1-18 加護の鳥、檻の虎
火。火。火。
聖なる炎に包まれて。死を見物する衆愚に囲まれて。
無表情ながらも美しい四人の兄弟たちに見送られながら、生きたまま焼かれているのは漆黒色を纏う少女。
災禍と呼ばれ認められたが最後、その運命を浄化される存在。
魔女として。
全ての災厄を背負って。
焼かれていく。灰燼になるまで。
けれども熱さは感じない。血の繋がりのない――絆すら紡がれなかった義兄弟でもある四騎士たちによって、能力と動きを封じる呪いをその身に刻まれているが故に。
黒髪の女はそうして痛みもなく、感情すらもなく、最初で最期の抱擁相手が死と炎という結末を迎えて終わる。
終わった筈だった。
ならば、この火は。熱は。何処から。
熱い。火が。火が。
燃えている。燃やしていく。
焼ける。焼けていく。
ああ、そうか。
この火は、呪いは、灰になるまで消えないのか。
冷たい何かが頬を伝い、炎の向こうに見える美しい兄弟たちに向かって落ちる――落ちていく。過去の残影と共に。
◇ ◇ ◇
額に冷たい感覚を受けて目を開けたミゼラティは、ぼやけた視界の中で誰かの姿を見つける。
妙に茫とするのは、体温が高いせいだろうか。熱い。
額の「ひんやり」の正体はどうやら氷のうらしい。
ミゼラティが目覚めたのを見て相手が僅かに首を傾げたので、肩口に掛かっていた銀色の髪がさらりと流れる。
白昼夢に見る流れ星。
その銀色の向こう、相手の肩越しからは白い天井が見えており、大輪の花に似た模様が描かれていることに気づかされる。
かつての人生、古代図書館で見た魔法――『睡蓮療花』。癒しの奇跡。
高額の寄付が必要な治療院や、貴族御用達の大聖堂にある療養室でもなかなかにお目にかかれない奇跡の高位術。そこに対象を寝かせておけば、どんな病も呪いも御業により癒されるという。
(……私は、……ここは?)
火熱により思考が鈍くなっているせいか、考えが纏められない。
ぼんやりして天井を仰いでいれば、視界に入る人物の口元が動いた。
どうも何かを言ったようだが、ミゼラティの聴覚は水中にいるような状態になっており、鈍い倍音にしか聞こえない。
なので、首をゆるりと横に振って「分からない」と意思を示せば、相手が眉間に皺を寄せて考え込む。それからまた口を動かすのが朧げに見えたが、やはり音は水中の泡のように弾けて伝わらない。解らない。
そんなやりとりを二、三回ほど繰り返しただろうか。
ミゼラティは意味のない行動に反応するのが億劫になり、四回目に溜め息を吐くと、緩く首を振って――これなら眠っていた方がマシだ、とばかりに目を閉じた。
人の気配はしばらく側にあったが、やがて疎通を諦めたのか遠ざかる。
不意に訪れた静寂にミゼラティは安堵し、意識を溶かすような眠りに落ちていった。
◇ ◇ ◇
「……なあ、ロゼ。兄貴は何をしてるんだと思う?」
シュヴァルツェは、己の膝に幼女を乗せて微笑んでいる長兄を寝室にて見つける。
「あー……食事をさせている、と思うんだけど――」
声を潜めて答えたロゼウスは、困惑と興味を浮かべた顔で苦笑する。
ドアを隔てた廊下側。そっと開いた隙間の向こうから室内を覗くはオッドアイの双子たち。
この三日間、長兄の顔を見なかった。
不思議に思い、勤務先である城の詰所に確認してみれば、なんと休暇届が出されているという。
しかし、本邸には居ない――どころか、帰っていない。
ならばと兄弟専用の別邸に足を運んでみたところで、ようやくその姿を見つけたのだった。
何のしがらみも無く休養することを目的としたこの屋敷には、侍女も執事もいない。故に食事の支度や清掃などは自分でしなければならないが、それでも兄弟は度々この別邸を使用する。家族水入らずの雰囲気を好むが故に。
実のところ、彼らレクスミゼルは「家族」以外にはあまり情を寄せることはない。
表向きには「それなりに」親しくしてみせるが常に仮初であり、それ以上は踏み込まないし、自ら関わることもしない。
勿論、他者がそれを知るわけも無い。気づかせるわけがない。
彼らは殊勝にも、容易く欺く振る舞いかたを心得ている。
その業は「外」からの配偶者にさえ気づかせず――但し捧げる愛は深く確かな真実にて――成り立ってきた、特殊な一族である。
そんな彼らレクスミゼル家の長兄であるヴァイスリヒトが、膝上に乗せた幼女を片手で支えながら、その口に粥らしきものを運んでいる。
甲斐甲斐しく給餌する様は、まるで雛鳥に餌を与える母鳥。
ただ一点ばかり気になるのは、給餌を受けている幼女の視線が定まっていないところだろうか。
その動きは緩慢で、眠いのか時折こくりと船を漕いでは長兄に優しく起こされている有り様。
正に、為すがまま。
借りてきた子猫さながらの姿は、これまでに接してきた幼女の性格と照らし合わせると、どうにも不自然な気がした。
「なんか子猫ちゃん、元気なくない?」
つい浮かんだ疑問をロゼウスが口にすれば。
「魔力熱による一時的な自失化だ。失声状態にも陥っている。安静にしていれば、大事ない」
答え返されたは、覗き見ていた室内。
ドアの僅かな隙間、こちらを見返す長兄と目が合ったロゼウスはぎょっとする。
「うっわ、気づかれてた。いつからだろ」
「どうも最初からみたいだな。……俺たちも部屋に入ろう、ロゼ」
覗き見る行為を咎められなかったのもあり、双子は好奇心を解消すべくドアを開く。
その際、ヴァイスリヒトが人差し指を立てて自らの唇にそっと押し当てたので、彼らは頷きを返しつつ音に気をつけて部屋の中へ足を踏み入れた。
「子猫ちゃん、起きてるの?」
ベッドサイドに立って身を屈めたロゼウスが、声を落として投げたのは疑問。視線の先にはミゼラティがいて、ヴァイスリヒトの胸元に力なく背凭れている。
「ああ。だが、声を掛けて反応する確率は半分だ……ミゼラティ、まだ眠るな。食事が済んでいない」
腕に抱えた幼女に視線を戻し、ヴァイスリヒトは粥を掬った匙をその口元へ寄せる。
「……首を振ったな。兄貴、食事はそこまでにして、眠らせてやったらどうだ?」
胸の前で両腕を組んで口を挟むシュヴァルツェは、覇気なく茫としているミゼラティを見て眉を下げる。
しかし長兄は首肯せず、弟に言う。
「駄目だ。彼女は、栄養失調寸前だった。魔力熱がなかなか引かないのも、そのせいだ」
説明しながらもミゼラティを支える手でその腹部あたりをぽんぽんと軽く叩いてやりながら、ヴァイスリヒトは声を掛ける。
「ほら、ミゼラティ。辛いだろうが、もう少しだけ食べたまえ。それで薬を飲んだら、お終いにしよう」
穏やかな声で根気よく促せば、観念したのかミゼラティが「仕方ないな」とでもいうふうに口を開けた。
「……あ。食べた。……栄養失調?」
ゆっくりと咀嚼しているミゼラティを見ながら、ロゼウスが眉を顰める。最近のやりとりを思い返し、首を捻って怪訝な顔をした。
「俺、数日前に子猫ちゃんと会ってさ。それで、極上の魔石を持ってたから買い取ったんだけど……」
「幾ら払ったんだ?」とシュヴァルツェの問いに、ロゼウスは片手を挙げて――「金貨五十枚」
「五十!? 何でまたそんな大金――」
「――シュヴァにも渡しただろ。輝石のバングル。あれの元は、子猫ちゃんから買った石」
「は……、え、コレ、お嬢ちゃんのか!?」
説明を受けて、シュヴァルツェは自らの右手の裾を捲る。
そこには艶を消した金属の細い腕輪があり、小粒ながらも深く煌めく石が填め込まれていた。
「限りなく透明な純度の石を、お嬢ちゃんが……凄いな」
「説明した筈だけどー? ……はあ。まあ、そういうことで、結構な大金を渡していたから、子猫ちゃんが栄養失調っていうのが不思議なんだよね」
「もしかして使い切った……とか。ほら、これくらいの年齢なら、服やお菓子でついつい散財を」
「金貨五十を消費しきるお菓子って何。それに、服なら極楽――ゴホン。ハイドランジア嬢と遭遇した時に、結構上質なのを着てただろ」
「む。そうか。なら……落としたのかも」
「可能性としては、それかな。後は――」
「――取り上げられた、か」
横から声を挟んだのは、双子の会話を黙って聞いていた長兄。その声はしかしどこか硬質で、冷たいものが混じっている。
「取り上げられたって、誰に?」
ロゼウスが問えば、ヴァイスリヒトはうとうとしかけている幼女の口元を丁寧に拭ってやりながら顔も上げずに答えた。
「この子を虐げている何者かに」
その言葉を聞いた双子は驚きに目を見張り、それから眉間に強い皺を作った。
シュヴァルツェが長兄の腕の中に居る幼女に視線を落とし、渋面になる。
「その、『何か』は判っているのかヴァイス兄貴」
「いいや。ミゼラティは目を覚ましてからはずっとこのような状態であるし、それに――」
「それに?」
「…………何度か脱走未遂をしている」
「脱走って……何でまた、そんな状態で――」
「逃げたくなった、もしくは逃げ出すようなことがあった、とか」
そのまま絶句したシュヴァルツェに代わり、次はロゼウスが会話を繋いだ。
その場で片膝をつき、茫としている――いや、うんざりしている?――幼女と視線を合わせると、目の前で片手を振って話しかける。
「子猫ちゃん、俺、ロゼウス。分かる? というか、覚えてる?」
洋菓子店にて女性の敵意を解く為に見せた微笑を向ければ、幼女の視線がゆっくりと持ちあがった。
ふう、と億劫そうな溜め息を吐かれたが、今は見ないことにしておいてロゼウスは会話を続ける。
「君は賢い子だ。だから、自分の状態は解っている筈だよね? 何かあった?」
「……」
ミゼラティは気怠げにロゼウスを見返し、ゆるりと右手を持ち上げると自分の首に手を当てて擦る動作をした。それを見て、ロゼウスは「あ、そっか」という顔をする。
「今は声が出ないんだっけ。ごめん。筆記用具を持ってこようか?」
すれば、ミゼラティが首を振り――ヴァイスリヒトを見上げて、彼の手から手拭を取り上げた。
驚く長兄を余所に、ロゼウスに視線を戻したミゼラティはその手拭を自身の顔や首筋、胸元へと当ててみせる。
唐突な幼女の行動に、ロゼウスは首を捻り……、やがて、「ああ」と理解した。
「体を拭く……入浴関係かな? 何か問題が?」
ミゼラティが眉間に皺を寄せて、こくりと頷く。そこには最早、ぼんやりとしたものはない。
ロゼウスはその反応を見て、ミゼラティが熱による倦怠ではなく解決されない何かしらに対して諦観していたらしいことに気づく。
ちらりと視線を向けた相手は、長兄。
「兄さん?」
何かした?と視線で問えば、彼の長兄殿は「まさか」というように首を振った。
「私が彼女を害するわけが無いだろう」
一瞬ばかり動揺はあったものの、きっぱりと答えた声は落ち着いており、視線も泳いではいない。
その眼差しは真摯で誠実。偽りは一片も見られない。
事実、その通りなのだろう。
ヴァイスリヒトはミゼラティを害してはいない。だが、恐らくは……。ロゼウスは眉間に皺を寄せたままの幼女を一瞥し、再度ヴァイスリヒトに訊ねた。
「……ねえ、兄さん。もしかして、もしかすると――子猫ちゃんの湯浴みに介入したりした?」
「ん? ああ。熱があるので、私も共に手伝おうと。しかし、ミゼラティは――」
「――嫌がったか、抵抗した」
「そうだ。良く分かったな」
ヴァイスリヒトが感心した声で言うのに合わせて、ロゼウスは難しい顔をして額を押えた。
傍らに立つシュヴァルツェも同様の感情を抱いたらしく、「兄貴、それは……」と言ったきり再び黙りこくってしまう。
それ故に、三度会話を継いだのはロゼウス。
清廉たる我が長兄殿に向けて、助言と忠告を吐く。
「兄さん、子猫ちゃんは幼いけれど、子供扱いされるのは嫌なんだよ」
「解っている。だから私は、ミゼラティをきちんと一人の女性として扱うことにしている」
「……なら、『異性』である兄さんが、女性である子猫ちゃんと『一緒に湯浴みをする』というのは正しくはないんじゃないかな?」
「うん? だが、一人では危険だから、私が協力しなければ」
「そこは『異性』の兄さんじゃなくて、同性の誰かの方が良いよね? ここって、基本的に家族以外は招待しないけど、禁止しているわけじゃないんだしね?」
「しかし、他に誰が」
「……執事のエルデに言えば、侍女を寄越してもらえるよ?」
「……。……。……ああ」
静かだが深い感嘆の声を零した長兄を見て、その場にいた三人が揃って額を押えた。
◇ ◇ ◇
ロゼウスの助言通り、本邸の執事長に事情を説明して侍女を一人寄越してもらい、ミゼラティは安心かつ安堵な湯浴みを済ませることに成功する。
(はあ……さっぱりした)
気疲れはしたものの、ようやく身体を清浄出来たのもあってか欝々とした気分はすっかり良くなっていた。
侍女の手を借りながら、着替えも済ませる。
清潔で新しい室内着に袖を通せば、微かな芳香が鼻先を掠めた。それは石鹸の匂いで、ミゼラティの表情は更に明るくなる。
そのまま気分良く浴室から出たところで、苦笑を浮かべたロゼウスに出迎えられた。
「体調は……うん、大丈夫みたいだね。顔色も、ずっと良くなってる」
労いの言葉を掛けられて、ミゼラティは同意の首肯を返す。病身になってからは過敏なまでに自身の汚れが気になっていたので、とかく滅入っていたのだ。
だからミゼラティは、深夜にこっそり部屋を抜け出して浴室へ行こうとした。
しかし見事なまでに長兄に見つかってしまい、阻止された挙句に「ならば自分が手を貸そう」と誠実な『善意』から混浴させられそうになったので、部屋に逃げ帰る羽目になった――というのが、前述の「脱走未遂」の真相である。
その事実を知ったヴァイスリヒトはミゼラティに謝罪したものの、それでもまだ斜め上な過保護行為をしようとするのでシュヴァルツェが制しておいて、その上でロゼウスが彼女を迎えに来たのだった。
「ごめんね、子猫ちゃん。ここ数日、精神的に疲れさせちゃって」
ロゼウスは幼女の小さな手を繋いで、共に廊下を歩いている。
もしかしたら、異性の自分たちでは気づけていないことがあるかもしれない。
女性ならではの支度が他にも必要なのかもしれない。
そう考えたロゼウスは侍女にその旨を説明し、不足分の補助を依頼して先に部屋に下がらせておいた。
代わりに、侍女の次の仕事を引き受けて――つまりはミゼラティの送迎と会話相手を務めながら、ロゼウスはゆっくりと廊下を進んでいる。
「兄さんは純粋な厚意で君を助けようとしたんだと思う。ただ、どうにも君が絡むとちょっと大変な過保護になるだけで……うん、まあ、本当に、悪気も邪なものもないんだよ」
困ったように笑うロゼウスの顔は、けれども暗いものではない。
しょうがないなあ、と柔らかく苦笑するそれは、家族の情愛。
本当にこの兄弟は仲がいいな、とミゼラティは感心し――それから、少しだけ寂寥感を覚えた。
繋がれた手が温かいのは、湯上がりだからだ。
その残滓、もしくはまだ火熱が残っているせいで温かいのだと思う。
次兄が手を繋いでいるのは、単に比熱でふらつく幼女を支える為。
これはただの支援。情でも愛でもない。
何故なら今の自分はただの他人であり、彼らとは『家族』でも何でもないのだ。
だから、ああ、だからこそ今更、馬鹿な勘違いなどするわけもない。
何故なら私は災禍の魔女。
そんな『馬鹿な事』を繰り返した結果、三十六回も灰にされた人生だ。
だから、決して騙されてはいけない。油断すらもしてはいけない。いちいち温もりに寄りかかろうとしてはいけない。
――隙間を作れば最後、たちまちのうちに運命が破滅に至るのだから。
手から伝わる温かいものには見ない振りをしておいて、ミゼラティは微かに香る石鹸のことだけに思考を寄せて歩くのだった。
花は咲かずに落ちるだけ




