少年期17
「勘違いは根深いようだな。世の中は、持っている者が持っていない者に施してなりたっているだと? 冗談も休み休み言え」
彼は大きく首を振り、呆れたように吐き捨て、町長の顔を睨みあげた。
「この世界は、持っていない者が持っている者に奉仕してなりたっておる。詐欺師と同じだ。カモがいるから成り立つ。ヒト族の者たちよ、我々をカモにして生きる人生は楽しいかね?」
強烈な皮肉。それは町長のみならず、この場に集った商店主たち、すなわちヒト族の面々にたいし、むき出しの刃のように突きつけられた。
しかしアドルフは、この程度では終わらない。すぐさま彼は、鋭い矛先のように伸ばした手をヤーヒムにむけ、ヒト族の思い上がりを壊しにかかった。
「見たまえ、お前たちにカモにされている者はここにもおる。そこのヤーヒムは年若くして親に尽くしている。本当は冒険者になりたいが、将来は親のあとを継がねばならない。その不満をこのガキは、そこにいるフリーデにぶつけ、差別を助長させた。聖隷教会の教え、天賦説にヤーヒムは抗いたいと思っておる。我々亜人族も同じだ。《主》に与えられた人生を生きるのではなく、自分の願望を夢として叶え、自由に生きたいと思っておる。それは《主》への冒涜かね? 自分たちが敬虔なぶんだけ亜人族より偉いと考えるのは思い上がりだ」
声を低めて言い切ったアドルフに反応し、町長は傍らに佇む息子へ呼びかけた。
「……お前、本当か?」
やり玉にあげられたヤーヒムは黙り込み、アドルフの指摘が正しかったことを暗に認めてしまう。
町長はそれを見て絶句したが、アドルフはもう後には引けない。町長をはじめとするヒト族たちは、ヤーヒムの態度を目にした途端、聖隷教会の教えに弓を引く子供たちに険しい眼を向けだしたからだ。
もっともアドルフは、自分が冒涜と縁がないことを証明できると思っている。その根拠は、いみじくも彼の学んだ書物の知識にあった。
「動揺する必要はない、ヒト族の者たちよ。天賦説があながち的外れとも言いがたいことを、我は知っておる」
無防備なハリネズミを装って、アドルフは相手の警戒心を下げにかかった。
「かつてこの世界の宗教では、免罪符というものが売られていた。人間はさまざまなことに罪悪感を抱く。よってそれを《主》の代理人である神父に告白し、同時に金を寄進したのだ。天賦説を唱える聖隷教会は、そうした腐敗した仕組みからの解放をなし遂げた。我はその歴史に敬意を払う。同じくその信徒たちのもつ良心も疑ってはおらん」
唐突にアドルフの持ち出した発言。そこには少し説明が必要だろう。
彼の理解したところによると、異世界における聖隷教会とは、彼の前世におけるプロテスタントと等しく、いわゆる宗教改革の末に成立した宗教だったのだ。免罪符に金を払ってまで善行や徳を積むことを強いられた現実に抗い、彼らは救済の源を仕事、つまり《主》の与えた天職に励むことに求めた。
しかし元々、貧しい者の多かった亜人族は、天賦説の行き渡った世界でわりを食った。生まれの不遇さを変えることが困難だったからだ。
院長先生のように商売に成功する者はほんの一部だ。大多数は望まぬ仕事に就き、強制的ではないものの、避けようもなく過酷な苦役に従事する。ここトルナバでは、金鉱労働者がその典型だった。
逆に言えばアドルフにとって、こうした不都合な構図があるからこそ、いまこの場に集ったヒト族は、心の底では罪悪感から逃れがたいはずだと思っている。それほどまでに金鉱で働く者の待遇は悪く、ほとんど死と隣り合わせだ。
だからこそ、院長先生は孤児たちに「夢を見る」ことの大切さを教え、運命を切り拓く努力を求めた。アドルフはそれを踏み台に、ヒト族の偽りの思い込みを打ち破ろうとしている。
そう、彼らは本当は知っているのだ。解消しがたい不幸をだれかに押しつけ、安心を得ようとしていながら、それを悪いことだと認識しないでいられる自分への嘘、自己欺瞞の存在を。
「だが諸君、お前たちが天賦説を隠れ蓑に、亜人族を身代わりにしたことは欺瞞の産物だ。国を富ますために、だれかが金鉱を採掘せねばならん。だとすれば、その仕事は亜人だけでなく、ヒト族、そして魔人族で分かち合ってもよかったはずだ。しかし現実はそうなっておらず、忌み嫌う仕事を亜人族に無理やり押しつけ、同時にひとが羨む仕事から我らを遠ざけた。これが亜人族差別を生んだ本当の理由だ。しかしそんな理屈が通るわけがない。あまたの人間を差別するような《主》は、神の名に値しない!」
ついにアドルフは、決定的なひと言を叫んだ。聖隷教会のあり方が、免罪符を否定したにもかかわらず、結局は同じ過ちに陥っていることを。
稼げる天職を一部の者が独占し、貧しい者が幸せから遠ざかる。そこにいかなる理不尽があろうと、《主》の願望に適っているため、だれも改善しようとしない。
恵まれた環境に生れ落ち、労働と蓄財を達成した者が《主》の定めた恩寵を受けられる。その裏にどんな罪があろうと。
だからアドルフは、確信をもって言葉を継ぐ。どんなにヒト族の神経を逆撫でしようと、揺るぎない真実を告げるようにして。
「もはや明らかであろ。聖隷教会の仕組みは堕落しておる。裏を返せば、亜人族はそうした構造に抗っているぶん、むしろよりすぐれた信仰心をもち、より敬虔とさえ言える。我らの信じる《主》はきっと空のむこうで我らの生き様を見つめておる。だがお前たちの信じる《主》は、人間の強欲に押し潰され、すでにどこかで死に絶えておるのだ」
決め台詞に決め台詞を重ね、アドルフは教会全体を見まわした。
町長をはじめとするヒト族は、後ろめたいことでもあるのか、一様に声を失い、その顔色はまるでうつ病患者のように曇っている。
たいする亜人族は、ノインや三人の従者ばかりか、小難しい話を嫌いそうなディアナでさえアドルフの放つ言葉に必死に耳を傾けていた。
なかでもフリーデは、感激のあまり涙さえ浮かべている。たとえ子供でも、いや子供だからこそ、アドルフの激情に容易く共感できたのだろう。
そうした観衆の反応を確かめたうえで彼は、普段の倍の速度で杖を突き、脚を進めた。その足のむかう先は、教会の壇上にある十字架だった。
すでに言葉の魔力にとらわれた人々は、その行動の意味を捉え損ねるが、何か不穏なことが起こる予兆だと感じとれた者はいたに違いない。
だが何の確信もないために、彼らは声をあげなかった。おかげでアドルフは、だれにも邪魔をされないまま、十字架に到る階段を昇り終え、荒い息を吐きつつ腹の底から叫んだ。
「これまで天賦説のもとに崇められた《主》は死んだ。ならば新たな信仰を迎え入れるため、古い十字架は破棄せねばならん!」
何を思ったか彼は、金箔の貼られた十字架を両手で掴むと、踏み込んだ足に全体重をかけ、それを根元からへし折ってしまった。
僻地の教会にある十字架なため、サイズは華奢で小さいが、大事な信仰の証はまっ二つである。天賦説を完膚なきまでに否定したアドルフは、同時にその信仰の象徴をも断ち切ってみせたのだ。
このとき何事もなければ、彼は即刻罪に問われただろう。言葉の魔法にも限りがあり、ショックを与え過ぎれば瞬時に解けてしまうからだ。
したがって当然のことながら、アドルフの暴挙には明白な目的があった。けれども彼が次の展開を睨みつつ折れた十字架を打ち捨てたとき、教会のドアを開け、一人の男性が飛び込んできた。
その音があまりに大きかったため、町長やフリーデたちの眼は入口の方向に釘づけとなる。
「……待ちなさい、アドルフ!」
新たに到着したその男性は、よく通る大声をあげた。視線をむけるとそれは、仕立ての良いローブに身を包んだ院長先生に他ならなかった。




