第12話 好物のタルト
週に二度、歴史の授業に付き添うため学校と屋敷との間を度々往復した。
学校の隣の空き家だったタウンハウスは、2ヶ月近く前に買い手が見つかったらしくずっと補修工事が行われていた。
王都の中でも一等地と呼べるタウンハウスを買い取った貴族の名を、クラウディアも知らなかったのだが――。
「まさかメリリアが買い取っていたなんて」
「正式な持ち主はロシュタル国籍だから安心しろ」
クラウディアの了承が得られた日から2日経って、学校へ呼び出されたエヴァを待っていたのは華美ではないが質のいい馬車だった。
馬車はすぐ隣の屋敷へ入って行き、ダークグリーンの瞳を冷たく光らせた男がエヴァを出迎えたのだ。
一等地の高級タウンハウスの持ち主も、王子と知ればさもありなんと納得するものである。
正式な持ち主について調べたところで、きっと細かい情報など出てこないのだろう。
エヴァはロシュタルの王家の力も働いているような気がして、深く追求することをやめた。
「滞在中のお前の世話はデシレがやる」
屋敷内に入ってすぐアルベールが発した言葉に、お仕着せ姿の大柄な女性がぺこりと腰を折る。
赤茶色の髪は女性にしては珍しくとても短いショートカットで、もし男装をしたなら女性だと見破る人は少ないのではないかと思わせた。
「いえ、自分のことは自分でできますから」
「この屋敷じゃアンタは客人だ。あと……俺が24時間傍にいられないことはわかるな?」
エヴァに課せられた仕事は、モノの声を聴くことだ。モノだけが知っている真実を拾ってくること。
それには、現地からモノを持ってくるか、エヴァが現地へ向かうかする必要がある。もし現地へ向かうことになるなら、人に見られても困らない姿でなければならない。
つまり着替えたり、時には風呂に入ることもあるだろう。
デシレはそれらの介助に加えて、アルベールの立ち入ることのできないタイミングにエヴァを守る役割を持っているらしい。
「はい」
そうとなったら頷くしかない。
長い物には巻かれるべきというのがエヴァの信条でもあるのだから。
「じゃ、着替えを済ませたら早速打ち合わせだ」
「着替えですか?」
「その恰好のままじゃ誰が従者かわかんねぇだろ」
アルベールは言うだけ言って、中央の階段を長い足を持て余すように登っていった。
一瞬遅れて、エヴァもまたデシレの案内に従って上階へ向かう。カーペットの張替えまで行ったのか、新品のようなふわふわとした歩き心地に、つい歩幅が小さくなってしまう。
「こちらからお好きなものをお選びください」
いくつかのピカピカした立派な扉を通り過ぎてデシレがノブを回した先には、クラウディアの私物と遜色ないほどに揃えられた衣類と装飾品の数々があった。
貴族と一言で言っても、クラウディアとエヴァとでは生育環境も金銭感覚も何もかもがまるで違う。
「好きなものって」
まさか、と室内に駆けていき、いくつかのドレスを鏡で合わせてみたり靴を履いてみたりする。
そのまさかであると確信をもってデシレを振り返ると、大柄な侍女はニコリと笑って頷いた。
「大体の寸法はサルトリオ家から教えていただきました」
◇ ◇ ◇
「悪いな。いちいち仕立てる時間ねぇから、どっかの貴族が売り払った既製品だ」
「いえ……」
次にデシレに案内された部屋は書斎のようで、大きな書き物机の他に広いテーブルと椅子が4脚。机もテーブルもあらゆる書類が散乱していた。
エヴァは大柄な侍女がテーブルの上を雑に片付けるのを見ながら、恐る恐る椅子に座る。アルベールも机から離れてエヴァの対面に座った。
できるだけシンプルなワンピースを選んだが、それでもエヴァが制服以外で着用する私服のどれよりも上等なものだ。
貴族が社交用に仕立てる衣装の多くは売り払われる。彼らは同じ衣装で夜会に出かけるのを嫌う習性があるらしい。一方で、毎回仕立てる金銭的余裕のない貴族は中古の衣装を買い求めるのが一般的だった。
「大体の説明はこないだポールが話した通りだが……、こっから先は口外禁止の極秘情報だ」
「はぁ」
デシレが雑に片付けたテーブルの上を雑に拭き上げる。埃の筋がついたが、デシレはそのまま部屋を出て行ったため、エヴァは拭き直そうとハンカチを取り出して動きを止めた。
「あの」
「あ?」
「これ、ありがとうございました」
白いハンカチを差し出すと、アルベールは一瞬キョトンとしてから「おう」と笑った。
エヴァは肩を強張らせて俯く。綺麗な顔の持ち主は笑いかける前に何か合図する法律を作ってはもらえないだろうか。
体中の血液がポコポコと沸騰しながら顔に集まってくる。エヴァは室内が薄暗いことを人生で初めて感謝した。
「盗まれたものは、ポールが言った通り国宝だ。金の鳥」
「金の鳥」
「不死鳥っての? 知らねぇけどまぁ金細工で目はルビー。それだけで見惚れるくらいには綺麗なモンだ。だがな、アレは人の心を惑わす」
アルベールが声を潜めたとき、形式だけのノックとともに扉がゆっくりと開いてデシレがワゴンを押しながら入ってきた。
ワゴンに紅茶とタルトのセットが乗っているのを見て、テーブルを拭き直さなければと自分のハンカチを探してポケットを弄ったが、テーブルはすでに綺麗になっている。
不思議に思いつつ、なぜかアルベールの袖が汚れていることには気づかないふりをした。
「心を惑わすとは」
「アレを見た人間は欲望が増幅される。それも異常なほどにだ。文献によると効力は本人の意志の強さでも変わるらしいがな、人殺しも厭わないくらいに狂わせるそうだ」
「そんな、どうやって……」
「黒魔法だよ。製作者が能力者だったんだろうと言われてる。アボンディオ家……ポールの血族には効果がない。だから王家で管理するしかねぇんだ」
デシレがテーブルにアップルローズタルトと紅茶を並べていく。爽やかな香りがエヴァの鼻腔をくすぐった。
一体どんな理由があったら能力を使ってまでそんなシロモノを作ることになるのか、エヴァには思いもつかない。
欲望を増幅させるということは、このタルトを二つ食べたいがためにアルベールを殺してしまうということだろうか。まさかそんな。
「これも食っていいぞ」
「そんなに物欲しそうに見えましたか?」
「まぁな」
目の前のタルトが乗った皿を、エヴァのほうへ押しやりながら目じりを下げたアルベールに、エヴァは瞬間的に目を逸らした。
法律の整備が待たれるところだ。
ぺこりと頭を下げて、まずは正しく自分の元にやって来たタルトに手を伸ばす。
「食いながら聞け。犯人、つまり現在の持ち主が抱える欲望というのがわからない以上、早急に取り返す必要があるんだ。独裁国家の樹立でも目論んでみろ、とんでもない悲劇が起こるからな。
そういや、犯人の目星はついてると言ったが、あれは……」
リンゴでできた薔薇は表面がキラキラ輝き、薔薇を模った宝石のようにすら見える。
この造形美にナイフを入れるのは心が痛むが、しかし食べてやることこそ、このタルトが最も望んでいることなのだから仕方がない。
心を鬼にして……サク。最初に少しタルトの抵抗があるものの、あとは滑るようにナイフが入っていく。一口サイズに切り分けたタルトを口に運べば、夢と希望が口の中に広がった。
「――ッ!!」
ギュっと目を閉じて、口に広がるリンゴの自己主張を余すことなく味わう。
歯ざわりはナイフを入れたときよりも、ずっとわかりやすくエヴァを楽しませた。サクサク、カリカリ。タルトが香ばしくバターの存在を知らせ、滑らかなアーモンドクリームと混じり合って鼻に抜けていく。
ナイフとフォークを指に挟んだまま、自らの頬を落としてしまわないように両手で掴んで押し上げる。
飲み下してから紅茶をいただけば、風味豊かな香りと少しの苦みが口の中を洗い流して、また次のタルトを迎え入れる準備を整えた。
「なんです?」
カップをソーサーに戻して顔を上げると、頬杖をついてエヴァを眺めるアルベールと目が合った。
例えばそれは、餌を頬袋いっぱいに詰め込むシマリスを眺める動物学者のような目だ。
「話は食い終わってからにしよう」
そう言ってアルベールは手近な場所にあった新聞を読み始めた。ランプを引き寄せて、足を組んで。たまに思い出したように紅茶に手を伸ばす姿も様になる。
エヴァはできるだけその姿を視界に入れないよう細心の注意を払いながら、タルトを切っては口へ運んだ。
クラウディアの3度目の授業にもアップルローズタルトを持ってきてくれたのを思い出す。それを選んだのはポールクレルだと思っていたが、もしかしたらアルベールだったのかもしれない。
卒業パーティーの日、アップルローズタルトを食べ損ねたから?
もしそうならほんの少し嬉しい。タルトを譲り合ったことを、結局食べられなかったことを、笑ってしまうほど些細なことを覚えていてくれたなら。
カツ、コツ。カサリ。カップとソーサーが重なる音、ナイフが皿に当たる音、新聞がめくられる音が小さく響く。
動作に伴う音を最小限にとどめても響くほど、静かな環境だった。
それはこの屋敷に少数の人間しか留まっていないことを示すのと同時に、全てのモノが新しいということを物語っている。
ふわふわのカーペットも、ピカピカの扉も。
テーブルも机も棚も。
耳を傾ければ、古い柱が何かぶつぶつ独り言を発しているのがどこかで聞こえる。
けれども新しいものばかりのこの屋敷はすごく静かで、心が安らいだ。
いくらなんでもエヴァのために全てを準備したとは思わない。能力について知られてから2日で出来ることではないからだ。
わかっていても、自然に口角が持ち上がった。
タルトを食べるだけで終わってしまった……





