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桜の死に神  作者: くまっち
第一話
3/36

3

 学校に着くなり僕は、担任の柴木に校門の前で捕獲された。

 首の後ろを子猫のように掴まれ、そのまま職員室へと連行される。その後の展開は、学園物のドラマでお馴染みのパターンだ。他の教師から向けられる憐憫の視線に晒され、立たされたままでのありがたい説教が待っていた。どうやら三時間も遅刻したうえ、のんびりと歩いて登校してきたのが柴木の癇に障ったらしいのだ。器の小さい教師め。

「おい龍ヶ崎、聞いているのか」

「聞いてますって、立ちっぱなしで……もう足が棒」

「バカモン! 全然反省していないじゃないか。お前、このままじゃ進級できないぞ。出席日数は足りんし、中間、期末の結果も赤点だらけじゃないか。それを俺が教頭に頭を下げて、何っとか補習で勘弁してもらったって言うのに」

「スミマセーン、僕バカなもので、先生の厚意に応える自信がありませーん」

 四時間目開始とともに始まった柴木の話が終わると同時に、授業終了のチャイムが職員室に鳴り響いた。時間にしてほぼ一時間。

「昼休みなんで、これで失礼します。それじゃ」

「待ちなさい。話はまだ終わって――」

「先生」

 柴木の話を遮って、僕は職員室を脱出するべく回れ右する。

「――どうした?」

「スンマセンでした。以後気を付けます」

 柴木は虚を突かれたように、目を白黒させる。

 職員室の扉に手を掛けた僕の背中に、柴木は声を掛けた。

「境遇ってのは、そいつに与えられた試練だ。乗り越えられない奴には、乗り越えられるギリギリの境遇しか与えられないし、お前みたいな奴には……やっぱり乗り越えられるギリギリの試練が与えられるんだ。……って当たり前か」

「どういう意味っすか?」

 背中越しに柴木に問いかける。

「おかしなこと言ったな……今のは忘れろ。まあ適当に頑張れや」

 僕の境遇に対する、彼なりの激励のつもりだろう。教師というのも難儀な商売だ。僕も不器用だが、彼も相当に不器用だ。口許が思わず綻んだ。

 扉を閉めると、僕は気付かれないように扉の向こうに向かって頭を下げた。


「ニヤニヤしながら、どこに頭を下げてんの?」

「何だ……りんごか」

 恥ずかしいところを見られてしまった。しかも幼馴染みというところが、恥ずかしさに拍車をかける。思春期真っ只中の男子が、何気ない教師の言葉に感激して頭を下げていたなどとは、恥ずかしくて言えるはずがない。

「頭を下げていた訳じゃない。この角度が僕のデフォなのだ」

 そのままの体勢で、僕は首だけで彼女に振り向く。

「へえ、あっそう。炙りすぎたスルメみたいだけど、クルがそう言うならそうなんでしょ。今日一日ずっとそのままでいるといいわ」

「ところで……。成績優秀者の姫小町林檎ひめこまちりんご嬢ともあろうお方が、せっかくの夏休みにこんな場所でどうした。ひょっとして期末考査で腹でも壊して、お前も補習を命じられた口か?」

「残念でした。クルと違って私は夏期講習です。もう二年の夏だしね、いまから準備しておかないと、三年になってから慌てたって遅いからね」

「そうなのか?」

「当たり前でしょ。クルもそろそろ真面目に勉強しないと、後で泣きついてきたって知らないからね」

 イーだ、と子供みたいに顔をくしゃくしゃにして、りんごは童顔であどけなさの残った顔を近づけた。唇同士が触れてしまいそうなほどに顔が近付いた。微かに感じるりんごの体臭と、石鹸やシャンプーの匂いとがない交ぜになって、僕の鼻腔を掠めた。

「あー学校でキスとかいけないんだぁ」

 語尾がだらしなく伸びたソプラノ。

 振り返ると色素の抜けたツインテールが、友人と思しきショートカットの女子生徒に手を振っているところだった。

「何だ、一ノいちのせなのはか」

「ひゃっ!」

 りんごは慌ててその場から飛び退いた。口許を抑えた顔が、みるみる赤くなる。一方の僕は炙りすぎたスルメのまま、一ノ瀬の方へと振り向いた。

 僕の体勢を見た一ノ瀬が、不思議そうに小首を傾げた。

 僕は誰にも気付かれないように、ほんの少しだけ腰の角度を元に戻した。四十五度が四十三度になるくらいだ。実は「あれ? いつの間にか元の姿勢に戻ってるじゃん」みたいなのを狙っているのは内緒だ。

「なのは。ち、違うよ。こ、ここ、これはね、ただ単純にイーってしただけで、キスとか接吻とかくちづけとか、そんな不健全なことじゃなくてね? むしろ、ちいちゃい頃からしているスキンシップ的コミュニケーションみたいな?」

 身振り手振りを交えて、りんごは全力で言い訳している。しかし残念なことに、当事者である僕が聞いていても、余計に誤解を生むような弁解だ。

 愚者は雄弁に語るのだ。

「子供の頃のキスなんて、キスの数に入らないもんねぇ。そうか、うんうん。子供の頃からいってらっしゃいのキスとか、おやすみのキスとか、そんなの日常のチャメシゴトなんだよねぇ。羨ましいなぁ。なのはもそんな彼氏が欲しいなぁ」

「ご、誤解してない? なのは絶対に誤解してるよ。あたしとクルはそんな関係じゃなくてね? そりゃ昔は一緒にお風呂に入ったり、一緒にお昼寝したりはしたけど、でもクルの耳がやっこくてずっと握ってたりとか、眠ると異常に身体から熱を放出するから冬は重宝するとか、そんなの子供の頃の話だから、いまは全然そんなことなくて、怖いテレビ見て一人で寝るのか怖いときにたまたまクルがいたら、たまたま眠るまで一緒に布団に入っていてもらうとか、そんな程度の関係で、そんなの誰にだってあるじゃない? なのはが誤解しているようなイヤラシイことなんて絶対にないんだから。絶対の絶対だよ。ウチのタマに誓ってもいいし」

「うん……。想像以上にディープな関係なのね」

 うん……。頭が痛い。

「おう、お前らどうした。こんなところで集会開いて、俺に内緒でお誕生会の打ち合わせか? じゃあ俺も仲間に入れろよ。プレゼントは安くても、心のこもったものであれば全然オッケーだ。ぶっちゃけ貰えれば何でもいいって話だ」

「……頭の痛いのがまた一人増えたな」

「おいおい、そりゃあどういう意味だよ、龍ヶ崎。クラス委員長でもある、この林田葦彦はやしだあしひこ抜きで、いかなる議題も成立させはしないぜ。よく説明し、議論に議論を重ね、そして多数決で決定するのが民主主義の真髄だからな。その辺、よろしく頼むぜ」

 一ノ瀬なのはがクラスを彩る花であるのに対し、林田はクラスをまとめる漆喰にたとえられる。男子、女子、双方から人気のある二人がいることにより、我がクラスはバランスが保たれている。

 男子の理想を、そのまま具現化したような容姿を持つ一ノ瀬。枯れ草のような明るい色の髪を、ツインテール気味に縛った髪は、彼女いわく男受けするためのものらしい。全体的に華奢な印象を与える肢体は、りんごのそれとは違って、どこか肉感的でいて、それでいてどこか不健康な印象を与える。いろいろなものが混じり合った匂い。

 りんごのような女の子の匂いではなく、大人の女性を思わせる成熟した匂い。それが男を引き寄せるのだろう。

 対して林田は、爽やかな印象の男子生徒だ。中学ではバレー部の主将をしていたというだけあって、教室入口扉の梁を潜るほどに、長身で筋肉質だ。ひと昔前の映画俳優を彷彿とさせる容姿をしていて、「産まれてくる時代を間違えた」と、彼は豪快に笑う。

 それでもコンスタントに告白を受けているのを、僕は知っている。成績は中の上辺りだが、よく機転が利き、勉強では測ることのできない基本スペックの高さが窺える。

「ところでなのは、きょう何時上がりだ? 俺ら夏期講習組は、今日のところは午前で終わりだからもう帰るけど、もし一緒に帰るなら、どこかで暇でも潰して待っていようか?」

「いい。わたしら補習組は六時間目までびっしりだから、待たせるの悪いもん。気にしないで先帰っててぇ」

「そうか? じゃあ先帰るわ」

 誘いを断られても、林田は気にも留めない。

「ねえやっぱり二人付き合ってるんでしょ?」

 言いながら、りんごは肩で一ノ瀬を軽く小突く。

「あははー。ご想像にお任せしまぁす」

 一ノ瀬は周囲から漏れ聞こえる噂を、カラカラと笑い飛ばす。二人が付き合っているという噂を、彼女は肯定もしなければ否定もしない。

 二人を見ていると、「付き合う」という言葉の定義が分からなくなる。「付き合う」とは、いつから始まるのだろうか。言葉で相手に気持ちを伝えた時だろうか。それとも肉体的に何らかの接触を持った時だろうか。

「ね?」

 そう言って一ノ瀬は笑った。

 彼女は笑うと目がなくなる。その底抜けに明るい笑顔は、例外なく異性を惹きつける。しかし何故だろう。僕は彼女の笑顔から、前向きなものを感じない。

 僕はふと、本心を隠した竜峡小梅の眦を思い出した。彼女の笑顔と、一ノ瀬の笑顔。全く違うはずなのに、僕はどこか二人を重ねてしまう。

 彼女は僕に、本当は何を聞きたかったのだろうか。

「なあお前ら。竜峡小梅を覚えているか?」

 ぎゃあぎゃあと、じゃれ合っていた三人の動きが止まる。

「竜峡小梅? 竜峡ってあの小学二年まで一緒だった、あの竜峡か?」

「覚えていたか。ああ、あの竜峡小梅だ」

「懐かしい名前だな。で、その竜峡がどうした?」

 皆の注目が、僕に集まる。

「会ったんだ、今朝。偶然にな。それでお茶していたら遅刻して、玄関で柴木に掴まって、職員室に連行されて、そのあとの展開はお前らの想像通りだ」

「小二の時、突然転校して以来だからな。あいつ、いま何してんの?」

「A市の小金井女子に行っているらしい。とにかく……デカかった」

「……デカかった? 何が?」

 意味が分からないといった顔で、りんごは首を傾げる。

 口許でニイッと笑う林田と僕の様子から何か察したのだろう。りんごと一ノ瀬が僕らを見る目が、汚い物を見るようなそれに変わった。

 両腕を組んだりんごが、ため息を落とす。

「それで? 初恋の竜峡小梅さんと再会して? 補習をサボってまでデートを楽しんだ龍ヶ崎さん的には? 封印したはずの恋心に、ジリジリと火が付き始めたって訳ですか?」

「見損なった。浮気するなんて、りんごちゃんがかわいそう」

「違うって。そうじゃなくて、変な相談を受けたんだよ」

「変な相談? あんたに悪い霊が憑いているから、壺を買えだとか?」

「壺も買わなければ、洗剤も買いません。誰がそんなセールスに引っ掛かるものか」

「龍ヶ崎はそういう勧誘に弱いからな。実際、新聞部と演劇部とミス研の連中に頼み込まれて、掛け持ちで入部したことがあるだろ。もっともお前が活動しているところを、俺は見たことがないがな」

 林田は笑い飛ばす。

「放っとけよ。土下座までされたら、断りにくかったんだよ。違う。そうじゃなくてだな、竜峡が言うには、『誰とでも話ができる公衆電話』がどうとか……」

「あ、それ、なのは知ってるぅ。S市の七不思議ってやつでしょ? そういうのってどこにでもあるよねぇ」

「それそれ。それで竜峡の奴、興味本位でその公衆電話を探してるらしくってさ。あ、でもS市には、電車を寝過ごして流れ着いたって言ってたけどな」

「ともあれ、第三小の竜峡班復活ってところだな」

「あれ、そういえばきょう柿原は? 最近あいつ、見ないな」

 瞬間、場の空気が凍り付いた。

「どうした? あいつ風邪か?」

「どうしたんだろうな。最近よく休んでいるみたいなんだ。大事なければいいがな」

「どうしたんだろうなって、お前ら心配じゃないのかよ。冷たいな」

「心配してない訳じゃないんだけど……」

 困惑顔で、一ノ瀬は俯いたりんごの顔を覗き見た。林田は表情を硬くしたまま、僕から視線を外した。

 その話題を最後にその場はお開きとなった。

 各々が自分の教室へと戻って行く。懐かしい竜峡の話題をもっと喜んでくれるかと思っていたのに。

 僕は皆の冷めた態度に、どこか引っ掛かるものを感じていた。


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