第15話 スパイの準備
鏡に映る自分自身を、エヴァは三度、見直した。
見慣れた自分なのに、自分ではない。
化粧が上手い、整えられた髪が美しい、それらはもちろんだ。が、それに加えてエヴァを驚かせたのが、色の違いだった。
「わーお。ブロンドがよくお似合いです、レディ。瞳は元々のスミレ色が美しすぎるので、隠してしまうのは勿体ないんですがー。でも、グリーンも可愛らしい!」
背後で手を叩きながら褒めちぎる小さな男はオーブリー・ランヴァンと言って、色師を名乗っていた。
黒魔法の持ち主で、能力は【生物のあらゆる色を変化させることができる】のだという。エヴァもその存在を噂には聞いたことがあるし、以前クラウディアが持ち出した「黒魔法目録」にも掲載されていた。
だが希少な能力だ。黒魔法自体、能力者は少ないというのに、メリリアはよく見つけられたものだと、ダークグリーンの瞳で輝くブロンドを眺めながら感嘆の声を上げる。
「ほんとにすごい。色が……」
「お肌も気持ち明るくしておりますからね、レディ。大体5、6時間は持続しますー。今日はワタシの同行は必要ないと聞いてますから、これにて失礼をば!」
作業中、しばらくはロシュタルに滞在して観光をするのだと楽し気に語っていたオーブリーは、言うべきことを伝え終えるといそいそと部屋を出て行った。
オーブリーが出て行ったのを見て、デシレはエヴァの肌を覆っていた大判のショールを外し、首元に深い緑のジェダイトのネックレスをかける。
ドレスはチョコレート色のバッスルスタイルで、ストライプのリボンやサテンのスカート、それにレースでふんだんに飾り付けられていた。
アルベールの瞳そっくりのネックレスと、アルベールの髪色そっくりのドレス。
エヴァが思わず顔を赤くさせ、慌てて鏡から目を逸らしたとき、支度部屋の扉がノックされてアルベールの声が響いた。
「オーブリーが出かけたようだが、準備は終わったのか?」
「ええ、もう終わりです」
デシレが返事をしながら扉を開ける。
「あぁ……。さすがに、髪の色ひとつで別人のようだな」
アルベールはそれだけ言うと、室内には入らないまま踵を返した。
「もうすぐ出発する。出られそうならホールへ来い」
「はっ、ひゃい」
エヴァの髪や瞳の色は変わったが、アルベールの顔色は一切変わらない。
着飾ろうが眉一つ動かさない。それが、エヴァには残念で、けれども残念に思うこと自体が馬鹿らしくて、小さく笑って立ち上がった。
◇ ◇ ◇
「おい、聞いてんのか」
「ふぁっ! はい、大丈夫です」
エヴァの前に座る男は、不機嫌さを隠すことなく長い指でコツコツと馬車の窓の桟を叩き、エヴァの意識を彼方から連れ戻した。
大丈夫と言いながら、まるで心ここにあらずのエヴァに、アルベールは最初から二度目の説明をし始めた。
一昨日クラウディアが心配していた通り、今日は午後からマテュール家主催のガーデンパーティーがあり、ポールクレルもアルベールも出席するのだという。
……もちろん、エヴァも。
アルベールが言うには、オーブリーによってエヴァを別人に仕立てあげたのは、堂々と招待客のパートナーとして紛れ込ませるためらしい。
元々はもっと大勢を呼んでの晩餐会になるはずが、マテュール領に瘴気沼が発生したことでジャエルが領地に戻った他、出席予定者の何名かは多忙にて欠席となった。
しかしポールクレル王子殿下を招待している以上、催しそのものを中止にすることもできず少人数のガーデンパーティーを執り行うこととなったという。
しかしエヴァが今うわの空になっているのは、いくら変装したからといってマテュール家の人間には正体を見破られるかもしれない、という不安……だけではない。
昨日の勉強会の最後に、ポールクレルはこれ以上ないほど楽しそうな笑顔でエヴァに告げたのだ。「明日はアルの誕生日だ」と。
だからなんだ。
エヴァの脳内を占めるのはほとんどが「だからなんだ」である。誕生日なのにポールクレルの護衛どころか、マテュールの庭で大仕事をしなくてはならないことを憐れんだらいいのか。
それとも、エヴァのお守をしないといけないことをこそ、謝るべきなのか。
謝るとはどういうことだ。この日にエヴァを呼び出したのはポールクレルとアルベールである。エヴァが謝る道理などどこにもない。
なぜ知らせたのか。
わざわざエヴァに知らせるからには、何か理由があるんだろうか。ポールクレルがエヴァに何を期待しているのかさっぱりわからない。
「痛ッ……」
「また聞いてなかったろ」
「聞いてました。ジャエル様は領地にお戻りになっているから、【火花】は恐らくタウンハウスにはないということでしょう?
だからモノたちからタウンハウスにおける【火花】の隠し場所とかを聞き出すようにと」
エヴァの額を長い指でペチと弾くと、アルベールは長く息を吐きながら、座席の背もたれにゆっくりと体重を預けた。
細めた瞳は、エヴァの理解度を確かめようとしているようだった。
アルベールは最近流行りの、ボタンの位置の高いジャケットスタイルで、立てた襟に巻かれたタイは黒にも見える深い緑だ。
これが、今の自分の瞳の色に合わせたものならどんなにか嬉しいだろうと思いながら、エヴァは窓に映る自分の瞳を見た。
「ポールは侯爵不在のミレーナ夫人のエスコートをするらしい。もうマテュール家に向かっているはずだ。俺はアンタと一緒に入場する。いいか、今日のアンタはエヴァ=リタ・ノヴェッリじゃない。エリザベト・バイエだ」
「エリザベト・バイエ……」
「俺がリズと読んだら返事を」
「はい」
バイエ家はエヴァでも聞いたことがある。メリリアの伝統ある伯爵家だったはずだ。そのバイエを騙っていいのかと不安になるが、そうしろと言われたからにはそうするしかない。
今日のアルベールは、いつもよりもどことなくピリピリしている。
今まで2度、学校横のタウンハウスで共に同じ時間を過ごし、ほんの少し距離が近くなったような気がしていたエヴァは、すっかり現実に引き戻された気分だ。
「アンタは、いや、リズは俺の遠縁でロシュタルの観光に来た。いいな?」
「はい」
「人見知りだから、あまり喋らない」
「はい」
「俺のことはアルと呼ぶように」
「はい……はい??」
エヴァが素っ頓狂な声を上げたとき、馬車の車輪が土ではなく石畳の上を回る音へと変わった。振動も少し大きくなる。
「ついたな」
「はい……」
「『ええ』だ、リズ」
「ええ……」
窓の外には、エヴァも見慣れたマテュールの屋敷。
多くの人が集まっているらしく、ざわざわと賑やかな声が聞こえ、馬車の扉が開けばそれはさらに大きくなった。
「お手をどうぞ、お嬢様」
先に降りたアルベールがエヴァへ手を差し出す。
生まれが貴族であったことに心から感謝を捧げ、エヴァはゆっくりとその手に自らの手を乗せた。
頭の中が真っ白になっても、この程度なら体が勝手に動いてくれるのだから。
「俺たちの関係を勘違いする奴がいても訂正するな。曖昧に誤魔化して好きなように言わせておけ」
馬車を降りる際にアルベールはエヴァの耳元で囁いた。
ああそうか、婚約者だと思う人もいるのかもしれない。
そう思いいたって、エヴァは息を止めた。
わざと勘違いさせるなんてどういうつもりだ。心臓が持たなかったらどうしてくれる。
既に背を向けて会場の入り口へ歩いて行くアルベールの背に向けて、抗議の声をあげようと試みるが、んー! と寝起きの猫みたいな声にしかならず、諦めて追いかけた。
「アルベール・ラッツァリーニ様ですね」
「ええ。こちらはエリザベト・バイエ伯爵令嬢」
「本日はお招きいただきありがとうございます」
招待状の確認をしているのはマテュールの家令のカストだ。
長くマテュールに仕え、エヴァも幼い頃からよく世話をしてもらっている。
いきなりの強敵の出現に手も声も震えたが、どうにか膝を曲げ小さくカーテシーをすることで誤魔化した。
「ポールクレル殿下ももういらっしゃっています。どうぞ、お楽しみください」
「ありがとう」
顔を伏せ、カストと目を合わせないようにしていると、アルベールがカストの視線を遮るようにしてエヴァの肩を抱き、優しく体の向きを変えさせる。
「行こうか、リズ」
「ええ」
差し出されたアルベールの右手に自らの左手を乗せて、ゆっくりと歩き出す。
この時間がずっと続いたらいいのにと。
オーブリーは作者の好きなキャラベスト5に入りそう。
次回は明後日の更新です。





