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「化け物」

作者: 在戸蟋蟀

 その人を「化け物」と断じるには、私はその人と親しすぎた。今やその人は言葉もしゃべれず、動くことも出来ず、つまりは自分の意思を表すことがほとんど出来ない。かつてあんなにおしゃべりで定年を過ぎてなお溌剌と働き花の世話もしていたあの人はもういない。常におしゃべりで店に行けばレジの知り合いといつも雑談をしているあの人はもういない。妹とけんかをしていたときに叱ってくれたあの人はもういない。家にいけばいつも「大きくなったな、けどもっと太りなよ」と言ってくれたあの人はもういない。あの元気だった頃の思い出はどんどんあの意思疎通すら出来なくなってしまった「化け物」に上書きされていく。あの人との思い出があの広くてボロい家のおもいでから閉じた狭くてきれいな老人ホームでのものに上書きされていく。あの人のよく通るあの声も働いて精気にみなぎるあの手も表情豊かだったあの顔も。祭りに行ったことや会話したことや一緒の部屋で寝たことも。弟が死んで泣いていた日も、自分の家に帰るときに泣いていたことも、なんてこともなく一緒に遊んでいたことも、買い物帰りに川沿いの道を並んで歩いたことも。なにもかもすべてがあの「化け物」に上書きされていく。

 おじいちゃんは唐突に心臓の発作で亡くなった。そのために彼との思い出は元気にマイペースに大工道具を使って簡単な木のおもちゃを作ってくれたりひとりでとろろをすってご飯にかけたり孫たちと近所に散歩に行ったり寝ているときには派手ないびきをかいているそんなはつらつとしたイメージのままだ。だがあの人は違う。一人のこされたあの人は徐々に徐々におかしくなっていった。あの家は改築され別棟にあったトイレや高い段差を降りなければならなかった風呂やでかいでかい倉庫などいろいろ不便だったところが普通の家のように便利になった。それでもあの広い家に一人では心配だとついに老人ホームの世話になることになったが、あの人はいつも「帰りたい」と言うのだった。受験のために半年ごとに顔を合わせに行っていたのを見送り一年ぶりに会いに行ってみれば、さらに大きく仰々しい別の施設にあの人は送られており完全に呆けてしまっていた。こちらを見ていないかのような話しぶり、僕らを認識できない姿、なにより「お前はちっちゃいまんまだなぁ」といわれたとき、目の前にいる僕ではない一体いつの僕をそのまなざしの先に見ているのだろう、受験を終え大学生となった今の僕は見えていないのだろうかととても悲しくなってしまったのを覚えている。何より一番もの悲しいのはそのときの別れ際にあの人は僕を引き寄せてこういったのだ。「ごめんな、おばあちゃんこんなんになっちゃった」。目は涙で濡れていてしかしそのときだけは今の僕を確実に見ていた。あれを最後にあの人の目が今の僕に焦点を合わせたことはないかもしれない。そしてそのとき握った手は骨と皮だけの、あまりに生気のないもので、そのときから僕はあの人は「化け物」になってしまったのだと一面で思うようになった。

 あれ以来家族みんなにも目が向かなくなってしまったようだ。妹がわざと僕にいたずらしてじゃれてきたときも叱ってくれることはなかった。どの声にも反応がない。ぼくはいつも話すことがないからあまり呼びかけることが出来ない。家族みんながあの「化け物」と顔を合わせると、精気を吸い取られたように、いや事実吸い取られているのだが、悲痛に沈んだ面持ちで車に乗っているのだ。元気でおてんばで手のつけられない暴れん坊とさえ思っていた妹でさえも「顔を合わせるのがつらいんだよね、だからあまり行きたくない」と言うほどだ。いやむしろ子供だからこそダメージが大きいのだろう。そしてつねに一歩離れて大人しくしていようとしていて、そのくせ子供でしかない僕についても例外なく、そのダメージはいつも大きいものだった。でも初めて車を借りて一人あの人の元まで行ったとき、僕が「車を自分一人で運転してきた」と語ってみるとあの人の目は驚きの色とともにこちらを見た。なにやら口をぱくぱくさせて何か言おうともしているようだったがそれも一瞬のこと、すぐに向こうの方に向いてしまった。あの人は小さくつぶやいた。「家に帰りたい」。

 あの人が危篤という連絡が来た。これが最後かもしれない、と。僕以外の家族はみんな顔を見せに行った。僕だってかつてはおばあちゃんっ子であんなにべったりくっついていたのだ。行きたくならないわけがない。いや行かなくてはならない。そんな自発的な欲求と義務感さえ覚えて僕は一人会いに行った。最後の別れだと思って、あわよくばできすぎた物語のようにあの人に会えることを祈って。朝早くに着いた僕は先祖代々の墓に寄って、軽く掃除をし、水を供えて祈った。「あの人の最期がせめて安らかなものでありますように」。老人ホームに着くとあの人は苦しげに息をしてベッドに寝ていた。呻きに近いその呼吸がまだあの人が生きていることを僕に実感させた。たとえ一面では「化け物」とさえ思っていても、やはり死別はつらいものである。もう二度と会えないかもしれないということが現実感を伴って僕を襲ってきたとき、僕は「まだ別れたくない」と思った。その思いは目から涙となって、また口から言葉となってあふれ出てきた。だけどあの人がこちらを向くことはなかった。

この冬、僕はついに「またね」ではなく「じゃあね」といってあの人の前を去った。なにを話しかけても、見つめてもなんの反応もしてくれないあの人。肉体はまだ生きているとしてもその人格はすでに死んでいるに違いないのだから。不孝者の自分がつくづく厭になる。きっとそのときがくれば何食わぬ顔で泣きながら別れを惜しんで見せるのだろう。ああ、最後に「あの人」と交わした会話はどんなのだったっけ。

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