第7話 突然の手紙
少しずつ日差しの強い日が増えてきた。
庭の木は小鳥たちの避暑地になっているし、洗濯物は干したそばから乾いていく。
エヴァは庭中にはためく真っ白なシーツに満足しながら、水場の蛇口を捻ってタオルを水に浸した。
魔法を論理的に体系立てようと最初に思った人がどれだけ偉いかと、便利な道具を見るにつけ感謝するのが癖になっている。
だってこうしていつも冷たく清潔なタオルで汗を拭けるというのに、それらを開発した偉い学者先生のことは名前も知らないのだ。せめて心でお祈りでもしないと申し訳ないではないか。
「エヴァの髪は光に透かすと海のように青いのね、神秘的だわ」
「黒っぽく見えても紺ですからね」
「瞳はとーっても綺麗なスミレ色」
「ええ、目の色は唯一の自慢です」
いつの間にか庭に出て来ていたクラウディアを、追い払うようにして日陰へと誘導する。
まさか日射病なんてことはないだろうが、お嬢様の肌が焼けてしまったら侍女たるエヴァの責任である。
先週から学校が夏休みに入り、クラウディアは暇なのかエヴァの後ろをついて回っては、屋敷中のモノが面白い話をしていなかったかと尋ねるのだ。
エヴァに特殊能力があることも、その詳細について調べてもわからずに悩んでいたことも、クラウディアは知っていた。
前世のぱそこんげーむから得た情報だと言うが、であれば、エヴァは彼女の話を信じないわけにはいかないのではと、瘴気沼の発生を待たずして協力を余儀なくされている。
とは言え、クラウディアの驚きの告白からひと月前後が経過しても、状況は何も変わらないのだが。
「それで、突然褒め倒すだなんて、どんな魂胆ですか?」
「魂胆だなんて失礼だわ。わたくしはエヴァのこといつも綺麗だと思ってるのに! でも、そうね。あのね、さっきお手紙が届いたの」
いつも天真爛漫なクラウディアにしては珍しく、もじもじと煮え切らない態度で手の中の白い物体を差し出した。
立派な封蝋はエヴァでも見たことのある隣国の紋章によく似ているが、細部が少し違う。
受け取って中の書簡を取り出す。
クラウディアの表情や、エヴァの指先に伝わる上質紙の手触りに、差出人がポールクレルであろうことは疑う余地もない。
【――ロシュタル国の歴史の語り部として、第一に名が挙げられるのがサルトリオ家であることは、メリリアにおいても論を俟たない。留学の目的のひとつには友好国の歴史を正しく理解し――】
美しくも一文字一文字丁寧に記された筆致に、差出人の几帳面さや真面目さが表れている。
しかしこの手紙の訴えることは……。
「クラウディア様、これ、お勉強のお誘いでは」
「ね、エヴァもやっぱりそう思う?」
やっぱりもなにも、手紙には【国史についての特別講義をお願いしたい】と書いてあるのだ。
学校側の許可は取得済であることも、条件として学校内から出ないことや侍従を必ず一人以上そばに置くこと等も記載があり、読み違えようがない。
「お嬢様、これはチャンスです」
「チャンスって!?」
「あ、いえ、人間性を知ってもらうという意味でございます」
拳を握って、ふるふると揺れるクラウディアの目を真っ直ぐ見つめる。
なんの後ろ暗いところもなく、長く接点を持つことができるのであれば、クラウディアがまさか他者を苛めるような人間ではないと理解してもらえるのではないか、と考えた。
それはつまり、本人の願う「誤解されたくない」という思いを最も効果的に叶えるチャンスなのだ。
「そ、そうよね。確かにエヴァの仰る通りだわ。だからお願い、エヴァ」
「付き添いでございましょうか。侍女長から許可を得るにはお嬢様から――」
「お父様から言ってもらうわ。ね、お願い」
エヴァは思わず姿勢を正して大きく頷いた。
この屋敷の中で何をおいても優先される人物が口添えしてしまったら、エヴァの意思に関係なくそれは決定事項になるのだ。
お願いされずとも、近日中に命令がくだることだろう。
大切な手紙を握りつぶしたり、手汗でぐちゃぐちゃにしてしまう前に持ち主に返して、空になった洗濯籠を抱える。
ポールクレルとクラウディアの勉強会ならばつまり、あの目つきの悪い護衛騎士もまず間違いなく同席するはずだと思い至り、無意識に肩を強張らせた。
先日、学校で遭遇して以来アルベールのことを考えると動悸がするようになった。ストレスになるほど苦手だとは思わないが、別れ際の出来事が強く印象に残っている。
「ねぇエヴァ、貴女……アルベール様とはどういう関係?」
「へぁっ?」
取り落とした籠がエヴァの爪先を直撃する。恐る恐る振り返ってみれば、おもちゃを前にした子猫がそこにいた。
「だって、あのお二人の話をすると目がどこか遠くを見ることがあるんだもの」
「どういうって、お嬢様がご存じの通り、なにもありません」
それだけ言うと、なんでもない風を装って籠を拾い上げる。まともに相手をするのは上手じゃない。満足いくまでいたぶるつもりの顔をしていたのだから。
広い屋敷の中、クラウディアを撒くつもりで振り返ることもせず歩き回る。籠を所定の場所に戻し、綺麗な手ぬぐいを数枚持って厩へ。馬番に手渡してから庭へまわった。
サルトリオ家の庭は表も裏もしっかりと手入れが行き届いている。手をかけているマテュール家のタウンハウスよりもずっと。植物の種類には明るくないが、咲き誇る花々を見るのは好きだった。
「なにもあるはずないのに」
美しく手入れされた薔薇園に近づいて、深く深く息を吸い込む。甘い香りの中に、ほんの少しの土臭さとお日様の匂いが混じっていた。
だって、生きる世界が違い過ぎる。
エヴァがあの出会いの日を思い出す度にいつも辿り着く結論だ。
「なぜ?」
「だって彼は――なっ! お嬢様!」
いつの間にか背後に立っていたクラウディアは、ベゴニアの髪を揺らしながらエヴァを見上げていた。
かなり早足で歩きまわるエヴァの後ろをずっとついて回ったらしい。その瞳には、絶対に逃がさないという強い意志が宿っている。
「運動神経いいと思ってたけど、ただ歩くだけでも早いのね」
エヴァは息を切らせるクラウディアを見て、追いかけっこはおしまいだと言うように手を小さく振ってから、部屋に戻ることを提案した。
これ以上歩けば、お嬢様は筋肉痛で苦しむことになるだろう。
クラウディアは部屋に戻るなりソファーへとダイブし、静かな部屋に衣の裂ける音が響く。
ドジの発端は、こういう軽率な行動や見積もりの甘さが生み出すのだ。エヴァがそれを何度説明してもクラウディアの心には届かないらしいのだが。
「どこが破れましたか? あとでサラに補修をお願いしましょう、さぁ脱いでください」
「どこが破れたか、ドレスに聞いたらいいのに」
「衣類は言葉を覚える前に寿命がくることのほうが多いですよ。言葉を覚える方が先の衣類があったとしても、話はあまり聞きたくありません」
まだソファーに横になってグダグダしているクラウディアのかたわらで、エヴァは粛々とお茶の準備を進める。
どうせクラウディアは猫舌ですぐには飲めないのだし、お茶を淹れてから新しい衣類を準備すればよかろうと考えつつ、破れたのがドレスなのか下着なのかくらいは知りたいものだと肩をすくめた。
「まぁ、アルベール様は炎の騎士だものね。恐ろしいと思う人のほうが多いのかも」
「なんです、その炎の騎士って」
「有名じゃないの。アルベール様のことよ。彼は炎属性で、とーってもお強いそうよ」
手元の小さなコンロでチラチラ揺れる火を見つめる。
炎属性なら、コンロに頼らずとも日常の火に困らないのだろうか?
「ポールクレル殿下をお一人でお守りしていらしゃるくらいですから、そうなんでしょうね」
ポットにお湯を注いで、ふわふわのキルト生地のティーコージーを被せると、刺繍された百合がクラウディアの方を向くように調整する。
ティーンの女の子の持ち物にしては少し渋い印象の柄だが、クラウディアはこれがお気に入りだ。
上半身を起こして、ぼーっと百合の刺繍を眺める彼女のウエストで、破れたレースがプラプラと揺れていた。
紅茶が飲み頃になるまでもう少し時間がかかる。
エヴァは隣の衣裳部屋から、いまクラウディアが着ているのと似たようなデザインのドレスを選んで、ぼんやりしたお嬢様を立たせた。
「でも恐ろしいとは思ってないのね?」
エヴァは何も言わずに、着替えの手伝いを始めた。
彼のことはあまり思い出したくない。心がワサワサとくすぐられて、普通の思考ができなくなるような気がするのだ。
これからクラウディアに付き合って学校へ通ううちに、アルベールと定期的に顔を合わせなくてはいけなくなる。
あまり自分の気持ちと向き合ってはいけない。何事にも節度は必要だ。
「……秘密です」
クラウディアの問いかけるような瞳が諦めることを知らないようだったので、エヴァが代わりに諦めて、一言、話の終わりを告げた。
こぽこぽと、カップに紅茶の注がれる音が響く。
湯気と一緒に爽やかな香りが立ち昇った。色、香り、温度、どれをとっても完璧なタイミングだと、自画自賛していると、クラウディアが小さく頷いた。
「そうね、彼らがどんな人かなんて、知らなくていいことだわ」
「はい」
1日2話更新はここで終わりにします!
明日、第8話を投稿後、隔日更新へと移行いたします。ヨロシクオネガイシマス!





