したことは無い。

 見上げている間にも、塔は不気味な雰囲気を放ち、嫌な気配を帯びて観察者に精神攻撃を与えてくる。

 面倒だが、無関心を決め込むわけにはいくまい。


「まさかアレがここに繋がるとはなあ……」

 ミゼラティは、いとも簡単に血の方陣を踏み越えて敷地内に入ると、塔の外観と周囲を窺いながら、ここへ来るまでにあった出来事を思い返していた。



 ◇  ◇  ◇



 ――迷いの森の隠れ家にて。

 帰宅したミゼラティを、ついうっかり刺殺しそうになった子エルフと、それを制止した母エルフ。

 凶行後、遠慮する親子を治療しながら話を聞いたのだが大方の想像通り、彼らは悲惨な体験をしてきたようだった。

 迷えば最後、待つのは死のみという迷いの森に逃げ込んできたくらいなのだから、まあそれなりに覚悟を持って、いや覚悟を決めて?いたらしい。

 大袈裟な、と笑うには彼ら――特に母親の方の状態が酷すぎた。

「……うん。こんなものかな」

 右手の指先で母エルフの傷に触れ、一つずつ消していく。

 彼女は露出した手足以外にも傷を負っており、見た目以上の重傷だった。

 切り傷に擦り傷といった創傷は一通り。生きたまま裂かれただろう腹は乱雑に縫われ、表皮もあちこちに火傷や刺し傷といった痕跡があり、それらは自然の治癒に任せたままになっていた。

 気に食わないので、これは丁重に消し込んでおく。

 背中に何かの実験跡があり、醜く歪な魔法陣が鋭く尖ったもので直に刻まれていたのでこちらも癒してきっちり消失させておいた。

 嫌らしい追跡魔法の痕跡が窺えたので、それはもう丁寧に。

 大きなものから消していき、次の治療に移ったのは四肢。こちらも漏れなくひどい有様でいた。

 片手片足の腱を断たれ、最後は魔法を使用不可にする呪いを刻まれているという徹底振り。

 無節操な残酷さ。嫌な気分を払拭するように、ミゼラティはとことん治療を行い、彼女を清めていく。

 最終的に、両手を合わせ深々と頭を垂れて崇拝の姿勢になっている彼女に気づいたところで手を止めた。

 側で見守っていた子の方も、憧憬の眼差しでミゼラティを拝んでいる。

 ……やり過ぎたようだ。


 持っていたアップルパイを分けて落ち着かせ、何があったかを問えば母親の方が語ってくれた。

 母エルフはルーンと名乗り、駆け落ち同然に里を出て以降ひなびた地方の片隅でひっそりと暮らしていたのだが、ある日、怪しい集団がやって来て彼らを捕まえたのだと言う。

「……君はエルフだろう? それも、かなり上位の」

 輝く至上の黄金を思わせる金の髪と金の瞳。そして、ずば抜けた美貌。

 これらはエンシャントエルフの特徴であり、大よそ簡単に捕まるほど弱い種族ではない。

 そんな疑問を口にすれば、ルーンは悔しげに唇を噛みしめた。

「言い訳めいた戯言を口にすることをお許しください、高貴なる御方。あれらは、この子を――まだ成人の儀を迎えていないアルを捕らえていたのです。……道に迷い、水を求めて助けを乞うていたあれらに優しく手を差し伸べた優しいアルを!」

 ルーンは美しい顔に激しい激昂の色を浮かべたが、すぐに冷静に返ると「見苦しいものをお見せしまして申し訳ありません」と詫びて話を続ける。


「あれらは初め、私たちをただのエルフと思っていたようです。けれども、レインを――ああ、夫が居たのです、その時までは。レインがダークエルフだと見てとると、何事かを囁き合い、そして――あれらに水と食料を配っていたアルを人質に、我らをあの忌々しい場所へ引き摺っていったのです」

「君の配偶者が……ダークエルフ?」

 複雑な表情を浮かべるミゼラティ。

 だがルーンはそれに気づかず、首肯する。

「はい。駆け落ちの原因であり、我が一生を捧げる約束を交わし合った最愛なるものです。……アルに手出しはしないという条件の元に、あれらは汚らわしい実験を私とレインに……」

 実験内容は、彼女の傷を見れば程度が分かるもの。

 正に、『汚らわしい』一言に尽きるものだった。……生体反応を見たいからと、生きたまま腹を裂いて弄る外道行為が『初歩』だったと、誰が分かろう。

 彼女はそれでも胸の悪くなる内容を全て語り明かし、ミゼラティもそれを黙って聞いていた。

 止めはしなかった。

 ここは甘いお菓子の家ではない。

 実験は数日間、絶えず飽きることなく行われた。やがて、夫であるレインが妻の衰弱ぶりに懸念を抱いたようで彼らはそこで決心したらしい。


 ――どちらが囮になって子を逃がすか。


 残酷な選択だったが、彼らは躊躇わなかった。初め、ルーンの方が自分は女であり怪我をしているから丁度いい囮になると先陣を切ったのだが、レインがそれを止めた。時間稼ぎをするならば、希少で活きの良いほうが適していると言って。

 そして、レインは子であるアルに優しく言った。この先は君が彼女を守るんだよ、と。


「……レインは、笑って……私たちを、逃がして……っ」

「……母上」

 ぎゅうっと膝の上で両手を握りしめ、俯く母親を見てアルが心配そうに肩に触れる。泣きそうなのを我慢して。

 引き裂かれた親子。母親が既にこのような状態でいるのなら、ダークエルフの夫は……。

 ――いや。外道たちはそう簡単に希少種を壊したりはしない。探求心旺盛な彼らは、それこそ最大限の注意を払い、丁寧に、実に丁寧に実験をする筈だ。

 簡単に死なせはしない。

 例え、実験体が自ら死を願っていても。――懇願したところで叶えられるわけもない。

 ここまで聞いたミゼラティは、大きく溜め息を吐いて頭を抱えた。

 ひと月前、西の国近くで遭遇した無法者たちの会話は彼らに関係していたのか、と。

 ああ、彼らは「ダークエルフ」という単語を口にしていた。学者がどうとか、外道がどうだかと言っていた。もしやあの内容がこれか。この結果か。


 けれども、エルフ親子の事情などは自分には関係のないこと。彼らは他人であり、しかもこの家に勝手に入って住んでいた輩だから助ける義理はない。(むしろ刺されたので貸しがあるくらいだ)

 天秤は傾かないだろうが、それでも心当たりがないことも無いので――妙な縁がここで出来てしまったので、ここは動かないと後味が悪そうだ。

 ミゼラティは消沈しているルーンの肩を軽く叩くと、少し出掛けるので親子ともども留守番を頼むと「命令」し、最低限の支度をして家を出た。



 ◇  ◇  ◇



「美しい夜にお逢いできて光栄です、愛しき運命(シェルデスティン)。今宵はお一人でどうされました?」


 回想より戻り、歪みの塔の外にて。

 窓らしきものが見えたので、さて中の様子を確認できないかと考えていた時だった。

 背後の闇より唐突に投げかけられた挨拶に振り向けば、そこには青年が一人ぽつんといて胸に手を当てて恭しく立っていた。

 薄い灰青の髪。毛先は水が滲むように青い色が差しており、後ろで三つ編みにして一つにまとめられている。

 はて、どこかで見たような? 


(――思い出した)

 サンズポルトでアップルパイを食べた帰り。その途中でミゼラティは次兄ロゼウスと再会してしまい、「一人で帰るのは危ないから家まで送ろう」と付き纏われてしまう。

 運命の敵に家を知られるなんて、とんでもない。

 彼をどうにか撒こうと手段を考えていた丁度その時、目の先にいたのがこの青年だった。

 とっさに大罪魔法の一つである「魅了」を仕掛けて利用させてもらい、それでどうにか次兄を振り切ることが出来たので非常に助かったその存在。後は何事もなく歩き、出入り口にて別れた。

 その場限りの出会いと別れ。――それだけで終わった筈だったのだが。


 だがここに来て、同じ青年と再会した。

 あの町で出会うのと、この場所で出くわすのでは意味も変わる。


「……君はここの関係者か」

 質問ではない。断定口調で言えば、青年が眉を下げて苦笑する。

「かつては。ですが、ご安心下さい。私は彼らの悪行に手を貸してはいませんし、染めてもおりません、愛しき運命(シェルデスティン)

「安心も何も……大体、その愛しき運命(シェルデスティン)というのは」

「ああ、もしやこの塔に御用がおありですか? 私であれば、お好きな場所へすぐにでもご案内できますが」

「……」

 態度は恭しくも強引に、むしろ前のめりの勢いで話しかけてくる青年。

 怪しいとしか思えない口調と態度。

 偶然にしては看過できない、この再会。けれどもその瞳は真っ直ぐミゼラティを見ており、濁りや淀みといった陰りがない。

 ――それもそのはず、彼は真実を語っていたのだった。

 ミゼラティは会話中、外套下でこっそり魔術を行使して調べ上げていた。全ての偽りを見通す大罪魔法『怠惰の鏡(プレギサ)』にて。それは高度ゆえに魔力の消費も大きいものでいたが、今は確たる真実が必要だったので多少の支払いは止むを得ない。

 青年は真実たる言動で以て、ミゼラティの援護を申し出ているという結果が目の前にある。

 断ったところで、何かあるわけでもない。短縮されるだろう時間を失うだけ。


 けれども、これで運命が変わるかもしれない。

 生か死かの二択の中にいるだろうダークエルフの運命が。

 ミゼラティは空を仰いで月を見つめ、それから青年に視線を戻して答える。彼が望んでいるものを。

「じゃあ……案内を頼もうか」

「……っ、恐悦至極にございます、愛しき運命(シェルデスティン)! 全身全霊で貴方様の手足となりましょう――さあ、御命令を!」

「いや、……その……待て、おい、待て……!」

 恭順の姿勢のまま、喜色満面で詰め寄ってきた青年を前に、ミゼラティは表情を引き攣らせて後退するもぐいぐい距離を詰められる。

 近づき、近づいて、近づかれて。ミゼラティはその距離がゼロになる前に片手を突きつけて制すると、第一声となる「命令」を口にした。


「――よし。先ずは『愛しき運命(シェルデスティン)』を止めろ。それと、私の名は――……、……ミゼラティだ」

 そう言って人差し指をビシリと突き付けたミゼラティを見て、青年は目を丸くし――ほんの一瞬、感動したような眼差しを向け――それから一歩下がって地面に片膝をつくと、深々と頭を下げて答えた。

「承知致しました、愛し――失礼致しました、ミゼラティ様。我が名はヒューグウェンリル。いかようにもお使い下さいませ」

「……、ああ、うん……ではヒューグ、塔の中の案内を」

「畏まりました」


 ヒューグウェンリルと名乗った青年は微笑し、立ち上がる。

 気難しい顔をした幼女はそれを眺め、何か言いかけたものの結局は何も言わず、青年を引き連れて共に塔の陰へと消えていった。



功罪無くして月を見る

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