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1-16 今世の情けは後の戒め



「……綺麗だなあ」

 禁足地より「家」に戻ったミゼラティは、ベッドに横になった状態から聖獣の角を眺めていた。

「しかし、ユニコーンは本当に居たんだな。……会えたばかりか、契約譲渡が成立するとは思わなかったけど」

 交渉決裂、もしくは相手の激昂により、命のやり取りになるのを想定していたのだが――月光石が撤退ではなく、単なる帰還に使われただけで済んだのは僥倖だった。

 最悪、慈悲の短剣を使用せざるを得ない可能性もあったが、こちらも出番がなくて何よりだ。

 無駄に血を流すことは、出来るだけ避けておきたい。

 罪科が傾いた先にあるのは、この身の破滅故に。


「いやしかし、本当に見事だなあ。契約譲渡の可否でこうまで違うのか」

 槍を思わせる程に大きく重厚な見た目とは裏腹に、なんとも絶妙な軽さ。それでも長さはミゼラティのつま先から胸の辺りまであり、結構な存在感がある。

 魔力の伝導率に至っては、確かめる必要も無い。手にしてみて判る。ひんやりとした質感でありつつも、じんわりと温かくもある不思議な聖獣の角。

「……そろそろ寝よう」

 純白の角をちらりと見やり、それをベッドの脇に立て掛けると思考を遮断してベッドに突っ伏す。

 食事は、……もうすぐ朝が来るので、そちらに回してしまおう。


 三食食べずとも死にはしない。

 なにせこちらは三十六回それを経験しているのだから、限界を知っている。

 パンくずのようなパン、具のない冷めたスープ。

 冷えた地下牢もしくは牧草の匂い残る家畜小屋での粗末な食事が常だったあの日々、その人生。

 そんな中でも、祭りか祝いがあったらしい日には必ずささやかな贅沢品があった。

 唯一たる喜び。一切れのパイ。

 それはとても美味であり、それでいて粗雑な環境下で食すには残酷なほどに優しい甘さを持っていた。

 今でも覚えているあの味、あの黄金色。


 ああ、あれは実に美味なアップルパイだった。



 ◇  ◇  ◇



 四日目。

 起床したミゼラティは、黒パンにバターという昨日と同じ食事を摂った。

 予算の都合上、それだけしかないのだから仕方がない。錬金道具があれば、保管場所などを作成したりして種類の富んだ食事が出来るのだが。

「……考えなしの買い物が仇になったな」

 災禍の魔女とて、状況が変われば下働きも止むなしか。

「地道に魔石を作って売るか、それともそろそろ働き口を探すことも視野に入れるか……考えないといけないことが増えていくな」

 次に何かを買う時は気をつけよう、とミゼラティは溜め息を零しつつ食事を片付けて、いつもの黒外套を羽織る。それから強度のある木の皮や藤蔓などで作成した簡易剣帯を取り出すと、そこに聖獣の角を差して腰から提げた。

 ミゼラティは「これで良し」とばかりに頷くと、家にきっちり『鍵』を掛けてから外に出た。


 森を抜けて向かうことにした先は、南にある砂漠地帯。

 そこで、聖獣の角を使った魔術を試行しようと考えた。

 ――題して「水源地を作ろう!」

 森から砂漠へ場所を移した理由としては、魔術に失敗した場合に備えてのこと。

 幾ら迷いの森が広大とはいえ、ドカンと巨大な水溜まりが出来て何もかもが水浸しになれば目も当てられない状況になるからだ。大量発生したキノコの森、もしくはカビの絨毯。……健康に甚大な被害が出るだろうことは間違いない。

 それに、折角作ったこの我が家。失っては大変――どころか、たちまちのうちに家無しになってしまうのは避けたいところ。

 災禍の魔女カッコ仮から、家なき子へ。……ああ、そんなことになればもう泣き笑うしかない。

「いっそ、孤児院にでも……」

 名案めいたものが浮かぶも、すぐに却下した。

「私が空き枠を奪ったことで他の子が路頭に迷うのはマズいな」

 そんな事を考えながら街道を歩いていれば、いつしか周囲の光景が変わり始める。


 緑が減り、足元の土に砂利が混じって荒くなり――やがて開ける視界の先には黄みがかった砂の大地。目的地となる場所は、いつかの記憶にあるオアシス。

 水と緑に囲まれた、砂漠の中の休息地。旅人の憩いの場。

 いずれ使うかもしれない密やかな隠れ家候補。


「さて……問題は、その存在だな」 

 幾つか遭遇してきた世界の『差異』。

 今のところこれまでの経験が無駄になっていない事が救いではあるが、それでも予定が大きく崩れて困ってしまうのが悩みどころ。

 今回はどうだろうか?

 由来でもあり目印でもある、多年草が茂っているだろう場所を探す。

 乾いた地、熱い風が吹く砂の中での小さな楽園。

 生い茂るアシタバに守られた乾燥地帯の水源地。


「確か、この辺りに目印が――見えた。……あれ?」



 ◇  ◇  ◇



 到着したミゼラティは言葉を失った。

 アシタバは群生していたものの、その範囲は狭く成人男性一人分程しかない。

 だが、それよりも――いいや、それどころか、懸念していた通りの確かな『差異』がそこにあった。


「水、が……ない!?」

 控え目に茂るアシタバ。そこは、かつて緑茂る水源があったオアシス……の、筈だった。

 申し訳程度の木陰がどうにかあるが、これだけでは強い日差しを完全に防ぐことは難しい。

 ああ、あそこにさえ辿り着ければ命を繋げるだろう――と、足を引き摺りやって来た砂漠の迷い子の期待を裏切り、緩やかな死に至らしめてくれる悲しき楽園があるばかり。

 これはどういうことだろう?

 そもそも、なぜ水が枯れている?

 ここは砂と緑が混じる楽園。地相の境界線であり、聖獣の加護が重なる場所でもある為にこのような異変が起きるのはおかしい。

 はてさて、一体なにがあってこうなったのか。

 ミゼラティは腰に下げていた聖獣の杖を手に、アシタバが作る小さな絨毯の上に立った。

 目を閉じて、杖の先で地面を突く。


 コツ、コツ、コツ。

 コツ、コツ、コツ。


 ――こぽり、と水の音を聞いた気がした。


「……ああ、存在はしているのか」

 ぎりぎりではあるが、奥底に水脈の存在を感じる。ただ、土地自体の水の属性値がかなり低くなっており、それによって主軸の水脈が繋がりを見つけられずに枯渇状態となっているようだ。

「乾季に受けるダメージじゃここまでいかないはずだが……ん……? いま、反響音に違和感が」

 杖を持ち直し、ミゼラティは再度地面を突く。


 コツ、コツ、コツ。

 コツ、コツ――ゴヅッ。


「これか。……何かが塞き止めていた形跡が薄く残ってるな。水の力が吸い上げられた――吸い上げた何かが、ここにいた?」

 川棲馬(ケルピー)。いや湖棲馬(アハイシュケ)だろうか。いやいや、流石に大集団で飲み干したりでもしなければこの湖が枯れるわけがない。

 ともあれ、辛うじて水脈が残っているならば地相術でもかけて活性化させれば蘇らせることも可能だというもの。聖獣の角を剣帯へ納め、ミゼラティは思案する。


「さて、どうするかな――……っ」

 その時、眩暈を覚えて顔を顰めた。

 さすがは砂漠地帯。それなりに耐性のある外套のフードを被っているというのに、太陽の熱がじりじりと焦がしていたようだ。

 つまり、この眩暈は……。

(熱射病の症状か)

 ミゼラティは慌てて腰に下げた水袋を開けて中身を確認し、眉を顰める。

 残りの水は、手の平でひと掬い分ほどしかなかった。ここに来るまでに既にだいぶ消費しているので、この量では回復出来ない。

 ならば、魔術での帰還は?

 長距離と技術練度の不足という懸念があるものの、このまま干上がるよりはマシだろう。

 なに、失敗しても死にはしない。ただ、転送先が砂漠の外か森の手前になるだけで。


(よし、考えは纏まった……けれども、今はともかく緊急避難だ)

 すぐ近くに日陰があった筈だとアシタバの茂るほうへ体を反転させれば、その勢いでまた、くらり。

(まずい――)

 ぐらついた体はしかし倒れず、砂の上を僅かな汗が落ちたのみ。

 腰に回された誰かの手によって支えられている、と気づいたのはすぐのこと。

 ミゼラティが状況を把握する前に、耳の横で声が囁く。


「オアシスの蜃気楼に誘われたか、旅の迷い子よ」



 ◇  ◇  ◇



 声に誘われるようにして顔を上げれば、そこにいたのは褐色の肌と白金色の髪をした少年。

「小さな旅人よ。特別に、我が袂での休息を許そう」

 そう言うなり、少年はミゼラティを支えながらアシタバの日陰に引き込んだ。そしてミゼラティの頭上で手をかざす格好をとると、自らのマントで覆うようにして影を作る。

 二重の遮光。

 不意に訪れた、ひんやりとした感覚。

(このマントの気配――特殊錬成か。……凄いな。一気に熱が引いた)

 ミゼラティは感嘆し、片手で汗を拭いながら相手を見上げた。


 青と金茶の、オッドアイ。声と面差しの感じから、次兄たちと同じ十二くらいだろうと仮定する。

 妙に大人びた目をしているな、というのが第一印象。

 しかしながら、その口調と態度の何とも尊大なこと。加えて、高慢そうな雰囲気もある。

 親切を受けた身ではあるが、評価はまた別だ。

 手首に嵌っている金の腕輪と、両耳につけられているこれまた金の耳飾りのほかは、特に目立った装飾品はない。

 金を身につけている時点で既に目立っているだろう!という感想は取りあえず脇に置いておくとして、相手を更に観察する。

 装飾に対し、服装は簡素ながらも質の良い緑のローブに、ゆったりとしたパンツ。それは少年の髪と目の色彩に良く似合っていて、とても綺麗だなとミゼラティは素直な感想を持った。

 少年の顔に覚えはない……と思うが、記憶の照合は後回しだ。

 砂漠の民だろうか?

 それにしては貴族然とした雰囲気がある。

 もしかしたら、この少年は――。


「君は――人間か?」

 問えば、少年の目に険悪めいたものが浮かんだ。

「……それは、我が『変わり目』に対しての嘲りか?」

 返された言葉に、「ん?」という顔をしてミゼラティが目を丸くするも、すぐに合点がいった。

 地方によるが、オッドアイは呪い子だの忌み子だのという迷信が残っている場所があり、それを信じている者たちがいる。

 勿論、それは『魔女』とて同じこと。

 痣や傷、果ては少し薬草学に「詳しすぎた」だけで、狩りや裁判の対象になったりしたものだ。

 その『悪習』に従っている所は、各所に点々と現存している。


 そら、ここに火刑に処された存在がいるではないか。

 幾度となく炎に焼かれ尽くした災禍の魔女が。

 ミゼラティは苦く笑いつつも、相手に説明する。


「嘲りとは、そのオッドアイのことでか? 美しい色彩だと見惚れはするが、嘲弄などしない」

 そうじゃなくて、とミゼラティは軽く片手を上げて剣呑な少年を制し、言葉を繋ぐ。

「訊き直そう。君は、ここの管理人か?」

「む。管理……してはいないが、このオアシス――予定だが、ここの緑を育てているのは我だ」


「そうか。では――アシタバの精霊ではない?」

「――は?」


 今度は少年が目を丸くする番だった。

 どういう意味だ、と少年が口を開くより早くにミゼラティが言う。

「ああ、その服装とこの場の色彩が妙に合っているし、口調も尊大……ごほん。威厳があるので、もしかすると……と、思ったんだが――」

 その反応を見る限りでは違うようだな?と確認を重ねたミゼラティに、少年は眉を下げて不思議な表情をし――泣きそうな、笑いそうな顔でいて――やがて、笑いの方が勝ったらしい。

 最終的には噴き出した。高らかに。器用にも、マントの日陰を作ったままの格好で。

「ハッ……ハハハ! 精霊! それも、アシタバのときたか! ハハッ、アッハハハ!」

 笑う少年の目に、先程までの剣呑な光はない。

 誤解が解けたようで何よりだが、しかし……。


「……笑い過ぎじゃないかな、少年」

 少しばかりムッとした声音を混ぜてみれば、相手はミゼラティを見下ろして笑いの残る声で答える。

「ハハッ、これが笑わずにいられるか! 呪われし忌み子だの、災厄の落とし子だのとは言われてきたが、まさか精霊――それも、アシタバのかと問われたのは初めてだ!」

「ああ、それで……まあ、私の誤解と君の気分が晴れたなら何よりだ」

 陰鬱な内容を大笑する中で告げられてしまったミゼラティは、それですっかり怒れなくなってしまう。

 ただただ片目の色が違っただけで存在を疎まれてきたのか、この少年は。

 であるならば、ここは自分のほうが大人になろう。

 外見は幼女であるものの、真たる身は三十六回の死を越えて来た魔女のそれ。

 こちらは総計すると成人を越えている年齢なのだから、ここは寛大に――……。


(――なりたいところだが、そろそろ止めよう)

 生憎と、聖人程の忍耐までは達せていない。ミゼラティは深呼吸をして心を落ち着けると、くつくつ笑う少年の肩を叩いて、不満の色を浮かべた表情を見せてやるのだった。



 ◇  ◇  ◇



「いやいや、済まなかったな。しかし実に愉快だった。こんなに笑ったのはいつぶりだろう」

 謝罪する少年の表情にはまだ笑いの名残があったが、今は見逃しておこう。

「そうか……君の心が和らいだなら散々に哄笑された甲斐もある」

 ミゼラティは少しばかりげんなりした様子ながらも、素直にそれを受け入れた。

 それはそうと、体温は下がったものの喉の渇きが癒えていない。気持ちを切り替える為に残り少なくなっていた手持ちの水を飲み干したところで、声が掛かる。

「旅人よ、無礼の詫びだ。良ければこれも飲むと良い」

 少年が差し出したのは、砂の国でよく見かける砂竹と呼ばれる植物で作られた細長い筒状の容器。

 ちゃぷりと聞こえた水音に、ミゼラティは受け取るのを躊躇う。

「いや、それは君にとっても大切なものだろう。私は今飲んだ分で、もう――」

「――良い。飲め。我が分はまだ幾らもある」

 そう言いながら、少年が自らの腰元を軽く叩いた。そこへ視線を向けたミゼラティは、涙型の物体が提げられているのを見つける。

 金の模様で縁取られた、澄んだ色をしたその青き器は確か――。


(……『宵幻の水亀の涙(ノッテバソルト)』か)

 何かの文献で読んだことがある。

 神の加護を受けた貴重な器。その中には、まるで神獣の涙の如く甘露な水がなみなみと存在しているという。

 希少で貴重な価値がある、澄んだ青色の美しき神器。

 それは聖獣の角と同じく契約譲渡を経て授けられる類のものでいて、ミゼラティの興味を引く。 

(入手方法が気になるが……)

 今はそれよりも、為すべきことをしよう。

 好奇心を抱いた猫を胸の中に仕舞っておくと、譲られた砂竹筒の水を飲み干した。

 それから己と竹筒の口を拭って返すと、少年の作る日陰から這い出て立ち上がった。


「なにはともあれ、助かった。この借りはいま返そう」

「ははは、借りなど。瑣末なことだ、旅人よ。気にすることは――」

「――気にしたほうが良い。君の努力が結実するのだから」

「……何だと? ……貴様、何をする気だ」

「言っただろう、礼をすると」

 怪訝そうな顔をして見上げる少年に、ミゼラティは凛々しい笑みを返して聖獣の角を取り出した。


 これから行うのは善意ではない。

 あくまでも自己の利益の為の、実験的魔術だ。

 成功すれば自らの業が軽くなり、死の運命から少しは遠ざかるだろう。

 そんな考えでの利己的な行い故に、失敗してこの場所を穢してしまえば破滅へ傾いてしまうが――。

(何にせよ、ここにオアシスが無いと今後の活動に支障をきたしかねないからな。集中しないと)

 偽善と雑念とを一纏めにしつつ、幼女が地面に描き上げたるは澄み切った水の色をした『属性変異』の地相術。


「少年。君の行く末に、祝福があらんことを」

「待て、貴様は――……っ」

 腰を上げてミゼラティの腕を掴もうとした少年だったが、瞬間、生じた閃光を前に目を閉じて片膝をついてしまう。耳鳴りに似た音が響き、視界どころか聴覚すらも惑わされた中で少年はその場で両耳を押さえて蹲り、事態が収束するのを待った。


 どれくらいの時間が経っただろう。

 耳鳴りと閃光が治まったのを見計らい、少年はそろそろと目を開けた。

 顔を上げてオッドアイに映ったものは、三つ。


 一つ目は、なみなみと水を湛えた三日月湖。

 二つ目は、それに追従するかのようによく繁ったアシタバの群生。

 三つ目は――それは、「映らなかった」。黒い外套の幼女の姿はそこに無かったので。


「これ、は……旅人よ、まさかお前の仕業なのか……!」

 少年は驚愕の表情でそれらを見つめていたが、は、と息を吐いて肩を震わせる。

「まさか、こんな……ああ、ああ、よもやこの忌み子が手を掛けた場所が、こんな――このような奇跡を与えられるとは……!」

 両手で顔を覆い、少年が呻く。


「感謝する、黒き旅人よ。この恵み、その慈悲に……ああ、感謝致します――麗しの宵姫(ルーセンナーレ)……っ!」


 少年は、これまで自身が背負わされてきた「呪い」が消えたような感覚を受け、アシタバが作る影の下で両肩を抱き一人感涙に打ち震えるのだった。



枯泉に水絶えぬ

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