第17話 侍女の意思
四阿と話をして、お手洗いを借りる振りをしながら屋敷の中を徘徊して、また庭に戻る。
エヴァは、マテュールの屋敷のモノたちから聞き出した言葉に衝撃を受け、顔色を青くしていた。
モノたちは真実を語る。
そこに忖度は存在しない。
小さな歩幅でゆっくり戻るエヴァを待っていたアルベールは、姿を見るなり駆け寄ってその背を支える。
「大丈夫か?」
「はい、少しびっくりしただけで……」
「ここでの仕事は終わりだ、出よう」
突然の業務終了宣言に驚いて、エヴァが何か言おうとしたときには、アルベールはもう手近な給仕に馬車をまわすよう伝えていた。
有無を言わせないまま、エヴァの腰を支えながらミレーナの元へと向かう。
「少し早いのですが、我々は失礼させていただきます」
「まぁ。……あら、エリザベト様はご体調が?」
「ええ、ロシュタルまでの移動で疲れているところに、少しはしゃぎ過ぎたようです」
腰を持つアルベールの手に力が入る。
エヴァは、よくまぁ口からでまかせがポンポンと溢れてくるものだと思いつつも、大根役者がしゃしゃり出ても仕方ないかと大人しく黙っておくことに決めた。
会場の中心へ視線を向ければ、ポールクレルが二人に手を振っている。
アルベールの言う通り、振り返ってみれば会場内の女性をポールクレルが一挙に引き受けたせいか、アルベールとエヴァに話しかける人間はほとんどいなかった。
おかげさまで散歩と称したスパイ行為も順調だったと言える。
エヴァが小さく膝を折って淑女の礼をとれば、女性たちの目つきが刺さるように鋭くなった。エリザベトという女性はロシュタルに多くの敵を作ってしまったらしい。
「また遊びにいらしてね」
「ありがとうございます」
ミレーナの優しい言葉に素直に感謝して、アルベールと共に馬車へ乗り込む。アジトに戻って着替えれば本日の仕事は終わりとなるだろう。
マテュール家の門を窓から一瞥して、瞳を閉じる。夢のようだった瞬間を忘れないようにしなければならない。
「おい」
「はい」
「今から言うことは、業務命令でも権力に任せた発言でもない。リズではなくエヴァ=リタとして、自分の意思で答えてくれ」
「はぁ」
瞼をもちあげれば直視するのも困難な美形が真っ直ぐにエヴァを見ている。
横で腰を抱かれているほうがマシだと思うのは、エヴァではなくエリザベトであるという意識が多少なりとも働いていたからだろうか。
長いものに巻かれて与えられた指示の中で生きるエヴァにとって、個人の意思を尊重されるような場面は多くない。
だから一体何を言われるのか、見当もつかなかった。
「クラン・ヴォワールって知ってるか」
「え? あ、はい。まぁ」
昨年、商業エリアに新たに開店したばかりのカフェだ。
なんでもタルトを専門に扱う店で、とても美味しいとの評判はサルトリオの侍女の間でも有名であった。
「ちっと、付き合ってくれよ」
「あ……」
本来なら小躍りしたいくらい嬉しい言葉だ。
機会があれば立ち寄ってみたいと思っていた店に、好きな人が誘ってくれたのだから、断る理由はどこにもない。
……今日じゃなければ。
エヴァは、タウンハウスにサルトリオのお仕着せとともに置いて来た小さな箱を思い出して、一瞬、目を泳がせた。
「いや、無理ならいい。体調良くねぇしな」
「いえ、体調は大丈夫。行きましょう。楽しみです、とても」
エヴァがニコリと笑うと、アルベールはほっとした様子で御者に行き先の変更を伝えた。
実際、楽しみであることは確かだった。
ただあの小箱はデシレに捨ててもらうよう言っておかなければならない。専門店のタルトのあとでお目にかけることなどできやしないのだ、手作りのアップルローズタルトなど。
「んーーーっ!!」
専門店を名乗るだけのことはある。
エヴァは口に入れたタルトがサクっと解けてふわりと広がる食感に感動して、足をバタバタ動かした。
ふわりと広がるのは食感だけじゃない。レモンの香りと蜂蜜の優しい甘さが口内を蹂躙して鼻から抜ける。
「もっと静かに食えねぇのか」
「だって、こんな食感初めてです!」
窓から最も遠い席は周りに客もおらず、ちょっとやそっとの奇声は許されるはずだ。
必死に訴えるエヴァに、堪えきれずに笑ったアルベールだが、彼もまたひとたびタルトを口に運べば「ああ」と頷くしかない。
男ひとりで来るわけにはいかなかったのだと説明するアルベールの、見た目に寄らない甘党な一面に、エヴァはまたひとつ胸がギュっと絞られる。
ただ微笑を浮かべながら静かにタルトを口に運ぶだけの作業だったが、それはお互いに決して窮屈な時間ではなく、けれどもこの後の話題を思えばどうしても気が重くなった。
「で、さっき何を聞いた?」
小声が届く範囲に誰もいないことを確かめてから、アルベールが重い口を開く。
屋敷から出て来たエヴァの様子は普通ではなかった。
屋敷内で何があったのか、それが【火花】に関する内容であろうとなかろうと、エヴァを巻き込んだ結果として彼女を傷つけることがあったなら、出来ることはなんでもすべきだとアルベールは考えた。
「ええと、……おっしゃる通りジャエル様がお持ちでした」
「金の鳥?」
「はい。屋敷の裏の扉が見てました。長く王都に滞在する際は庭の温室へ運ぶそうです。四阿の話では、温室に地下室を作っているんだとか」
「やっぱ持ち歩いてんだな」
「はい、以前よりも我が儘になったという話も」
もし公の場で裁くことにでもなったらモノの言葉を証拠、証言として採用することは難しいだろう。
けれどもすべて秘密裡に進めていく上では、隠し場所さえもわかったのだから十分すぎる情報だ。
これはアルベールが他人の嘘を見破る洞察力を持ち、そして、エヴァ=リタという人物が嘘を吐くのが不得手であるからこそ成立する調査方法で、エヴァの素直さを一方的に利用しているような罪悪感があった。
「他には?」
「……ルシアンの婚約を早まったと」
僅かに視線を落として下唇を噛みしめていたエヴァが囁く。
それは意を決して切り出したというよりは、一人で抱えているのが辛くて零れ落ちたというほうが正しいだろう。
「え?」
「ルシアンにはプリメラ様がより相応しく、クラウディア様との婚約をいかにして破棄するかと、ぼやいていたそうです。
す、すみません。アルベール様の欲しい情報と関係ないことを……!」
「いや、いいんだ」
わかりやすく顔を青くして唇を震わせるエヴァは、両手で紅茶のカップを握りながらそれを口に運ぶのに多くの時間を要した。
「ひどい、です。ルシアンは能力の発現が遅くて……クラウディア様が白であることがわかってすぐに、婚約が成立しました。マテュールからの一方的なお話だったと聞いています。
それが今さら……。ルシアンも白だったから、もう白はいらないってことなんでしょうか。婚約破棄だなんて、クラウディア様のお名前に傷がつきます。いくらご本人が構わないと――あ、ごめんなさい。つい愚痴っぽくなってしまって」
「アンタ、よっぽど好きなんだな。あのお嬢様のこと」
アルベールはぱちりと瞬きをして呟いた。心底意外だとでも言いたげな様子で。
その表情にエヴァも頬を緩めて、けれども首を横に振って否定した。
「楽なんです。あの人は自分を偉いと思ってないから。それに憎めない。泰然自若というかジタバタしないところは、何事も言われるがままの私と似てるようでまるで違うから、羨ましいのかも。
ああでも、ほんとは私の能力を知っていてもそのままでいてくれるから……だと思います」
「そうか」
「はい」
窓際の客が席を立って、二人の視線がそちらへ向かう。
外から差し込む光が淡いオレンジ色を滲ませているのに気づいて、どちらともなく帰り支度を始めた。
「なぁ」
「?」
「アンタは自分の意思でここに来てくれたんだよな? なら、何事も言われるがままってのは正しくねぇな」
アルベールの言葉に、いや、優しさに、エヴァはゆっくりと笑みを広げる。
「そうでした。お誕生日おめでとうございます。……って言いたくて」
「くくっ。ポールから聞いたのか? ありがとな」
店を出たふたりは、馬車のある大通りまでの少しの距離をいつもより気持ちゆっくり歩いた。





