第2話 ドジっ子令嬢の告白
どうにかなだめすかしてサンドイッチを食べさせつつ、詳しい話を聞いたところ、クラウディアが言うにはこういうことだった。
クラウディアとして生を受ける前は、ニホンという世界で仕事に追われるアラサーという種族だった。
アラサーとは有り体に言えば奴隷で、仕事をしていない僅かな時間はほとんどが睡眠に充てられる。けれども、週に一度や二度は休日があって、パソコンゲームという娯楽に興じることが許された。
しかしある日、クラウディアは仕事へ向かう途中でトラックという馬車のようなものに轢かれて死亡した、と。
それだけ聞けば、ずいぶんと独創的な悪夢だなと思う。
お嬢様はもしかしたら学校生活で多大なストレスを受けていらっしゃるのかもしれないと、心配のひとつでもしただろう。
問題はその娯楽が演劇のようなストーリー仕立てのもので、内容がこの世界、エヴァも含む今現在について描かれていた、ということだ。
「それで悪役令嬢というのはどういうことでございますか」
「あのね、わたくしはルシアン様と婚約しているでしょ。そのゲームのヒロインがルシアン様と恋に落ちたら、わたくしは婚約を破棄されて修道院へ送られてしまうの」
一息に喋り終えると、クラウディア用に小さめにカットしたサンドイッチをポイポイと口へ運ぶ。
それを紅茶で流し込んでから、自称悪役令嬢はまた口を開いた。
「昨夜のルシアン様のお誕生日パーティーに、ヒロインのプリメラ様もご出席されてて、ルシアン様にベッタリだったのよ! もうルシアンルートに入ってるに違いないわ」
「なんです、ルシアンルートって」
「ゲームだもの、複数いる攻略対象から、自分でお相手を選ぶのよ」
「……さぁ、髪を梳きましょう」
頬を膨らませて抗議するお嬢様を無視して立ち上がると、その背後に立って艶のある髪にブラシをあてる。
クラウディアはブラッシングが大のお気に入りで、髪に触れられている間は大体いつも大人しくしていた。
話に出たルシアンと言えばこのロシュタル国で知らない人はいない、大有力貴族マテュール侯爵家の嫡子であり、昨日18歳の誕生日を迎えたばかりというのに、これまでに流した浮名は数知れず。
恋多き男といえば聞こえはいいかもしれないが、要するに軽薄な人物と言えよう。
一方プリメラ・バリオーソは、男爵家のご令嬢だ。
最も歴史の深い貴族家のひとつであるバリオーソも、昨今は名前だけになりつつあったが、プリメラのおかげで再興がかなうのではと噂されている。
彼女は特殊な力を持っていたのだ。周囲から聖女などと揶揄されるくらいには。
だからといって、貴族の端くれが自由に恋のお相手を選べようはずもない。
もちろん一部の情熱的な人々は、気持ちの赴くままに青春を謳歌したりするらしいのだが、婚約するとかしないとかいう段階においては、家格や政治的な圧力が必ず働くものだ。
エヴァは、2つ下のプリメラが高等学校へ入学して来た時のお祭り騒ぎを、記憶の隅から引っ張り出して脳裏に思い描いた。
白い透き通るような肌とプラチナブロンドの髪、それに晴天の空のような涼しい青色の瞳は、確かに聖女と呼ばれるに相応しい容姿だと思う。
しかし断然この緩いウェーブの赤毛のほうが好きだ。
それに、あの男のことだから、いつもの発作に違いない。なんの慰めにもならないからクラウディアには言えないが。
「悪役である理由がわかりませんでした」
「ゲームでは、ヒロインをたっぷり苛めるのよ。教科書をボロボロにしたり階段から突き落としたりするの。だからその罪で婚約破棄されちゃうのね」
「突き落としたんです?」
エヴァの単刀直入な問いに、クラウディアはたっぷり20秒くらいおろおろしてから頷いた。
「……結果的には。違うの、足を滑らせただけなのよ。ほんとうに。落ちる寸前にはちゃんと怪我をしないように防御もしたもの!」
振り向いて必死に訴えかけるクラウディアの頭を両手で抱えて、前を向かせる。
エヴァとクラウディアの付き合いは長くないが、奇跡的なドジを頻繁に発生させてきた彼女なら、【足を踏み外した結果、たまたまヒロインを突き落とす】ことなど朝飯前でやってのけるだろうと頷ける。
ただ悲しいかな、その言葉を信じるのはサルトリオ家の人間だけだ。
きっと他にも、さきほどクラウディアが説明したような苛めに類することを、奇跡の不運でたくさんやってのけているに違いない。
ただの悪夢でなければ、いずれ婚約破棄が実現してもおかしくなさそうだと思ってしまうくらいには。
「その罪悪感で、悪夢をご覧になったのでしょう」
エヴァの言葉に、クラウディアは頭を左右にぶんぶんと振る。夢の話ではないと主張するように。
髪が可愛らしい顔を隠してしまわないように、今日はてっぺんでお団子にしてやろう。
エヴァが髪をまとめる作業に入ると、ブラシに引っ張られるままに頭を右に左にと揺らすクラウディアが、ポツリ呟いた。
「わたくし、婚約破棄はかまわないけど……いじめっ子だなんてポールクレル様に勘違いされたくないわ」
「は?」
◇ ◇ ◇
エヴァの理解を待たず一方的に語り終えたクラウディアは、「これ以上プリメラ様を傷つけるようなドジを踏みたくないの」と言って、着替えの介添えを断ってベッドに丸まってしまった。
お団子にした頭がほつれてしまわないように、枕に横向きでそっと頭を乗せるのを見守ってから、エヴァは溜息を吐いてワゴンを押しながら部屋を後にする。
学校をお休みするための茶番だと思う一方で、甘え上手なご令嬢が考えたにしてはユニークすぎるストーリーを、妄想と一蹴できない。
エヴァは侍女長と家令にクラウディアが体調不良だと伝えてから、学校まで彼女の休みを連絡する役を買って出た。
春からこの屋敷に奉公するようになって、まだ数か月。
年齢が近いからという理由だけで、クラウディア付きの侍女として彼女の身の回りのお世話をしているが、そのご主人様がふて寝をするなら、自分もまた仕事をサボることが許されるはずだと、お使いを盾に屋敷を飛び出す。
王都に屋敷を構える王領伯邸から、全国の貴族の子女を集めた【ガエテル高等学校】まではエヴァの足で15分程度。
真正直に用事を済ませて戻れば1時間もかからないだろう。しかし残念なことにエヴァはきっと途中で腹痛に襲われてしまうのだ。
「あーお腹痛いなー。お腹が痛いのでは仕方ないですわー」
誰に聞かせるわけでもないのに、誰が聞いても大根役者だと思うような抑揚のないセリフを呟き、エヴァは大通り沿いにある年季の入った噴水の縁へ腰かけた。
水を湛えた人工の池の真ん中には、神話の女神を模した像が佇んで腕の中の甕から水がちょろちょろと流れ続けている。
今はまだ、池から水が沸き上がるような仕掛けは動いていない。恐らく、人通りが多くなるような時間に噴水は噴水としての仕事を始めるのだろう。
女神がちょろちょろと垂れ流す水の音が、エヴァの心をリラックスさせる。
そもそも水場というのは、周囲の空気が清涼で爽やかなおかげでドロドロした頭の中が洗われるような気がするのだ。
「悪役令嬢……婚約破棄……断罪……?」
先ほどのクラウディアの話を思い返す。
彼女の言う【ぱそこんげーむ】とやらは、一種の預言書と考えられるだろうか。
その預言書によれば、プリメラ・バリオーソとルシアン・マテュールが愛を誓い合い、クラウディアはプリメラをいたぶった廉で婚約破棄、そして修道院へ――。
「いやいやいや」
エヴァは両の手の平で頬をペチペチと叩く。
あまりにも非現実的すぎる。婚約は家同士の契約だ。爵位を継ぐ前の子息たちが自分本位にどうにかできるものではない。
マテュールとサルトリオ。地方の大貴族と中央の大貴族の婚姻など、普通なら国が認めない。
それを説き伏せるほどの力がマテュール侯爵家にあったのだと人々は噂するが、そうであればより一層、簡単に反故にできる話ではないはずなのだ。
けれども「非現実的」という言葉に、エヴァは思い当たることもあった。
「私がサルトリオ家にいることも、非現実的なのよね……」





