第23話 わだかまりの晴れ間
他の土地と侯爵邸とを真っ直ぐ結ぶ大きな通りは、どこまでも両側に商店が立ち並んでいた。
交差する少し細い道へ入っても、その先で交差する道も、あらゆる店が看板を出して声を張り上げている。
灰色の雲は、雨を降らせるつもりはないとでも言うように高いところにあって、ただ太陽を隠すことに執念を燃やしていた。
「まるで王都のようですね!」
わかりやすくテンションを上げて駆け回り、目についた店をひやかして回るのはプリメラだ。
もし天気のいい日であったなら、彼女の動きに合わせて跳ねるプラチナブロンドが、日の光を浴びてキラキラと輝いただろう。
待って、と言いながらクラウディアが後を追って、エヴァはその少し後ろをゆっくりと歩いていた。
しばらくして、人数分のぶどうジュースを抱えて戻って来たクラウディアとプリメラに、男性陣が苦笑しながら休憩を提案する。
昨夜遅くにマテュール領へ到着した面々は、慣れない空の旅で疲れた体をすぐにベッドへ横たえ、一夜明けた今日は一日体を休めるように騎士団から言われていた。
グリフォンキャリッジで深く頭を下げたルシアンに、5人の男女は協力することを約束し、出発前よりもお互いの距離が近くなったように感じている。
エヴァを除いて。
生来、長い物には率先して巻かれにいくタイプであり、学生たちの逸脱した行動にももちろん協力するつもりではある。
しかし、彼らの考えていることはわからないままであった。
いつも権力者の言いなりになるからと言って、自分の希望がないわけでもない。
エヴァはクラウディアに幸せになってもらいたいのだ。だが、何が彼女にとっての幸せなのか、もはやわからない。
ルシアンはクラウディアを愛さない。プリメラを愛人に囲うかもしれない。婚約破棄するかもしれない。クラウディアの名前に、心に、傷がつくかもしれない。
「マテュール領ではお花の生産が――香水事業も――」
だから、クラウディアの行動の意味がわからない。
「税が少ないから商業が――」
なぜ、プリメラにマテュールの経済について指南しているのか。
彼女は定期的にマテュールの領地経営について確認して、自分ならどうするかとシミュレーションまでしていた。それをなぜ、プリメラに。
婚約者の嗜みだと言わんばかりにプリメラを牽制しているのかと思えば、プリメラの質問に懇切丁寧に回答する姿がそうではないと言っている。
風に乗って聞こえる二人の女性の声に溜め息を吐きながら、ルシアンの案内に従って町の広場へ向かう集団について歩く。
先を歩いていた男性陣は、広場に適当に設置されたテーブルへ座って秘密の作戦について話し合っているらしい。
エヴァは集団より少し離れたところに座って、耐水魔法の付与された柔らかな紙袋を口に運んだ。甘酸っぱいぶどうの香りが鼻から抜けて、もっともっととつい紙袋を煽ってしまう。
「お嬢かい? ああ、やっぱりエヴァお嬢だねぇ。立派になって!」
どこからか聞こえて来た声は、エヴァに郷愁の念を湧き起こさせた。
キョロキョロと声の主を探すと、向かいの商店から大きく手を振る女性が見える。エヴァの記憶よりも、皺が増えて髪も少々白いものが見えるようになったけれども。
「トスカおばさん! ほんとに久しぶり!」
エヴァが駆け寄ると、トスカは破顔してエヴァの頬をむにむにとつまんだ。
「やっぱりこの綺麗なスミレの目は特別だねぇ、すぐにわかったよ。ほんとに立派になったじゃないか」
「覚えててくれて嬉しい。こっちにはもうずっと来ていなかったから」
「王都で頑張って働いてるんだろ? みんな応援してるよ。ああそうだ、久しぶりだってのに申し訳ないんだけどねぇ、ちょっとコレを見てもらえないかい」
広場の中心では、男たちが翌日以降の動きについて綿密に打ち合わせをしている。
瘴気沼を囲むように位置どられた3つのキャンプに、学生サポートメンバーがそれぞれ3つのチームに分かれて補給物資を運ぶのが、今回の目的だ。
ただでさえ人員の多くない騎士団が、補給のために相当の人数が行ったり来たりを繰り返してしまい、効率が悪いのだと説明を受けている。
沼に最も近いキャンプを担当することになったルシアンチームは、物資の輸送を終えたあと、帰還するふりをして沼へ向かうのが良かろうと考えていた。
「エヴァはこっちでも可愛がられてんのか」
アルベールの視線の先では、エヴァとトスカが大きな壁掛け時計について話し合っている。
微かに聞こえてくる話し声によれば、壁掛け時計が壊れてしまったようだった。
「幼い頃はよく遊びに来てましたから。領民とは僕よりエヴァ=リタのほうが仲がいいかもしれない」
「面白いことを言うね。エヴァ嬢と仲がいいのは君より領民だ、と言ったほうが近いようだよ」
クスクス笑うポールクレルに、ルシアンが不機嫌そうに顔を歪めた。
何か言おうとして開いた口に悔し紛れにぶどうジュースを流し込む。
「昔、あいつには妄想癖があった。父はあいつを僕に近づけないようにしたんだ。だから――」
「『僕』は悪くねぇって? 妄想のひどい女と仲良くしてたなんて黒歴史だもんなぁ?」
ガタンと大きな音をたてて椅子が倒れると、クラウディアとプリメラが息を呑んで一帯に沈黙が流れた。
テーブルの上では紫色の染みが広がってぽたりぽたりと雫が落ちる。
風すらも触れるのを嫌ったように静かになったとき、離れた場所で楽しげな笑い声が響いた。
「さっすがエヴァお嬢だねぇ、助かったよ。あんまり酷いようならもう換えたほうがいいかと思ってたんだ」
「中のネジが切れちゃってるだけ。ウーゴさんに直して貰えば、まだまだ働いてくれると思う」
「そうかい。結婚したときに買ったものだから、年代物なんだけどねぇ。まだ元気ってんなら使ってやらないとね」
ルシアンは座るアルベールの襟を掴み上げる。押し殺した声は、しかしながら静まりかえった広場において友人たちの耳にしっかり届いた。
「貴方も……エヴァ=リタへの接し方に口出しできる立場にないだろ。泣かせたって聞いたが?」
「それは、俺を黙らせるのが目的で言ってるのか? それとも、まさかエヴァを心配して?」
「……」
アルベールは自身の襟元を掴む手を剥して、ゆっくりと立ち上がる。乱暴に手を振り払ったルシアンに、涼やかな眼差しを向けた。
「初恋を拗らせるのもいい加減にしとかねぇと、取り返しつかなくなんぞ」
「ルシアン様は後悔してらっしゃるんです!」
全員の視線が鈴の音のような声の主に注がれる。プリメラは祈るように胸の前で手を組み、真剣な面持ちで訴えた。
制止しようと振り向いたルシアンに口を開かせることなく早口で捲し立てる。
「エヴァ=リタ様を悪く仰る侯爵様に、それは違うと反論できなかったことも。近づかないようにという侯爵様の言い付けに従ってしまったことも。一度でも、エヴァ=リタ様より侯爵様のお言葉を信じてしまったことも」
「やめるんだ、プリメラ」
「でもっ――! あ……」
プリメラが目を見開いて口を閉ざす。その視線の先では、小さな紙袋を胸に抱いた女がスミレ色の瞳を何度か瞬きさせていた。
「エヴァ=リタ――」
「え……っと、トスカおばさんが、これ、みなさんにと。あ、ああ大変、ジュースが零れてしまってますね。私、拭くものを借りてきます」
「待って」
慌ててエヴァがテーブルの上に置いた紙袋から、クッキーがふたつみっつとこぼれ落ちる。
スカートの裾を翻して元来た道を戻ろうとした手を、ルシアンが掴んだ。
「ルシアン?」
「あの……わ、悪かった」
エヴァが見上げたルシアンの向こう側の空の雲に、少しずつ切れ間ができる。灰色の雲の奥に広がる空は、澄んだ青色をしていた。
掴まれた手首は少しの熱と痛みをエヴァに伝える。それはルシアンの焦りの表れだと理解しつつも、アルベールの大きくて優しい手と比較してしまい、エヴァはひどく動揺した。
「えっと、盗み聞きをするつもりじゃなくて、ごめんなさい」
「いや、そんなことはいい。エヴァ=リタ、あのとき、信じてやれなくてすまなかった」
「ジャエル様はご当主として当然のことをなさっただけ。私は気にしてなんて――」
「そうじゃない。あの日、子どもだった僕には、お前の助けになるような力なんてなかったかもしれない。だが今は違う。父上に意見することも、無能じゃないとフォローすることもできるのに。
見ない振りをするほど罪悪感がひどくなって、どうしていいかわからなかった。……ごめん」
空の青はどんどんと広がっていく。エヴァは、幼い頃にルシアンとふたりで領地を遊びまわった日々を思い出した。
「ごめんなんかじゃ許さないけど、これからの誠意には期待してるわ」
エヴァがふっと頬を緩めたとき、ついに太陽にかかる雲も流れて広場に暖かな明かりが差した。
マテュールの領民から見たエヴァは「壊れたモノを見せるとどこが悪いか教えてくれる、カラクリに詳しい変わった子」という認識ですね。やっぱり便利な能力だなぁ





