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桜の死に神  作者: くまっち
第四話
27/36

5

「ふえー。お前ん家って金持ちなのな」

「そうなのかなあ。パパは中の下くらいだって言ってたけど」

 腰まで埋まるフカフカのソファ。見たこともないような大きなテレビ。壁に据え付けられた棚のガラス戸には、大きなスピーカーや高そうなステレオセットが据えられている。

「龍ヶ崎君、いらっしゃい。徹也ちゃんとずっと仲良くしてあげてね」

「お邪魔してます」

 柿原のお母さんは、おっとりとした雰囲気の人だった。肩まであるつやつやの髪の裾の方をパーマでクルクルにしていて、きれいというよりかは、可愛らしいと表現した方がしっくりくる人だった。

「さあどうぞ。おかわりもあるから、いっぱい食べていってね」

「いつもごちそうさまです」

 ケーキを焼くのが趣味だというおばさんは、友達が遊びに来る度に珍しいケーキを振る舞ってくれると評判のおばさんだった。時には僕が見たこともないような種類の洋菓子が出てきたこともある。体験したことのない高級な味がするジュースとケーキ。この組み合わせが、柿原の家に遊びにいった時の僕の楽しみでもあった。

 柿原の両親は、理想を絵に描いたような人達だった。全国的に見れば田舎とはいえ、人口二百万人に届こうかというS市。外れではあるものの、そのS市に庭付きの一軒家を若いうちに購入できるということは、柿原の家は、本人達の評価よりもずっと裕福な家庭だったに違いない。

「ねえ、『ファミクエ』しようよ。この間テストで百点取ったから、パパが買ってくれたんだ。君の家にはないでしょ? テレビゲーム」

 それは雑誌とかでよく取り上げられる話題のゲームソフトだった。主人公が冒険をしながら仲間を増やしていき、悪のボスを倒すというストーリーだ。前作で百万本を売り上げた大人気ソフトの続編で、今作は前作を上回る面白さだという。五千円を超えるソフトの値段もさることながら、店頭に出回る数が少なく入手困難だという話も聞いた。それを父親のツテを使って、優先的に手に入れたのだという。

「まじか。やろうぜ」

 柿原は得意気に、ゲームソフトをゲーム機に挿入した。

「でもいいよな、柿原の家は。すぐゲームを買ってもらえるもんな」

「そんなことないよ。このゲームを買ってもらうのに、僕がどれだけパパにおねだりしたか。大変だったんだから」

「うちは貧乏だから、母ちゃんにどんなにおねだりしたって、ゲーム機なんて買ってもらえないぜ」

 無意識に視線が、無造作に積み上げられたゲームの山にいった。この時の僕は、物欲しそうな卑しい目をしていたのかもしれない。

「良かったらこっちの使ってない方のやつ、あげようか?」

「え?」

 柿原は積み上げられた山の中から、使い古され、埃を被った一台のゲーム機を引きずり出した。フーッと息を吹きかけ埃を飛ばすと、彼はそのゲーム機を僕に差し出した。

「はい。あげる」

「うそだろ。いいのか?」

「きっと僕があげたって言ったら、パパもダメとは言わないよ」

 それは願ってもない話だった。規格が古くて最新ゲームはできないとはいえ、テレビゲームが手に入るなんて夢にも思っていなかった。

「でもこれ、使うんじゃないのか? まだ動くんだろ」

「使わないよ。それ古いゲームしかできないし、もう飽きちゃった。だからあげる」

 天にも昇る気持ちだった。夢でも見ているんじゃないか。僕は自分で何度も頬っぺたを抓った。

 母親が縫ってくれたほつれかけの鞄に柿原がくれたゲーム機を入れて、僕は足早に帰宅した。

「母ちゃんの喜ぶ顔が目に浮かぶぜ」

 自然と歩くスピードが早くなった。

 

 しかし、母親の反応は散々なものだった。

「返してきなさい」

「何でだよ。前から欲しかったゲーム機だよ。盗んだ訳じゃない。うちじゃ買えないからって、柿原がくれたんだ」

「そういう問題じゃないの。いいから返してきなさい」

「いやだ。せっかく貰ったのに、何で返さなきゃいけないんだよ」

 いまにして思えば、僕は何て馬鹿だったのだろう。息子に人様と同じものを買ってやれない両親の悔しさを理解していたなら、柿原の申し出を迷わず断っていただろう。しかしこの頃の僕はただ柿原が羨ましく、どうしてもゲームが欲しかったのだ。

「しつこいね。いい加減、お母ちゃん怒るよ」

「しつこいのは母ちゃんだろ。もらったものは僕のものだ。絶対返さない」

「返してきなさい。お母ちゃんが一緒に謝りに行ってあげるから」

「なんで母ちゃんが謝るんだよ。少しも悪いことなんかしてないのに」

「いいかい。よく聞きなさい」

 落ち着いてはいたが、母親の口調は怒っていた。

「そのゲーム機は、柿原くんのご両親が一生懸命働いて、柿原君に買ってあげたものなの。どんなに古くなろうと、柿原君が使わなかろうと、そのゲーム機には柿原君のご両親の愛情がいっぱい詰まっているのよ。あんたはそれを柿原君のご両親の許しもなく、勝手に持ってきてしまったんだよ」

「勝手じゃない。柿原が……いいって……言ったんだ」

 語尾が次第に小さくなった。

「勝手だよ。それはあんたじゃない、柿原君に注がれた、柿原君のご両親の愛情だ。良いか悪いかを判断するのは、柿原君のご両親だよ。たとえ柿原君本人がいいといっても、あんたはそれを断るべきだったんだ」

「でも……だって」

「例えばあんたは、その鞄を人にあげられるのかい?」

 その鞄とは、母親が縫ってくれた鞄のことだ。市販の鞄は買えないからといって、仕事で毎日遅い母親が、自分の時間を割いてまで作ってくれた鞄だ。うたた寝しながら、目をこすりながら、夜遅くまで鞄を縫ってくれたことを僕は知っている。この鞄はたとえ破れて使えなくなったとしても、他人には譲れない。つまり、そういうことなのだ。

 僕は自分の浅はかさが情けなくて、堪えきれずに涙が溢れ出した。

「ごめん母ちゃん。僕が間違っていた」

 母親は無言で頷いた。

「柿原には明日必ず返すよ。ごめんなって」

「そうだね。あんたは母ちゃんの誇りだよ」

 そういって母親は、僕の頭を優しく撫でてくれた。

 

 翌日、教室内は騒然となった。

「ない、ないよ。どこにもない」

 四時間目の体育が終わった後の、昼休みのことだった。

「ないって何がだよ」

「『ファミクエ』だよ。今日みんなに見せびらかそうと思って、持ってきていたんだ」

 焦って鞄の中をひっくり返す柿原を、林田は呆れたように眺めていた。

「大体ゲームとか関係ない物を学校に持ってくるからだろ。また父親に買ってもらえよ」

「そんな簡単に言わないでよ。テストで頑張ってやっと買ってもらったんだ」

 教室の全員が、柿原がひっくり返す荷物に注目していた。しかし一向に見つかる気配がないと見るなり、クラスの女子の一人が教室を飛び出した。

「私、先生を呼んでくる」

「バカ、待て――」

 最悪の展開だった。事件は先生の知るところとなった。

 かくして五時間目の授業は中止され、緊急ホームルームが開かれることとなったのだ。担任は、事態が大きくなり手に負えないと判断したのか、学年主任をホームルームに同席させた。学年主任の教師は父母の間でも、とりわけ厳しいことで有名だった。

「これから持ち物検査を行います」

 学年主任は事情を聞くこともなく、問答無用で犯人探しを始めた。教室内にブーイングが充満する。

「黙りなさい! これは窃盗事件です。重大事件なのです。本来、私の学年でこのような事件が起こるなど、あってはならないことなのです。犯人は厳罰に処すつもりです。さあ、心当たりのある者は手を挙げなさい」

 そんなことを言われて、素直に手を挙げる猛者などいるものか。

 こんなやり方は絶対に間違っている。しかし担任は澄まし顔で前を向いて黙ったままだ。教師になって日の浅い担任が、学年主任に意見する度胸などあるはずもなかった。

「では持ち物を机の上に置きなさい」

「誰だよ」「早く手を挙げろよ」そんな言葉が教室のあちこちから漏れ聞こえる。

 ちょっと待て――。

 僕は顔面が蒼白となった。無論、僕は犯人などではありえない。そうではない。だが、いま僕の鞄の中には、柿原のゲーム機が入っている。昨日、柿原にもらったゲーム機を返却するためだ。やましいことなど何もないし、柿原もそれは分かってくれる筈だ。しかし学年主任はどう思うだろう。クラスのみんなは? 僕の鞄から出てきたゲーム機を見てどう思うだろうか。

 いや、平気だ。これは盗んだものではない。それは柿原自身が証明してくれるはずだ。多少、心証は悪いかもしれないが、それとこれとは全く別の問題なのだ。

「これは何だ。龍ヶ崎」

「違いますよ先生。これは昨日、柿原に――」

 絶句した。

 何故、ここにそれが――。

 鞄の中には、返却する予定のゲーム機本体と共に、件のゲームソフト『ファミクエ』がひっそりと佇んでいた。

「違います。さっきまではそんなもの――」

「嘘をつけ! お前の家は貧乏だから、ゲームなんて買ってもらえる訳がないだろう。羨ましくなって、つい柿原のゲームを盗んだんだろう? しかしゲーム機ごと盗むとは、随分と大胆な犯行に及んだものだな。なあ、おい!」

 違う。僕じゃない!

「貧乏なのは否定しませんが、僕じゃない。誰かが僕の鞄に入れたんだ」

「ほう。じゃあ何か? お前はこのクラスの中に、お前に罪をなすりつけて、平気でいられるような、そんな卑劣な人間がいるとでもいいたいのか? お前は同じ学び舎で学ぶ仲間を、そんな風に思っているのか?」

「そうじゃない。そうじゃないけど……」

 反論できる材料は何もなかった。

 学年主任は僕の髪を乱暴に掴み上げた。僕を犯人だと決めつけ、道端に落ちている犬の糞でも見るように下卑た目で見下し、繰り返し何度も罵倒した。

「話は職員室で聞く」

「誤解です。僕じゃない。柿原、そうだよな!」

「…………」

 柿原は僕を睨んでいた。まるでゲームソフトを盗んだのが僕であると信じて疑わない、そんな目だった。柿原だけではない。クラスの全員が僕に刺すような視線を向けている。

 そんな中でりんごだけがただ一人、僕を心配そうに見ていた。

 僕じゃない。僕じゃないのに。

 

 ポキ、ポキン。

 また、何かが折れる音がした。


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