第20話 収穫祭の夜
9月の最終日。エヴァは髪をブロンドに、瞳をダークグリーンに染めて賑やかな王都を歩いていた。
隣にはアルベールが、やはりいつもより少しだけおめかしをしてエヴァをエスコートしている。
西の空は、既に地平線に沈んだ太陽が最後の力を振り絞って赤く照らしているが、もう間もなくあのオレンジもその上の紫も紺色に侵食されるはずだ。
毎年この時期は国内の各地で収穫祭が開催されるが、王都には収穫されたそれらの多くが集まって、最も賑やかな祭りが開催されるのだ。
ワイン、チーズ、バラやダリアにベゴニアといった花々、それにソーセージや牡蠣。お祭りに乗じて、季節を問わず仕入れが可能なはずの魔物素材の店まで多く出現するのが面白い。
この日ばかりは夜が更けるまで街中に明かりが灯されるし、もう少し時間が経てばロシュタル城も美しくライトアップされる。
「ロシュタルの収穫祭はメリリアでも有名だった。去年は参加できなかったが、帰国を前に遊びに来られて良かったよ」
喧噪の中でも、エヴァはアルベールの声を聞き逃すことはない。
帰国という言葉に胸の痛みを自覚しつつ、エヴァは笑顔で頷いた。
「そうですね、他国のことはわかりませんが、このお祭りを越えるものはないんじゃないかと思います」
10歳くらいの少年ふたりが、串に刺さった大きなソーセージを持ってエヴァの横を駆け抜けて行った。
道の向こう側では、ブドウの足踏み大会を開催しているようだ。多くの観戦者の真ん中で台に乗っているらしい男性ふたりがリズムよく頭を揺らしている。
留学生から依頼された仕事にかこつけてサルトリオの屋敷を出て来たというのに、祭りで遊んでいるなどと侍女長に知られたらどんなお小言が飛んでくるかわからない。
けれども、確かに業務命令で外出しているのだから仕方ないのだ。
「今日のお仕事は……」
「今夜は有給休暇ってやつだな」
「なんです、それ?」
「アンタのマスターが言ってた。『あらゆる勤労者は、給与の保証された休日が与えられるべきだ』ってよ」
エヴァは、「ああ」と頷く。
いつだったかクラウディアがアラサーだった時代の話をした際に、似たような主張をしていたからだ。アラサーたちは勤務時間が長いが、休日は保障されているらしいというのがエヴァの理解だった。
アドバイスを受け入れ、即実行する柔軟性は素直に素晴らしいと言うべきなのだろう。
こんな風にアルベールの良い面をまたひとつ見つけるのは、エヴァにとっては真綿で首を締められるような、じりじりとした痛みがある。
先日の、ポールクレルの言葉に現実を思い出させられたのだ。
アルベールは遠かろうが近かろうが王家の血を引く高貴な出自であり、高い能力と、王子からの厚い信頼がある。婚約者がいないはずがないのだ。
わかっていたことではないか、と俯いて自嘲気味に笑う。
当初の予定通りなら、ポールクレルとアルベールは11月の初旬に帰国することになっている。あと1ヶ月と少ししかない。
国が違う、家格が違う、能力が違う。最初から全部わかっていた。だから――。
「どうかしたか?」
「いえ、あ、ちょっと……喉が渇いたな、と思って」
「んだよ、そんなの早く言えって」
いくら街中に明かりが煌々と灯っていても、チラチラと揺れるランプの下では、無理に作った笑顔に違和感は持たれなかったらしい。
エヴァをベンチに座らせて飲み物を買いに出たアルベールの背中を見つめる。
エヴァは両の手のひらで自らの頬をパチンと叩く。
雇い主がエヴァのために与えた有給休暇。アルベールが帰国前の思い出にしたいと言った祭り。どんよりしている時間はないのだ。
楽しんで、楽しんで、楽しんで、自分こそ人生最良の思い出と言えるようにすべきだ。
ジンジンと熱を持つ頬が、胸の痛みを誤魔化してくれた気がした。
有志の楽団が奏でる音楽に合わせて、多くの人がサルタレッロを踊るのに混じったり、ワインの飲み比べをしたり、ソーセージに舌鼓を打ったり、子豚のレースを観戦したり。
騎士団の飼育するグリフォンが、色とりどりの花びらを上空から振り撒くのを眺めるうちに、楽しい時間はあっという間に駆け抜けていく。
人込みを抜けて、アジトであるタウンハウスへ戻る。アルベールに案内されて2階のバルコニーへ出ると、冷たい夜風が汗ばむエヴァの体温を下げていった。
「ワルツはイマイチでも、サルタレッロは随分うまいじゃねぇか」
「ありがとうございます。でも久しぶりにたくさん飛び跳ねたので、明日はきっと筋肉痛ですね」
3拍子の早いリズムで大きなステップや小さなステップを混ぜながら踊るサルタレッロは、収穫祭では恒例とも言える定番のダンスだ。
ロシュタルやメリリア辺りに生まれてコレが踊れない人はいないと言われるくらいに。
どこかで人々の歓声が聞こえて探してみれば、大通りの噴水のある広場でキャンプファイヤーを始めたらしい。
夜闇に昇る煙は薄っすら白く、パチパチと飛び回る火の粉が遠目に見ても美しい。
「そろそろ時間だな。……寒くないか?」
エヴァが大きな火に見惚れていると、アルベールはその肩に自分のジャケットを羽織らせてから、少し離れた位置にそびえるロシュタルの城を顎で指した。
何事かとアルベールの促す方向へ視線を向けると、まるで見計らったように城中の明かりが点り、美しくライトアップされた白灰の城が闇に浮かびあがる。
「綺麗ですね」
燃えているようにすら見えるロシュタル城は、妖しく美しい。
立ち昇る煙がより一層、城の妖しさを引き立てていた。
「……ああ。去年は城の中にいたから、ここに来られてよかった」
「一緒に見るのが私でなかったらもっと――」
エヴァは心の中で舌打ちをした。
なんで最後の最後で言わなくていいことを言ってしまうのか。自分で自分をぶん殴ってやりたくて、つい拳に力が入る。
「いや、アンタで良かった。最近、元気なかったろ。アンタを笑わせたかったんだ」
「え……」
アルベールが熱のこもった瞳でエヴァを見つめながら、手を伸ばした。
そのごつごつと長い指が、魔法が解けてブロンドから元の濃紺へと戻った髪を一房掬い、ふたりの間を今までにない親密な空気が流れる。
が、張り詰めた糸をパチと切ったのもまた、アルベールだった。
「有給休暇だからな!」
ニヤリと笑って正面を向いたアルベールに、城の明かりが差して整った顔立ちが際立つ。
安堵の中にほんのひと匙ほどの切なさを溶かして、エヴァは幻想的なその姿を瞼の裏に焼き付けて笑った。
どうかこの美しい光景と共に、自分の姿もアルベールの一生の思い出として残りますようにと。
「ん、いい顔だ」
「おかげさまで」
しばらく二人は無言のままに燃える城を眺めた。
もうすぐ国に帰ろうが、戻れば婚約者が待っていようが、雇用主としてのメンタルケアのつもりであろうが、それでも今この瞬間はエヴァのためにここにいてくれるのだと思えば、瞬きすらも惜しい。
どれだけの時間が経っただろうか。
大通りで火を囲んでいた人々がいつの間にか散り散りになったことにエヴァが気づいたそのとき、アルベールがふいに口を開く。
「ポールが来週の選抜トーナメントに出る」
「え……」
ルシアンがマテュール領に新たにできた瘴気沼を浄化すべく、校内で一緒に戦う仲間を求めたところ、学校側がそれを注意した。
しかし成績優秀な最高学年に限り、国家の討伐・浄化部隊のサポートメンバーとして参加することが許可されたのだ。
それを一部では、多大な寄付金を支払うマテュール家を敵に回したくないからだと噂する者もいたが、参加者には卒業後の進路について便宜を図るとのアナウンスに、誰もが意欲的になった。
もちろんいくらサポートメンバーと言えど、能力や技術の伴わない生徒を戦場に送り出すわけにはいかない。
結局、校内で選抜トーナメントが行われることとなったのだ。
「あの学校にポールを負かす奴はいねぇからな、まず間違いなくマテュール領に行くことになるだろうな」
【火花】の奪還作戦が実行に移されるかもしれない。この仕事もそれを最後に終わりになるだろう。
冷たい風が、何かの焦げたような香りを運ぶ。
エヴァは大きく息を吸って、「がんばりましょうね」と呟いた。
いやぁ更新遅刻してしまいました、すみません。
決して、私の生活リズムさんが行方不明になったからではなく、あるやんごとなき事情によって……。
そんなことよりデート回いかがだったでしょうか。
実は次回からまた次の章へと入っていきます。早いですね。
引き続きよろしくお願いします。





