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死に神は大鎌で宙を切る。直後、桜色の軌跡が周囲に螺旋状の切れ目を入れた。桜花の竜巻が彼女を取り巻き、低い雲めがけて真っ直ぐに立ち昇った。
「ついに追い込んだぞ、公衆電話の悪霊。『桜の花弁』の餌にしてくれるわ」
竜巻が弾けるように散った。
死に神は軽い足取りで蛸の滑り台を駆け上って行く。滑り台の天辺から大鎌を大上段に振り上げ、そこから更に大きく跳ねた。漆黒のスーツが、アメーバのように溶けた化け物目掛け――。
一太刀を浴びせる。
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
地の底から沸き上がるような叫び声が、空気をビリビリと震わせた。
化け物の切り傷が大きく口を開け、体内に取り込んでいた竜峡小梅を、まるで毒草でも噛み潰したかの如く、苦々しげに吐き出した。ぐったりと力を失った竜峡は、ピクリとも動かない。
「竜峡ッ!」
「ダメだ、近付いちゃ! 公衆電話の悪霊は、いまの一太刀で完全に理性を失っている。近付けばお前まで取り込まれてしまう」
死に神は、桜色の大鎌で僕を制した。
「どけよ! まだ助かるかもしれないだろ!」
「どけない。今はまだ、お前に消えて貰う訳にはいかないのだ」
そう言うと桜の死に神は、振り上げた桜色の大鎌を僕に向かって振り下ろした。
死んだ――僕は思わず目を覆った。しかし、肉体的には何の変化もない。
「なんだ、脅しか」
だがそれは脅しではなかった。ついさっきまで足元にあった僕の影が消えていた。死に神は僕の影の端っこをつまんでそれを口元へと運ぶと、それを一気呵成に吸い込む。直後、僕はそこから、一歩も動くことができなくなった。
「悪いけど、影を斬らせてもらったわ。でも安心して。あなたの影はここにいるわ。私が無事に公衆電話の悪霊を退治できたら、返してあげる」
桜の死に神は、自分の腹をポンポンと軽く叩いた。
「退治できずに、お前が負けたらどうなるんだよ」
「決まってるじゃない。一生そのままよ」
「ステキな一生をありがとう!」
大きく開いていたはずの化け物の傷口は、見る間に塞がっていった。溶けた餅のような形をしていた黒い化け物は、ゲル状の細胞組織を身体の中心に寄せ集め、次第にその形を変えて行く。
「させないわ!」
巨大な大鎌を引き摺ったまま、桜の死に神は俊敏なフットワークで化け物を翻弄する。二度、三度と、溶けかけた化け物の躰を斬り刻んで行く。しかし化け物は、何度も細胞組織を分裂させ、集合し、合体しながら、別の形へとその姿を変えて行く。
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
子供が油粘土で遊ぶように、化け物の塊は何度となくその形を変化させる。そして何度かの変化の後、その塊は人間のような二足歩行の生物へと姿を変えた。
大きな角は闘牛の頭を思わせた。大樹のような太い首の下には筋骨隆々の、まるで彫刻像のような巨大な人間の肉体が、不格好に付いていた。そしてその姿は、闇そのもので構成されたかのように漆黒だった。唯一、目にあたる部分だけが、怒りを内包するように不気味に仄赤く光っている。
「何だよ、何なんだよ、その化け物は!」
僕は、そのおよそ現実離れした存在に戦慄した。
「形だけ変わったって!」
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
その身に飛び掛かる死に神を、化け物は片手で叩き落とした。死に神の身体が地面に叩き付けられる。
「キャッ」
短い悲鳴が漏れた。死に神の両足が、明後日の方向に曲がっていた。
「それ、絶対折れてるよね!」
「強いじゃないか……」
「おいおい、認めちゃうのかよ!」
その時、化け物の足元に倒れていた竜峡小梅の身体が僅かに動いた。意識を取り戻したのだ。まるで目の前の高い壁を見上げるように、彼女の視線が化け物の足下から頭上へと、ゆっくりと移動する。直後、その瞳が恐怖の色に染まった。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
空気を斬り裂くような悲鳴。
化け物と化した公衆電話の悪霊は、その悲鳴に呼応するかのように、足元で腰を抜かす彼女の姿を、仄赤い虚ろな目で見下ろした。
――刹那の沈黙が流れる。
化け物は竜峡の身体をつまみ上げると、不思議そうに覗き込み首を傾げた。化け物が吐き出す黄色い息が、彼女の顔に無遠慮に掛かる。悪臭に彼女の顔が歪んだ。
『きっと許しては貰えないと思うけど――』
次の瞬間、公衆電話の悪霊は、逃げようともがく彼女の片足をパクリと咥えると、まるでスルメの足であるかのように、躊躇なく喰いちぎった。
「ギィヤアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
蟇蛙のような嗄れた悲鳴が、早朝の湿った空気を振動させた。
化け物はなおも彼女の身体を喰いちぎる。右腕。左腕。そしてもう片足。大きく見開かれた彼女の血走った両眼から、涙がとめどなく溢れ出した。
残った肉塊を口に放り込んだ悪霊は、もごもごと数回咀嚼した後、その一部をペッと吐き出した。ゴッという鈍い音と共に、固い地面に竜峡小梅の頭部が転がった。
恐怖に染まったままの表情が、僕を無感情に見つめていた。
「うわあああああああああああああああああっ!」
何だよこれ、何だよこれ、何だよこれ。何の冗談だよこれ。どこのB級映画だよ。モザイクくらい掛けろよ、グロ過ぎて直視できねぇよ。監督は誰だよ、映倫に訴えてやる。畜生! こんなDVD借りてくるんじゃなかった。どこの店舗だよこんな商品貸し出しているのは。店長を呼べ、店長を!。
「ボーッとするな、バカ!」
死に神の声で、飛んだ意識が現実に引き戻された。それと同時に、僕の身体がくの字に曲がり、横方向へと大きく跳ね飛ばされる。その直後、僕がいた場所に化け物の巨大な足が落ちてくる。土煙と共に大地が地震のように大きく揺れた。
「もう少しでゴーフレットになるところだったわよ!」
「お前が僕の自由を奪ったんだろうが」
「細かいことをグジグジと。あんた、相当モテないでしょ!」
「放っておけ。動物の雌には大人気だよ!」
制服の脇腹にはくっきりと、砂で描いたビックリマークが浮かんでいた。
ピンヒールで躊躇なく後ろ回し蹴りを入れるなんて、どこのクラブにお勤めだ。
「お前、さっき両足があり得ない方向に曲がっていなかったか?」
「うむ、両脚が折れていたからな」
「痛くないのかよ」
「痛いに決まっておろう。だが死に神は貴様ら下等種族の人間に比べ、遥かに治癒能力が高いのだ。骨折くらいなら一分もあれば回復するのだ」
「そんな都合の良い話があるか。いま僕の目の前で人間が一人、確実に命を落としたんだ。僕は絶対に認めない。竜峡小梅の死も。死に神などという、ふざけた存在も」
「これでお終いにするわ。悪霊め、覚悟なさい」
桜の死に神が、桜色の大鎌を構え直す。周囲の空気がゆっくりと渦を巻き始め、それに巻き込まれるように桜の花びらが宙を舞う。波打つ桜色の刀身が、宵闇に浮かぶ夜桜のようにぼうっと朧に光を放った。
死に神は低く構えた姿勢から、弾かれたようにその身を突進させた。化け物の攻撃を右へ左へ俊敏に躱すと、再び低く身体を沈ませてから強く地面を蹴った。
小さな身体が高く舞い上がる
「消えて――」
化け物の脳天をめがけて、桜色の大鎌がまっすぐに振り下ろされた。
「無ぁくなれえええええええええええええええッ!」
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
化け物の躰は中心から真っ二つに割れ、ズシンという重量感を伴った音とともに地面に転がった。化け物は暫くジタバタと手足を動かしていたが、まもなく力尽きその動きを止めた。化け物の残骸が黒い炎に包まれて燃えて行く。
煤のような燃えかすが空中に飛散した。




