第3話 無能侍女の困惑
この大通りを真っ直ぐ北へ進めばロシュタル城にたどり着く。この噴水からも城の上半分がよく見え、青空の中に白灰色の荘厳な姿が映えている。
本来であればエヴァは今ごろあの城の中で走り回っているはずだった。
ロシュタル国では普通12月に卒業を迎え、内定者は2月の頭から奉公が始まる。
ところが、地元の田舎へ帰省していたエヴァのもとにやって来たふたりの郵便配送人は、ひとりは封を開けるのも待たず踵を返し、ひとりはエヴァの返事を待って所在無げに小さな屋敷の玄関で待っていた。
一方は、王国から内定取り消しの報。
他方は既に隠居しているはずのおじい様からで、サルトリオ家への紹介状とともに「目の前の配送人に『はい』と伝えるように」とのメモがあるだけ。
重大な人生の岐路をたった2通の手紙で変えられてしまった上に、どちらに問い合わせても理由はわからず仕舞いだ。
なんの能力も持たないエヴァは、もちろん、「はい」と言うしかなかったのだが。
――ゲームでエヴァはお城の侍女で、プリメラ様に付いてたのよ。でもなぜかここにいる。だから、わたくしが断罪という悪役令嬢としての運命から逃れるには、きっと貴女の助力が必要なのだと思うの。
クラウディアが悪夢の内容を吐露したのは、エヴァが特異点だと思ったから、ということだった。
まさか、無能な自分を頼る人物が現れようとは。
「だからってどうすればいいのよ」
独り言ちたエヴァの前を、小さな女の子が走って横切った。初等学校の生徒だろうか。遅刻というにはまだ早い時間だが、何を急いでいるのだろう。
その小さな背中に、エヴァは幼い頃の自身の姿を重ねた。
物心がついた頃から、周囲の人間とは深く関わらないようにして生きて来た。ありのままを話せば、誰もがエヴァを不気味だと思うからだ。
世界は魔法で動いている。
魔力を持つのは全ての人口に対して一割ほどだろうと、どこかの学者先生が言っていたはずだ。そしてその魔力は遺伝することが多い。
必然、貴族の多くが魔力を持つし、突発的に魔力を持って生まれた平民はその力次第では成り上がっていくこともできる。
魔法が動かす世界で生きる以上、魔力とはなんたるか、魔法とはなんぞや、というお勉強をする必要がある。
それが初等学校だ。初等学校と中等学校は全ての子供が必ず通わなければならない。
魔力を持つ子供のほとんどが、15歳の成人を迎えるより前に魔法を発現するため、学校という枠の中に押し込めておけば、例え暴発等があっても対処できるからだ。
また、高等学校は、魔力を持つ全ての人と、王城で働く貴族が通う場所になっている。
王城で働くには、より深い魔法への理解がなければならないのだ。
エヴァは、周囲の子が次々と発現していく色とりどりの属性魔法を持っていなかった。
教師が定期的に子供たちに触れさせる魔力感知の球は、通常時には黒、火属性の魔力保持者が触れれば赤、水なら青、そんなふうにキラキラと発色する。
クラウディアは確か白で、防御や障壁、結界といった守りに特化した魔法だ。
だから、階段から転げ落ちた時にプリメラにもクラウディアにも怪我がなかったのだった。
属性は赤、青、黄、緑に紫、それから白と黒と虹、ぜんぶで8種類あって、黒と虹はかなり特殊なものだと教科書には書いてあるはずだ。
わかりやすいのは虹、だろうか。
全ての属性の特色を持っているため、共同作業をすることで相手の魔法を強化できるのだ。そしてもうひとつ、虹にしかできない特技があるのだが――。
「冷たっ」
池からおもむろに水が吹きあがって、エヴァに襲い掛かった飛沫が思考を中断させる。
そろそろ噴水が仕事を始める時間かと立ち上がって周囲を見渡せば、確かに学校や城へ向かおうとする人々の数が増えたようだ。
「そろそろ行かなきゃ」
『気をつけてねー』
一歩を踏み出したエヴァの背中を、女性の声が追いかけて来た。
大通りを横切るように真っ直ぐ進むと、最近買い手がついたらしく美しさを取り戻し始めたタウンハウスがあり、それを通り過ぎれば高等学校――エヴァの母校と続く。
両親から、王城で働くために高等学校へ進学するようにと言われるままに通学して、ついでに自身の能力について調べたことがある。
結局何もわからなかったが。
エヴァは、幼い頃から人ならざるモノの声が聞こえていた。
例えばドア、例えばカトラリー、例えば絵画、例えば植物。
それは経験上、新品のモノと話すことはできず、恐らく長くこの世にあることによって、なんらかの精神性を手に入れたモノではないか、とエヴァは考えている。
ただ幼い頃にはそんなことなどわかりようもなく、ドアの見聞きしたことは大人の秘密の逢瀬を暴いてしまったし、カトラリーの愚痴は仕事をサボる侍女を名指ししていた。
絵画に描かれた人物と話す子供が可愛らしいはずもなければ、珍しい種子植物が聞かせてくれた遠い異国の話を信じる大人はいない。
不気味な子、妄想の激しい子とレッテルを貼っておくことで、大人たちの秘め事は暗黙のうちに無かったことにされるのだった。
初等学校、中等学校を通して、魔力感知の球を色鮮やかに染めることができず、話を信じてもらえなかったエヴァは、魔力を持たない無能として生きることにした。
実は少ないながらも【球の色は変わらないのに特殊能力を持つ】という人物は存在する。例えば念動力や精神感応というふうに。
そして、それらの様々な能力をまとめて黒魔法と呼んでいるのは、あの魔力感知の球が黒いせいだろう。
エヴァは自身の能力を黒魔法の一種だと考えていた。
しかし黒魔法であろうとなかろうと、この世界において無能であることには違いない。なぜなら――
『やぁエヴァ! ひさしぶりじゃないか!』
さわさわと葉を鳴らす街路樹に目礼を返しながら、やはりこの力の使い道は思い浮かばないなと苦笑いを浮かべた。
◇ ◇ ◇
クラウディアのクラスの担任教師に欠席を告げてから、ゆっくりと母校を散策する。
国の歴史を振り返れば、能力のある者が国を作って貴族と呼ばれるようになった。つまり能力を持つ者を輩出し続けなければ、いつか貴族は貴族でいられなくなるのだ。
幸か不幸か弟妹には魔力が備わっているため、エヴァはたとえ長女であっても……いや、長男だったとしても、無能である以上爵位を継ぐことはない。
では結婚はどうかというと、貴族の婚姻はやはり美貌など二の次で能力が最も重視されるのが普通で、わざわざ能力のない娘を嫁に取りたがる家は存在しない。
人付き合いが得意でないエヴァにとって、どのみち社交も政治も上手にできる気がしない。だからヘンテコな能力の存在などわざわざアピールせず、普通の人として生きていくのだ。
『おおエヴァじゃないか!』
『あら、エヴァ=リタ! ちょっと聞いてちょうだいよ』
『なんかまたショゲてんな、エヴァ』
「これを見て、プリメラ。君が昨日くれたプレゼントをつけてみた」
『元気かい、エヴァ?』
「え?」
エヴァは足を止めて周囲をきょろきょろと見渡した。たくさんの声に混じって、聞きなれた声が聖女の名を呼んだように聞こえたのだが。
モノたちに少し静かにするように言って、もう一度耳を澄ませる。
「ルシアン様……! 嬉しいです、とても」
声の出どころにあたりを付けて教室のプレートを見ると、「音楽準備室」とある。
なるほど確かにここなら朝から誰かに見咎められることはないだろう、とエヴァは頷くも、立ち去るよりも好奇心が勝って扉に耳をくっつけた。
「でも、良かったのですか? クラウディア様のプレゼントは……」
「いいんだ。お互い、いつも公式の場でしか身に着けないからね。婚約なんてカタチだけなんだし」
こめかみを押さえながら扉から身を離す。
モノたちはいつも、貴族たちの裏の顔をエヴァに教えてくれた。誰と誰が不倫をしているだとか、誰の実父は誰だとか。
それは思春期の少女にとって恋愛観や結婚観を大きく揺るがせる経験だったが、大人になったエヴァは、理解することくらいはできた。
家格と政治と魔力でお相手が決まる貴族の結婚に、愛などないのだ。
そして、この扉の向こうのふたりが愛し合っているというなら、クラウディアが言うような断罪だって、もしかしたら実現してしまうのかもしれない。
「でも、あの髪飾りはとても大事にしてたのにな……」
エヴァが呟くと、一瞬の間をおいて扉が乱暴に開けられた。
子息とはいえ広い国境を守る侯爵家の人間。武の才を誇るルシアンから、凡人が息をひそめたくらいでは隠れることなどできないらしい。





