第33話 侯爵の本心
エヴァは、自身を見下ろすジャエルの様子を伺いながら、確かに以前の彼とは少し違うようだと感じていた。
王家ですら口を出せないと噂されるほど地位や権力を手中に収めていて、モノへの執着が少ない。そんな人物が【火花】に固執しているのは、それだけで異様だ。
「残念だよ、エヴァ。あんなに可愛がっていたのに、泥棒の真似事をするなんて」
「……」
ジャエルは、侍従たちに犯人は逃げたと告げて、エヴァを地下室へと連れて来ていた。
ガランとした地下室には、【火花】が置かれていたと思われる腰ほどの高さの飾り棚と、ジャエルが今現在寛いでいるテーブルセットしかない。
部屋の四隅にあるランプに火をいれると、飾り棚の影がゆらりと揺れてなんらかの祭壇のようにすら見える。
手足を拘束され、床に転がされたエヴァの身体が震えているのは、冷たい床に体温を奪われたせいか恐怖のせいか自身にもわからない。
ただ、意識せず歯がガチガチと鳴るのが静かな部屋に響いた。
ジャエルが気だるげに席を立って、エヴァのそばへにしゃがみ込む。転がるエヴァの胸倉を乱暴に掴み上げるとにこやかに囁いた。
「あの彫像は特別なんだ。返してもらわないとならない」
「あれはジャエル様のものではありません」
緩く笑っていた目元がスッと温度を下げ、エヴァの頬に痛みが走る。
頬に与えられた衝撃はエヴァの頭を強烈に揺らして、視界がチカチカと点滅した。口の中には鉄の味が広がる。
「――ッ」
「生憎ジョークは好きじゃなくてね、覚えておいてくれ」
ジャエルが叩きつけるようにエヴァから手を離し、立ち上がる。
かろうじて頭を打ち付けることを回避したエヴァは、ジャエルから距離をとるように身じろぎをするが、思うようには動かないし、肩には鈍痛が走った。
せめてもの抵抗に睨みつけると、地下室に舌打ちの音が響く。
「エヴァぁ……。お前、変わったなぁ。もっと素直な人物だと評価していたんだが。クラウディアのせいか? ……泥棒もあの女の指示か?」
「お嬢様は関係ありませんし、何もご存じありません」
ジャエルの足がエヴァの肩を踏む。
体重をかけられているわけではないが、踏みにじられるのか頭を蹴り上げられるのか、ただそこにあるだけでエヴァの心臓がぎゅっと小さくなった。
「レディ・クラウディアとポールクレル・アボンディオ王子殿下の禁じられた恋! センセーショナルだよなぁ。召使いを使って泥棒の真似事をさせるとは、二人ともなかなか心根が汚い」
肩から足を降ろして、ゆっくりとエヴァの身体の周りを歩く。
それはまるで狼がじりじりと獲物の隙を探しながら距離を詰めるようだ。
捕食者にいたぶられる獲物のような気持ちで、エヴァは浅い呼吸を繰り返す。深く息を吸おうとすれば、咳き込んでしまいそうだった。
「そうそう、ネズミはもう一匹いたな。……逃げおおせたほうのネズミは、昼くらいまでその辺をうろついておったよ。泥まみれにしていくらか遊んでやったら、さすがに諦めたようだがね」
「……」
アルベール。エヴァの瞼の裏に、黒い上下を来た騎士の姿が浮かぶ。
逃げおおせたという言葉は確かにエヴァに安心をもたらした。
それに、今日になってもうろついていたというのは、エヴァを心配してくれたということだろうか。
「ネズミには手紙を持たせてやった。この世で最も美しい彫像と、薄汚い泥棒を交換してやってもいいとね」
「私に交換するだけの価値があるとでも? 彼らは目的を達成しました。あとは国へ帰るだけ――」
エヴァの言葉は最後まで発されることはなかった。
ジャエルの足がエヴァの腹を蹴り上げたのだ。
エヴァは身体を丸めながら空気を求めて喘ぐ。
「まぁ、来なくても別に構わんさ。お前の死骸で戦争の一つも起こしてやろう。価値があるかないかじゃない。モノと頭は使いようなんだ」
「ぐっ――」
返事をするには、まだ蹴り上げられた腹のダメージが回復していない。
発声しようと力を入れた腹筋が酷く痛んで、もう一回り小さく身体を丸めた。
アルベールが交換に応じるはずがないし、そうして欲しいと思うのに、なぜだかエヴァの目には涙がこみ上げる。
エヴァを痛めつけることに飽きたのか、ジャエルはもう一度だけ太ももを蹴っとばしてから、また椅子へ腰かけた。
「思い出話でもしようか、エヴァ」
つまらなそうにエヴァを眺めていたジャエルが、ふと何事か思い出したのか笑みを浮かべて唇をひらく。
「我輩は青春時代に恋をしたんだ。可愛らしいお嬢さんだったよ、綺麗なプラチナブロンドが自慢だと笑っていた。
だが彼女は赤魔法に目覚めてね。王国騎士団の名門家に嫁いだ。悲しかったなぁ。我輩が黄色だったせいで、恋した女性を嫁にとることができなかった」
エヴァはジャエルの語る思い出話に、記憶の中から実在の人物を探し出そうとしたが、まるで霞がかかったように思いだせない。
ジャエルと同年代のプラチナブロンドの女性など、騎士の家にいただろうか。
「しかし実の子というのは可愛いものだね」
「……?」
「家のために能力を基準とした結婚をするのは貴族なら常識だ。我輩がそうであったように、ルシアンもまた家のための結婚が求められる。領民、ひいては国のために。
だが……もしルシアンが誰かを愛して、それが家の発展に寄与する能力であったならどうだ? 本人の気持ちを優先させてやりたいとは思わんかね」
黒魔法によって見たものの心を惑わし、欲望を増幅させる不死鳥像、【火花】。
今まで、ジャエルが心に抱える欲望とは何か、いくら考えてもエヴァにはわからなかった。
富も、権力も、家庭も、地位も、全てが思いのままの彼が、これ以上何を望むのか。
もしも今以上を欲するなら国家規模になるだろうし、だからこそポールクレルやアルベールは必死に取り返そうとしたのだ。
だが、もしかしたら彼の望みはもっと当たり前のものだったのかもしれない。
エヴァがジャエルの言葉の続きを待ちながら見上げると、ジャエルは自嘲気味に笑って両足をテーブルへ乗せた。
「親心というやつだよ。吾輩は青春時代の苦い思いを、ルシアンに味わわせたくはない。彼がプリメラ・バリオーソを気に入ったなら一緒になるべきなんだ。
バリオーソの家なら今でこそ弱々しいが、最も歴史のある貴族家のひとつだ。縁を持つのはマテュールとしても悪い話じゃない」
「身勝手すぎます」
「誰だって我が子は可愛い。ルシアンが幸せになる手伝いならなんだってするさ」
手伝いとは何のことかと疑問に思ったとき、最初に思い浮かんだのが婚約破棄だった。
プリメラと一緒になるには、先にクラウディアとの婚約を片付けなければならない。
――外野はわたくしがイジメたって言うの。
ああ、と合点がいく。
プリメラの人柄の良さについては、一緒に命を賭けて戦ったエヴァもよく知っている。
彼女は、仮に本当にいじめられたとしても、わざわざルシアンに泣きついたりはしないだろう。
「買収ですか」
「なんのことだか。……ああ、外が騒がしくなった。情に絆されたメリリアの連中が来たようだ。若いよなぁ」
目を細めて地下室の出入口の方へ視線を投げたジャエルにつられるように、エヴァもまた地上への出口を見やった。
確かに、先ほどまでと打って変わって誰かの争う声が地下室まで届いている。
本当に、アルベールが来たのだろうか?
頭をよぎったその可能性はエヴァの胸を強く締め付けた。
「複数でここへ来られたら狭くてかなわん。一人で来るように言ってこよう」
「きゃっ」
ジャエルが立ち上がってエヴァの後ろ襟を取り、出入口から最も遠い隅へ乱暴に放り投げる。
繊維の破れる音とともに、エヴァは右腕に痛みと熱を感じた。
「そうだ、エヴァ。ひとつ言い忘れていた。お前の能力については、最初から気づいていたよ。そして、孤立させたのも我輩だ。
ジルベルタの形見についてあれ以上言及されて、家庭内にいらん不信が募っては困るのでね。まさか、無能を演じるほど傷つけるとは思わなかったが……。
そうだな、その件に関しては謝っておこう。能力を持て余した子どもに、我輩も少々やり過ぎた」
言うだけ言って、エヴァの理解も返事も待たないまま、ジャエルは地下室を出て行った。
ジルベルタという名にも、形見という響きにも、エヴァの記憶に特段引っ掛かるものはない。
けれども、ジャエルの持ち物について思い当たるエピソードがないではなかった。
昔、彼が好んでつけていたスカーフがそれだ。
ジャエルの持ち物に、エヴァが会話できるモノはほとんどない。持ち主がモノに愛着を持たないし、古くなればすぐに買い換えてしまうためだろう。
だがそのスカーフだけは話ができた。それを珍しく思って、子どもだったエヴァはスカーフに「ジャエルに伝えたいことはないか」と問うた。
スカーフの「いつもお側に置いてくれて嬉しい」という言葉を伝えた時、ミレーナはどんな顔をしただろうか。
ジャエルが怒り出したことのほうが印象的で、ミレーナやルシアンの様子はエヴァの記憶にほとんど残っていないのだ。
「形見、だったんだ」
エヴァが呟いたとき、外では一際大きな声が満ちた。
体中の痛みと、マテュール家を傷つけていた罪悪感と、助けに来たらしいアルベール達への申し訳なさと、いろいろな気持ちがごちゃ混ぜになってエヴァを襲う。
どうすることもできない無力感に、ただ涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
ジャエルおじさん……





