1-15 宵に来たるは名も無き星
死と苦を繰り返した果ての此度の人生三十七回目。
今日は三日目だが、何だかもう一年くらい経ったような気がする。
かつての次兄ロゼウスに高額で魔石を引き取ってもらったのは、昨日のこと。
そのようにして纏まった大金を得た本日。ミゼラティは早朝から町へと出掛けると、幾つかの食糧と錬金素材を買い込んできた。
隠蔽、遮蔽、気配察知に対する阻害などを、過剰ともいえる程に重ね掛けした上での外出であった為か、今回は誰にも会わなかったので一安心。だと思いたい。
「これで一先ずは飢えずに済む」という安心感を得たせいか、はたまた大量の買い物を運んだせいか、それともあれやこれやの疲労が残っていた為か。
帰宅した早々に軽い頭痛と眠気に襲われたので少し休もうと思い、ベッドに横になって目を閉じる。
相変わらず硬い。ああ、そういえば寝具も買い直さねば――と考えている内に眠ってしまった。
◇ ◇ ◇
……どれくらい眠っていたのだろう。
変わらない粗末な部屋で目を覚ましたミゼラティは、ベッドと体を軋ませながら身を起こした。
「少しのつもりが……これは寝すぎたな」
欠伸をしながら上体を伸ばし、強張りをほぐす。頭痛は治まっていたので食材棚に入れた食べ物の幾つかを取り出して包むと、それと外套を持って小屋の外に出た。
鬱蒼とした森に、昼夜は関係ない。
何の気配も無い薄暗い森の中、小屋の前。
ぽつんとある切り株の側に蛍キノコがあったので、一つむしり採る。
それをランタンに入れて即席の明かりに設えると、入り口脇にある吊り下げ鉤に引っ掛けた。
そうして出来た灯りの下、外套を羽織って切り株に座る。霧露で微かに濡れていたが、気にすまい。動いていればそのうち乾くだろう。
見上げた空は黄昏を薄く刷いている。……本当に寝すぎたらしい。
上下左右の空間がねじ曲がっている為に飛空系統の魔法は役立たずになり、ならば方角系統の魔術で道標を示して抜け出そうにも指針が狂うという、不可思議な森。
始終漂う靄はあらゆる魔力を歪め、足を踏み入れた何もかもを迷わせる故にいつしかついた名が「迷宮の森」。または「不帰の森」とも呼ばれるこの場所は、世界が出来た当時からあったという。
――ここが常に「魔女」の拠点だった。
使い魔、下僕、様々なものを置いて抗うこと三十六回。最後には捕えられ、呪いを刻まれ、そうして最期を浄化の火の中で迎えては再び戻ってくる場所。
私の「実家」は此処になるんだろうな。――そんな事を考えて少し笑い、それから思索するのは今後のこと。
そういえば素材を買ったはいいが、肝心の錬成道具の一切合切が無い。
しかも道具を購入しようにも先に色々と買い込んでしまったので、既に手持ちの貨幣は片手ほど。……と、ここまで考えを纏めたところ、あまりの無計画さに溜め息が出た。
「……私は馬鹿か」
森の中で独りごち、頭を抱えたは災禍の魔女ならぬ散財の幼女。
ここは一つ、子供だから頭が回らなかった、と……言い訳したところで何が変わるわけでもない。
とりあえずは腹ごしらえをしよう。空腹ではろくな思考にならないことは、一日目の皇女誘拐の件で学習済み。
ミゼラティは持ち出した食べ物の包みを解くと、少し遅い朝食……いや夕食を摂ることにした。
パサついた黒パン(安価)をちぎり、バター(高価)を塗ってひと齧り。軽く焼いて風味を強めたかったが、錬金手段がなく魔力も限られているので諦めた。
贅沢は敵だ。しかしバターは別とする。
「贅沢といえば……」
パンをすっかり片付けてから、ミゼラティは首周りの襟端を摘んで鼻先を寄せた。
スンスンスン。
……悪臭までとはいかないものの、汗臭い。
それもそのはず、この三日間は天敵である四騎士たちと出会い――遭遇してしまい、とかく冷や汗を流すことが多かったことに一因がある。それでも一定の衛生観念はあるので、夜に月の魔力を借りて夜露を集め、それで小まめに髪や身体を拭いてはいたのだが、やはり完全に汚れを落としきれていなかったようだ。
疫病の流布などさせるまい。
そんな大罪を課せられた日には、冤罪からの不可避の破滅へまっしぐらだ。……冗談じゃない。
であるならば、最善な対策としては――。
「……そろそろ水場でも作るか」
水脈があればそれを起点にして作成しやすいのだが、この場所はさてどうだったか。過去三十六回、優先したのは何よりも防衛のほうだったので、気に留めたこともなかった。
何が有益になるか分からないので、これからは些細なことでも調べよう――自省を胸に刻んで腰を上げると、地面に手の平を向けた。
そのまま目を閉じて水の流れを探る。
音、気配、地脈。存在を探り、流れを辿る。
――感覚的には、「ある」。
しかし、この森で魔術を使用して水脈が拓けるだろうか?
「魔女」ならば何の問題も無いのだが、今は色々なものが未熟な幼女。恐らくは上手くいかないだろうが、確認だけはしておこう。
ミゼラティは小屋から少し離れた箇所にある「水標」の場所で足を止めると、試しに一つ魔術を使用した。
模様を描き、魔力を刻み、そうして水脈の道を拓く――はずだった。
『幻線管路』にて引いた線は繋がり確かに成功したものの、形となったのは小さな窪み。
大きさは子供の頭ほどで、深さは指四本分。雨が降った後に出来る水溜まり、といったところ。
「……ですよねー」
乾いた声で笑う幼女。それでも水には不純物などはなく、綺麗に澄んでいる。
その確たる「水源」で、とりあえず顔を洗ってみた。
ひやりと冷たい。そのまま十数秒ほどの時間をおくも、肌に異常はなし。
次に、少し掬って透明度を確かめた後に一口飲んでみた。
こちらもまた冷たく、味は普通。生水でも危険はなさそうだ。
まあ、……成功はしたほうだろう。
小さな水溜まりを見下ろしたミゼラティは、しかし眉を寄せる。
精度は悪くない。けれども、だいぶ質が落ちているのはどうにかならないだろうか。
「これは媒介的なものが要るな」
手持ちの短剣は、残念ながら条件を満たさない。あれは一撃必殺のつるぎであり絶対なる死の武器でもある為に、危険すぎて常用出来ない代物ゆえに。
「近接戦闘にも対応可能で、殺傷力が低めの武器か……」
過去の記憶を参照にして思い浮かんだのは、シンプルで硬度のある杖。
魔術の媒介にしてもよし、物理攻撃用にしてもよし。――これでいこう。
しかしながら、持ち合わせが無いので購入は不可。錬金術も、道具が無いので却下。
となると、最適解は調達だ。
候補となるのは、獣のツノや大型魔獣などの爪や牙だが……鋭すぎるだろうか?
「研磨して、こう丸みを――……いやこれだと錘になりそうだな」
角が丸くなったそれらを想像し、ミゼラティはちょっと笑う。
難関だが、竜骨という手もある。硬度も伝導率も高いので、良い武器となるだろう。
手持ちの知識を探り、材料先を掘り起こす。
そうだ。
最上級を求めるならば、いっそ――……。
◇ ◇ ◇
それは禁断の地。
忌まわしい伝承、不可避の呪い、穢れた亡国の跡地。
様々な噂があるその場所に、おいそれと足を踏み入れるものはほとんどいない。いてもそれは一攫千金や幻の財宝を夢見る愚か者であり、大抵はその地に自らの身を捧げる行為を行うだけ。
禁忌に触れたものに、帰りなどはない。ただ静かに土に還るのみが、その運命。
そんな場所に、ぽつねんと少女が一人。
黒い外套で身を覆い、目深に被ったフードの隙間から周囲に視線を滑らせる。
目当ては一つ、たった一つきり。
懐から取り出したるは、迷宮の森にて見つけた月光石。
この採集のせいでまた時間が掛かってしまったが、仕方ない。
空は暮れてすっかり夜。月の形はまだ丸みがある。
だが、今の技量で敵うだろうか。
失敗しそうな予感がしたら、すぐに退散しよう。
念の為、転送術を書き込んだ魔石に紐を付けたものを首から下げて、すぐに使えるようにしておく。これでよし。
「……さて。始めるか」
ミゼラティは月を一度見上げ、それから前を向いて深呼吸。月光石を手に、目の前の空間に術を描きあげていく。
「……こちらは幼女だから、躊躇ってくれると思いたいが」
そんな事を呟く間に術は完成し、ミゼラティの姿は空中に溶けるように霧散した。
◇ ◇ ◇
白く美しい一角獣は、首に何かが当たる感覚を受けて目を覚ました。
視線を落として僅かに見えたのは、細く澄んだ刃を握る小さな手。それから、首の後ろにある小さな塊の微細な存在感。
重みも気配も全くに感じられないそれは、背後から囁くような声を投げてきた。
「こちらの言う通りにしてくれれば、危害は決して加えないと約束しよう」
宣告は無礼で物騒なものであったが、声は凛々しくも幼子の声でいて聖獣は軽く困惑する。
それでも刃に怯むことなく聖獣は口を開いた。
「先ずは問う。其はなにものか」
すれば背後より応え。
「汝が角の契約譲渡を求めるもの」
一角獣は――聖獣たるユニコーンは嫌悪で表情を歪めるが、幼子の声に邪たる気配はなく、ただただ透明でいたので会話を続けることにした。
「何ゆえに、我が角を求めるか。売って愚劣な財と成すか、それとも聖者の真似事でもして滑稽な名声を得るか」
「……、……護身武器にしようかな、と」
「……なに?」
「様々な試行錯誤の結果、君の角が魔術の媒介兼護身武器に丁度いいな、と思って……それで、ねだりに来たわけだが……難しいだろうか?」
緊張めいた雰囲気とやりとりは、どこへやら。
幼女は幼女らしからぬ口調ながらも、素直な答えを口にした。
この神獣たる白き一角獣の貴重な角を、富でも財でもなく――護身武器?
もっとも、前例がないわけでもない。
槍や杖に加工された武器として極僅かに存在しているが、しかし「契約譲渡」されたものはほとんどないのが現状だ。
一角獣の角は聖なる力を宿しており、毒や瘴気などの浄化に特化した優れものであるが、それは一角獣自身が相手を認めた上で契約して譲り受けたものに限る。何故ならば、一角獣の意思を問わず契約せぬままに得る輩も居るからだ。
しかしながら、そのような悪辣たる手段で得た先に甘い話などありはしない。
強奪された角は何の効力も無い物質と成り果て、大体は穢れてくすんでしまう。
最悪、黒く変色してその価値を全くに失うだけでなく、獲得者自身を確実な不幸へ導くものとなる。
それはまるで、一角獣の呪いが如く。
そうした訳ありな角を求め、一人夜中にやってきた幼女。
しかもここは禁足地。一角獣はますます困惑し、それから――この幼女に興味を抱いた。
「我が前に姿を見せることは可能か、幼子よ」
「……ああ。君が何もしないなら」
「なれば、前へ」
「分かった」
背後の存在感が消えたと思った次には、一角獣の前に幼子が立っていた。
刃はどこかへ納めたのだろう。フードを脱いで顔を上げた幼女は、黒い瞳と肩までの黒髪の容貌をしていた。
黒の外套は一見すると単なるボロだが、どうしたことか聖獣の目を引き付ける。
例えるなら今が夜。濃紺に墨を溶いた黒の色彩に浮かぶ煌めく宵の星を思わせるような不思議な美しさ。夜の中でも目に付く黒の気配は外套のせいだけではあるまい。
聖獣の目ですら見抜けぬ黒の星。あのボロの下にはきっと煌めく何かが潜んでいるのだ。
夜の帳の向こう側。そこに強く興味を引かれ、惹きつけられた一角獣が口にするは自身のこと。
「我が名はヴァリェタ。美しき宵の子よ、其が名は何という」
「……何故、名前を? 契約しないなら、そう言ってくれ。私は諦めて素直に立ち去るから」
「契約するが故に名を訊いたのだ。さあ、我に名を告げよ」
「お、おお? えっと……、……それは、真名でないと駄目だろうか?」
「偽名では契約となりえぬ。何か問題が?」
「……諸事情というか、運命の回避というか、その……少し難しいものを抱えていて。それで、真名はちょっと」
「――ふむ。では、音無く告げてくれ。その上で欺きの名を言うといい」
「それで良いのか?」
「我が意が為す契約だ。問題はない。我が前に両手を差し出し、名を告げよ」
「分かった。ありがとう、ヴァリェタ。私の真名は――」
無音にて、幼女は真の名を明かした。
一角獣ヴァリェタは頷き、目を閉じて項垂れる。
眩く一閃する光。
それが消えた後には、ミゼラティの手に純白の角が一本乗せられていた。
重量感のあるしっかりとした見た目の割には軽く、ミゼラティは少し驚く。
「……重くないんだな。それに、とても……ああ、凄く美しい」
「契約譲渡にて正当な手段で得たものはそうなる。真正たる証拠だ」
「ありがとう。無礼な手段に出たというのに、譲ってくれて嬉しい」
「礼ならば、言葉よりも欺きの名も告げていけ、美しき宵の子よ」
「ああ、すまない。――ミゼラティだ」
「……成程。真たるものからはそう離れていないのか。良きことだ」
「あまり歪めると、自身を見失いそうな気がしたんだ。……忙しないが、私はこれにて失礼させてもらう」
「汝が望めば、我が送るが?」
「いや、流石に君の存在は目立つし、隠者たちに目を付けられると厄介だ。気持ちだけ受けとっておくよ。ありがとう」
「そうか。謙虚なことだ。ならば、ここで見送ろう」
「そうしてくれると助かる。さようなら、ヴァリェタ」
「さらばだ、ミゼラティ」
幼女と聖獣は互いに見つめ合い、微笑を交わして別れた。
月を見上げて、聖獣が目を細める。
「良い夜だ。良いものを見たし――良き星を見つけた」
静かに笑い、聖獣はまた静かに眠りにつく。
小さな宵の星にいつか再会できることを願いながら、穏やかな表情で夢の中へ沈んだ。
それは曙光にも似ていた




