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「つまりお前は、その『霊魂管理局』……だっけ? そこから派遣されてきた死に神だと。あっそう……死に神……ねえ」
冷静さを完全に失ったりんごが僕の部屋を出て行ってから、僕はのんびりとシャワーを浴びた。その後、狭いキッチンの隅に無理やり置かれたダイニングテーブルで、僕と桜の死に神は向かい合わせで、ゆっくりとモーニングコーヒーを啜っている。
モーニングコーヒーと聞くと、何とも淫靡な関係を連想する輩がいるが、それは連想する人間自身が、そうした関係を想像し所望しているからだ。
無論、僕は青少年健全育成条例違反を犯すつもりはないし、そんな性癖を持ち合わせてもいない。
「死に神と聞くと、誰彼なしに命を奪いにくる、悪魔みたいなのを連想する人間が多いんだが、まあ実態は地方公務員みたいなものよ。一般の死に神は下界に存在する物質の転生を促す仕事だし、私たち清掃部はいわば悪霊退治が本業」
「奪う訳ではなく、手助けをするのが役目だと」
「そういうこと」」
僕の命を狙い、そして僕の命を救った桜の死に神が、なぜ僕の部屋で僕以上に寛いでいるのか、それは大いに問いたいところだが、それはいまは置いておこう。
縦折りにした朝刊に目を通しながら、目の前の死に神は、僕の話にまるで興味なさげに受け答えを繰り返している。どうやら近眼の気があるようで、時折、眉間に皺を寄せながら新聞に顔を近付けるようにして紙面を眺めている。オッサンだ。
「その中でも特務課というのは、ちょっと訳ありの死に神の集まりでね。つまりあれがあれで……まあ、見ての通りよ」
いや全然説明になっていないよ?
「お前さ――」
彼女は、自身の身体には大きすぎるTシャツに、自然と七分丈になったハーフパンツという出で立ちだった。ちなみに彼女が着ている服は上下とも僕のものだ。
Tシャツに短パンという、何ともラフな格好の死に神は、新聞から視線を外し、しかし眉間に縦皺を入れたままで僕を睨み付ける。
「『お前』じゃない。私には桜の死に神という通り名がある」
「言いにくいんだよ。それ」
「慣れろ」
「それじゃあ桜さ」
新聞の脇から覗かせた鋭い目が、再び僕を睨み付けるが、すぐまた新聞に埋もれた。どうやらお許しが出たようだ。
「何だ、下等種族」
「あのな、僕にも一応、龍ヶ崎胡桃という名前があるんだが」
「下等種族のくせに生意気な。何だ、胡桃」
「下の方を呼び捨てですか」
姓ではなく名の方を呼び捨てなのは僕も同じだ。よしとしよう。
「桜さ。確か特務課って言っていただろ? その桜がここにいるということは、この近辺にそれだけ凶悪な悪霊がいるってことなのか? 昨日の公衆電話の悪霊も相当なものだったと思うけど」
「公衆電話の悪霊が凶悪?」
なぜか失笑を買った。
「あんなものはまだ下等な部類だ。私が探しているのは、もっと上等な悪霊、少なくともA級、場合によってはS級霊の可能性もある」
「悪霊に等級なんてあるのか?」
「これだから下等種族は……」
桜は新聞を畳んでテーブルに置いた。
やれやれといった風で、肩を竦めて首を左右に振る。
「霊魂管理局が指名手配している悪霊の数は、全部で千疋を超える。その内A級霊は約百疋、S級霊はわずか四疋となっている。昨日の公衆電話の悪霊は、おそらくそのA級かS級の悪霊に操られているB級霊ってところね。私はその黒幕の悪霊を退治する命を受け、ここにいるのよ」
桜は少し温くなったコーヒーに口をつけた。苦そうに顔をしかめる。
「勿論、指名手配すらされない悪霊は、この世に掃いて捨てる程いるのは言うまでもない」
「それで?」
「は?」
しらばっくれているのだろうか。桜は素っ頓狂な顔で首を傾ける。
「は? じゃない。ふざけているのか? 指名手配された悪霊と、桜が僕の家でオッサンみたいに朝刊を読んでいることと、一体どういう関係があるのかって聞いているんだ!」
「ふん」
桜はしたり顔で鼻を鳴らした。
「この場所に、強く感じるのだよ。強力な悪霊の気配を」
「はっ!」
僕は、出勤前のオッサンみたいな神サマを指差した。
「だ・か・ら! 私は神だと、何度言わせるつもりだ!」
神サマは膨れっ面でポーションミルクをひとつ手に取った。下から覗き込んだり、匂いを嗅いだりしてから蓋を開け、指先で掬ってペロリと舐めた。何とも言えない表情だ。
「分かった、分かった。じゃあ神サマ。強い気配を感じて、僕の部屋に上がり込んだまではいいとしよう。で、どうした? 強い気配の正体が分かったのなら、次のアクションを起こすべきじゃないかと思うが?」
「うむ、その通りだ」
神サマはテーブルの上に置かれたビンの中から角砂糖をひとつ出し、それを口の中に放り込む。何に納得したのか知らないが、何だか感心したように頷いている。
「しかし先日も言ったと思うが、胡桃。お前はそういう者どもを引き寄せる体質なのだよ。簡単に言うとだな、大変な思いをして悪霊共をわざわざ探さずとも、向こうからノコノコとやってくるのだ。まあ簡単にいうと、手間が省けるのだよ」
神サマは、温くなったコーヒーにポーションミルクと角砂糖を三個入れ、スプーンでグルグルとかき回してからそれを口に含むと、満足したように頷き、読みかけの新聞を再び手に取った。
「お前まさか、僕の家に住みつくつもりじゃないだろうな」
「~~~~♪」
図々しい神サマは、調子外れな口笛を吹いた。
「家に死に神がいるって、どんな冗談だよ。せめて貧乏神にしてくれ」
「ふん、これだけ強い気配を感じるということは、いずれここも悪霊との戦場になる。その時、せいぜい喰われないように逃げ惑うがいい」
チラリ、チラリと、こちらの出方を窺うような態度だ。
「しかしあれだ。胡桃の出方次第では、できるだけ守ってやらないこともないぞ?」
何という取引の下手な死に神だろう。魂胆が透け過ぎて向こう側が見えている。
「そんな脅しに乗るか。僕は平和に高校生活を送る普通の高校生だ。悪霊だの死に神だの、そんなことは他所でやってくれ。一般人を巻き込むんじゃない」
ぴしゃり。僕は言い放った。
表で発情期の猫が、ダミ声を上げている。
しばらく僕を見つめた後、桜は静かに席を立った。
「そうか。そうだな。済まなかった。関係のない胡桃を巻き込んでしまって。ただこれだけは信じて欲しい。お前を危険な目に遭わせたくなかった。それは本当だ」
ダイニングの脇に立て掛けてあった桜の花弁を掴むと、刃先をズルズルと引き摺ったまま、桜は玄関へと向かった。玄関扉の前で振り向いた彼女の顔は、まるで永遠の別れを覚悟したような悲壮感漂うそれだった。彼女の目尻が、微かに光ったように見えた。
「それじゃあ、達者でな……」
桜がドアノブに手を掛ける。
――このまま行かせていいのか?
僕は自問する。
きっと彼女は今まで、僕の想像だにしない戦場を潜り抜けてきたに違いない。そしてそれはきっと、これからも続くのだろう。もしかすると彼女にとってここは、擦り切れそうな精神状態の中で見つけた、ほんの少しだけ心安らげる場所だったのかもしれない。
「――桜」
「何だ?」
僕に背中を向けたまま、桜は感情を押し殺したような平坦な声で答えた。
「この場所が必要なのか?」
彼女は静かに首を横に振る。
「必要かと問われれば『イエス』と答えるさ。しかしここには胡桃、お前がいて、お前は私を必要としていない。ならば答えは『ノー』だ」
時々声を詰まらせながら彼女は言う。その背中が強がりだと語っている。
「居ろよ。ここに……居ろよ。お前がそうしたいなら、好きなだけここに居ろよ」
「しかし、お前に迷惑が……」
「構うものか」
「本当に、本当か? 男に二言はないか?」
「本当だ。男に二言はない」
桜は俯いたまま振り向くと、ニイッと口許に笑みを浮かべた。ツカツカと足早にダイニングへと戻り、再びふんぞり返るように椅子に座ると、尊大な態度で脚を組んだ。
パンツが丸見えだ。
「ふはは、バカめ。言ってみるものだわ」
「ああっ! まさかお前、騙したのか? 神がそんなことしていいのかよ」
「男に二言はないのだろう?」
騙された。彼女は最初からこうなることを見越して、部屋を出て行くふりをしたのだ。ところで気のせいだろうか、さっきよりも態度がでかくなっている気がするのは。
「神だろうとこの世界では一人の女の子よ。少し人間よりも再生能力が高いだけで、痛みもあれば、寂しいとも感じる。それはお前達人間と同じだ」
「くそう……いま本気で殺意を覚えたぞ」
僕は歯噛みする。
「無駄よ、やめておきなさい。死に神は死なない。そもそも神に死ぬという概念はない」
「死なない? 冗談だろう。そんなのありかよ。それじゃあ悪霊なんか、恐くもなんともないじゃないか。羨ましい限りだな」
桜は感情の読めない瞳で僕を見た。
「我々死に神から見れば、むしろお前達人間のほうが羨ましい。死なないということがどういうことか、お前に分かるか?」
僕は力いっぱい首を横に振った。
「不死身ってことじゃないのか?」
「死なないということは、つまり死ねないということだ。たとえどれだけ身体にダメージを受けても、もはや再生不可能になるまでバラバラにされても、死ぬことができないのだ。途方もない痛みだけを、未来永劫、気の遠くなるほどの時間、感じ続けなければならない。それがお前に想像できるか?」
「未来永劫……」
僕たちの世界での大多数の考え方は、死、イコール終わりを意味する。しかし、彼女たち死に神の世界では、死ぬこととはつまり解放なのだ。
「それにお前にはひとつだけ忠告しておく。どんなに『死』に対して恐怖を抱いたとしても、絶対に我々死に神の血肉だけは喰わないことだ」
「分からないな。どうして死に恐怖を抱くと、死に神の血肉を喰おうとするんだ?」
「それはな、お前たち人間の間に伝わる伝承だよ。死に神の血肉を喰らうと不老不死の力を得ることができる、とか言うな」
「不味そうだからノーサンキューだけど、ちなみに喰ったらどうなるんだ?」
「死に神の肉は人間にとって劇薬なのだ。血を吐き、激痛に襲われ、全身の動脈静脈を問わず、血管という血管が破れ死に至る。そしてその先は……」
「その先は?」
「聞かない方がいい」
「何だ。結局死ぬんじゃないか」




