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少年期23

「我々の目的は亜人族の収容だ。ここにはじきに飛空艇が到着する。君たちはそれに乗り、ビュクシへむかい、臨時の宿舎に入所して貰う。そして一ヶ月もすれば、当地の資産家から借り受けた敷地に収容所が完成する。そう、君たち亜人族はそこで寝起きをし、奉仕活動に従事して貰うのだ」


 話を続けながら将校は静かに表情を消したが、その指が一本折れた。


 アドルフはそれを注視するあまり、背後にいたフリーデの気配を感じられなくなった。いかに独裁者として君臨し、栄光と転落をあじわったアドルフといえど、いまの話はそれ相応のショックを彼に与えたのだ。


 収容所。奉仕活動。なんのことはない。将校は彼に、亜人族を強制的に囚人同等の立場に貶めると宣告したわけである。


 それはむろん、アドルフ自身が前世でやったこと。敵である連中に下した懲罰と同じ目にこの自分が遭うのか。


「さて、もうひとつの質問だが――」


 アドルフが現実を受けとめ損ねているあいだにも、将校は瞼を細め、残りの指を折りながら言う。


「この〈施設〉の院長は、残念ながらもうここにはいない」


 アドルフはその発言を聞き、ショックが尾を引いているため、困惑を隠せなかった。「ここにいない」とはどういう意味なのだろうか?


 しかしそのとき、背後にいたはずのフリーデが足を踏み出し、アドルフの横に並んできた。彼女は何かを察したのか、前方と地面を交互に眺めている。


 アドルフは思わず、その視線の動きを追った。前方には将校と、黄土色の軍装をした背の低い男がいる。そしてこれまで気づかなかったが、背の低い軍人は、地面にスコップを突き立て微動だにしていない。


 彼の立ち姿を見た瞬間、アドルフはある閃きに到り、裏庭の地面に目をやった。〈施設〉の裏庭には家庭菜園が作られており、いまの時期はジャガイモの収穫が終わったばかりで、枯れた葉が一面に敷きつめられている。


 やがて来る冬の寒々しさを連想させる殺風景な畑を見て、最初にそれに気づいたのはアドルフではなく、フリーデだった。


 彼女は突然、口許を手で押さえて、猛烈な勢いで嘔吐をはじめた。

 アドルフはその激しさに驚きを禁じえなかったが、やがて彼女が発見したのと同じものを自分の眼に映し出す。


「ほう、気づいたようだな?」


 わずかに愉しげな声を洩らし、将校が言った。

 その声はアドルフの耳を素通りし、彼は眼を皿のようにしてジャガイモ畑を凝視した。


 視線の先には何やら白いものが顔を覗かせている。収穫され残ったジャガイモではない。数歩近寄ってみるとその正体は嫌でも眼に飛び込んできた。


 ぴっちり閉じた目蓋、筋のよく通った鼻。土壌の詰まった口から生えた真っ白い歯。凝らした眼の先には、レンズの割れた眼鏡が無造作に置かれている。


 それらは地中に埋められた院長先生の頭部だった。


 いったいなぜ、こんな生き埋めのような真似をされたのか。アドルフは記憶を絞り出し、先ほど軍人たちが金庫の鍵について話し合っていたことを思い出す。


 そう、これは鍵の在り処を吐かせるために生き埋めにした、拷問の跡だったのだ。


「どうしてこんなことを……」


 反射的に声が洩れ、二度めの生を受けて以降、アドルフは初めて動揺した。自分でも驚くほど衝撃を受け、一瞬何も考えられなくなった。


「理由が知りたいか?」


 士官服を着た将校がアドルフの声に反応し、傲慢な教師のような態度で言った。


「このエルフが資産家であるという情報は得ていた。我々は亜人族の身柄と財産を収用し、それを国家に奉仕させる新たな法令に従ったまで。もっとも根本的な理由は他にあるがな」


 将校は自分たちの所業を正当化するため、院長先生の惨殺を合法的なものだったと強弁した。そして彼はさらに意外なことを口にした。


「私とて好き好んで人殺しなどしない。亜人族は国家に反逆し、国益を失わせるような真似をした。敵国であるムスカウと通じ、君たちの同族は敵のスパイを匿っていたのだ。その諜報網を殲滅すべく、全ての亜人族を国家の管理下に置き、スパイを根絶やしにすることにした。それが収容政策の真の目的だ。ところがこのエルフは我々の拘束に逆らった。よって邪魔なので殺すことにした」


 将校は思いのほか滑らかな口で強制収容の理由を述べた。

 だがアドルフはこのとき、彼を襲った衝撃から立ち直りはじめていた。


 おそらく彼以外の人間なら、院長先生の惨殺と亜人族に降りかかった災禍を知り、激しい悪寒に体を震わせ、恐怖におののき、言葉を失ったはずだ。


 しかし彼は、どういうわけか揺さぶられた感情と反比例するように心が急に冷めてきた。煮えたぎる熱湯がたちまち氷のように変化し、溢れかけていた涙が溢れるまえに凍りつく。


 思えばアドルフは、前世において、自殺の瞬間以外で一度たりとも涙を流したことがなかった。

 泣きたいと思ったことはある。従軍した第一次大戦で戦友が死んでいったときなどは、同胞と悲しみを分かち合いたいと何度も思った。


 しかしそれは叶わぬ願いだった。彼は悲しみに同調できないばかりか、積み上がる死体の山を見て、むしろあまりに呆気ない人の死に滑稽さを覚えてしまうのだ。


 耐えがたいことに、今回も同じことが起きた。


 大前提としてアドルフは次のように思っていた。亜人族が差別されたこの異世界は、生まれながらにして奈落に叩き落されたようなものだと。


 けれどその認識は浅かったのだ。奈落にはさらに深い底があり、自分たちはまだその底に足をつけてすらいない。そして奈落の底に落ちていったのは院長先生と夫人、関係する大人たち。だがその転落ぶりはなぜか、アドルフには滑稽に見えてしまう。


 親しい恩人の死体をまえにして、彼は突然笑い声を洩らした。


 その声は次第に大きな高笑いになる。腹の底からこみあげる笑い声。突拍子もなく発せられた笑声に、目の前の将校が一瞬ぎょっとした顔を見せた。


 アドルフはそれが不謹慎な態度であることを十分認識しており、従軍時に同じことをして上官にきつく殴られたことも覚えている。


 しかし止められないのだ。隣で嘔吐くフリーデのことも忘れ、彼はゲラゲラと笑い、何を思ったか杖を握り直し、将校の瞳めがけて飛びかかるように突きつけた。


 咄嗟の行動は将校を後退りさせ、彼は反射的に杖の先を払った。


 客観的に見て、アドルフの狙いはなかなか良かった。もし大人の体があれば、相手の片目を潰すことができたかもしれない。


 とはいえアドルフは、まるで将校をビクつかせることが本望だったかのように笑い声を出し続け、平然とした様子で自分の意図をはっきりと伝えたのだ。


「このままでは我はお前の目を潰さない限り満足できん。それを避けるためには、あの惨たらしい遺体を焼いて貰いたい。くわえて大人たちに埋葬させる猶予をくれんか?」


 そう、アドルフは衝動的に笑っているが、頭はしっかり働いているのだ。決して我を失ったわけではないことは交渉相手である将校にも伝わり、彼は大人を遇するのと同じ態度をとった。


「残念だが日が暮れるまでにビュクシへ向かわねばならない。埋葬する時間はない」

「なら死体だけでも、骨まで残らない程度に焼いてくれ。このまま放置するのはあまりに可哀想だ」


 杖を突きつけながらアドルフが迫ると、将校は一瞬会話を止め、こう答えた。


「わかった、遺体は焼いてやる。だがそのまえに、その気持ち悪い笑いをいますぐ止めろ」


 将校は顔をしかめ、アドルフのことをおぞましいものを見るような目で蔑んだ。そしてアドルフ、フリーデ、同僚の軍人を畑から下がらせ、小声でつぶやきながら指を鳴らすと、何もなかった空中に突然炎が巻き起こった。


 魔法だ。アドルフはこのとき、魔法の力をはじめて目にする。


「暁の光よ、灼熱よ、命の源たる炎よ。我が命に応え、万物を灼き尽くせ」


 将校は謎めいた文句を洩らし、魔法が生み出す炎はオレンジ色の光を発して勢いよく燃えあがる。それは目視するのも躊躇われる院長先生の頭部に燃え移り、瞬く間に紅蓮の炎となった。


 隣を見やると、目と鼻を抑えたフリーデの姿が飛び込んでくる。彼女は現実を遮断し、この異様な状況に何とかして耐えているようだ。


 片やアドルフは、ようやく笑い声を止め、口許を閉じていた。それでも彼の表情は、恩人の死を悼む態度とは程遠かった。


 おそらく彼は、心が耐えきれぬほどのショックを受けたとき、精神のタガが外れてしまうのかもしれない。その証拠にアドルフは、どこまでも冷静な目線で燃え盛る炎を眺めている。遺体を焼くと強い悪臭が放たれるだが、その臭気に鼻をつまむわけでもなく、彼はべつのことを考えていた。


 人種差別の対象となりながら、今度は強制収容の対象になった亜人族。その不運は泣いても喚いても変えられない。


 変えることができるのは、奈落の先にある底に足場を築くこと。ひょっとしたら遠い将来のことになるかもしれないが、彼はすぐさま脳裏に希望を描きだし、おのれの唇を噛んだ。


 院長先生を失った悲しみをやわらげる一筋の光。


 精神を固く凍りつかせたアドルフは、その崇高な輝きを眼の前の炎と重ね合わせ、赤く血で染まった口の端をきつく吊り上げた。

 院長先生の仇は自分の勝利であがなうという思いを、不敵な笑みで心に刻みつけながら。

今回の更新で第一章(過去編)はおしまいです。

次から第二章(現在編)がはじまります。


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