表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
五鬼堂 虎 の冒険譚  作者: Ryu-zu
1/1

おばあちゃん、がんばれー

()大おばあちゃん、逃げないと駄目よー」

()ほっとけ。どうせもうそんなに長くないんやし・・・

 ほっといてもそのうち野垂れ死ぬやろ はははは」


孫であるその男は笑いながら言い放った。

入り嫁であるその女はおばあちゃんの事を凄く心配しているが、その家族で孫である旦那がそう言うなら仕方ない。


()じゃあ大おばあちゃん、自分たちは下の中学校に避難するねー」

()れたら()てくれたらいいよ」

(可愛いひ孫)おおおばあちゃん、まってるねー」


ひ孫の可愛い別れの挨拶を聞きながら、人生の終焉に少しの涙が(こぼ)れ落ちる。




五鬼堂(ごきどう) (とら) 1926年/大正15年(昭和元年)寅年生まれの、2023年現在97歳になった。


大戦争も経験し、昭和の激動の時代を力強く生き抜いてきた豪快な女性だ。


戦後の闇市で一財産を築いたが、そのお金の大半はギャンブル好きの旦那に使い込まれてしまっている。

お酒が好きで、旅行が好きで、この時代の女性にすればかなりの運動神経の持ち主で、何をやってもそこそこ出来る技量も持ち合わせていた。

豪胆な性格で、仕事は出来るが遊び人だった旦那を、上手に(てのひら)の上で転がしたりもしていた。



数年前に山登りの帰りに(つまず)いて骨を折り、しばらく入院してから急に肉体が老けだした。


退院後も、近くのしあわせの村にあるリハビリ施設やジムに通っているけれども、元の筋力にはどうやっても戻らない。

プールやトレーナーを付けたり色々とやってはいるが、筋力も体力も気力ももう元には戻らない。



旦那はもう45年も前に若くして先立って逝ったが、再婚もせず自由気ままに暮らしていた。

15年ほど前に、先程の孫夫婦が居座り同居している。


息子はこのひよどり台住宅が嫌いで早くに東京に出て行った。

今ここに居る孫は、東京で下手(へた)を打って、この神戸に嫁と共に逃げてきた逃亡者である。




-- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- --


五鬼堂家の歴史は古い。


現在から1300年ほど前の奈良県生駒山に居座り、人間の子供を攫い食していた鬼の前鬼(ぜんき)後鬼(ごき)と言う夫婦を、時の呪術者で修験道(しゅげんどう)の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が説法し改心させたと言う逸話がある。


鬼の話はまた後日するが、この前鬼(ぜんき)夫婦には5人の子供が居た。


役行者(えんのぎょうじゃ)に諭され式鬼(しき)となった前鬼後鬼に(なら)い、修験者の修行のための案内や宿坊 (注1))を5人の子供が請け負っていた。


5人の子供はそれぞれ、五鬼上(ごきじょう)(中之坊)、五鬼熊(ごきくま)(行者坊)、五鬼継(ごきつぐ)(森本坊)、五鬼助(ごきじょ)(小仲坊)、そして五鬼堂(ごきどう)家は不動坊と言う宿坊を営んでいた。


だが、明治以降の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく) (注2))や修験道禁止令により、五鬼上家、五鬼熊家、五鬼堂家の3鬼坊が廃業し里を後にした。


五鬼継家は昭和35年まで頑張っていたが、その年に廃業。現在は五鬼助家の小仲坊だけが現存する。




義覚(前鬼)は195歳、子供である義達は147歳まで生きたと伝えられるが、人と交わり鬼の血が薄れていき、61代五鬼助(ごきじょ)義之氏は「もう自分には鬼の力はありません」と笑いながら言う。

現在は62代五鬼助(ごきじょ)義峰氏が代を継いでいる。


五鬼助家の男子には、代々名前に"義"と言う文字が入る。



五鬼の一族には少なからず有名、著名な人物も輩出している。

最高裁判所判事の五鬼上堅磐(かきわ)氏などはかなり有名である。




五鬼堂家は、離里した後の足取りがあまり記録に無いが、奈良から大阪を経て西へ西へと進み、主力の家人が長野県を目指した「五鬼熊家」の数人の残り人と共に、その大所帯は岡山県に移住した。


現在も岡山県の一地域に五鬼堂の名字が細々と受け継がれ残っている。


五鬼熊家は廃名してしまったんじゃないかと思われているが、元々の名字である「鬼熊」として受け継がれているかも知れない。

鬼熊の名字が長野県に多いのがその仮説の理由でもある。



岡山行のその道中で二組の夫婦が、神戸市の兵庫区湊川上流、石井川と天王谷川の合流地点、雪乃御所(ゆきのごしょ)と言う平清盛(たいらのきよもり)所縁(ゆかり)の地がとても気に入りそこに居着いた。


ここは、平清盛の別荘である雪見御所(ゆきみごしょ)跡地であり、春には大本の桜が綺麗な土地で、近くには古くからの温泉もあり、令和の現在でも1軒だけ湊山温泉として営業を続けている。


この辺りには、地獄の階段のある祇園神社を始め、五ノ宮神社、岩松稲荷、市杵島(いちきしま)社、烏原(からすがはら)神社などが、限定的な範囲に多数鎮座している。

平家物語の『祇園精舎の鐘の声・・・』は有名な話である。


雪乃御所地域も、現代では桜の木も少なくなり、旧史跡碑が建てられているだけである。

盛者必衰(じょうしゃひっすい)(ことわり)を垣間見た気がする。



衰退した原因の元は、源平合戦の平家の敗退にある。

ここ、平野(ひらの)地域は、平家により開拓開発鎮魂された土地ながら、源頼朝所縁(ゆかり)の地として歴史を紡いでいる。




神戸の歴史に興味のある方は、神戸の歴史 で検索してもらえればいくつか出て来ます。

とは言え、本当に詳しい歴史を語っているネット上の文献はあまりありません。

図書館で調べた方がより詳しい話が分かるかと思います。




-- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- --





(自治会員)五鬼堂のおばあちゃん、下の中学か上の小学校に避難してなっ」

(隣人)なんで孫らに連れて行ってもらわへんねん?」


(トラ)・・・」




(近隣のオジ)おぉおまえらまだ非難してへんかったんか、中学校はあかんぞっ!

 学校の周りに変な生き物がぎょうさん(たくさん)おるんやっ!


その日は朝から世間の様子がおかしかった。


あちらこちらの家の中から悲鳴が聞こえる。

あちらこちらの道から悲鳴が聞こえる。


窓から覗くと道端に寝転んでる人が多い。

道端で転げ回っている人が居る。

裸で黄緑色の子供が大人と戯れている。


今までの日常で見た事が無い光景だった。


(トラ)長い事生きとるが、ほんにこんな景色は初めてじゃなぁ・・・」


五鬼堂 虎は外の景色を見ながら愛煙の煙草を(くゆ)らす。

注¹):宿坊(宿房)は、主に仏教寺院や神社などで僧侶や氏子、講、参拝者のために作られた宿泊施設である。僧侶専用の施設は僧房ともいう。

:wiki宿坊より


注²):廃仏毀釈とは、仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、仏教を廃することを指す。

「廃仏」は仏を廃(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味。

:wiki廃仏毀釈より


出典:

鬼の子孫として役行者の教えを継ぐ

http://japan-heritage-yoshino.jp/special/interview04/


気ままに奈良ブログ

https://pocky53.blog.fc2.com/


日本遺産 吉野

http://japan-heritage-yoshino.jp/course/



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ