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桜の死に神  作者: くまっち
第四話
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1

 ほんの数分前まで、一ノ瀬なのはの身体には僕と同じ色の温かい血が流れていた。なのに彼女は今、糸が切れた人形のように身を捩り、愛らしい顔を弛緩させ、まるで飽きて捨てられた人形のように、床に転がっている。

 一ノ瀬なのはは死んだ。

 僕は何も出来なかった自分の不甲斐なさを、呪わずにはいられない。僕は自問する。彼女たちの行く末が、避けられない死であったとして。それを運命などという、いかにもご都合主義的な言葉で片付けてしまったとして、そこに回避する手段は、全くなかったと言い切れるだろうか。

「何でいつもこうなるんだ! 何で僕から大切な人を奪うんだ! 一体僕はどうしたら良かったというんだ! 返せよ。一ノ瀬を返してくれよ。彼女が一体何をしたというんだ。どうして彼女が死ななければならなかったんだ! 答えろよ。誰だか知らないが、答えろよ! うああああああああああああああああああああああッ!」

 今さら後悔しても死んだ人間は生き返らない。意味のないことなのかもしれない。だけど僕はもう二度と同じ思いをするのはいやなのだ。

「許さない。絶対に許さないからなああああああああッ!」

 インターネットの掲示板にふざけた噂の書き込みをし、メールを送りつけてくる黒幕を見つけ出し、この世から消し去ってやる。たとえ相手が悪霊であろうとも。


 僕と桜は旧校舎から学生食堂へと場所を移動した。普段であれば学生達でごった返しているが、生憎、今は夏休み期間中で生徒の姿はどこにもない。

「なあ桜、お前、一ノ瀬の記憶の欠片、見ただろ? あんな非道い毎日を送ってきて、それでも彼女は懸命に生きてきたじゃないか。それが何故こんな終わり方をしなければならなかったんだ? 彼女が死ななければならない理由なんか、どこにもなかった」

「必死で生きて来た、か……。恐らくは、それ故に……だよ」

 食堂内の紙コップ式自動販売機で、ブラックコーヒーと、砂糖とクリームを限界まで増量したカフェオレを購入し、桜の目の前にその気色悪い方の飲み物を差し出した。

 桜は紙カップに顔を近付け、二度三度匂いを嗅ぐと、カップの縁に口を付け、もはやコーヒーなどとは呼べない乳白色の液体をズズ……と啜った。

 犬みたいだった。

「彼女には凄惨な過去があった。それ故に悪霊に魂を狙われたのだよ」

「どういうことだ?」

「言葉のままの意味だよ」

 僕は、桜のものとは対照的な黒い液体をスマートに啜った。

 苦かった。

「悪霊とは本来、人や物の魂が腐敗したものだ。それは理解しているな? しかし、いかに悪霊と言えども、魂が完全に腐敗してしまっては、その姿を維持することが出来なくなってしまう。じゃあどうするか?」

 僕は天井を見上げ、一瞬だけ考えた。

「新鮮な魂を補給する、だろ?」

「そうだ。お前たち人間が動植物の血肉を補給して、その姿を維持するようにな。それを我われ死に神は『食餌(しょくじ)』と呼んでいる。餌を()むと書いて食餌だ。だが、その食餌には難点があってな」

「難点?」

「新鮮すぎる魂は、食べにくいのだよ」

 桜は顔を顰めた。

「食べにくい? 魂に食べやすいとか、食べにくいとかがあるのか?」

「無論だ。但しここで言う『食べにくい』とは、魂そのものの形状などが原因で、咀嚼や嚥下しにくいということを指すのではない。そうだな、別の言い方をすれば、捕食しにくいとでも言うべきか。つまり魂を手に入れることそのものが難しいのだ」

「悪霊と言えども、好き勝手に人間を捕まえて魂を喰える訳ではない、と」

「その通りだ」

 桜は大きく頷いた。

「例えば胡桃、仮に私が悪霊だったとして、お前の世話女房であるところの、あのメス臭くて馴れ馴れしい小娘の魂を喰うとしよう。もっとも私は、あんな骨と皮で出来たような、所帯じみた貧相な娘の魂など願い下げだが」

 桜は顔を背けて、さも忌々しそうに、吐き捨てるように言った。

「いやいやいやいや貧相なのはお前の胸も同じだろ」

 鋭い視線と共に、桜色の大鎌が僕の首の後ろに掛かる。

「話を続けるか、それともここにリアルな首なしマネキンを設置するか、どちらを所望する?」

「胸の話をすると異常に反応するのな。それよりお前、ずいぶんとりんごを毛嫌いするじゃないか。お前らしくもない。それに世話女房ってなんだよ。りんごが勝手に家に上がり込んで、これまた勝手にあれこれやってくだけだ。そんな関係じゃない」

「ふん、仮にも神である私が、あのような下等な生物と同列に扱われるのは心外だが、まあいい。いまは横に置いておくとしよう。さて、何だったかな?」

「お前が悪霊で、リンゴの魂を喰うとしたら、って話じゃなかったか?」

「そうそう、私があの忌々しい小娘の魂を喰らおうとするとだな……」

 視線を宙に彷徨わせたかと思うと、桜の死に神は目の前の紙コップを指し示した。

「あー胡桃、お前、もう一度これと同じものを買ってこい」

「話の途中で何だよ。人使いが荒いな……」

 僕はもう一度、自動販売機の前に立ち、コイン投入口に小銭を滑り込ませた。すると、がっちり固定されていたはずの自動販売機が、僕の頭上から音もなく倒れ込んできた。

「危ねえ!」

 僕は間一髪でそれを躱した。

 自動販売機が倒れた時に発した大きな音が、人気のない校舎に響く。周囲にはプラスチックの破片が飛び散っていた。下敷きになっていたらと考えるとぞっとしない。

「もう少しで死ぬところだった」

 桜は塞いでいた耳から両手を下ろし、今度は廊下を指した。

「あー、胡桃。さっきの音で誰かがやってこないか、ちょっと廊下を見てこい」

「何だよ、座ってないで自分で見に行けばいいじゃ……危ねえ!」

「オッと、ごめんなさい」

 自動販売機の業者が、缶ジュースの箱を背の高さまで積み上げた台車で、食堂に入ってくるところだった。ブラインドになった箱で前が見えなかったらしく、僕はその台車に危なく轢かれるところだった。

「何だこりゃ!」

 業者の人は、倒れた自動販売機を発見すると顔を青くさせ、商品を置いたままどこかに走り去ってしまった。その様子をニヤニヤと眺めながら、桜は満足げに頷いた。

「今のように、まずは工事現場あたりであの小娘の頭上から鉄筋を落とすか、或いは交通事故を装い車に撥ねさせて、虫の息にしなければならないのだよ」

「今の全部、お前の仕業かよ!」 

 桜は口元にニンマリと悪魔のような笑みを浮かべた。

「てえかそれ死んじゃうよね。虫の息で済むのが奇跡だよね。それに何でわざわざ、そんな面倒なことしなきゃならないのさ。悪霊だろ? 取り憑いて魂を喰っちまえばいいんじゃないのか?」

「ふん、これだから野蛮な下等生物は。ああ、やだやだ。何でも強引に事を済ませば良いと思っている。自分の欲求を満たすためなら、相手の気持ちも考えずに全てが力ずくという訳か。自分の性欲の捌け口をそのまま雌にぶつけるとは、お前は畜生か?」

 桜は肩を竦め、汚い物を見るような目で僕を見下した。

「おい、お前分かっていて言っているだろ、それ」

「はて、何のことかな?」

「いいから話を先に進めろよ」

 つい椅子を引く手が乱暴になる。

「そうだったな。つい脱線してしまった。さて胡桃。ところでお前は、物質の魂というものは、一体、身体のどの部分にあると思う? 心臓か? 脳か? それとも腹の中か?」

「魂と言うくらいだから、心臓の辺り……かな?」

「違うな」

「じゃあ頭」

 桜は静かに首を横に振る。

「心臓でも頭でもないとしたら、じゃあ一体どこなんだよ」

「決まっている。魂とは物質そのものなのだよ」

「……さっぱり意味が分からないんですけど?」

 まるで禅問答だ。

「普段、魂は、肉体と同化しているのだ。例えて言うなら、グラスの中の水に角砂糖を溶かした状態だ。しかし、悪霊が喰いたいのはあくまで新鮮な魂。さっきの例で言うところの角砂糖だ。ところが砂糖は水に溶けてしまっている。じゃあどうするか?」

「どうするって、火にかけて水分を蒸発させて……」

「簡単だ。砂糖水ごと飲んでしまえばいい」

「……お前、僕のこと馬鹿にしているだろう?」

 桜は表情ひとつ変えなかった。ふざけている訳ではないようだ。

「そうではない。つまりこれはお前が最初に出会った悪霊『公衆電話の悪霊(テレフォンボックス)』が使っていた手法だ。この手法で実際にお前の仲間が一人、命を落とした。だが、砂糖を喰うために砂糖水全部を飲むのは、いかにも効率が悪いだろう?」

「それはそうだ。じゃあやっぱり水分を蒸発させて……いや、それも手間がかかるという意味では、効率が悪いか。それにしても、それと一ノ瀬が悪霊に狙われたのと、どういう関連があるんだ? 彼女が糖分を摂りすぎだったとか?」

 桜がやれやれといった体で、首を揺り動かす。

「分かりたまえ。砂糖はものの例えだよ。どうやらお前の脳は皺が入っていないメロンパンと同じようだ。外はカリッと、中はふわっと。北欧のメロンパンは美味しいぞ。お前の脳みそも、あのメロンパンのように美味しければ、世間の皆さま方に顔向けもできようものだが。いまのお前は酵母菌以下の存在だ。まったくもってやれやれだよ……」

「お前……そこまで言うか。泣きそうだぞ」

「さて、砂糖が水と溶け合うには、水の温度や、水と砂糖の量がうまい具合にバランスしている必要があるだろう? それと同じように、魂が物質に溶け込んでいるためには、その物質が、物質でありたいと願う、強い『想い』が必要なのだよ。従って、その物質がそれを放棄した場合、その物質から魂が抜け出し、我われ死に神の手によって、次の物質へと転生を促されることになるのだ」

「前にも聞いたけど、それって無機物もそうなのか? いまいちコンクリートの塊と魂とが結び付かないんだが」

「基本的には同じだよ。但し、生物のそれと無機物のそれとは、その想いの強さ、つまり物質と魂の結び付きの強さには、大きな違いがある。無機物がほぼ個体差なく時間の経過と比例して弱くなっていくのに対して、生物は時間の経過とは比例せず、とりわけその個体差が大きい。中でも人間は感情の起伏が激しいだけに、結び付きの強さにも大きな波があるのだ」

「コンクリートがコンクリートでありたいと思う気持ちも、時間が経つにつれ弱くなって、魂が抜けたときに最期を迎えるという訳か。風化と呼ばれる現象だな」

「そういう意味では、人間の思いの強さは、無機物にさえ遠く及ばないと言える。どんな人間にも、必ず消極的な一面がある。そこを突かれると、大抵の人間は気持ちが弱くなるものだろう?」

 全くその通りだ。僕は大きく頷いた。

「であれば、だ。わざわざ獲物を追い込んで、弱らせてから魂を喰らうよりも、最初から気持ちが弱くなった人間を狙った方が楽に食餌にありつける。魂は肉体が死んだ瞬間から腐敗が始まるから、そういう意味でも新鮮な食材を楽に手に入れるには、今日の彼女のように心に傷を負った人間が、悪霊の格好のターゲットになるという訳だ」

「弱い人間を狙うなんて、卑劣だな」

 桜は大きな漆黒の瞳を更に大きく見開き、不思議そうに僕の双眸を見上げた。

「お前は馬鹿なのか?」

「またそういうことを……」

「いや馬鹿だろう。弱い者は狩られ、喰われ、そして強い者の血肉となる。それは自然の摂理だろう? 弱い者が安心して過ごせる都合の良い世界など無い。動物にせよ、植物にせよ、皆そうして生きている。恨み言は通用しない」

「でも、僕らは人間だ」

「人間同士という狭い世界の中では、道徳やマナーも通用しよう。だが、人間とて生態系の一部に属するのだ。お前も動物や植物などの弱い者を喰っているのだろう?」

「じゃあ、桜。お前はなぜ悪霊を狩るんだ? 喰って喰われるのが自然の摂理なら、喰う者を強制的に排除するお前の行為は、自然の摂理に反していると言えないか?」

「ふん、知れたこと。答えは『ノー』だ」

「何でだよ。言っていることが矛盾しているじゃないか」

 桜はカフェオレを最後まで飲み干すと、紙コップをゴミ箱めがけて放り投げ、したり顔でこう言った。

「――それは、我々死に神が『神』だからだ」

 紙コップは、ゴミ箱に届いてすらいなかった。


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