第9話 貴族の思惑
クラウディアは私室に戻るなりソファーの上のクッションを抱き締めたり叩いたり、埃をたてることに全力で取り組んだ。
「お嬢様、落ち着いてください」
「だって! ポールクレル様がとーってもかっこいいんですもの!」
「わかります、わかりますが、学校から戻られるたびにそれをされたら、クッションが壊れます」
頬を桜色に染めたクラウディアは、もう一度だけクッションを強く抱き締めてから腕の力を抜いて、ソファーの背にもたれかかる。
どれだけ気持ちを昂らせていても、本人の前ではただのお淑やかなご令嬢を演じきるのが貴族である。エヴァは肩をすくめて、水差しの水をグラスに注いだ。
「エヴァは『きゃーアルベール様かっこいい!』ってならないの?」
「なりません」
「ほんとに?」
「――なりません」
唇の端がふるふると震えるのを隠すため、エヴァは窓の外を眺めるふりをしながら部屋の隅へ向かう。
よりにもよって、アルベールが突然不穏な動きをした日にこの話題を振るとは卑怯だと思う。いや、卑怯と言ってもクラウディア本人は何があったか知らないはずであるが。
そうでなければ、さしもの大根役者であろうと「ええそうですね」などと澄ました顔で流すことができるだろう。
ポールクレルとクラウディアの勉強会のあとは、もうその日の出来事を思い出さないように心がけていた。
髪色が黒ではないことに気づかれたり、何気なく荷物を持ってくれたり、ポールクレルが差し入れにと持ってきたアップルローズタルトを、半分多くくれたり。
そのひとコマひとコマを振り返ろうものなら、決して真顔でクラウディアの世話なんてできやしないのだから。
「エヴァも貴族ね」
「仰る意味がわかりません」
窓の外はオレンジ色の空を背にして鳥が3羽飛んでいた。逆光の中の鳥は真っ黒で、どんな鳥であるかを教えてはくれない。
貴族のようだと思った。
けれども鳥は貴族と違って、自由に空を飛び、広い世界をその目に映すことができるのだ。
「ポールクレル殿下とご一緒に過ごす時間も増えましたし、きっともう誤解なさるようなことは……」
そこまで言いかけて、エヴァが口を閉じる。
クラウディアの魔力が発現し、婚約が成立してから今まで、クラウディアとルシアンが一緒に過ごしてきた時間は短くない。幼馴染のエヴァよりもずっと長く一緒にいるかもしれないのだ。
天才的なドジではあっても、他者を傷つけるような人物ではないと、ルシアンだってわかりそうなものではないか、と考え至る。
「どうかした?」
「ドジしたとき、プリメラ様にちゃんと謝ってます?」
「さすがに謝るわよ! それに彼女はとーってもいい子なので、ぜーんぶ許してくれるもの」
「は?」
クラウディアは、まるで自分のことのようにプリメラがいかに心が広い聖女であるかを語り出した。
鼻息も荒く説明する内容は、確かにエヴァでもびっくりするほど寛容なエピソードばかりで、クラウディアの起こした事件が全てドジのせいだと納得もしているらしい。
「それではどうして……」
問いかけて、エヴァはクラウディアの表情が見えづらくなっていることに気づく。空がオレンジ色を維持する時間はとても短い。
マッチを片手に部屋中の明かりに火を点してから、重いカーテンを閉じた。
プリメラが横恋慕した結果、クラウディアのドジを全て嫌がらせだと言って、ルシアンに訴えでもするのだろうと考えていたエヴァは、クラウディアによって語られるプリメラ像と婚約破棄が繋がらずに戸惑った。
「ルシアン様はプリメラ様を慕ってらっしゃるから、ご自分が信じたいものを信じる状態なのだけど、外野はわたくしがイジメたって言うの」
「なんです、それ。プリメラ親衛隊でも結成されてるんですか?」
「それが――」
クラウディアがクッションを抱えたまま、身を乗り出すようにして何か言いかけたとき、扉が乱暴にノックされ、返事を待たずに大きく開かれた。
「あ……お嬢様、それからエヴァも、心を落ち着けて聞いてください」
入って来たのは侍女長のアルマで、息を切らしているのはここまで走ってきたからに違いない。アルマの体は大きくて、ほんの少し走っただけでも息があがってしまうのだ。
エヴァが水差しに手を伸ばすのを片手で制したものの、息を整えるのには十数秒が必要だった。
「マテュール領に、新たな瘴気沼が発生しました。お館様からご連絡があっただけで、規模などの情報はまだこちらには」
エヴァとクラウディアが顔を見合わせ、クラウディアは小さな手を伸ばしてエヴァのエプロンを掴んだ。
アルマは、伯爵やクラウディアの兄トビアはしばらく城に籠りきりになるらしいと状況を告げ、「きっと大丈夫ですから」と一礼して部屋を出て行った。
――もうすぐマテュール領で瘴気沼が発生するわ。そしたら信じてくれる?
クラウディアが突拍子もない告白をしたのはもうひと月以上も前のことだ。あの日の預言の的中に、エヴァの心臓がばくばくと大きく動く。
これは、偶然か、必然か?
「マテュールの瘴気沼に、国の応援はあまり期待できないの」
「えっ」
クラウディアは掴んだエプロンを何度か引っ張って、エヴァと目が合うとソファーの座面をぽんぽんと叩いた。
逡巡したエヴァは部屋の扉に視線を投げてから、クラウディアの横へ腰をおろす。
「北の大規模瘴気沼の対応がうまくいっていないでしょ? それに王家は、神出鬼没だなんだと呼ばれるくらい強すぎるマテュールの力を少し縮小したいのよ」
水を口に含んで湿らせると、いつもより幾分か大人びた口調で言葉を続けた。
エヴァは慌ててグラスに水を注ぎ足す。
神出鬼没の二つ名は侯爵のジャエルにつけられたものだが、最近では転じてマテュールの兵の戦術にもその表現が用いられているのだと、どこかで聞いた覚えがある。
ロシュタルの国防について、大きく分ければ国境は各地の領主が主体で守り、国は援助をするに過ぎない。対して瘴気沼は国が責任を持って対応することになっている。
例えば領地が小さかったり農耕が主な産業だったりする土地には、瘴気沼が発生しても魔物と相対できるような軍備も技術もない。
一方で国境の守備を任された地域は、瘴気沼が発生したからといってその守りを薄くするわけにはいかない。だから国がやるしかないというわけだ。
「あまりマテュールの軍事力を削り過ぎても、他国からちょっかいを出されてしまうから、王家は生かさず殺さずを続けようとするでしょうね。
ちょうどメリリアの王子も滞在していることだし、マテュールと国境を接しているメリリア以外の二国もおいそれとは挑発できないから、じわじわ力を奪える」
ほぁ、とよくわからない言葉がエヴァの口から漏れた。
貴族らしい役割を求められずに流されるまま生きてきたエヴァは、貴族としてその生涯を捧げるべく生きてきたクラウディアの言葉に、意識の違いを感じさせられた。
ぽやぽやしているばかりのドジっ子令嬢は、世を忍ぶ仮の姿ということだ。
クラウディアの言葉は理解できるが、その結果どうなるのか、それが良いことなのか悪いことなのか、全く判断がつかないこともエヴァを暗い気持ちにさせるのだ。
「マテュール家の影響力の大きさは存じ上げていますが、まさかそんな」
「そのまさかよ。でも、重要なのはその後」
誰にも聞こえないようにと声をひそめたクラウディアの瞳は、イタズラに煌めいていた。
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