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桜の死に神  作者: くまっち
第五話
32/36

4

 首筋の刃先が触れた箇所から、たらりと暖かいものが流れた。それを拭った掌が真っ赤に染まった。流れていたのは僕の血液だった。

「ひとつ分からないことがある。僕が悪霊ならば、既に僕の肉体は死んでいるはずだ。肉体という入れ物がないのに、僕の別人格だというお前が存在しているのは何故だ?」

「むう……。それはそうだな」

 桜は僕の首筋に当てていた大鎌の刃先を、床に下ろした。

「何も不思議なことなんかないさ。君の霊魂は生きながらにして腐敗し、そして悪霊となった。君はまだ死んでいないし、だから僕はこうして存在していられる。とてもレアなケースだけどね」

「そうだ。お前が悪霊だ!」

 地面へ下ろしたはずの大鎌の刃先を、桜は再び僕に向けた。

「僕が悪霊なのは納得した。では僕とお前はどうして相対することができる? 同一人物の別人格ということならば、僕らは表と裏の関係だ。背中合わせの存在がお互いを見ることは不可能だ。まさか自分だけは特別だなんて言わないよな。ならばお前が悪霊で、この世界を創り出したという可能性もある」

「むう……。確かにその可能性は否定できない」

 僕に向けていた大鎌の刃先を、桜はそのままこのみに向けた。

「いや特別なのは君の方だよ。僕はただの人格に過ぎない。つまり僕は君の一部なんだよ。君が死ねば僕も死ぬ。けれど僕が死んでも君は死なない。元の人格が残るだけだ」

 桜は桜の花弁を構えたまま、僕とこのみとの間で、間抜けな顔を往復させている。頭が混乱して、どちらの言葉を信じて良いものか判断しかねているのだろう。

「何度も言うが僕はあくまでただの人格だ。僕には意思というものがない。だから僕にこの世界を創り出すことは不可能なんだ。仮に僕がこの世界を創ったのだとしたなら、それは君がそれを望み、僕がそれを実現したに過ぎないということだよ」

「詭弁だ! そんな言葉に騙されるものか」

 地下階の廊下に桜の花びらが舞い始める。停滞していた空気が桜の死に神を中心にゆっくりと動き出す。彼女は桜色の大鎌を頭上で回転させると、空気を斬るように振り下ろす。柄の部分をしっかりと握り直し、桜は桜の花弁(チェリーブロッサム)を小さな身体の前に構え直した。

「やはり貴様が黒幕だ」

 桜はぐっと身体を沈めた。どうやら僕を敵と認定し、攻撃目標に定めたようだ。しかしその瞳は、どこか不安げで半信半疑だ。

「消えて――」

「待て、桜。そんな奴の言うこと――」

「無くなれえええッ!」

 桜は獲物に襲いかかる肉食動物のように、僕に飛び掛かってきた。背中まで引いた巨大な刀身を、身体の回転を利用して払うように振る。手術室前の待合ベンチが、直線的な切断面で真っ二つに割れた。

「危ないっての!」

 どこか既視感を覚えつつ、僕は大鎌の軌道から逃げ回る。頭の天辺の髪の毛が数本、大鎌の餌食となり、僕の目の前ではらりと落ちた。

「相変わらず逃げるのだけは超一流だな。しかし逃げ場はないぞ。いい加減観念して桜の花弁の餌になるのだ」

 このみは愉快そうに笑っていた。

「どうだい。退治される側に立った気分は」

 写真機の悪霊ほどではないにせよ、目標を追う桜の動きは人間離れした俊敏さだ。しかし彼女は性格上、周囲に気を配ることができない。時に傍観者であるこのみをも捉えそうになるが、その桜の動きをこのみは車椅子のままでいとも簡単に避けていた。

「本当に知らなかったんだ。この世界が異世界であることも、死に神や悪霊なんてものが存在することも、ましてやその悪霊に親友が殺されるなんて考えたこともなかった。気付いた時にはもう全てが手遅れだったんだ。竜峡も、柿原も、一ノ瀬まで失うことになるなんて」

「黙れ。そんな言い訳など私の前では無意味だ。私が死に神で、貴様が悪霊ならば、私が取るべき行動はひとつしかない。貴様をこの手で葬るのみだ」

 転びながら、床を這いながら、僕は桜の攻撃を間一髪のところで躱し続ける。

「君が消えれば、この世界は霧のように消え失せ、囚われた人達の命が救われるんだ。たった一人の命で、大勢の命が助かると思えば、君一人の命なんて安いものだろう?」

「僕が消えるということは、即ち肉体を共有するお前も消えることになるんだぞ。いいのか、それで?」

「本望だよ。君と共に消えるのが、僕という人格の運命なのだから」

「胡桃の命で……大勢の命が」

 桜の動きが止まった。

 確かに数の論理で語れば、比べるまでもない。僕が死ぬことでその他大勢の命が助かるなら、僕は喜んでこの身を差し出すべきだろう。ただ無駄に酸素を消費し、白い米を(ついば)むだけの僕にだって、生きていた意味があったというものだ。

「そうか……僕の命で、たくさんの人の命が」

「そうとも。君の命は多くの人々の生贄となるのだ。こんなに名誉なことはないだろう?さあ、桜の死に神よ。彼の魂を英雄へと昇華させるのだ。君のひと振りで、彼は限りなく神に近づく。さあ、さあ!」

「大勢の命が、私の手に……。だが……」

 桜は焦点の定まらない目で、迷っているように見えた。まるで自分に言い聞かせるように、このみの言葉を繰り返し呟いた。そして意を決したように、きゅっと口を結ぶと、彼女は大鎌を大上段に構え直した。

「私が……胡桃を、殺……す?」

 そのまま暫し彼女は逡巡する。決意に満ちた顔から、どんどんと自信が失われていく。脳裏に浮かぶ思い出を振り払うかのように、桜は激しく首を振った。

「消えろ! 消えろ! ああああぁああっ!」

 大鎌の持ち手にぐっと力が入ったその時だった。

「ちょっと待ちなさいよ!」

 よく通ったアルトの声が病院内に響いた。声の発生源に振り向くと、地上階から続く階段室の脇の壁から、りんごがひょっこりと顔を覗かせていた。

「心配になって来てみれば、クルは分裂してるし、従兄妹の子は物騒なもの持ち出して殺人寸前だし。どうなってるの、これ?」

 もっともクルの精神は元々分裂しているけどね。そう軽口を叩くりんごは、林田に小脇に抱えられるという、なんとも情けない姿での登場だった。

「林田。お前――どの面下げて!」

「まあ落ち着きたまえ。まずは目の前のペテン師をどう扱うか、そこに集中すべきではないかな? 別にどうでもいいけど」

 どうでもよくはない。

 桜の目の前に置物のように置かれたりんごは、上半身をめいっぱい捻ると、茫然自失の桜の鳩尾に、右の拳を力の限り叩き込んだ。

 桜の口から、ヒキガエルの鳴き声のような音が漏れた。

 不意を突かれた桜は、思わず胃の中の物を吐き出した。床に跳ねた内容物が足下に飛んでいるが、りんごはそれを気にする様子もなく、吐き出されたものの中から、自分の影を拾い出した。

「返して貰うわよ。私の影」

 かくしてりんごは自分の影を取り戻し、同時に身体の自由を手に入れた。

「どうしてりんごがここに?」

「私の方がどうして? だわよ。そこでゲロ……失礼、口を拭っている子、従兄妹じゃなく死に神だっていうじゃない。まだちょっと信じられないけど、霊魂が腐敗してどうのこうので、つまりあんた達は、悪霊ってのと戦ってるってことなんでしょ?」

「何故それを……?」

「そこの人に聞いた」

 ぶっきらぼうにそう言うと、りんごは背後の林田を親指で指し示した。

「林田に? どうして林田が?」

「林田? だから誰よそれ」

 いまいち話が噛み合わない。

「冗談のつもりか? 小学生から一緒の林田だよ。お前が知らないはずが――」

「知らないのではありません。いまの彼女には林田という人間の記憶がないのです。彼は君の大切な仲間同様に、数時間前に悪霊によって殺害されました。どうやらこの世界では、この世界に存在しない人間の記憶は、消される仕組みになっているらしいですね」

 林田は自分の最期をまるで他人事のように語った。

 そんな訳があるか。だが恐らく彼の言葉は正しい。林田は死んだのだ。りんごに林田の記憶がないのが何よりの証拠だ。では目の前の林田風のイケメンは、一体誰だというのか。

「邪魔が入ったか」

 舌打ちしつつそう吐き捨てたこのみは、まるで岩の下から出てきたフナムシのように俊敏な動きで、車椅子で壁を伝い地上階へ続く階段へと姿を消した。

 その後をすぐに、桜が追った。

「どういうこと?」

「少し長くなりますが、いいですか?」

「いいも悪いも、何がどうなっているのか。さっぱりだ」

 僕が肩を竦めると、林田らしき人物は制服の上着の懐から、金属バットを取り出す。その表面は、まるで月の表面の如く波打つように変形している。

 彼の身体から滲み出る威圧的なオーラに、僕は圧倒された。

「まずは初めまして。私は霊魂管理局で局長をしております死に神、通称『破壊の死に神』と申します。以後、お見知り置きを」

「局長……ということは、桜の上司にあたる死に神ってこと?」

「その通りです。一応、彼女の名誉のために申し添えておきますが、私のような者が普段、前線まで出張ってくることはありません。此度の悪霊は、それだけ危険な相手なのだとご理解頂きたい」

 手に持っている物騒な物と、割と丁寧な言葉遣いとのミスマッチが甚だしい。

「胡桃殿もご存じかと思いますが、この世界は貴殿の空想よって創られた世界。我々はこの世界を『利己主義の世界(エゴ・ワールド)』と名付けて監視しておりました」

「ちょっと待て。じゃああんたは、僕が悪霊であることを見抜いていたということか。何でそれを最初から桜に教えてやらなかったんだよ」

「無論、桜の死に神には説明していました。ですが彼女は、彼女自身の判断によって、貴殿を有害認定しなかった。無害な悪霊は経過観察が認められていますし、特務課の死に神には、有害、無害を判断する権限が与えられていますから」

 最初に僕を襲ったのは、忠実に業務を遂行したに過ぎなかった、ということか。

「もっとも都市をひとつ丸ごと呑み込むほどの力を持った悪霊を、有害認定しないなんてことは、通常は考えられないことですがね」

「……だよね」

「利己主義の世界はいわば一方通行の世界で、自由に入ることはできるものの、原則、出ることは出来ません。しかもその創造主たる悪霊は、世界(ワールド)領域(テリトリー)内に姿を隠している。ではどのように悪霊を退治するか。それを探るために貴殿の周辺の人物になりすまして、それを探っていたという訳なのです」

「それで林田になりすましていたということか」

「貴殿の担任教師の柴木殿にも変装させて頂きました。もっとも記憶まで複写した上で、言動にも不自然がないよう務めたつもりでしたが、りんご殿には簡単に見抜かれてしまいました」

 記憶までコピーするのか。それはもう変装とは呼べない。

「それで? その方法は見つかったのか? このみの奴は、僕が死ねばこの世界は消えるって言っていたけれど」

「残念ながら話はそう簡単ではないのです。我々がこの世界に名をつけてまで監視してきたのは、前例のない能力であるが故。貴殿は確かに創造主たる悪霊で、貴殿を退治することで利己主義の世界は消滅するでしょう。それでは絶対にこの世界が雲散霧消するかといえば、その保証はどこにもない。何せ前例がないのですから。もしこの世界が消えずに霊魂が閉じ込められた場合、或いは反対に、この世界と共に関係のない霊魂までもが消えてしまった場合、それは元の世界を生きる物質の死を意味し、大混乱を巻き起こすこと必至なのです」

 確かに、史上最大の大量怪死事件のできあがりだ。

「このみ殿が貴殿を死ぬよう勧めたということは、恐らくこのみ殿は、貴殿を消し去ることで自分だけが一人、この世界で生きて行くつもりだったのでしょう」

「どういうことだ? 僕が死ねばこの世界は消えるんじゃなかったのか?」

「あくまで推論であることを前置きさせて頂きますが、利己主義の世界は恐らく、貴殿とこのみ殿、お二人の共有世界なのでしょう。貴殿が消えても世界は何も変わらない。現実世界が人ひとり居なくなったところで、何も変わらないように」

「つまり邪魔者である僕を口車に乗せて、この世界から排除しようとしたのか」

 その気持ちは分からないでもない。自分の世界に閉じ籠もってしまえば、自分を傷つけるものは何もない。でも――。

「馬鹿じゃないの? そんなこと無理に決まってるじゃん」

 りんごは吐き捨てるように言った。

「その通りだ。誰にも関わらずに生きて行くことなんて、絶対に不可能なんだ。傷ついて、傷つけて、人間はそうやって生きていく生き物なのだから」

 僕は、無意識に自分の記憶を封印するほどに傷ついてきた。だがしかし、それと同じくらい、僕に関係する人達を傷つけてきた。今なら分かる。世の中はそういうものなのだ。

「それで、妙案は見つかったのか?」

「いえ、それが全く……と言いたいところですが、実はひとつだけ方策があるのです」

 地上からの大きな振動が、地階の廊下まで響いてくる。

 破壊の死に神は地上をちらと見上げると、ゆっくりとそれを口にした。


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