これから始まる未来
新しい旅を始めたくなりました。
今日も働いて、働いて、里親へ納める家賃を稼ぐ。
この里親のもとへきて、三カ月が経とうとしていた。
休む間は与えられず、昼飯だってまともに食わしてくれない。
おまけに、職場の上司と里親は結託しているので、何かあればすぐに報告がいってしまう。
地図の中でも北のほうに位置する港町のこの村では、年中雪が降っている。
今日は特に吹雪いていて、寒くて仕方なかった。自身の青黒い髪が吹雪に揺れていた。
里親から与えられた防寒具はあるが、どれもペラペラの粗悪品で、かろうじて毛皮がついているものの、寒さをしのぐには心もとなく、手足はすっかり冷え切っていた。
「スペード、大丈夫?」
この里親の家には、前の里親の家から一緒に引き取られた親友オズが話しかけてきた。彼の綺麗な金髪も雪がついて凍りかけていた。
俺は冷え切って痛くなった両手をスリスリと擦っているところだった。
「オズ。…はは、今日も寒いな。」
「…ふふ、そうだね。」
自分も辛いだろうに、オズはくすくすと笑った。
こんな劣悪な環境でも耐えていられるのは、親友のオズがいるからだ。
互いに支えあって、この三カ月の重労働をしてきた。
ここでは主に荷運びの仕事がメインだったが、まだ9歳の俺たちの体では、重たい荷は運べず、給金もそれだけ少なかった。
「はーーっ、腹減ったな。」
「そうだね。今日の晩御飯、あるかな…。」
軽い荷物の中から取っては運びながら、ひそひそ話す。
バレたら鞭打ちになってしまうけれど、正直話してないとやってられない。
「…ないんだろうな。」
「そうだよねえ…。」
そうして運び終わるとまた次の荷物を運んでいく。
まだお昼を過ぎたばかりで、仕事終わりの日没までは時間がある。
時間の流れが遅いことを呪いながら、黙々と体を動かした。
正直絶えずやることがあるのは有難かった。
ジッとしているほうが凍え死んでしまいそうだった。
そして理不尽なお仕置きを受けないためにも、必死で働き、一日が過ぎること祈っていた。
日没になり、働いていた大人や俺たち以外の子供たちも解散し始めた。
職場の上司に今日の給金をもらいに行き、今日も少なかったね、と、オズと話しながら家路についた。
ここで給金の一部を盗っても、上司から給金の報告が行ってるので、お仕置きを受ける羽目になるだけだった。
俺たちにできたのは、誰もいない帰り道で、お互いに愚痴を言い合うくらいだった。
「はあ、まだ三カ月なんだな。早く出ていきたいよ。」
この国では、孤児院にいる子供が多く、ある程度大きくなったら一年ずつ里親を回っていくようになる。
毎年里親が変わるのは色々と理由があるが、少しでも多くの子供を孤児院から出れるようにするためらしい。ほとんどの家は厳しい審査にクリアした善良な家が多いが、今回の里親のような家もある。
「うーん、まだ出ていくのは出来ないけど、そう出来れば本当にいいのにね。」
毎日働いて、帰っても家事をやらされ、寝れるのは今日も日付が変わるころだろう。
「こら、スペード。怖い顔してるよ!余計なお仕置きもらっちゃうから、気を付けて!」
「う、家まで少しあるしいいだろ…。」
「だーめ。家でもつい出ちゃうよ。」
「あー、そえはやばいな…。我慢するよ。」
手袋越しに顔をムニムニとほぐす。
「それよりさ!昨日はどこまで行ったっけ?」
「あー、確か、南の有名なお祭りじゃなかったか?」
そうだったね!と、わくわくした表情で、次はどこ行く?と促してくる。
帰り道の楽しみの一つ、空想旅だ。
いろんな地域を頭の中で回って、旅をしている。
そんな事が出来るのも、前の里親が、たくさんのことを教えてくれたからだった。
たくさんの本が並ぶ部屋で読み聞かせてもらった時間が、前の里親とのほとんどの時間だった。
「あの地域では特徴的な屋根の家があったよな。」
「そうそう!それで、家ごとに玄関にマークがついてたよね。僕たちならどんなマークにする?」
「そうだなあ…。」
そんな楽しい時間もあっという間で、港からそんなに離れていない里親の家へとついてしまう。
「今日もあと少し、頑張ろうね。」
互いのこぶしをこつんと合わせながら、励ましあう。
「おう、頑張るぞ。」
ガチャリとドアを開けた途端、ガラスでできた何かが俺の頭に飛んできた。
ガッシャーンと派手に音を立てて、割れた破片が足元に散らばった。
オズと話すのが楽しくて気付かなかったが、部屋の中からはいつから言っていたのか怒声が響いていた。
開いたドアから見えたのは、俺への罵声を叫びながら、奥さまと隣の家の人に抑えられていた旦那様だった。
頭の痛みも忘れて、オズは無事かと後ろを振り返ろうとしたところで、俺の記憶は途切れた。
次に目を覚ました時、見知らぬ天井が目に入った。
「あれ…、おれ、は…。」
「っスペード!!」
何があったんだと言おうとした所で、オズの悲痛な声が耳に響いた。そのまま温もりに包まれる。
「ああ、良かった…。もう目を覚まさなかったらどうしようかと…。」
オズは俺を抱きしめたまま泣き出してしまった。
「おず…。…いだっ!」
起き上がらうとすると、頭に鋭い痛みが走った。
「スペード、駄目だよ!君の頭には旦那様の灰皿があたったんだから!」
「はいざら…。」
そうだ、あの日、ガラスが頭に当たったな…。あれは旦那様の灰皿だったのか…。
「頭から、血がだらだらでて、びっくりしたんだから…!」
「そう、だったのか…。」
すると、オズの声を聞きつけた家主らしき人が顔を出した。白いひげが長い、優しそうなおじいさんだった。
「おや、目が覚めたかい?自分のこと、何があったか覚えているかな?」
「あ、はい。俺はスペードで、頭にガラスが当たったことまでは…。」
そのまま部屋の中に入ってきて、横になったままの俺の体を診始めた。
「そうか、それは良かった。何故あの出来事が起きたのかは聞いたかな?」
「いえ、まだ。」
「ふむふむ、分かった。…とりあえず、頭の傷以外は大丈夫そうだね。良かった良かった。」
まだ寝ているように、と言われ大人しく従う。
「ここは孤児院と連携している病院だよ。知ってたかい?」
「いいえ。」
そうか、病院だったのか。里親の家から遠く離れた場所なのだろうか?
「里親制度に同意している村や町には必ず建てられているんだ。ちなみに、君たちの家からそう離れてないんだよ。」
疑問が顔に出ていたのか、おじいさんは傍の椅子に腰かけながら答えた。
「ちなみに、治療費は国が持っているからかからないよ。安心してね。」
「そ、そうなんですね。でも、なんでここに…?」
倒れるときに周りに人はいなかったし、おじいさんも見かけなかった。
「僕が知ってたから。」
すると、今まで黙ってみていたオズが口を開けた。
「前の里親、おばあから聞いて知ってたんだ。もしもの時は病院があるって。」
「え…。」
医者のおじいさんが来てから泣き止んでいたオズは、エメラルド色の瞳を潤ませ、再び透明な雫をこぼし始めた。
「黙っててごめん…。スペードは素直だから、旦那様に逃げられるかもって思われたらもっと酷い目に合うと思って…、言えなかったんだ…。」
俺は横たわったまま、オズと目を合わせた。
「いいんだ。助けてくれたことに変わりはないし、何よりオズのおかげで俺は生きてるんだから。」
「うっ、うう。っごめん、ごめんねスペード…。」
泣き止んでほしかったが、手を握られて余計に泣かせてしまった。
「ごほん。…それで、このことはさすがに上へ報告せざるを得なくてね。君たちも保護しないといけないし。何故こうなったのか、金髪の君…、オズ君だったか?知ってるのかね?」
オズは握っていた手を離し、ぐいっと涙をぬぐった。
「…はい。スペードがドアを開けた時から、『あの人殺しのせいで!』とか『あいつがいたから俺たちの子が!』と叫んでいました。…たぶん、奥さまに子供ができていたけど、原因は解りませんが流産したのかと。」
「ふうむ。なるほどね。それをスペード君のせいにして怒っていたと。」
おじいさんは長いひげを梳くように往復させながらうなった。そして俺に視線を移し続けて言った。
「なぜそんなに怒ったのだろうか?君が直接何かした…わけではなさそうだが。」
俺は少し躊躇ったが、正直に話した。
「…実は、俺が生まれた時、双子だった妹は死産だったんです。そのせいで実の父親からは『人殺し』と罵られ捨てられました。その話を旦那様は知っていて、よく『人殺し』だからと、俺を殴っていました…。そのせいだと思います…。」
おじいさんは、なるほどね、と目を閉じて納得したようだった。
「その暴力と労働はいつからかな?」
これにはオズが答えていた。
「引き取られた当日からです。この家ではルールがある、と言われ、守れなかったら罰があると…。」
「…そうか。村の医者として、気付かなくてすまなかった…。だからこそ、次の家では安心して過ごせるように約束しよう。」
おじいさんにそう言われ、俺たちは顔を見合わせた。
「なんだい、まだ何かあったのかな?」
普通なら喜ぶところなんだろう。不思議そうに、まだ安心材料は足りないだろうか、とおじいさんは聞いた。
俺たちには考えていることがあった。
しかし、それ以前に。
「どうせ、まともな里親なんてそういないだろ」
「うん…。おばあ以外で優しかった里親さんなんていなかったし…。」
それを聞いて苦虫をかんだような顔をされる。
「…そうか。今までにも規約違反の里親が多かったようだの。それも謝罪しよう。管理が行き届かず、すまない。」
おじいさんは謝ってくれたが、正直なんとも思わなかった。
部屋には沈黙が流れる。
沈黙を破ったのはおじいさんだった。
「さて、まだ聞きたいことはあるが、一番知りたいのは君たちの意思だ。これから先、どうしたい?」
俺はすぐに口を開いた。
「俺は準備でき次第、すぐにでも旅に出ようと思っています。」
横でオズが息をのむ音がした。
「ほう。旅に出るにはちと早いが、分かった。準備させよう。」
それから、と、おじいさんはオズへ視線を向けた。
「君は、どうしたい?」
「ぼく、は…。」
少し身じろぎして、下を向きオズは黙ってしまった。
そしてしばらくもじもじしていたが、ようやく上げた顔は決意が決まった表情だった。
「…僕はもう少し里親のもとにいようと思います。出来れば、知識を学べる新しい里親のもとがいいです。」
「うむ、あいわかった。そうなるように力を尽くそう。」
「ありがとうございます。」
お礼を言って頭を下げるオズ。
俺は疑問があって口を開いた。
「でもいいんですか?旅の準備は、普通なら最後に見てくれる里親がすることなんじゃ…。」
おじいさんは俺に視線を移し、優しい目で見つめた。
「かまわない。今までも次の家や旅を支援することはよくあったことだ。君たちが気にすることは、何もないよ。」
そうして両手を伸ばし、俺とオズの頭をなでた。
「本来なら子供は何も気にせず、当たり前に愛情と保護を受けるべきだと思っている。それをさせてやれなくて済まない。…これでも、それなりの地位にいたんだがの。まあ今は、ただの老いぼれだがね…。」
撫でていた手を下ろし、おじいさんは続けた。
「しばらくはここに泊まるといい。あとでベッドと必要なものをもってこさせよう。それじゃあ、ゆっくりしていてくれ。」
そうして部屋から出ていき、俺たちは二人きりになった。
よろしくお願いいたします。