第5話 初対面の男女
『アタシはクラウディアの頭が定位置よ! 早くクラウディアのところに帰して!』
去年の12月、エヴァの学年の卒業パーティーで、ポールクレルの手の中で一生懸命に声を張り上げていたのは、ダリアの花をかたどった小さな髪飾りだった。
ガエテル高等学校の最も広い多目的ホールは、金糸飾りをふんだんにあしらった赤や白の布で飾り付けられ、天井ではいくつものシャンデリアが煌々と輝いている。
この日ばかりは王城で働く侍従たちも駆り出され、学生生活最後の、そして卒業後最初の公の社交場となるのだ。
もしも好きな男性にエスコートされてここへやって来たなら、きっと自分こそが世界で一番幸せなお姫様だと勘違いする女性も多いだろう。
父親のエスコートで会場へ入り、無能仲間と思い出話に興じていたエヴァは、脈のありそうな異性のところへ一人またひとりと仲間が去って行くのを見送るうちに、一人ぼっちになっていた。
とはいえ、ほとんどの同級生が普通、卒業パーティーに期待するような事柄の全てを、エヴァは期待していない。
だから目の前に広がる美味しそうな食事で腹を膨らませ、ある程度の時間だけシンプルな会場の壁を飾ったら、すぐに帰る予定でいたのだ。
「んっ。あれは……」
もちろん、何ひとつ期待していなかったわけではない。
つまらなそうに、死んだ魚のような瞳で会場を眺めていたエヴァが、ついに目的のものを見つけた。
アップルローズタルト。
りんごの皮で赤く煮た薄くスライスしたりんごを、薔薇のかたちにクルクル巻いてタルトに乗せてある、見た目にも可愛らしいお菓子だ。
クリームから香るアーモンドの風味に、りんごの甘味と酸味が程よくマッチして後を引く。
そんなエヴァの大好物が、数メートル先のトレーにたった一つ残っていた。きっと、エヴァに食べられるために待っていたに違いないのだ。
健気なアップルローズタルトの思いを受け止めるべく手を伸ばすと、細い手は他方から伸びて来た別の手にぶつかって、お互いに引っ込める。
私のためのタルトに横恋慕するとは、なんとふてぶてしい輩だろうかとエヴァがキッと睨みつけると、そこにいたのは泣く子も黙る悪魔のような……美貌だった。
マテュール家の庭での恥ずかしすぎる邂逅以来だが、もちろん「お久しぶりです」などとフランクに話しかけるような交際スキルは持っていない。
「わるい」
「あっ、いえ……」
ダークブラウンの真っ直ぐな髪を後ろで一つに結んだ端正な顔のサイドを、おくれ毛がさらりと垂れて妙に艶っぽい。
エヴァと同時に手を引っ込めたアルベールは、ニコリともせずに長い腕で「どうぞ」とジェスチャーを送った。
どうぞと言われて、ではありがたく、というわけにはいかないのが人間の社会だ。
いかに社交が好きじゃないと言っても、エヴァも貴族の端くれである。一度は遠慮する素振りを見せてから手を伸ばすことにした。
「なぁ、アンタ……」
「アル、見てごらん。とても可愛らしいアクセサリーだと思わないかい?」
エヴァが上辺だけの遠慮を演じようと曖昧な笑みを浮かべたとき、何か言いかけたアルベールの背後から、スポットライトでも背負っているかのようにキラキラ輝く男が現れた。
言わずと知れた、ポールクレル。メリリアの王子である。
アルベールよりも幾ばくか小柄な王子は、手の平にダリアの花を乗せていた。中心がほんのりピンク色に染まった白いダリアの髪飾りだ。
「どこで盗んできた?」
「はは、得意じゃないなら冗談なんて言わないほうがいいと思うけれどね。落ちていたんだ。一体誰のだろう、きっと探しているはずだ」
卒業パーティーには、高等学校の全ての生徒と、家族や婚約者といった関係者が出席している。
隣国メリリアからの美しき留学生は、このパーティー会場においてまるで主役かと見紛うほどに、多くの視線を集めていた。
嫉妬心の苛烈さについては、いかに社交性のないエヴァであっても想像くらいはできる。
この二人のそばにいたら、何かの勘違いで嫌がらせをされたりするかもしれないと、こっそり逃亡することを決めた。
もちろん、健気なアップルローズタルトは忘れずに。
「そのへんの給仕にでも渡せばいいんじゃねぇか?」
手入れを欠かさないヴィンテージのチェロのような、鳩尾に響く渋い低音でアルベールが答える。
エヴァも、そうするべきだという意思表示に何度か頷きながら、今度こそタルトを手に入れるべく手を伸ばす。
あと3センチ。
『イヤよ! クラウディアのところへ連れてって!』
悲鳴にも似た叫びは、もちろんエヴァにしか聞こえていない。
思わず振り返ってみれば、ダリアの花飾りをアルベールが人差し指と親指で摘まみ上げていて、その手の中からキーキーと甲高い声が発せられているのだ。
知らない、聞こえてない。
エヴァはそう自分に言い聞かせて、伸ばしたままだった自分の手の先へと視線を戻した。
「えぇっ!?」
二度見。絵に描いたような二度見だ。
あの健気にもエヴァに食べてもらえるのを待っていたアップルローズタルトが忽然と姿を消しているのだから。
確かに目は離したものの、手は3センチ手前まで伸ばしていたのだ。もはやあれはエヴァのものだと公言しているに等しかった。
それをかっさらうとはいい度胸ではないか。
「どうかしたのかな……?」
「あっ……えっと、その」
犯人を捜すためにキョロキョロと辺りを見渡せば、目が合うのはすぐそばに並び立つ二人の美形だった。
落とし物の扱いについて相談する善意の留学生に、狙っていたお菓子が無くなってしまったなどと正直に言えるだろうか、いや、言えない。言えるわけがない。
エヴァは人付き合いが苦手だし、突拍子もない発言をして注目を集めたいわけでもないのだから。
「それ、クラウディア様の持ち物だと思います。クラウディア・サルトリオ伯爵令嬢」
この状況を胡麻化すために、仕方なく髪飾りの願いを叶えてやることにした。
周囲の女性たちから注がれる突き刺すような視線に、一瞬で後悔しながら首を竦めたが、後の祭りだから後悔というのだと頭の後ろ側が妙に冷めていくのがわかる。
「ありがとう。では、私たちはその方を知らないので連れていってもらえますか、レディ?」
「も、申し遅れましたっ……! わ、私はエ、エヴァ=リタ。父はヴァンニ・ノヴェッリ子爵でございます」
眩しくて目が見えなくなりそうなほどキラキラしい笑顔を向けられたエヴァは、弾けるように深く膝を折って頭を垂れた。
相手が王子だと理解していながら挨拶も忘れるなど、不敬で投獄されてもおかしくない失態だ。
「ではミス・ノヴェッリ。いや、エヴァ=リタ嬢。学内に家格の上下は持ち込まない、でしょう? さあ顔を上げて、一緒に宝物を届けに行きましょう」
早朝の空気を思わせる伸びやかで澄んだ声音が、エヴァの頭上から降り注ぐ。
学内に家格の上下を持ち込まないのは建前だ。まさか王子様を相手に田舎貴族の娘が敬意を失するわけにはいかないのだから。
しかしその王子様から一緒に行こうと言われたのも事実。
エヴァは断頭台に登る死刑囚のような心持ちで顔を上げつつ、砂糖菓子のように甘々で天空の星空のようにキラキラした顔面を視界に入れないように、クラウディアの姿を探した。
この二人は自分たちの顔面が凶器だということを理解するべきだ。
「いらっしゃいました。あちらです」
エヴァが先程まで飾り立てていたのとは反対側の壁を、美しく飾る花がいた。
ホールの中央では、女生徒たちが群れを作っている。恐らくあの群れの中心には、婚約者のルシアン・マテュールがいるのだろう。
社交の場で、入場時以外にクラウディアとルシアンが共に過ごすことはない、というのは有名な話だ。
アルベールから先に行くようにと身振りで示され、エヴァはポールクレルとアルベールを引き連れるようにしてクラウディアの元へと向かった。
賢者が海を割ったみたいに、目の前の人だかりがちょうど3人分の花道を作るように引いて行く。
一歩ごとに寿命が削れていくような思いで進み、クラウディアの前に到着する頃には瀕死の気分だ。胃も痛い。タルトは食べなくて正解だった。
サルトリオ家と言えばロシュタル国でも有力な王領伯家。クラウディアの名前こそ知っていても、エヴァとクラウディアは特段知り合いでもなんでもない。
目的地へ到着し、クラウディアが不思議そうな顔で首を傾げても、エヴァから話しかけることはできなかった。
やはり学内に家格の上下を持ち込まないなど、教育者が掲げるただの理想に過ぎないのだ。
「貴女がレディ・クラウディア? 私は――」
「存じ上げていますわ、ポールクレル殿下。貴方を知らない女生徒はこの学校にいませんもの」
はにかんで笑ったクラウディアの表情は、まるで家から出たことのない子猫が初めて外の世界を知ったときのような可愛らしさがあって、見る者の庇護欲を刺激する。
それが、クラウディアとポールクレルの出会いであり、エヴァとクラウディアの出会いでもあった。
タグのタルト回収(´・ω・`)





