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遵守2

「他にも我は二つの詠唱文を覚えた。そのうちひとつは〈反動〉という」

「ああ、お前がさっき大失敗したやつだな」


 自分たちがずぶ濡れになった顛末を想起したのか、リッドは思い出し笑いをする。アドルフにとっては不愉快な態度であったが、彼女はお構いなしに話を続けた。


「〈反動〉は戦闘時の支援魔法としては万能かつ有力なものだ。行使できる魔導師も、クラスが高い者に限られる。パベル殿下はお前に強力な攻性魔法の伝授を指示されたが、戦いの現場においてはそうした支援魔法が有効に働くことも多い。戦術のバリエーションを広げるからな」


 この説明はアドルフの腑に落ちるところだった。たとえば彼がはじめたドイツ対ソ連の戦争、いわゆる独ソ戦においても、互いに小銃と大砲を撃ち合う膠着戦に陥るケースはざらであったが、もしそのときに敵の攻撃を阻む壁、反対に撃ち返す防御兵器があったとしたら従来の戦術は崩壊しただろう。


 大砲を攻性魔法に、壁や防御兵器を支援魔法に置き換えれば理屈は見えてくる。膠着状態を切り裂き、動きはのろいが装甲は完璧な戦車が出現するようなものだ。


 アドルフとしてはそんなことまで見越して〈反動〉を覚えたわけではなく、それが偶然開いたページにあったに過ぎないのだが、自身の選択の正しさに彼はおのれの天才性を感じとった。異世界に転生して以来発揮し損ねていたが、実にうぬぼれやすい性格である。


「ところで、お前が覚えたもうひとつの魔法とは何だ?」


 アドルフが不敵に忍び笑いを洩らす最中、リッドが事務的に訊いた。この短時間でアドルフがどこまで魔法を会得しきったかに意識を向けているらしい。


 しかしアドルフにとっては、最後に覚えた魔法こそ、今回読み解いた魔法のなかでいちばん興味深く、その実効性に期待を寄せているものだった。そのため彼は嬉しさを押し隠せないとばかりに顔を恍けさせ、澄ました声を発した。


「我が読み解いたもうひとつの魔法とは、確か……〈遵守〉とかいったな」


 わざとらしく言いよどみ、勿体ぶっているのは明らかである。

 もしもリッドが冷静なら、そんな児戯を高みに眺め、呆れ返ったことだろう。けれどアドルフの発言を聞いた瞬間、彼女の頭は混乱をきたした。


 だからだろう。彼女が次にとった行動も、品の良い聖職者というキャラから著しくぶれたものとなってしまった。


「うわはは、冗談はよしこさんだぜ」


 小さく握り締めた拳をアドルフの土手っ腹にぽすりと埋め、まるでイチャつくカップルみたいな真似をしてのけた。無邪気な様子でけらけら笑いだすが、悪ふざけの一種と受けとったらしい。


「失敬なやつめ、冗談ではないのだが?」


 自慢が空振りに終わってアドルフはむっとして言った。少し気分を害しているのは明らかだが、そこに意識を向けられるリッドではなかった。


「そんなお前、〈遵守〉だろ? あれは魔術書に記載のあるなかでも最上級の魔法のひとつ。読み解けた者は世界に何人もいないという超ウルトラスーパーレアな魔法だぞ」

「ほ、本当か?」


 ゲルト語の俗語を連発したリッドだが、アドルフの表情は急にパッと明るく晴れ渡った。一瞬苛立ちを覚えた刹那、掌返しで褒められたような気がしたのである。とはいえそれは早とちりであった。


「勘違いをするな、アドルフ。お前はきっと〈遵守〉を学び取ったと思い込んでいるだけなんだ。あれはいわば、難解な数学問題みたいなもの。解けたと思っても、答えが間違っているケースは往々にして見られる。いやきっとそうに違いない。どら、ひとつ私相手に試してみろ」


 流れる水のように述べながら、リッドが両手を大きく広げた。どこからでもかかって来いという構えである。冗談としか思っていないせいか、段々やり取りが漫才じみてきた。


「まさかお前、疑っておるのだな。くそ、忌々しい。実に忌々しいぞ」


 せっかく捕らえた得物を馬鹿にされた気がして、アドルフは再びしかめっ面になった。


「面白い、リッドよ。お前が最初の実験台だ!」


 憤然と吐き捨て、彼はぶつぶつと詠唱文を唱え出す。魔法の初心者だけに熟達した魔導師のそれとかけ離れていたが、重要な問題は他のところにあった。


 アドルフも部分的にしか理解していないことだが、〈遵守〉の詠唱文はただでさえ長く、短縮法自体にも会得するうえで高い壁がある。幾重にも張りめぐらされた障害は、この魔法が本来、だれの手にも渡ってよいものではなく、秘術中の秘術であることを物語っていた。


 しかし、魔法体系を構築した偉人の裏事情など、アドルフの知ったことではない。彼はあくまで、総統時代に血肉とした暗号技術の延長線上で魔導書を捉え、それを暴力的に読み解き、覚え込んでしまった。


 ここには先人を敬うような姿勢はないが、たいするリッドは異なる。難解で高度な魔法ほど畏敬の念をもって扱わねばならないと考え、無自覚にアドルフへの反発を覚えるのだった。


 そんな対立する二つのあり方が、いま教会の裏庭という場所でぶつかり合おうとしている。そしてその衝突は、随分呆気なく発現した。


「さあ、リッドよ。お前のそのうら若き肌を、我の眼にさらせ!」


 〈遵守〉という魔法を唱える際には、対象物と視線を合わせねばならない。魔導書の注釈にあったことを愚直に実行し、アドルフはリッドの瞳を親の仇のように睨んだ。


「ちょ、お前っ、早いな! それに何だ、その命令は!?」


 詠唱文の完成があまりに迅速だったせいで、リッドは見事に泡を食い、一拍遅れてアドルフの命令の意味を理解した。


「ふんっ、我の偉業をこけにした罰だ。もっとも嫌がる命令をあえてしてやったぞ!」


 一応魔導師らしく、力を込めた手を前方にかざし、〈遵守〉の特徴である不可視の術式を展開しながらアドルフは哄笑した。


 名誉のために書いておくと、彼とてべつに司祭のストリップが見たかったわけでなく、神聖なる存在が何に抵抗するかを瞬時に吟味した結果、裸になれと命じたわけである。


「ああっ、待った待った! 堪忍してくれ!」


 かくして先に根を上げたのは、大地を蹴って立ち上がるリッドのほうだった。なぜなら彼女の両手は、彼女自身の意志に反し、残り一枚しかない衣服を脱ぎかけようとしはじめたからだ。


 すでにローブを脱いだ彼女の上着は、体に密着した白っぽい服以外にない。その下には、黒っぽい色のいやらしいブラが透けている。リッドは見た目の幼さとは裏腹に体の発育が抜群に良かったから、裸体をさらせばさぞ壮観であろう。


 アドルフはおのれの魔法に自負を託していたから、聖職者である彼女が《主》に捧げたであろう身体がいかほどのものか早く目撃したい気持ちに駆られ、思わず唾をのみ込む。


 すると彼の執念に応えたのか、現実は意外な展開を示した。アドルフの発した〈遵守〉に抗い、真っ白な着衣を必死に握り締めるリッドの手が、今度は下へと向かいだしたのだ。


「うぐっ、だめだめ、そこは……あんっ、やだー!」


 〈遵守〉が彼女を組み伏していけば、どんなことが起きるかを想像し、ついにリッドは乙女もかくやという悲鳴をあげてしまった。


 ――想像力の逞しいエロ司祭め!


 いまや単なる邪悪さを剥き出しにしたアドルフにとって、リッドの悲鳴は耳心地の良いものだ。


 しかしながら彼は、やはり魔導の初心者でしかない。人の意志を蹂躙し尽くす力をもっているとしても、その効果を維持できなかったようだ。最難度の高位魔法も、マナを現象に変える循環サイクルが止まってしまえば夢から覚めたも同然である。


「む、時間切れか」


 リッドの動きから抵抗感が消え、懸命にスカートのホックを抑えていた彼女は、ゼンマイの切れた機械人形のようにその一人芝居のごとき動作を止めた。まさに魔法が解けたのだ。


「フン、だがリッドよ。いまの出来事で痛感したであろ。お前は勘違いと言ったが、〈遵守〉はこうして我が手に落ちておるのだ!」


 もしこの世界に写真機があったら、歯を食いしばり、顔を赤らめ、ときどき羞恥心に悶え苦しむ司祭を一枚の写真に収めてやったはずだ。そんな意地悪い願望を腹の内で転がし、アドルフは大変満足していた。けれどその達成感と、恥ずかしめを受けたリッドは無縁だった。


「……アドルフ」

「何だ?」

「少しばかり痛い思いを味わおうか」


 見上げると、リッドの両目には前髪がかぶさり、すらりと伸びた両腕は天を貫く高さに掲げられていた。口許は機関銃のような速さで何事かつぶやき、それは瞬時に唱えた魔法の詠唱文に聞こえる。


 そこまで理解しておきながら、アドルフは咄嗟に対処できなかった。魔法の完成があまりにも早かったからだ。


「こいつで頭を冷まして来い、凍てつく世界を顕現せよ〈氷結〉――!」


 リッドの前髪がはらりと揺れたとき、下から涙目になった表情が顔をのぞかせる。いや、涙目どこか、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし、リッドは号泣していた。


 感情の決壊した司祭の怒りと悲しみを目の当たりにし、茫然としたアドルフは大気中の水分を凝縮する氷結魔法によってその行き過ぎた罪をあがなうことになるのだった。

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