第24話 冒険の始まり
片道一泊二日というサポートチームの行程に関して、一部の騎士団員が巡回する以外のフォローはない。
学生を守るために騎士団からリソースを割くのは本末転倒であるからだ。
自衛できる技術を持つ学生で、さらに生存率を上げるために各一名の同行者が許可されている以上、騎士団からの特別な配慮はないということになる。
その代わり、自分たちの手に余るような事態に遭遇した場合には信号弾を打ち上げるように、ということで決着していた。
「ルシアン、そんなメンバーで大丈夫なんですか? サルトリオのお嬢サマがまた聖女をいじめるのでは?」
「プリメラ様はお優しいからな、クラウディア嬢の暴挙をルシアンに知らせていないんだろう」
「サルトリオ家の権威も、どうせ卑怯な方法で得たものなんだろうな」
三つのチームが分かれる場所までの道中で、他チームの学生がやいのやいのとクラウディアを侮辱する。
分岐点までは魔物の出現報告もなく、誰もがピクニック気分を混ぜながら歩いていた。
エヴァは内心でイライラしながら、以前クラウディアに聞かされた話を思い出していた。あれはマテュール領に瘴気沼が発生したと知らされた日だ。
――外野はわたくしがイジメたって言うの
話が途中で終わってしまって、クラウディアは多くを語らなかったが、確かに「プリメラはクラウディアにいじめの意思がないことを承知している」と言っていた。
他チームの級友たちの言葉を苦々しい表情で聞いていたルシアンがクラウディアを横目で見れば、彼女はどこ吹く風でニコニコとエヴァに話しかけていた。
どうやら、道中に咲く花の種類が気になるらしい。
一頭立ての荷馬車の手綱を引くルシアンの横で、プリメラが「あれは事実ではない」と訴えたが、級友たちの手によって結局は「プリメラ様はお優しい」という言葉に染め直されてしまうのだった。
「ねぇプリメラ様、あっちにお花畑があるのですって。エヴァに教えてもらったの。先に行って見てみない?」
クラウディアが手を差し出すと、プリメラが真ん丸にした瞳を優しく細めて頷き、その手をとった。
背後からはクラウディアを貶める言葉やプリメラを制止するような言葉も飛んでいたが、女たちは蜜を探す蝶のようにふわふわと走り出す。
「エヴァ=リタ嬢、あの者たちがどこの誰かわかるかな」
ポールクレルが小声で尋ねる。振り向いたエヴァの視界には、ポールクレルの後ろで顔をしかめるアルベールの姿が入って、慌てて前を向いた。
「ええと、あの茶色の髪は……」
「ああ、家名や爵位、その他わかるだけの情報をアルに伝えておいてくれるかい。私は覚えきる自信がないからね」
上等なウォールナットのように暗く深い茶色の瞳を、片方だけぱちりと瞬かせて、ポールクレルはルシアンの横へと歩を進めた。
エヴァは胸がきゅっと詰まるのを感じながら、恐る恐るもう一度振り向く。
「ぎゃ」
「なんだそれ」
思ったよりもずっとすぐそばにいたアルベールに、エヴァの体は指三本分だけ跳ねる。一瞬仕事をやめた心臓が、着地と同時に忙しく動き出してエヴァの耳を赤く染めた。
「これ、仕事ですか」
「ポールの依頼だから、そうなんじゃねぇか」
エヴァがアルベールと会話をするためには、仕事であるという前提条件が必要だった。
仕事で仕方なく必要なことだけを話したかった。
そうでなければ、いや、そうであったとしても、アルベールの横にいるというだけでエヴァの心臓はあっという間に加速してしまうのだから。
あの選抜トーナメントから十日と少し。クラウディアの奇跡的なドジに振り回されながら、どうにか涙を流さずに一日を終えられるようになってきた。
もう、アルベールの言葉や行動ひとつで表情を変えないように、私情を挟んではならぬと今一度心に刻む。
「では、あの茶色の髪ですが」
エヴァが視線と顎で指し示した先には、瓶詰にしたアプリコットジャムのように赤みの強い茶色の髪をした学生がいた。顎までの長さの髪は天然のウェーブで歩くたびにふわふわと跳ねる。
アルベールが目を向けると同時に、そのアプリコットが「あぁ」と声をあげた。
「最近じゃ、ホットチョコレートをプリメラ様の頭からぶちまけたとか」
「カフェで自習なさっていた聖女様のノートもドレスもドロドロになったと聞いたな」
「ヴィート、嘘はほどほどにしとくんだ」
ルシアンが苦虫を噛み潰したような表情で呟く。ヴィートと呼ばれたアプリコット頭は「嘘なもんかよ」と意地悪そうに笑った。
エヴァはそれを見て、ルシアンがホットチョコレート事件を知らなかったのだと知り、不安が胸に広がるのを感じた。
グリフォンキャリッジの中でも、昨日の散歩の最中にも、ルシアンはクラウディアの前にいながらプリメラを優先してエスコートするような場面が多く見られたのだ。
人目を憚らない程度にはルシアンの気持ちがプリメラにあることが誰の目にも明らかで、さらにホットチョコレートの話を聞かされれば、その心の傾きはより一層強くなるだろう。
「アンタの幼馴染は、誰の言葉が信頼に値するかまだわかってないらしいな」
小さく溜め息を吐くエヴァの横で、アルベールが呆れを多分に含んだ表情で言う。
エヴァもそれはその通りだと静かに頷いて、改めて他チームの学生についてわかる範囲で説明した。
さらさらとメモをとるアルベールの指に、真剣な眼差しに、見惚れてしまわないように草花の声に耳を傾けながら。
そうこうするうちに、花畑を楽しんだクラウディアとプリメラも戻り、三つのサポートチームは分岐点に到達した。
ここでは、ルシアンチームだけが左手側の道を行くことになる。最も見通しが悪く、最も沼へ近づくルートだ。
しばらくは平穏な時間が続くが、沼へ近づけば近づくほど、魔物との遭遇率は高くなるはずだ。
沼から生まれ、騎士団の追跡を逃れた魔物はそのうちに、付近の土地で最も居心地のいい場所を見つけて棲みつくようになる。
そうして騎士団の監視から逃れて個体数を増やす魔物も出現するというわけだ。
討伐用の人員がギリギリの状態のまま、すでに三ヶ月が経過しているマテュール領では、土地に適応して生きている魔物も少なくない。
十分に警戒しながら進む必要があるのだ。
「今更で申し訳ないのだが、司令塔としてのリーダーは、経験値からラッツァリーニ卿にお願いできないでしょうか」
他のチームと別れてどれくらい歩いたときだったか、沈黙を破ったのはルシアンだった。
メンバーの中で最も年長で、戦闘経験を多く持つアルベールは確かに適任に思えた。しかしほとんど即答とも思える早さで謝絶の言葉が飛ぶ。
「無理だ。俺はあくまでポールの護衛だからな、最悪の場合にはアンタらを盾にポールだけ連れて逃げるかもしんねぇぞ。
それに、俺もポールもメリリアの人間だ。知識や経験のためにこの遠征に参加しただけだからな。チームとしての目的を達成するメリットもなければ、責任もねぇ。
だからアンタがやるんだ、ルシアン。それが責任ってもんだろ」
それは無責任なようで、最も真摯な回答であった。
進むにつれて深い森へと変わる鬱蒼とした道を歩きながら、無言の中にルシアンの肯定が感じられた頃、その時はやって来た。
『オオネズミ。巣穴カラ出タ、オオネズミ』
「――っ! 待って!」
ふいに耳に飛び込んできた木々の囁きに、エヴァが立ち止まった。
ついに魔物がやって来たのだ。ここへ来る前に必死で頭に叩き込んだ魔物に関する知識、情報の中からオオネズミについて思い出す。
平均的な体長はキャベツ三つ分。群れでの生活を好み、雑食。但し、ヒトの生活圏内に根を下ろし、畑を荒らしたり家畜を襲ったりする。
積極的に人間を襲うことはないが、敵対すれば素早い動きと鋭い爪や門歯(前歯)が脅威となる。害獣であり駆除対象。
エヴァの声に反応して、全員が歩を止めて様子を伺った。
森は静かで、鳥の鳴き声も離れた場所から響くのが精々だが。
「どうしたの、エヴァ?」
『オオネズミ、南カラ。ブナノソバ。四匹』
腰かけていたカートから飛び降りて首を傾げるクラウディアに、エヴァは唇の前で人差し指を立てて見せてから、南の方角へ目を向けた。
ブナなどなんの目印にもならない。ブナばかりだ。だが、確かに背の高い草の揺れ方に違和感を抱いた。
「オオネズミが来ます。四匹、南方向から」
チームに緊張が走ったのが、エヴァにも肌で感じられた。
今度こそバトルシーン突入かっ!?(←フラグ)





