第11話 侍女の副業
「ポール。とっかかりだ」
図書室の扉を大きく開けて一言、アルベールが告げる。
驚いて目を丸くさせたポールクレルは、しかしすぐに頬を緩めて「なるほど」と応じた。
「頭が混乱しています。ええと、エヴァを連れて帰りたいということですの?」
「ええ、平均して週に一度くらいの頻度を予想しています」
クラウディアが右手の中指でこめかみをモゴモゴと押しながら眉を下げる横で、ポールクレルがまるで奴隷商のような笑顔で頷いた。
エヴァとアルベールは、二人から読書用のテーブルをふたつ挟んだところで静かに話を聞いている。
焦げて千切れたタッセルのロープを縫って再利用を試みるエヴァの横で、アルベールは窓の外を眺めていた。
ポールクレルがクラウディアの説得を終えた後のことを考えながら。
使用人の身の振り方については雇用主が話し合うべきことで、エヴァもアルベールもただ待つしかないのだ。
が、話し合いは難航していた。というのも――。
「エヴァに危ないことはさせられません」
「基本的に危険な任務をお願いする予定はありませんし、サルトリオ家には迷惑料を、エヴァ=リタ嬢には依頼料をそれぞれお支払いします」
「でも、スパイ行為ではないですか。お金の問題ではありません」
頬を膨らませたクラウディアが、テーブルの上で拳を握る。小さく震える拳は、怒りではなく不安によるものだと誰もが気づいている。
ポールクレルの説明によると、留学生というのは仮の姿であり、彼らは盗まれた国宝を探しにロシュタル国へやって来たのだという。
犯人と思しき人物のおおよその目途はついているが、物証はなく、また大事にすれば国交問題に発展しかねないため、全て秘密裡に事を進めたい。
「いえいえ、ちょっとロシュタルの国史について資料をまとめるのを手伝っていただくだけですよ」
ポールクレルの柔らかな口調に、アルベールが堪えきれずに笑う。王子様というのは、時に相手がうんと言うまで押しも引きもしなくなることがある。
今のポールクレルがまさにそれで、スパイ行為の説明をした直後にもうその話は無かったことにしようとしているのだ。きっともう、一切折れることはないだろう。
しかしエヴァの能力は、膠着している現状を打開する大事な一手になるのだから仕方ないのだ、とアルベールは小さく頷いた。
「わたくしは従者の身の安全に責任を負っています」
「私もです、レディ。だからアルベールは失敗しないし、任務中アルは彼女から離れない」
「えっ――痛ッ!」
ポールクレルの言葉に驚いて立ち上がったエヴァは、そのままの勢いで針を自分の指に刺してしまった。指の先から赤い玉がぽつりと浮かぶ。
「そこまでは守れねぇぞ」
「わかってます」
アルベールのダークグリーンの瞳には呆れが色濃く浮かんでいたが、誰よりも早くハンカチを差し出し、ふてくされた顔でそれを受け取ったエヴァを見て口角を上げた。
一連の流れを見て、クラウディアとポールクレルが目を合わせる。
「どうでしょう?」
「え、ええ……父への根回しを手伝っていただけるなら」
クラウディアの突然の方針変換はエヴァを困惑させたが、雇用主がそう言うのならそれに従うしかない。
静かに座り直し、赤い染みの付いたハンカチを眺めた。
クラウディアがエヴァの派遣を決めたことを、心のどこかで喜んでいることに気づく。
やはり、駄目だった。
立場が違う、能力が違う。
わかっているから気づかないふりをしてきたというのに、度々その顔を見て、声を聞いて、知らなかった表情を知ったら、止められないではないか。
叶わぬ恋だ。
本来であれば、ノヴェッリの名を汚さない程度の相手とひっそりと結婚して、静かだけれど平和な家庭を築くはずだったのに。
結婚はしばらく先になりそうだ。少なくとも、この思いを忘れられる日が来なければ、出来ようがない。
溜め息を深呼吸に変えて、ハンカチをポケットに突っ込んだ。
一方クラウディアは、右手を頬に当てたまま部屋の隅を見つめ、何事か考え込んでいる様子に見え、ポールクレルはその小さな口が開くのを待つことにした。
「危険なことはさせないと仰いましたけど、万一の場合というのがあって、だからアルベール様がついていてくださるのですよね?」
「ええ」
「では週に一度と言わず、解決するまでエヴァを預かっていただくことはできません? 万一というときに、当家で事情も知らせずにエヴァを守るのは難しいですわ」
「なっ」
「駄目だ」
エヴァは、クラウディアの目がまた玩具を見つけた子猫のように輝いているのを見逃さなかったが、抗議の声をあげるよりも早く隣に座っていた男が拒否を示した。
ポールクレルは苦笑し、クラウディアは頬を膨らませているが、エヴァは自分がどんな顔をしたらいいかわからないままアルベールの言葉を聞く。
「コイツがずっといたらポールを守れないし、接触してる時間が多いほど万一の可能性が増えるからな」
「……実際、万一ということになれば解決まで我々の手の届く場所で過ごしていただきますよ」
クラウディアは二人から窘められ、一見してわかるほどしゅんとしている。
このままちゃんと反省して、思いつきで周りをびっくりさせることをやめてくれればいい、とエヴァは思った。
「今日、城に戻ったらすぐに手配しましょう。早ければ明日か明後日にエヴァ=リタ嬢をお借りしたい」
ポールクレルが荷物を片付けながら言う。
壁にかかった時計はもう15時を大きく過ぎている。
「ええ、それは八方問題がなければ構いませんわ。もしかして、歴史のお勉強はエヴァに近づくための建前でしたか?」
「いえいえ、私はロシュタルの歴史からメリリアの未来を学ぶつもりですから。今後ともよろしくお願いします」
エヴァは貴族の会話の裏の意味を読み取ることが上手ではない。
言葉通りに受け取れば相手の表情と齟齬が生じ、真意を探るために頭をフル回転させる経験など数え切れないほどだ。
しかし今、クラウディアとポールクレルふたりの会話と表情の変化に齟齬がないことが、エヴァに小さな違和感を与えた。
国宝を盗まれちゃう迂闊なメリリア国さんかわいい





