女帝(前編)
アン王女の邸宅へと馬車が走る。
彼女の邸宅は、王都の郊外にあった。
かつては王族たちの避暑地だったところだが、今はもう別の場所に新しい避暑地ができてしまったので、忘れられたような状態になっていた。
招待された貴族たちで大いに賑わっていただろう、この場所。
男性たちは近くの森に誘われて、もっぱら狩に出かけ、女性たちは一日に何度もドレスを着替えて、話に花を咲かせる。慣れない社交場で緊張する若者たちの姿もあっただろう。
ひと夏の夢のような賑わいはすでに失われ、秋の気配が漂う今の時期は、より一層のわびしさを感じさせる。そして、高い塀に囲まれている屋敷は、全てのものを拒絶しているような立ち姿にも感じられた。
僕は門に着くと、御者に少しここで待っていてくれと言った。
あらためて建物を見た。暗闇に覆われた屋敷には明かりがついている部屋もあり、もしかしたら、このどこかにアン王女がいるかもしれないと思った。
出てきた門番にブラッドフォード家のものが来たと伝えた。ブラッドフォード家の名前を出せば、通常の場合、応対してくれるのは間違いないのだが、アン王女であれば門前払いしてくる可能性がある。
しかし、こちらも簡単に引き下がるわけにはいかない。場合によっては、強行手段を使ってでも入り込んで直談判をする必要があった。
ただ、その場合、命の保障はもちろんない。魔王を倒したのはだいぶ昔であり、しかも今の彼女は両足がきかない状態だったにも関わらず、謁見の間での彼女は今なお凄まじい力を持っていたからだ。
門番はにこやかに応対してくれた。そして、ここで待っていてくださいと言って、屋敷の方に走っていった。
しばらく待っていると、一人の初老の男がゆっくりとした足取りでやってきた。白髪でヒゲを蓄えている。片眼鏡をつけていてしっかりとした身なりをしていた。
「遠いところをわざわざおいでいただきまして、大変恐縮しております。私は執事のセバスチャンでございます」
セバスチャンは耳に心地よいような響きを持つ声をしていた。
「僕はウィリアム・ブラッドフォードです。夜分大変申し訳ありませんが、アン王女にお目通り願いたいのです」
「もうすぐ夜の8時になる頃ですし、明日にしてはいかがですか? 主人には後で伝えておきますので」
「明日はもう姉の処分が実行されるのです。取り返しがつかなくなる前になんとしてでもアン王女に会いたいのです。その処分は彼女が決定したものなので」
執事の表情には同情するような変化が帯びていた。
「それはそれは。大変お気の毒に。しかし、主人は決めたことを覆すことは決してなされないでしょう。長年そばで勤めて参りました私が一番よくわかっています。それにもう時刻は夕刻を過ぎています。これからかけあっても、主人は誰とも会うことはないでしょう」
このままでは、門前払いになってしまう。そこで僕は過去の話をすることにした。
「アン王女は過去に慈善活動をなさっていましたね」
セバスチャンはびっくりしているようだった。
「なぜそんなことを突然言い出すのですか?」
「僕は過去に彼女に会ったことがあるのです。その時の彼女はもっと幸せそうでした。しかし、この間会った彼女はかつての表情を失っているように感じます。それはなぜなのですか?」
セバスチャンは少し考え込んでいた。
「数年前から、魔王の呪いのせいで立つこともできなくなってきたのです。それからは、屋敷に閉じこもりがちになっていました。そのせいかもしれません」
「アン王女は慈善活動をすることで、大戦の時に犯した罪を償おうと思っていたのではないのですか? それができなくなってしまったから、再び罪の意識に苛まれている。違いますか?」
「どうしてそれを……」
「僕はこう思うのです。厳しい処分を下したのは、僕の姉を許せなかったのではなく、アン王女自身が自分を許せなかったのではないかと」
「それはどういう意味ですか」
「あの大戦の後からずっと、彼女は自分を責め続けている。でも、それでは何も解決しない。僕は姉の処分を取り消してもらうだけじゃなく、アン王女自身を救いたいのです。わかってもらえませんか?」
しばらく考え込んだのち、セバスチャンは口を開いた。
「そうですね。主人がこのお屋敷にいるときは、夜になると裏庭に出て、星空を眺めていることが多いのです」
彼の目には少しいたずらっぽいような光があった。
「時々裏庭に通じる門が開いていることがありますので、後で見に行かなくてはなりませんな。では、私はこれで」
セバスチャンは頭を下げると屋敷に戻って行こうとした。
「ありがとうございます」
僕はお礼を言った。セバスチャンはこちらを振り向いた。
「お気をつけください。対応を一歩間違えると、あなたの命がなくなる可能性がありますよ。彼女は決して無作法な人間を許しませんから」
「はい」
「それから」
「なんでしょうか?」
「主人のことをよろしくお願いします」
◇
僕は御者にもう帰っても良いと伝えた。おそらく決着が着くまでは時間がかかるだろう。場合によっては……
馬車が自宅へと走り去る様子を見届けた後、僕は裏庭に続く門を探しにいった。
月が雲に覆われている。
通用門には鍵はかかっていなかった。そのまま門を通るとすぐに裏庭に出ることができた。一面に綺麗に刈り込まれた芝生。両サイドに手入れの行き届いた花壇。そして、正面にある建物の前で、車椅子に座っている一人の女性の姿が見えた。
気づいている素振りはない。
僕はゆっくりと近づき声をかけようとした。
「僕の名前は……」
瞬時に僕の足元に深々と亀裂が入る。彼女はこちらを見て言った。
「わかっていますよ。ウィリアム・ブラッドフォード」
もしかしたら、アン王女は僕のことを覚えているのか。
しかし、そんな淡い期待は、次の瞬間、簡単に打ち砕かれた。
「貴族社会に入り込もうと画策しているドブネズミ風情が。無相応な野心を抱いたものがどのような顛末になるのか、身をもって知るがいい」
今度は僕の首が薄皮一枚で切り裂かれ、血が首を伝って流れてきた。魔力を使っている素振りなどいっさい見せていなかったが、間違いなく風の呪文を使っている。
傷は浅かったが一歩間違えたら頸動脈を切り裂くことができるということを彼女は示した。つまり、彼女はとんでもない精度で、一瞬にして呪文を放つことができる力を持っている。
「一つ警告をしておきます。あなたが対応を誤るたびに、手足の内どれかを一本づつ切り落としていきます。それから、逃げようとしても無駄ですよ」
彼女の顔は威厳に満ちており、まさに女帝にふさわしい態度だった。
「それでは土足で上がりこんできたことについて、申し開きを聞こうじゃありませんか」
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