青春ゾンビ
てろりろん、てろりろん。
千葉市の海の色とは似ても似つかない色彩のテレビ画面の上の方に、ニュース速報が流れる。
『千葉県市川市元八幡三丁目の路上で、青春ゾンビの発生が確認。付近の市民はすぐに建物の中に……』
まただ。
私は相棒であるHK416A1アサルトライフルをウォークインクローゼットの中の金庫から取り出す。
弾丸の確認を終えたところで、人気Vtuberを壁紙にしてあるiPhoneがリヒャルト・ワーグナーの『ワルキューレの騎行』を奏ではじめた。
わざと音質を悪くしてベトナムの空を駆るヘリコプターががなり立てる雰囲気に近付けた、お気に入りの着信音だ。
誰が掛けてきたのかは、画面を見なくても分かる。
陸上自衛隊中央即応集団防疫給水群。
我が国で唯一、「青春ゾンビ」に対応できる組織である。
青春ゾンビとは、何か。
世界中の叡智を搔き集めてさえ、未だにはっきりとしたことの分からない疾病だ。
WHO世界保健機構のつけた名前は、「感染性ヒト精神的退行症候群」。
何を言っているのか分からないと思う。私にも、分からない。
この「青春ゾンビ」の発症した人間に噛みつかれると、噛みつかれた人間は「青春ゾンビ」になる。
いい年した“おじさん”や“おばさん”たちが、まるで童心に返ったかのように、若ぶるのだ。
大企業の重役が仕事を休んで『ウォーハンマー40,000』のインペリアルガードに色を塗り、女性市議会議員がセーラー服にだぼだぼのルーズソックスで原宿の街を練り歩く。
医師が『ウォッチメン』の新作ドラマを最速で見る為だけに渡米し、大物演歌歌手が2980円食べ放題の焼肉屋でコーラとメロンソーダとウーロン茶を混ぜたオリジナルドリンクを同僚に無理やり飲ませる事件もあった。
若々しくていいじゃない、と私は思う。
それでも、「青春ゾンビ」が許せない人々が世の中の過半数を占めた。
治療は不可能。
感染力は絶大で、隔離も困難。
ワシントンD.C.とブリュッセルとモスクワが人道的な修飾語を色々使いながらも、「殺処分」という判断を下すまでに時間はかからなかった。
「渡邉茉莉花、現着しました」
自宅から中央総武線で20分ほど。
出動要請からまだ半時間経っていないのに、市川市元八幡は恐ろしい惨状に見舞われていた。
ツーブロックの縦縞スーツ不動産会社経営者がレペゼン内房を名乗ってライムを刻み、頭髪の寒々しくなったタクシー運転手が指貫きグローブで漆黒の悪魔を召喚する呪文を唱える。
ピンク原色で全身のファッションを固めた老婆が手押し車をジャイアントスイングし、住所不定無職のライトノベル作家が誰彼構わずに噛みつこうとしていた。
一般的な倫理観という尺度から見れば、地獄だ。
しかし、私には若々しくていいじゃないか、という感想しかない。
私の操作するアサルトライフルが短い発射音を立てると、ライトノベル作家の頭蓋が弾け飛んだ。
「青春ゾンビ」は頭部を破壊するまで、動き続ける。
ヘッドショットか、若しくは行動不能にしてから頭部を破壊するしかない。
関東近郊の同僚たちが着々と現場に到着し、掃討に加わっていく。
千葉県市川市本八幡に、無数の血の花が咲いた。
撃たれて息絶える「青春ゾンビ」の虚ろな、しかし澄んだ瞳が、私に問いかける。
『そんなに大人ぶって、楽しいかい?』
私の答えは、いつも通り、5.56x45mm NATO弾だ。
一帯が綺麗に片付くまでに、45分かかった。
いつも通りの仕事。
いつも通りの死体袋。
いつも通りの紫煙。
揺れるメビウスの煙を見ながら、私は、死ぬときは「青春ゾンビ」として死にたいな、と、思った。