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桜の死に神  作者: くまっち
第一話
4/36

4

 結局、その日の補習は欠席した。明日、烈火の如く怒り狂う担任の姿が容易に想像できたが、そんなことを僕は気にしない。何故なら、僕には親がいないからだ。親の期待も落胆もない。わざわざ学校くんだりまで呼び出され、目にハンカチを当てて泣き崩れる親の姿を見ることもない。

 ただ一人、僕が肉親と呼ぶのは、入院中の双子の弟、龍ヶ崎このみだけだ。

 彼はいま市内の病院で、全身を無数の管で繋がれたまま小難しい機械によって生かされている。そうまでして生きることが彼にとって幸せなのか、それとも不幸なのか、それは僕には分からない。だが僕は、彼の生命の期限を決める権限を持ち得ない。だから僕は、それでも彼は幸せであって欲しいと、そう願わずにはいられないのだ。

 ファーストフード店で竜峡小梅と別れてから、帰りたい気持ちを抑えて真面目に学校へと向かったものの、校門付近で柴木に捕獲された辺りで僕の意欲は失速。職員室前でりんごや林田たちと会話した後、僕の足は教室へと向かわず玄関へと向かっていた。

 校門を出た僕は、S市立総合病院へと足を運んだ。

 ベッドの上のこのみは、今日も寝息ひとつ立てずに静かに眠っている。病室に設置された機械のモニターが、一定のリズムで小さな波形を描いている。備え付けの丸椅子に腰を下ろし、僕は変化のない彼の顔をじっと見つめた。

 このみの声はどんなだったろう。久しく聞いていない彼の声を、僕は思い出すことができない。時々夢に出てくる彼は、僕に何かを伝えようとする。しかし僕は、彼が何を伝えたいのか分からずに、何度も、何度も彼に聞き返すのだ。

 もし本当に、『どこにでも誰にでも通じる公衆電話』があったなら、僕は聞いてみたい。このみが僕に何を伝えようとしているのかを。

 彼自身の声で――。

 僕は自嘲する。

「そんなものに頼ろうとするなんて、どうかしてる」

 病室の窓から覗く空の色は、いつの間にか茜色に染まっていた。

「じゃあな、また来るよ」

 届くはずのない言葉を残して僕は病室を後にした。


 東の地平線上に浮かぶ上弦の月が、薄い雲に溶けるように霞んでいる。高層ビルの隙間から覗く夕闇には、地上の人工的な明かりのせいで、星の姿は認められない。まるで映画のセットのように現実味のない風景に、僕は小さくため息をつく。

「いっそこの世界が作り物の世界ならよかったのに」

 スクランブル交差点の歩行者用信号が、赤から青へと一斉に変わる。

 それを合図に、家路を急ぐサラリーマンやOLの姿が、交差点内に堰を切ったように溢れ出す。

 ――その時。


 ひらり、ひらり――


 ぼーっと人の波を眺める僕の頭上に、小さな紙切れのようなものが舞い落ちた。

 僕はそれをひとつ、手に取った。

「桜の花びら? この真夏に?」

 降り注ぐ季節外れの花びらは瞬く間にその数を増やし、交差点を薄紅色へと染め上げた。しかし横断歩道を渡る人たちは、あるはずのない自然現象を気にも止めていない。

「何故だ? それこそが、あるはずのない不自然な現象じゃないか」

 自分の目を疑わずにはいられなかった。僕はキョロキョロと辺りを見渡す。この時の僕は、きっと不審な動きをしていただろう。だがそんな僕の行動でさえ、周囲の人たちが気にする様子は全くなかった。

「いや待て。僕の挙動不審はいつものことだ。それは理解できる。そんなことよりも何故、街の中心のごく一部にだけ、桜の花びらが堆積するんだ。そんなことあり得ない」

 僕は気持ちを落ち着かせるように、息をひとつ吐き出す。

 気にすることはない。

 気にしてはいけない。

「きっと疲れているんだ。でなければこれは夢だ。そうだろう? こんな現実、ゆめゆめ信じてはいけない」

 目の前の現実を非現実と認識し、交差点の中に一歩足を踏み入れた瞬間――交差点の中心から、僕を射貫くような鋭い視線を感じた。

 まるで狙撃手(スナイパー)が周囲に脳漿を撒き散らそうと、僕の頭部に弾丸を撃ち込もうとでもしているかのように、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに僕を凝視する少女がそこにはいた。

 いつからそこにいたのだろう。少女は僕と視線がぶつかると、口許をニイッと歪めた。まるで感情のこもらない、まるで氷のような冷たい笑顔だった。

 少女はゆっくりと薄紅色の絨毯を摺り足で近付いてくる。

「何だ……アレ」

 僕の視線は少女の瞳から、彼女の所有している巨大な「それ」に釘付けになった。少女の体格にはおよそ不自然で似つかわしくない、少女の背丈ほどもある刃渡りの、周囲を染め上げた桜の花びらと同じ薄紅の、刀身が波打つように歪に湾曲した巨大な刃物。まるで死を司る魂の管理者、『死に神』の持つ大鎌のような刃物(エモノ)

 少女はそれをずるずると引き摺りながら、僕に近付いてくる。

 光の加減で黒から桜色へと変化する腰までまっすぐに伸びた艶のあるきれいな髪。それとは対照的に、まるで光を湛えることのない暗く沈んだ大きく冷たい瞳。セルロイドの人形のように透けるような白い肌。完全なる美を具現化したような美貌の少女。

 その完璧な美しさが、彼女の凄惨な微笑みを、さらに冷たく際立たせている。

 少女は闇のように黒いスーツを身に纏っていた。その美しくも、小学生然とした幼い体躯にはまるで不釣り合いな、有能な敏腕秘書のような出で立ち。膝上一五センチのタイトスカートから、すらりと伸びた白い脚。その先には高さ一五センチはあろう黒のピンヒール。彼女の服装には完全にミスマッチな桜色の大鎌。

 かなり方向性を間違えたコスプレ――。

 少女は目の前で立ち止まると、じっと見つめる僕を下から睨み上げた。

 近くで見ると想像以上に小さい。ヒールを履いてさえも、決して背の高くない僕の肩くらいまでしかない。顔の造りの幼さからも、年の頃は小学生の高学年くらいに見える。

「しかし塾帰りにしては服装が大人っぽすぎるし、あの冷たい瞳は、到底、普通の小学生のそれとは思えないし……」

 そんなことを考えていると、少女はもう一度、あの凄惨な微笑みを幼い顔に浮かべた。

「消えて――」

「消えて?」

「無くなれええええええええええええええッ!」

 少女は予備動作なしに、自分の背丈ほどもある大鎌を真一文字に振り抜いた。

「危ねぇッ!」

 僕は間一髪でそれを(かわ)した。飛んだのか、屈んだのか、それとも後ろに身を反らしたのか。それはよく覚えていないが、とにかく僕は少女の凶行を間一髪で躱した。

「ちいッ! あれを躱すとはさすがだな。だが次は――」

言い終わる前に、少女の二の太刀が迫る。

「外さん!」

「待てって、そんなモノ振り回して危ない――」

 歪な刃先が僕の首筋に一直線に向かってくる。僕はそれを屈んで躱した。頭頂部の髪の一部がハラハラと空中を舞う。

「二度も躱すか。なるほど予想以上に手強いな。しかしウォーミングアップはここまでだ。次は確実に仕留める」

 少女は桜色の大鎌を身体の前に構えると、小さな身体をグッと沈めた。

「ああああああああああッ……」

 少女の身体の周囲に上昇気流が起き、桜の花びらが渦を巻き始める。まるで大鎌そのものが桜の樹であるかのように、大鎌に生命力が宿り、刀身をさらに巨大化させる。

 少女の髪が、上昇気流を受けて激しく揺れている。

「消えて――」

「だから……」

 巨大化した大鎌を振り上げ、少女は僕に狙いを定めた。

 あんなもので斬られたら最後、僕の上半身と下半身は間違いなくサヨナラだ。それとも右半身と左半身か、まあ、どちらも大差はないが、いずれにせよ全く洒落になっていない。

 僕の人生は、こんな所で終わりを迎えるのか。思えば短い人生だった。童貞くらいは捨ててから死にたかった。せめておっぱいを揉んでから……。いや待て。まだチャンスはあるじゃないか。目の前の通り魔少女のおっぱいを――。

 無いじゃねえか!

「この貧乳が!」

 苛ついた僕は、いまにも飛び上がらんとするその少女の軸足を、諸々の感情を込めて思い切り蹴り払った。少女の両足がきれいに宙を舞った。

「ギャフン!」

 情けない声と共に、少女はお尻から無様に落下した。その拍子でタイトスカートの裾が捲れ上がり、クマのワンポイントがプリントされた、可愛らしい純白のパンティが惜しげもなく露わになった。

「ごっつぁんです!」

 いやいや。小学生のパンツを有り難がってどうする。

「な、ななな、何をする、貴様!」

「いや待て、違うんだ。別にお前のパンツに興味があった訳じゃない。お前がそんな危なっかしい物を振り回すからだな……」

「なるほどね。エロ度合いだけは、S級って訳だ。いいわ、ちょうど良い。どちらにせよ貴様にはこの世界から退場してもらうのだ。この桜の花弁(チェリーブロッサム)の餌になるがいい」

 氷のように冷たかったはずの少女の瞳が、復讐の炎に燃えた。

「落ち着け。僕は決してロリコンなんかじゃない。第二次性徴期を迎えたばかりの、ツルペタ少女のパンツを見て興奮するような、そんなディープな趣味は決して持ち合わせていない。神に誓っても良い」

「ふんッ、神に誓ってだと? じゃあ誓って貰おうじゃないか。さあ!」

「はあ? お嬢ちゃん、いったい何を言っているのかね? 僕ぁさっぱり意味が分からないよ」

 少女は桜色の大鎌を、その小さな身体の前に構え直した。

「私は死を司る神。霊魂管理局清掃部特務課の死に神。識別番号4902101130432号、通り名は『桜の死に神』。お前の汚れた魂を浄化しにきた者よ」

「誰か! 誰か、黄色い救急車を呼んで下さい!」

 やばいよこいつ。

「助けて。誰か助けて下さい!」

 僕はその場から走り去った。

 後ろを振り返らず、一目散に走り去った。


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