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桜の死に神  作者: くまっち
最終話
36/36

2

 机の天板に、浅く彫られた相合い傘を見つけた。傘の下で肩を寄せ合う二人を想像しながら、僕は鉛筆の先で二人の名前を黒く塗りつぶす。くたばれリア充め。

 黒板の濃緑が目に優しい。この世界で僕に優しくしてくれるのは、せいぜい黒板の色くらいなものだ。当初、新鮮に感じた教室の風景も、いまとなっては随分と見慣れたものだ。

 窓際の席から見渡す早朝の教室は凜としていた。引き締まった空気が、整然と並ぶ机の縁をシャープに見せる。窓から差し込む弱い陽光が、制服にじんわり染みて暖かい。僕は縁側でうたた寝する猫のように、腕を枕にしながら、夢と(うつつ)の間を往き来した。

 夢の淵でたゆたう僕の意識は、無粋なある人物の手によって、突然、遠慮もなしに引き戻された。

「クル、いるんでしょ」

 奥ゆかしさの欠片もない扉の開け方だった。姫小町林檎嬢は、教室の後方に僕の姿を見つけると、机の間を縫い歩きながら近づいてくる。

 まだ覚醒しきっていない頭で、僕は彼女に挨拶する。

「お早う、りんご」

「あ、おはよ。ねえちょっと聞いて、昨日うちの親ったらさ――」

 挨拶もそこそこに、彼女は自分の身の上話を始める。

 聞いてとお願いしておきながら、相手の返事も待たずに話し始めるというのはちと酷い。しかしそんな理屈が通用しないのは、彼女が姫小町林檎だからだ。

「ねえ聞いてる? それでさ、どうせならあんたと結婚しちゃえば、とか適当なこというのよ。冗談じゃないわよ。あたしにだって相手を選ぶ権利が――」

 まったく……毎朝、騒がしいことこの上ない。

「ねえクル。あんたあれから何だか妙に影薄くない? いや、存在感という意味じゃなくてね。ほら、あたしの影と比べると一目瞭然でしょ?」

「あー、それな。仕方ないんだわ」

 あれからとは、言うまでもなく、利己主義の世界での一連の事件のことだ。最終的に僕がこのみの存在を認めたことにより、利己主義の世界は崩壊した。それに伴い世界に囚われていた霊魂達は、元々いた場所へと還ることができたのだ。

 利己主義の世界は、その中で全てのことが完結していた。多少、辻褄の合わないことがあっても、世界の住人は「そういうものだ」と納得してしまっていた。だから多くの人々は、利己主義の世界に囚われていたことにさえ気付いていない。

 ちなみに利己主義の世界は、僕が事故で入院した時代の記憶によって創られた世界だけに、現在の世界とは町並みや道具などの発展に多少の差異が見られた。それなのに大きな騒ぎにならなかったのは、どうやらそういう理由によるらしい。

「僕の何割かは、死に神で構成されているらしいからな」

「ん……どゆこと?」

 りんごはポカンと口を開けたまま、首を斜めに傾げた。

「説明するとそれなりに長いけど、いいか?」

「しょうがない。予鈴までなら付き合ったげる」

 利己世界から帰還した人間は数多くいれど、その中で僕と直接接触した人間は、りんごを含め極少数だ。そこでの記憶は、現在の世界に帰還してからも保持されたらしく、りんごは利己主義の世界での出来事を鮮明に記憶していた。

 僕はりんごに、利己主義の世界から帰還してから桜の死に神に会ったこと、桜の死に神の血肉を食ったこと、それにより僕は死ぬはずだったが、結局死ねなかったことを、何となくぼんやりと説明した。

「どうやら人間が死に神の血肉を食うと、その人間は一度死んで、死に神に生まれ変わるらしいんだ。僕の一部が死に神というのはそういう意味だ」

「どうしてそんな珍妙なものを食べたりしたのよ。お腹壊すわよ」

「お腹を壊すどころか死ぬはずだったんだ。僕は死ぬことで罪を償うつもりだった。お前は知らないだろうが、僕は僕の大切な仲間を殺したんだ」

「何かその言い方、腹立つ」

 そんな腹を立てられても困る。

「自分だけ苦労シテマス的な? 馬鹿じゃないの。その仲間とやらが、あんたが死ぬことで生き返るとでもいうの? あんたを大切な仲間だと思っていた人間は、あんたが死んで悲しまないと思うの? もしあんたが人を死なせてしまったというなら、あんたはその人の人生を背負ったんだ。あんたは死ぬまで、決して死ねない」

 全身を雷で打たれた気がした。

 破壊の死に神が言っていた。死は人類最大にして最高の特権だと。翻して考えると、生きるということが、どれだけ重くて救いのない行為なのかということだ。りんごの言葉を肯定するなら、僕は竜峡や柿原、そして一ノ瀬の人生を背負ったということになる。漫然と生きていた僕に、とても背負いきれる重さではない。

「でも何割かは、ってどういう意味? 全部とか半分じゃないの?」

「それは僕が人間であると同時に悪霊でもあったからだ。これは別の死に神に聞いた話なのだが、血肉で死に神に生まれ変わると、人間と死に神の混血ができあがる。それでも能力的には純血の死に神と遜色がないから、一括りに死に神として扱うらしいんだ」

 混血といっても、血液ではなく霊魂が混ざるから、正確には混魂とでも言うのかもしれないが。

「ただでさえ人間と死に神の混血なのに、そこに悪霊までも混ざっちゃったから」

「そういうことだ。ただでさえ混血はレアなのに、更に悪霊を加えた三種の混血だ。いまの僕は人間と死に神と悪霊がミックスされた、非常にレアな存在なわけだ」

「レアっていうか、もうそれ、人間でも死に神でも悪霊でもない珍獣よね。じゃあもし仮に、あたしとクルの赤ちゃんができたら、それって何が産まれるの?」

 言ってりんごは赤面する。

「待って、いまのなし。忘れて、忘れろ!」

 そして何故か、グーで殴られた。

「そういえばさ、死に神の親玉みたいのいたじゃん。あの人、最後クルに何て言ったの?悪霊を退治する方策とか言いながら、何だか煮え切らない態度だったけどさ」

「敗北宣言だよ」

 口をへの字に曲げ、りんごはさっきとは反対側に首を傾げる。

「桜の死に神と死に神の親玉が、利己主義の世界に突入してから、もし一週間経っても戻らない場合は、僕を『利己世界の悪霊(エゴ・ワールド)』と名付け、S級霊として指名手配する手筈になっていたらしい。その場合、霊魂管理局特務課の全勢力をもって僕は殺されていた。……だってさ」

「植物人間のクルを肉体ごと殺したってこと?」

「勿論、捕らえられていた関係のない霊魂や、桜の死に神、死に神の親玉もまとめて消滅させるという、なり振りかまわない最悪の最終手段だ。死に神側は、そこまで追い詰められていたということだ」

「なるほどね。罪のない霊魂を見殺しにするんじゃあ、そりゃ敗北だ」

 りんごは納得したように、腕を組んでうんうんと頷いた。

「その死に神の親玉が言っていたんだが、人間に血肉を喰わせて死に神にするのは、禁忌とされているらしい。霊魂管理局内では、男嫌いの桜の死に神が禁忌を犯したことに動揺しているらしいのだが……。これ、男嫌いが何の関係があるんだと思う?」

 その話を聞いて、りんごは僕の脇腹を強く抓り上げた。

「痛い。痛いって!」

「正確なところは知らないけれど、自分の血肉を分け与えるという行為は、肉体同士の接触よりも、より親密な間柄でないと行われないじゃない? つまりそういうことじゃないかしら」

「つまり……どういうこと?」

「人間で例えると、桜の死に神は、どこの馬の骨とも知れない、行きずりの男と身体の関係を持ち、結果、得体の知れない子供を孕んでしまった。そう思われているってことじゃない?」

「淫靡な匂いのする例えだな」

 すると今度は、後ろから椅子の脚を蹴られた感触がした。

 死に神としての実地研修は、三年間を高校生として過ごし、思春期の人間の生態を観察することだった。そうして配属されたクラスで、僕は失った時間を取り戻そうとしている。

 教室での僕の座席の位置は、窓側最後列だった。僕の後ろには私物を入れるロッカーしかない。ところがいつの間にかそこには、まるであらかじめそこに用意されていたかのように極々自然に、もう一組の机と椅子が置かれていた。

「朝っぱらから恥ずかしいこと言わないで」

 光の加減で黒から桜色に変化する髪。まるで西洋人形のような、透けるような白い肌。漆黒に光を湛えた瞳。完璧な美そのものを具現化したような少女の姿がそこにあった。

「お前のせいでこんなことになったのだ」

 頬杖したまま桜は言った。

「責任、取ってよね。胡桃」

 不幸な未来しか想像できない。


 教室の窓からは、すっかり花の散った桜の樹が、鮮やかな緑の葉をつけている様子見えた。

「夏が来るな」

 僕は誰にいうでもなく呟いた。


 もうすぐ、みんなと過ごした夏が来る。


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