表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜の死に神  作者: くまっち
第四話
26/36

4

 鬱々とした気持ちのまま、月曜日はやってきた。

 どんなに拒絶しても、月曜日は誰の許にも平等にやってくる。

 毎朝、必ず僕の家に寄って朝食まで食べていくりんごが、その日は顔さえ出さなかった。食卓に用意された四人分の朝食の前で、母親は壁に掛けられた時計を見上げる。

「今日、りんごちゃん、遅いね」

「風邪でもひいたんじゃないか?」

 恍けたセリフもどこか空々しい。

 母親は僕の顔を心配そうに覗き込んだ。父親は関心が無さそうに新聞を広げてはいるものの、さっきからページが進んでいない。僕は心の中を覗かれているみたいで、何だか落ち着かなかった。

「りんごちゃんと喧嘩でもした?」

「してない」

「早く仲直りできるといいね」

「そんなじゃないから」

 その日の味噌汁は、何だか妙にしょっぱく感じた。

 

「今日は姫小町さんが病欠です」

 朝のホームルーム。担任の口からりんごの欠席が告げられた。

 理由は明白だ。僕はりんごを傷つけたくないと言いながら、これ以上ない程に最低な方法でりんごを傷つけた。それが原因だ。それ以外には考えられない。

 謝らなければ。でも何と言って謝ればいいものか。この時の僕はまだりんごへの謝罪をためらっていた。りんごの欠席に、僕は心のどこかで安堵していた。

「龍ケ崎、はよ。今日りんご休みって、お前、何か聞いている?」

「い、いや。知らね」

 林田の問いに対して僕は正直に答えることができなかった。僕はこの期に及んで自分を擁護することを考えていた。林田の目が僕を責めているように思えた。

「夏とはいえこの辺りの夜は冷え込むからな。風邪でもひいたんだろ。なあに明日になればまた元気な顔で登校してくるさ」

 嘘を嘘で塗り固める。僕は底の見えない泥沼に、片足を取られたような感覚に襲われた。

 謝ればきっと許して貰えるだろう。しかし甘い考えを見透かされているかのように、翌日もりんごは学校を休んだ。その翌日も、更にその翌日も。結局、りんごは学校を一週間も休んだ。

 謝罪の機会は訪れなかった。


 その翌週の月曜日、りんごは何事もなかったように登校してきた。

 学校の玄関口で彼女の姿を見つけ、僕は声を掛けようと近寄った。「この間はごめん」「どうして朝、家に寄ってかなかったのさ」。話したいことが沢山あった。でも何故だろう。いつも通り話し掛けるだけなのに。喉元まで言葉が出掛かっているのに、息が止まったみたいに喉が詰まって、上手く言葉が吐き出せない。

「あのさ、りんご」

「何?」

 振り向いたりんごの目が冷たかった。まるで拒絶されているみたいだった。

「変なの」

 そして搾り出した言葉は行き場を失った。「ごめん」とひと言、伝えたいだけなのに。それさえ拒絶されてしまいそうで、僕はそのたったひと言が言えなかった。

 教室の中では、何もかもがいつも通りだった。ホームルーム前の緩んだ空気。クラスメイト達の笑い合う声があちこちから聞こえる。

「りんごちゃん、風邪はもういいの?」

「うん、平気。心配してくれてありがと」

 窓辺に並んだ柿原とりんご、二人の会話が聞こえてくる。

 時折吹き込む風がカーテンを揺らして、二人の姿を隠してしまう。柿原とりんごは、笑い合いながら手でカーテンを払った。二人のすぐ近くには、林田の姿もあった。窓際の席のひとつに腰掛け、二人の会話に笑いながら相槌を打っている。

 僕は彼らの近くに寄ることができなかった。離れた席に一人腰掛け、三人の姿をただただ眺めていた。 

「そういえば小梅ちゃんは? さっきから姿を見ないんだけど」

 りんごがキョロキョロと教室を見渡す。

「それが、休んでいるんだよ。病気とかじゃないみたいなんだけど。先生に聞いてもはぐらかしてばかりで、何だかはっきりしないし」 

 そう言われてみれば、ここ一週間、竜峡の姿を見ていない。あれほど毎日、彼女の姿を追っていたというのに、僕は現金だ。

「ねぇ柿原、何か聞いてないの? あんたの家、すぐ近くでしょ」

「それが聞いてないんだよ。でも、家の前通ったら、何か変なんだよ」

「何がどう変なんだよ」

 二人の会話に林田が口を挟む。

 りんごが微かに身構えたように見えた。

「人の住んでいる気配がないというか、妙に静かなんだよね。呼び鈴にも反応がないし。でも確か彼女の両親、二人ともお仕事してる筈だから、日中は誰も居ないのかもしれないけど」

 ばかだなあ柿原。僕は心の中で毒づく。

「ばかね柿原。親はともかく、小梅ちゃんは学校をずっと休んでいるんでしょ? 誰もいないって、じゃあ小梅ちゃんは、家にいないでどこにいるっていうのよ」

 りんごの言う通りだ。学校をサボってゲーセンにでも入り浸っているか、そうじゃなければ、何かの事情で長期入院でもしているか、だ。

 その時、教室内のざわめきを掻き消すように、ダサいジャージの冴えない独身教師が教室に入ってきた。朝のホームルームの時間だ。

 教師は出席簿を教壇に置き、神妙な顔で第一声を発した。

「皆さんに残念なお知らせがあります。竜峡さんがお父様の仕事の都合で、急遽転校することになりました」

「え……」

 世界から、音と色が消え失せたような感じがした。

 直後、思い出したように教室が喧噪を取り戻す。

「はい静かにー」

 教師が手を叩いてその場を収めようとする。

「皆さんには挨拶をしてから、と彼女は言っていたのですが、時間の都合でそれも叶わず突然のお別れとなりました。皆さんにはくれぐれもよろしく、とのことでした」

「そんなのあんまりだ」

「ひと言くらいあってもいいのに」

 そんな声が上がる。

 お祭りの夜、彼女はこのことを知っていたのだろうか。もしそうだとしたら、彼女は一体どんな気持ちで笑っていたのだろう。きっと最後になるであろう友達とのお祭りは、彼女の中では既に、思い出として片付けられているのだろうか。

「先生――」

 教室から声が上がった。

「この間の喧嘩が原因じゃないでしょうか」

 教室が波を打ったように静まり返った。

 喧嘩とは、僕がクラスの一部の女子と起こしたものだ。竜峡の教科書が落書きされたことに端を発して、僕はクラスの一部の女子と喧嘩になった。しかしそれは僕自身の問題で竜峡に責任はない。ところが竜峡は、自分にも原因の一端があると、騒動に責任を感じていた。彼女が落ち込んでいたことは、クラスの誰の目から見ても明らかだった。

「違います。さっきも言いましたが、竜峡さんの転校は、お父様の仕事の都合が理由です。喧嘩は関係ありません。だから……な。気にするなよ、龍ヶ崎」

 先生はぴしゃりとそれを否定した。原因はあくまで父親の仕事の都合であると。そして喧嘩の発端となった僕を気遣う優しさまで見せた。しかしその優しさは、裏を返せば僕が原因だといっているようなものだ。

 周囲の目が、僕の存在を否定しているように感じた。りんごも、林田も、柿原も、クラスのみんなも、そして担任の教師でさえも。

 きっと僕さえいなければ、何もかもが上手くいっていたのだ。


 ポキン。

 何かが折れたような音がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ