そして、王立学校へ
空はとても澄み切っていた。雲が強い風に吹かれ、うねるように動いている。僕は丘にいて、邸宅を眺めていた。ブラッドフォード家はいつものように平穏な佇まいを見せている。風は少し冷たく、もうすっかり秋になっていた。
「ウィリアム。こんなところにいたのね」
美しい長い髪を風になびかせて、姉が後ろに立っていた。
「戻ってきていたんですね。お疲れ様」
姉はアーサーとアン王女のところで目下修行中である。魔法の修行のほか、マナーや教養までも叩き込まれているらしい。魔法も少し使えるようになっているようだ。修行は厳しいようだったが、めげずにきちんと通っていた。
「もう散々だわ」
姉はうんざりしたような顔をしていた。
「でも、良かったでしょう。修道院で一生暮らすよりは」
「そうね」
彼女は僕の隣に勢いよく座り込んだ。ふわりといい匂いが鼻をくすぐった。
「あなたには感謝しているわ。だから、なんでもお礼してあげる」
僕は彼女の顔をマジマジと見た。素直に感謝されるのはこれが初めてだった気がする。
「な、なな、何よ。なんでもって言ったって、その…… 限度があるわよ。私たちまだ子供なんだから」
姉は顔を赤らめて慌てる様子を見せていた。まあ、いつも通りの姉だった。
「どうしたんですか、急に。何か心境の変化でもあったんですか」
「まあ、ね」
風が止むと、日差しの温もりを急に感じた。ここはひだまりになっていた。
「そうですね、今のところ頼み事はないんですが…… 一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「前の人生ではどんな生活をしていたんですか?」
姉は少し考え込むようなそぶりを見せた。
「どんなって言ってもねえ。そうね、魔法は使えないけど、襲ってくるような魔族はいないから平和だったわね。国によっては違うけど、私の国では王様も貴族もいないしね」
「あんまり、想像つきませんね」
では一体誰が統治しているのだろうか。
「いろんな娯楽があって、毎日が楽しかったなあ。そう、学校のみんなと毎日ワイワイ楽しく遊んで、自動車… うーん、鉄でできた箱みたいなやつに乗って家族で色々なところにも出かけていったりしていたわ。まあ、そいつにひかれたんで、こんなハメになったんだけど」
彼女は両目を閉じ、心もち上を向いた。遥か彼方にある記憶をたぐりよせているのかのように。
「そうそう、親友に教えてもらって、乙女ゲームを始めたんだっけ。ひろみちゃんどうしているのかな。お父さんもお母さんも、私がこんなことになっているなんて思いもしないだろうな。私が貴族になったなんて、馬鹿らしくて誰も信じてもくれないだろうな」
風がまた強く吹いてきた。彼女は僕の方に身を寄せて、頭を僕の肩にもたれかけてきた。
「記憶が甦った時、とても、混乱したの。この世界で生きていた記憶と、前の世界で生きていた記憶がこんがらがって。悪い夢かと思ったけれど、朝起きても元の世界には戻れなくて、心配で、不安で、孤独で、寂しくて悲しくて、どうしていいかわからなくなって…… そして、私が悪役令嬢だってわかった時、絶望したわ。どんなに頑張ったって、何をやったってこの世界では無駄なんだろうって」
ゆっくりと姉の体温が伝わってくるのを感じた。
「あなたに許してもらえて、そして、味方になってもらえて本当に嬉しかった。だから、今度、あなたに何かあった時、必ずあなたを助けるわ、絶対に、絶対にね」
「あてにしていますよ」
僕は笑ってそういった。彼女は僕の方を見て微笑むと、少し息を吸って、また話し始めた。
「本当はね。私、みんなのことを馬鹿にしていたの。どうせこいつらNPCとかモブなんだろうって。でも、全然違っていた。今回のことでも思い知らされた。そして、みんな、いろんなことに悩みながらもこの世界で必死に生きていた。だから、思い直したの、私もこの世界で真剣に生きてみようかなって」
彼女はスッと立ち上がって王立学校のあるあたりを指し示した。
「私は絶対に負けない。”破滅フラグ”なんかに。そして、みんなに恥ずかしくないぐらい、ちゃんとこの世界で生きていきたい」
僕は姉の真意を初めて聞いた。そうか、姉は僕と同じなんだ。僕も庶民から突然、貴族社会に放り込まれた。孤独だったり、不安だったり、悩んだり傷ついたりもした。異世界に放り込まれた彼女はもっともっと孤独で大変だったに違いない。
「きっと大丈夫ですよ。一緒に頑張りましょう」
僕がそういうと彼女は鮮やかな笑顔を見せてくれた。それはとても眩しくて、この世のものとは思えないほどだった。4年後、僕らはどうなっているのだろう。でも不安は感じない。
一緒ならきっと乗り越えられるはずだから。
もう僕らは一人じゃないのだから。
これで、第一部は完結になります。
評価⭐️やブックマークしていただけると大変励みになります。
よろしくお願いいたします。




