1-11 幼女歩けば天敵に当たる
方向感覚を惑わせる霧が漂う薄暗い森。
獣道めいた道を、当てもなく進んで、進んで、進み続けたその奥に、ぽつねんと出現するは一軒家。
鬱蒼とした外観とは裏腹に、ドアを開けて中に入れば一転して小奇麗な造りと広さがあるその家の主は、六歳の幼女。
何もかもを諦観しながらも気怠い生を求めるその眼差しは、到底子供のそれではない。
幼女はベッドに腰を下ろし――ぎいっと鈍い音がしたが、体重のせいではなく簡素な造りの為だ――そのまま後ろに倒れ込む。
磔にされた殉教者のように両手を横に伸ばして天井を仰げば、自然と重い溜め息が出た。
今日は疲れた。本当に疲れた。
ようやく終わるこの一日の長かったこと。時の牢獄に閉じ込められたのではないかとすら思ったが、よくよく考えれば少しではあるが「一日」自体は過ぎている。
なので、正しくは二日間だろう――と訂正したところで疲労が消えるわけでもない。
こんな下らぬことを思うくらいだから、自分は本当に疲弊しているのだと自覚に至っただけだった。
ベッドサイドテーブルに置いた手提げ型ランタンが、仄かな光を放っている。
薄ぼんやりとした粗末な部屋の粗雑なベッドに大の字に寝転んだ幼女は、ゆっくり目を閉じる。
そうして顧みるのは、先程まで居たレクスミゼル邸での出来事――。
◇ ◇ ◇
懐かしい――などという感傷は一握も無かった。
あればここまで兄弟たちを忌避していない。
向こうには血縁者の絆があり、こちらには無かった。それだけ。
思い出も薄く霞むレクスミゼル邸は、外観から内装に至るまで特に変わった様子はなかった……と、思う。
ただ、奇妙に感じた点を上げるならば――使用人の数、だろうか。
それなりに広い屋敷であるというのに、来客を伝えに来た者を除いた他は姿を見なかった。
調理場や別の場所にでも籠っていたのだろうか? それにしては、人の気配が無さ過ぎた。
レクスミゼルは貴族の中でもかなり高い地位に属しているので、人件費や財源云々で雇用が厳しいという理由はない筈だ。
三十七回目の当世においては、ここもまた多少なりとも何かが違っているのかもしれない。
(……そういえば、「彼」も見かけなかったな)
彼の侍従長――義兄弟よりも近い距離で、養父よりもささやかな温もりをくれた存在――も、姿かたちどころか気配すらも窺えなかったことを思い出す。
幼女は考える。いやいや、彼は使用人を統括する立場でもあったから、もしかしたらどこかですれ違っていたのかもしれないな、と。
しかしながら、ふっと一抹の不安が過ぎった。
彼もまた他の使用人たちと同様に居なくなってしまったのではないのか。
気配すら感じ取れないのは、あの屋敷に居ないから。
……彼は存在していない?
だがそれは直ぐ否定された。
――そんなことは「あり得ない」。絶対に。
一時的に不在であっただけなのだろうと考え直し、疑問と不安を振り払う。
とかく欠片が足りていない。差異が多く、何もかもが情報不足。
こんな中での曖昧な予想は、時間の無駄でしかない。
色々と気になるところがあるものの、不明確な事柄について考えるのはこれまでだ。
別のことを考えよう――と思考を巡らせ、次の「課題」が脳裏に浮かんだ瞬間、はあ、と重い溜め息が零れた。それは疲労からではなく、自身がとった行動について反省する為の大いなる嘆き。
ああ、と零れたのは救済を求める信者のような声。
ついに名前を伝えてしまった。そのまま「名無し」でやり過ごせると思ったのに、自ら明かしてその可能性を無くしてしまった愚か者。
油断して落ちた眠りより目覚めた、深夜帯。ひとりこっそり脱出しようと部屋を抜け出た廊下にて、運悪く遭遇してしまったのは四騎士が長兄殿。
彼の人の妙に親しげで優しい対応に戸惑い、困惑した魔女カッコ仮がとったのは撤収行動。……断じて逃走ではない。戦略的撤退だ。
実力差はあるものの、対抗できる魔力は充分にあったので(魔獣サマサマだ、と感謝するのは犠牲者に対して不謹慎だろうから止めておく)、隙を見て背をつけていた壁に「出口」を作り、飛び込んだ。
行き先は不思議の国ではなく迷宮の森。粗末ながらも安全な我が家。
抜け出る間際、「せめて名前を残して行け」という声が背後から聞こえて――聞こえてしまったので、そんな義理も理由も無かったが、一宿一飯の恩が過ぎってしまった為に口をついて出たのが例の名前だった。
「ミゼラティ」
明かしたものの、実は真名ではない。
いつも碌に呼ばれたことの無かった名前だ。真実を伝えたところで何になる。――そうした考えが過ぎり、偽りにて騙り出たのがそれだった。
急な出来事でもあったので、その偽名には幾らか真名の名残がある。それでも真実は既の所で飲み込み錬成し直した名は、どうにかこうにかそれなりに聞こえる「名前」だと思う。
なぜ「名前」を明かす気になったのかは自分でも分からない。
もしかすると、呼んで欲しかったのかもしれない。
いまの眼差しで。いまの声で。幾度か望んだ温もり。小石の欠片程度でもいいから少しだけ、ほんの少しだけ分けて欲しかったという少女の祈りの果ての。
そんな少女も火にくべられていつしか消えてしまったけれど。
泣きじゃくった子供は灰の中。埋め火と共にどこかにあるのだろう。探す気はないが。
かつては「義妹」とだけ呼ばれていた。――「名前」ですらなかった。無関心の確たる証拠。
当時は密かにさめざめと泣き、それこそ刻々と嘆き、果てに恨み辛みを懇々と吐いて蹲ったものだが、時を重ねた今では「あの頃はまだまだ若かったなあ」と苦笑話として消化できるようになったので褒めて欲しい。
そうこうして時を重ねていく内に無関心も気にならなくなり、己の時間は自身の知恵と魔力と能力とを鍛えることに費やした。いつか、先に繋がる運命が掴めるかもしれないと考えて。
――しかし掴めずに終えた運命は三十六回。善も悪も経験し、天秤の何たるかを理解するのにかかった回数でもある。
それに生憎とこの魔女は諦めが悪い。
悪役存在というのは、得てして往生際が悪いものなのだ。
とことん足掻き、もがき、抵抗することこそ悪役が役割、その存在理由。
無様に散るよりは、閃華が如く鮮やかに――とでも思わないと、やってられない。……虚勢ではないし、強がりでもない、と一応言っておこう。
まあ、そんな矜持はどうでもいい。どうせ欠片ほども役に立ちはしない。
今は目の前に横たわる現実を見据え、生きて、生き抜いていかなければならないのだ。
――さて。何はなくとも先ずは三大欲求の一つを解消しよう。
腹が減っては戦も出来ぬ。――東国の文献で知った言葉を脳裏に浮かべつつ、災禍の魔女こと「ミゼラティ」は粗末な寝台の上で身を丸めて目を閉じると、明日に備えて眠りについた。
◇ ◇ ◇
小鳥の声どころか獣の気配すらない森の中では、時間の感覚も狂いやすい。
薄靄の漂う朝の空気は冷たいものの、眠気が残る頭をがつんと殴りつけてくれる。ありがたくも、しかしその冷ややかさで鼻の奥がツンとするのは少々勘弁してほしいところではある。
そんなこんなで始まった、三十七回目の人生二日目。
魔力織の黒外套を身に纏ったミゼラティが向かったのは、森を南から出た方角にある町サンズポルト。
前日に色々あった北ではなく、対極に位置した南を選択したのには訳がある。
ゲン担ぎというほどではないのだが、やはりどこかで感じるものがあったようで自然と足が向いた為にそのまま従うことにしたら、こうなったのだ。第六感的な何かは信じるべきだと考えて。
四騎士たちと遭遇した北の町とは距離がある上に大きな港町なので、人が多い雑踏にでも紛れ込めば目立たないのではないかと考えたのだ。
繋がった因果は断ち切りたい。これ以上の面倒を呼び込まない為にも。
――是非ともここで絶っておきたいのだ、しっかりと。
ミゼラティは、腰元に下げた粗雑な袋――裁縫は得意でないので、強度の高い草を加工したものだ――に視線を投げる。
袋の中には、錬成した魔石が四つ。混合錬金釜や合成フラスコといった一切合切の道具までは引き継いでいないので、庭先に簡易的及び実験的なかまどを作って錬成した。
質の方を優先した為に小鳥の卵程の大きさになってしまったが、今回は宝飾店に持ち込むつもりでいるので特に問題はない。
装飾品に加工しやすい大きさに加え、四大元素圧縮の成功により輝きに透明感が生まれたこれは最早、魔石というよりは宝石の原石。水準は十二分に満たしている。
(ひと月分にもなれば御の字だな)
子供ゆえに足元を見られるかもしれないが、想定値ならば売却、それ以下ならば別の店に行こうと算段を立てて、大通りを闊歩する。
交易品が多いのもあってか、街は人と貨物でごった返していた。ここだけは『いつも』変わらない。こういう場所なのだろう。
始終賑やかな活気と様々な格好の人間が多くいる中では、黒い外套を羽織った子供などはちっとも目立たない。現に、人の目はちっぽけな幼女よりも屋台に並ぶ飲食物や装飾品などに向けられているばかり。
いい雰囲気だ。そして実に良い状況だ。
通りの左右に並ぶ店を見回り、買うものに目星をつけ、それから魔石の売却先を定める為に屋台通りを抜けて町の一角に差し掛かった時だった。
「こーねこちゃん。どこ行くの?」
「……」
途中から、非常に覚えのある気配が後をつけてくるなと思った。しかし関わったら負けだと考え、無関心を決め込んで散策に興じていたのだが――甘かった。
四騎士が一人、次兄ロゼウス。
無言で立ち去ろうとした行動は、それより早くに近づいてきた相手に肩を抱かれたことで阻止される。
一人の幼女に体を寄せて、耳元で甘く囁く少年は十二歳。
「ね、ちょっとおにーさんとデートしない?」
「……君は何を馬鹿なことを――」
元服を済ませて早々に四騎士になっているだろう彼の行いは、到底看過できるものではない。幼女側はむしろ「看過したい」ほうではある。
心底嫌そうな顔をしたミゼラティだったが、途中で言葉を切り、振り払おうとした動作を止めた。
瞬時に理解したのは、彼の真意。
通りに置かれた、何の変哲もないガラクタの小山。
左右に点在するその影に、よからぬ気配。それらもまた後を付けてきていたのだが、四騎士のほうに気をとられすぎていて気づかなかった。
(――馬鹿は私だったか)
ミゼラティは眉間に皺を刻むが反省は夜に回し、現状に向き直った。
人数は、四、五人ほど。
気配の絶ち方と魔力の質量から、大した脅威ではないと判明したので安堵する。
なにせ真に警戒しなければならないのは、いま現在隣に居るこの四騎士が一人である。
この脅威と比べたら物陰にいる輩などは路傍の石、それこそガラクタでしかない。だが、もしも向こうが妙な動きを見せれば、それなりの対処をしなければならなくなる。
あの手の輩に効果的なのは、色欲系統。なれば幻覚、幻惑、淫蕩……いやいや、六歳の幼女が使用して良いものではない。特に、四騎士の前では。
(――面倒臭いなあ)
溜め息を吐いて大人しくなった幼女を見て、何を感じたのか。
少年らしからぬ少年ロゼウスは目を細めると、優しく微笑みかける。
「成程。ヴァイス兄さんの言った通り、敏い子だね君は。よし、じゃあ――可愛い君にはこのロゼお兄さんがケーキを奢ってあげよう!」
後半の台詞をわざと大きな声で述べておいてから、ロゼウスは小さな肩を抱いたまま歩き出した。
すれば、物陰の気配がぎょっとしたように震えて騒めく。
しかしながら、反応はそれだけ。
諦めたのか、それとも――?
彼の輩たちはついぞ姿を見せず、そうして幼女と少年は何事もなくその場を後にして、人の多い大通りへと戻っていく。
しかしながら、ミゼラティの顔には憂鬱な影が落ちていた。
なにせ、新たに別の脅威を迎えてしまったので。――否応にも、相手をしなければならなくなったので。
触らぬ騎士に祟りなし




