第32話 護衛騎士の選択
アジトに戻ったアルベールは、テーブルの上に【火花】を転がして手近な椅子を蹴り上げた。
嫌な予感はしていたのだ。エヴァがカウントダウンと言いだしたときには。
一部が腐った古い木戸を半分破壊しながら押し開けて、後を追ってくるはずのエヴァを待ったが、来なかった。
別のルートから脱出したかもしれないと、待たせていた馬車へ向かったがエヴァはいなかったし、いつまで待っても姿を現さなかった。
アルベールの耳には確かに「見つけた」という声が聞こえていたが、まさか囮になることを選ぶとは。
「くそっ!」
このあと、王城で催されている送別パーティーに戻る予定だったが、もうそれどころではない。
シャツの襟元を緩めながら、横倒しになった金色の鳥を眺めた。
どれだけイライラしても、エヴァを置いていく判断をしたのは自分自身だと、アルベールはわかっていた。
いくら言い訳をしようとも、背中を押したエヴァが追って来ていないことなど、気づかないはずがなかった。
そもそも、彼女を助けるつもりなら戻るという選択肢だってあったのだから。
だが、国宝を取り返すという使命には代えられなかった――。
人を惑わすなど、ほとんど呪いのアイテムだ。
そして実際に金も権力も武力も持った人物がこの呪いのアイテムを手に入れてしまった。
場合によっては二国間で大きな争いが起きてもおかしくない状況なのだ。
「エヴァ……」
ふわふわと宙に浮いたような足取りで、何ともなしにエヴァが使っていた部屋へ向かう。
何かしようと明確な意思を持っていたわけではなく、ただフラフラと導かれるが如くその部屋の扉を開いた。
開いたままのカーテンの向こう側に、真ん丸の満月がぽっかりと浮いている。アルベールの視線は、窓からその月光を受けてキラキラと輝く何かに吸い込まれた。
U字型をした細い金具に、スミレの花が三つくっついている。
マテュールの街でアルベールが購入したアクセサリーだ。花の真ん中には極小のトパーズやエメラルトが散りばめられて、繊細な美しさがある。
濃紺の髪とスミレ色の瞳を持つエヴァに本当によく似合っていたと、薔薇園でのエヴァの姿を思い返した。
「チッ」
アルベールはスミレの髪飾りを握り締めて、部屋を飛び出す。
◇ ◇ ◇
クラウディアは、両手で自分の体を掻き抱くようにして目の前のお菓子の山を見つめていた。
クッキー、マカロン、ゼリーにケーキ。色とりどりのドルチェは、しかし今すべて色を失ってしまった。
「クラウディア様……」
プリメラが堪らず声をかけるが、言葉は続かない。
昨夜出かけたエヴァが戻らないまま、午後のお茶会の時間になってしまったのだ。
王城でポールクレルの送別パーティーが開催されていたため、エヴァの外出も今回ばかりはポールクレルの手伝いという名目が使えず密かに屋敷を出た。
クラウディア以外は抜け出したエヴァの不在理由を知らないせいで、屋敷内は誘拐だ蒸発だと大騒ぎになっている。
「どんなに嫌なことがあっても、エヴァ=リタは逃げ出すタイプじゃない。事件に巻き込まれたとしか考えられないのだが」
やはり理由を知らないルシアンがこぼした言葉は正しい、とクラウディアは一層俯いた。
事件には数か月前から巻き込まれているのだ。
それはポールクレル直々の依頼だったが、彼らがエヴァの能力を目的にしていると薄々わかった上で近づけたのは、クラウディアだ。
彼女の身に何かあったなら、最も責められるべきは自身であると理解していた。
当のポールクレルはまだ訪れていないが、約束の時間まではもう少しある。今までに彼らが遅刻したことはないし、そろそろやって来るだろう。彼らなら何か知っているだろうか。
「事件と言えば、昨夜は僕の家も泥棒が入ったとかでうるさくてね。たまたまパーティーを中座して城から父上が戻ってたんだが、みすみす犯人を逃してしまったと言ってた」
「え……?」
場を和ませようとしてか、ルシアンが苦笑交じりに隣に座るプリメラへ聞かせた話は、クラウディアの記憶の断片を繋げるようにして耳へ飛び込んできた。
例えばポールクレルが留学を決めた表向きの理由。例えばクラウディアに特別授業を依頼した理由。例えば瘴気沼のサポートメンバーへ名乗りをあげた理由。
どれもこれもが、マテュールに近づこうとしているように思えてしまう。
マテュールと条約を締結したのをきっかけに、ロシュタルについて学びたくて留学を、と穏やかに笑う裏には、盗まれた国宝を見つけ出すという使命を持っていた。
犯人の目途はついているとも、大事にすれば国交問題に発展しかねないとも、彼らは説明していたはずだ。
「そんな……」
真相に気づき始めたクラウディアは、ひとつ大きく深呼吸をする。
震える手を見咎められないよう、深い呼吸とともに慎重に水の入ったグラスに手を伸ばした。
大きく開いた窓から、冷たいながらも心地よい風が入って、真っ白なカーテンをふわりと広げる。
エヴァは無事だろうか。
「こんにちは」
侍女長アルマの案内でサロンへやって来たのは、ポールクレルだった。しっかり定刻通りの訪いである。
アルマが一礼して部屋を出るのを待って、クラウディアは深々と膝を折った。
「本日、少々屋敷内がパタパタしておりまして。お迎えにあがりませんでしたことお許しください」
「いえ、そんなことは構いません」
挨拶するそれぞれの表情の硬さが、現在の状況について深刻に捉えていることをお互いに伝えた。
「アルベール様は……?」
おずおずと声をあげたプリメラに、ポールクレルは困ったような、疲れたような力ない笑顔を向ける。
供も連れずにやって来た一国の王子に、事情を知らないルシアンやプリメラも水面下で発生している重大な何かの存在に勘付いた。
忠実な侍女と護衛の不在は、誰も彼もを不安にさせる。
「ポールクレル殿下」
クラウディアが意を決して声を掛けるのと、扉の向こう側が俄に騒がしくなるのはほとんど同時であった。
大きな足音、侍女たちの制止の声、そして――。
「ポール!」
扉を乱暴に大きく開いたのは、アルベールだった。髪も、黒いシャツも、汗と泥で汚れ、乱れている。
クラウディアは、廊下側からサロンを覗き込み、おずおずと様子を伺う侍女たちを仕事に戻らせて、静かにその扉を閉める。
アルベールは、ポールクレル以外の何者も視界に入っていないかのように、真っ直ぐポールクレルの前に立ち、左手に持った何かを差し出した。
それが国宝なのだろう、とクラウディアはぼんやりした頭で眺める。
受け取ったポールクレルは、何も言わずに黒い布をほんの少し開いて、中身を自分の目だけで確かめてから頷いた。
「確かに」
いくらかの沈黙。
クラウディアはアルベールに聞きたいことがいくつもあるのだ。エヴァの所在について。エヴァの無事について。
だが、ポールクレルとアルベールとの間に流れる張り詰めた空気が、いや、アルベールから放たれる圧力が、それを躊躇させた。
「ポール」
「ん」
「それを俺に貸してくれ!」
大きく折った腰は、いつも居丈高に振る舞う印象の強いアルベールからは予測できない動きで、再度、サロン内の面々を驚かせる。
一方でポールクレルも、いつもの柔和な雰囲気は影を潜め、王者の風格と目つきで深々と頭を下げるアルベールを見つめていた。
「貸せっていうのは、返すアテがあるときに使う言葉だよ、アル」
「わかってる」
「お前の中の天秤がどちらに傾こうが、私にとって【王族が守るべきもの】より重いものはないのだが」
「わかってる」
冷え冷えとした沈黙が続く。
普段とは完全に立場の逆転した二人が、真の主従関係というものを見せつけるように、重苦しい空気を作り出していた。
その氷のように、または時が止まったように冷たい世界にヒビを入れたのは、ゆっくりと頭を上げたアルベールだ。
「……言い方を間違えた。守るべきものを守ってくれ」
アルベールがズボンのポケットから取り出したのは、一通の手紙とスミレの髪飾りだった。
すでに泥で汚れ、皺の寄った手紙に、きらきらと輝く髪飾りが不釣り合いで、その場にいる全員の視線を奪う。
「安心したよ。まさか私が座して待つだけの甲斐性無しだと思われていたのかと」
ポールクレルによる突然の王子様アッピール





