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1-13 虎口を逃れて龍穴へ

 


 ――過剰な期待は禁物だと解っていた筈だった


 少しばかり差した光につられ、浮き上がった海の上。

 待ち構えていたのは陸に引き揚げてくれる手ではなく、終わりに至るしかないいつもの破滅。

 だから、希望は見ない。考えない。

 そういう考えで生きていたのに……好物につられ、うっかり気持ちを高揚させすぎたのがまずかった。


(味も匂いも悪くないのに、がっかりするのは何故だろうか)

 黄金のアップルパイを前にしたミゼラティは、それを咀嚼しながら何とも言い難い表情を浮かべていた。

(生地はサクサクだし、リンゴも甘くて美味しいんだけど……何だろうな、この物足りなさは)

 自分でも戸惑う、理不尽で不可解な感想。味覚は美味だと認めているのに、感情が認めていないのだ。いつかの過去、レクスミゼル邸で食べたアップルパイはこうではなかったのだが。

 それともあれが、あれだけが特別だったのか。一切れだけではあったけれども、一口だけで素晴らしく美味だった。(あれを食べる度にいつも泣いていた。嬉しくて。悲しくて。蜜色の小さな温もりだ)


 もう一つ考えられるのは、口が贅沢になってしまっているのかもしれないということ。しかしながら高級な体験はせいぜい数度、両手にも満たない程度しかないので首を捻るところではある。

 なにせ初めの四回で兄弟たちに悉く冷たくされ、次の四回で挽回しようにも結局は名を呼ばれることなく、不遇なまま人生を閉じるという結末を経ている。

 そんなわけなので、九回目からは令嬢を捨てて自身の修練のみに集中した。柔らかい寝台はいつしか冷えた地下牢、もしくは家畜の寝床の藁の上が通常となり、食事も粗末な物になった。

 それもやがて慣れたのだろう、昔の上質な生活に後ろ髪を引かれるといったことは無く、以降は図太く生きてきたので舌が肥えるほどの経験は積んでいない。別の苛烈な経験値は貯まっていったけれど。


(繰り返すうちに、味覚にも変化が生じている……とか?)

 自身の相反する気持ちに眉を寄せつつ、それでも大人しくアップルパイを食べていれば。


 ――ぴしり、と。


 一瞬、空気が固まるような気配があった。両側で。同時に。

 僅かな緊張が走るのを感じ、ミゼラティは思考を中断させる。

(次兄殿たちが警戒態勢に入ったな。何だろ――う?)

 もぐもぐと咀嚼はそのままに、視線を皿から前方へと向けてみれば、そこにいたのは……。



 ◇  ◇  ◇



(……極楽鳥かな?)

 冷たく澄んだ夜に見ることが出来る虹色のカーテンの如く、身に纏うにはどうにも奇抜な……いや、目に痛い……いやいや、華美なご令嬢がそこに居た。

 年齢は、次兄たちと同じくらいだろうか。

 つり目気味の相貌だが、顔立ちはそれなりに整っている。可愛い、というよりは美人の類い。

 目に鮮やかなドレスを変えれば、彼女はもっと魅力的になるんだけどなあ――と、ミゼラティは少し勿体なく思いながら彼女の横に視線をずらす。

 傍らには、黒尽くめのスーツ姿の男たちが四人ほど。

 視線の配り方と立ち振る舞いから、恐らくは護衛だろうこと、そして彼女の身分がそれなりに高いことが窺える。

 彼女と護衛たちは、かつかつと靴音を響かせてミゼラティたちがいるテーブルの前へとやってきた。

 真っ直ぐに歩いてきたので約束していたのかと一瞬思ったが、双子の態度を見るに違うらしい。


 ――カツン、と立ち止まる足音。

 令嬢は剣呑な目をした双子の対面に立つと、これまた極楽鳥の尾羽か?と問いたくなるような扇で口元を隠し、くすりと笑う。


「ご機嫌よう、ロゼ様、シュヴァ様」

 挨拶を受けた双子の少年は互いにそっと視線を交わし、鋭い目つきはそのままで令嬢に応じる。

「こんにちは、ハイドランジア嬢」

「……どうも、ハイドランジア嬢」

 ロゼウスもシュヴァルツェも、先程までの陽気な雰囲気や気さくな態度は何処へやら。

 辛うじて笑みらしきものを浮かべているが、貼り付けたようなそれは冷めた眼差しと同様に温度が無い。

 それでも彼らは相手が女性である為か、軽く一礼をして礼儀を返した。

 愛想の欠片も無い態度。それを隠そうともしない彼らに、令嬢が片眉を上げる。

「あら、冷たいこと。先程まで楽しそうに談笑していらしたでしょうに」

「そうだね、けれど貴方には関係のないことだから。それと、先に言っておくけどこの席はもう満員だからね。なあ、シュヴァ?」

「ああ。ロゼと俺たちは、アナタには全く関係のないことで盛り上がっていてな。だから、参加しようにも生憎とパスは無いんだ」

「……」

 極楽鳥の扇を持つ手をピクリと震わせ、令嬢が気色ばむ。

 唸るような憎悪の気配。

(うわあ、修羅場だ。いや「阿修羅場」だな。……凄まじいことだ)

 黙々と食していたミゼラティは、巻き込まれては敵わないとばかりに少しばかり俯き、彼らの視界に入らないように心持ち背を丸める。

(構って欲しければ、もう少し柔らかい態度で話しかければいいんじゃないかな、お嬢さん)

 心の中で助言めいた言葉を吐いておいて、幼女はこっそりアップルパイを消費していく。

 極楽鳥――もといハイドランジアの令嬢は、双子の冷めた態度を受けても引き下がらなかった。

 気を取り直したように一度、扇を軽く動かすと途切れかけた会話を再開させる。


「私たち、もうすぐ初めての舞踏会でしょう? お二人共、まだ相手が決まっていないのなら――」

「――まだ時間はあるからね。『俺たち』は結構、ゆっくりするタイプなんだ。シュヴァは? 急いでたっけ?」

「いいや、ちっとも。大体、『俺たち』のことならヴァイス兄貴がどうにかするだろう。別に急ぐ必要もない。だろう、ロゼ?」

 分かる。うちの兄さんって過保護だよね?

 そうだな。身内にとことん甘い兄貴だ。

 そう言って、二人は顔を見合わせて笑う。目の前の令嬢を置き去りにして。


(笑顔なのに目が笑っていないなあ……)

 ミゼラティは驚いていた。

 彼らなら当り障りなく接してやり過ごすだろうと考えていたので、まさかこうも露骨に刺々しい態度をとってみせるとは思わなかったのだ。

 無視はしていないものの、あからさまに嫌悪を隠していない次兄たち。

 何があったのかと気になるところではあるが、首を突っ込む気はさらさらない。

 面倒ごとなど御免被る。

 とっとと食べて、さっさと抜け出そう。

 ミゼラティはそう決めて、残り一口分となったアップルパイを片付けるべくフォークを突き立てた。


 ――ザクリ。

 小さな音ではあったが、それはしっかり令嬢の意識を引き付けてしまう。

 顔を上げたミゼラティは、正面に立つ令嬢が極楽鳥の扇をバサリと揺らして自分の方に視線を留めるのを見た。



 ◇  ◇  ◇



「……もしかして、貴方がお相手かしら」

 蔑むような令嬢の目が、パイを頬張る幼女の姿を捉える。その視線は上から下へとゆっくりと滑り降り――値踏みする目だ――それから、顔へと止まって浮かべるは嘲るような笑み。

「随分と見すぼらし……いえ、素朴な方ね?」

 後で問題にならない為の予防線か。

 しかし訂正したあとの声には嘲笑が混じっていたので、何の誤魔化しにもならなかった。

 けれどもミゼラティは、「まあ事実だな」と令嬢の言葉を認めて内心で頷く。

 なにせ魔力で織った黒い外套の下は、今も奴隷か囚人が着るような粗末な服のままである。どこかで調達、もしくは購入しようと予定を立てていたのだが、生憎と次々に接近遭遇してくる兄弟たちに時間と意識をとられ、すっかり失念していたのだ。

 それでも、外套自体は脛の辺りまでの長さに設定して作ったものなので、これで上半身を包めば粗も目立たないだろうと考えた。

(よし。しばらくはこれで凌いでおいて、先ずは食糧の確保だ)

 ――と、身繕いを後回しにした結果が今の現状である。


 前述によりミゼラティは気にしていなかったのだが……左右の美少年騎士殿たちの気配が、とんでもないことになっていた。

 彼らを見ずとも分かるその気配は、敵意……いやこれは――。


(高級洋菓子店で「殺意」は盛大にマズいんじゃないかな、ご兄弟!)

 他人事ながら、額を押さえそうになる。

 六歳の幼女を男女の愛憎劇場に参加させないでくれ。情操教育に悪いと思わないのか。

 このままここにいると、舞台の上に立たされそうだ。

 腕を引っ張られる前に、退散しよう。


(――よし。菓子も片付けたし、帰るか)

 誘ったのはロゼウスだから、ここは奢りになるはずだ。

 そもそも、彼らのほうが身分も年齢も上であるのだし、貧相な幼女は遠慮なくご馳走になっておくのが礼儀だろう。

 ミゼラティが席を引いて立ち上がれば、その場の三人の視線が集中したので行動の意味を説明する。

「アップルパイも食べ終わったから、帰ろうと思って」

 それでは、お先に――と、テーブルを回って出入り口の方に向かう際、位置的に令嬢の横を通らざるを得なかったが、仕方あるまい。

 通り抜ける間際に軽く頭を下げれば、扇の下で彼女が呟くのが聞こえた。


「まあ。本当に薄汚い」

 近距離故に、ミゼラティが隠していた「粗」がよく見えたらしい。

 嫌悪そのものといった様子で吐き捨てたハイドランジア令嬢の声は、生憎と静かな特別席ではよく響いてくれた。

 怒りの形相で立ち上がり、何かを言おうとした双子の次兄達よりも先に動いたのはミゼラティ。

 背後を見ることなくスッと軽く片手を上げて「待て」という仕草を見せると、令嬢を見据えて自ら言葉をかけた。

「お目汚し失礼した。私はもう立ち去るので、君の不快はここまでだ。済まなかったな」

 そう言って、通り過ぎようとすれば――「待ちなさい」

 ぎゅっと。

 思いのほか強い力で腕を掴まれては、立ち止まるしかない。

 少女の拘束などどうにでも出来たが、ここで魔力を使うのはまずい。普通に彼女の相手をしてみようとミゼラティは考え、足を止めて振り返る。

「何か?」

 訊ねれば、相手はつり目を更に吊り上げて扇をひと揺らし。

「貴方。店の中ではマントくらい脱いだらどうなの?」

「ん?」

 想定外の言葉をぶつけられて、ミゼラティは一瞬きょとんとしたが、すぐに彼女の意図に気づいて「成程」と思った。

 外套下の「見すぼらしさ」を表に出させて、次兄達を幻滅させたいのか。

 ミゼラティは苦笑し――けれども、一定の良心はあったので――詠唱無く術の形成を行いながら、外套に手を掛けてゆるりと外した。


「えっ」

 ハイドランジアの令嬢が小さく驚いたのは、無理もないこと。

 確かにその目で見ただろうくすんだ色の服ではなく、別の衣装が外套下から披露されたのだから。

 足首までの長さの黒のゴシックパンツ。

 長袖の、これも黒のチュニックは胸元と両側の腰の辺りに深くスリットが入っており、真紅のリボンで編み上げられている。

 これも某騎士たちとの実践学習で得たものだ。早急に正体を隠し、身を潜める為の早着替え。(ともあれ、結局は魔女の匂いを嗅ぎつけられて追われるのだが。ああ、外見に惑わされない死の猟犬どもめ。)

「どうして」と眉を下げて戸惑う令嬢を見て、ミゼラティは「おや」と思った。

 強気な姿よりも、彼女は弱気なほうが可愛らしく見える。――なので、不可思議な光景を目の当たりにして硬直している彼女に近づくと、にっこり笑いかけた。

 流れるような動作で極楽鳥の扇をさり気なく取り上げて閉じ、それで彼女を指して話しかける。


「そのドレスは君に似合っていないから、別のものにすると良い」

 令嬢はハッとなり――顔を赤くしてミゼラティを睨みつけた。

「何を……貴方にはこのドレスがどれだけ高価なのか――!」

「――値段はさておき、君の魅力を下げているから、着替えたほうが良い。色彩が派手すぎて、君の美貌を消してしまっているんだ」

「えっ……び、美貌っ……えっ!?」

 侮辱されたと思った令嬢が、ミゼラティが続けた言葉を聞いて顔を赤らめた。

 怒りではなく、賛辞による羞恥で。

 ミゼラティの前に立ちはだかり、令嬢を守ろうとしていた護衛達もポカンとした顔をして動きを止めたので、これ幸いにと話を続ける。


「そうだな、君はその孔雀石のように美しい瞳と、柔らかな草色をした髪の色を生かすと良い」

 幼女の手が、そっと令嬢の目の縁をなぞる。

「双方ともに実に綺麗な緑系統だ。……自然の中にある天然の美を持つ色だというのを、君は知っているか?」

「し、しらない」

 令嬢の顔は真っ赤。

 罵倒し、見下していた幼女の浮かべる優しい微笑にすっかり捕らわれている。

「そうか。ならばこれから知ると良い。さて、ドレスの代案だが……控えめなシャンパンゴールドとかは、どうだろう?」

「で、でも、みんなは雑草のようで地味だって……だから私、このドレスを」

「それは彼らが真に色彩の魅力を知らないからだ。だから、君の美しさも理解できていない」

 困ったような顔をして告げる幼女は、本当に仕方がないなという顔をしていた。

 嘲った令嬢の美貌を、この幼女は嘘なく褒めている。


「わ、私は美しい、の? お世辞では、なくて?」

「初対面の者の言葉は信用が無いか? ああ、ならば、そこにいる美少年たちにも訊いてみよう」

 そう言いながら肩越しに振り返った先は、背後。

 腰を上げたものの、振り下ろす拳の行き場を無くしてこちらもまた動きを止めているロゼウスとシュヴァルツェがいる場所。

 ミゼラティは片手をひらりと振って、彼らに問いを投げる。


「ロゼ、シュヴァ。君たちの眼に彼女はどう映っている?」

 それはともすれば残酷な問い。

 しかし、返されたのは無慈悲なものではなく真実。


「……感情を抜きにした上で正直に言うと、綺麗だよ。……まあ、子猫ちゃんの言う通り、ドレスが少し派手すぎるけれど」

「俺もロゼに同意する。お嬢ちゃんに対する態度を一先ず抜きにしてみると、アナタは可愛いと思うぞ。……ドレスはともかくとして」

 素直に答えた彼らからは、敵意の色が消えていた。やりとりを見て、毒気も抜かれてしまったのだ。

 白旗を挙げるかのように苦笑を浮かべて、令嬢に真実を引き渡す。

「綺麗……可愛い……」

「――そういうことだ。ああ、まだ半信半疑なら、そこにいる君の護衛にも聞くと良い。身近にある確かな真実だ。さて、今度こそ私は立ち去るよ。ではね、極楽鳥のお嬢さん」

 そうして彼女の横を通り抜け、手にしていた扇は護衛の一人の胸ポケットへ差して返し、ミゼラティは誰も彼もが呆気にとられているのを余所にその場を後にした。颯爽と。


 少しして、先ず我に返ったのは双子の次兄達。

「子猫ちゃん」「お嬢ちゃん」と叫んで幼女の後を追いかけて行き、最後にその場に残ったのは令嬢と護衛の男たち。

 令嬢は、ぽつりと零す。


「……ドレスを買い直すのに付き合ってくれるわね、貴方たち」

 その声からは傲慢なものはすっかり消えていた。

 控えめな鈴のような少女の声。

 勿論でございますお嬢様! と答えた護衛達の顔には、どこか喜びの色が浮かんでいるようだった。



さりとて進むか戻るかは自己判断

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