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桜の死に神  作者: くまっち
第三話
17/36

2

 最悪だ。最悪の展開だ――。

 補習四日目、S市立青陵高等学校普通科二年A組教室前――。

 僕、龍ヶ崎胡桃は、教師による懲罰という名の虐待に遭っていた。両手には、今となっては探すのも難しい、懐かしのブリキのバケツ。当然、中にはトイレの蛇口で注いだ水道水がなみなみと満たされている。

 三日連続で補習を欠席した僕は、生徒玄関から教室へと続く廊下の途中で、偶然遭遇した担任によって、発見、鹵獲(ろかく)され、またもや職員室へと連行された。不覚にも教師軍の捕虜となってしまった僕は、顔面神経痛のように顔を引き攣らせた担任の柴木によって、またもや立ちっぱなしの説教攻撃を、一時間に渡って受けることになってしまった。

 その後、教室に戻った僕は、補習二時間目の担当である数学教師、久保田によって古典的体罰という名の虐待を受けることになった。原因は授業中にバナナを丸ごと一房食べたという、些末なことだった。だって、お腹が空いたんだもん。

 連日の遅刻、欠席を反省し、りんごが作った朝食を掻き込んでまで家を早く出てきたことが、どうやら裏目に出てしまったようだ。しかし捕虜への虐待は国際法によって禁止されているはずだ。後の軍事裁判(職員会議)によって、死刑を宣告されるがいい、久保田(ハゲ)め。

 夏期講習を受けに来た優等生(教師の犬)共が、僕の姿を横目で窺い、見下し、あざけり笑いながら通り過ぎて行く。昭和時代の漫画じゃあるまいし、高校生にもなってこんな仕打ちを受けているのは、世界広しといえども僕くらいなものだろう。

 だが人間の「慣れ」とは恐いものだ。そんな恥辱に満ちた仕打ちでさえも、時間の経過と共に、僕の中でその意味合いを変えてゆく。恥辱プレイ。みたいな? そんな目で僕を見ないでくれ。いや、むしろもっと見てくれ、みたいな?

「ガッキーってば、何をブツブツ言ってるのぉ?」

 教室前方の扉から顔だけを出した、語尾の間延びしたソプラノが僕に話しかける。ちなみにガッキーとは僕のことらしい。行儀悪く扉から這い出し、廊下に立たされた僕の隣にちょこんと体育座りをしたのは、赤点仲間であり補習仲間でもある一ノ瀬なのはだ。

「バケツ持って廊下に立たされてる人って、なのは、実際に見たの初めてぇ。なんかちょっとだけ楽しそうだねぇ」

「そういうことは実際にやってみてから言ってくれ。この指に食い込んだバケツの持ち手が、痛いのなんのって。鬱血してもう指先の感覚がないし。でもこれが思いのほか気持ちいいというか、何というか」

「あははー。ガッキーってば相変わらずMっ気たっぷりだねぇ。そうやって林檎ちゃんに毎晩責められるのが二人の愛の形なんだよねぇ。素敵だなぁ、後ろ手にロープで縛られて、ヒールの踵で蹴られたりするんでしょー? でもそれが二人にとっては、最高に絶頂感(エクスタシー)なんだよねぇ。いいなー、そういう関係っていいなー」

「どんな屈折した愛の形だよそりゃ。それに何度も言うが僕とりんごはそんな関係じゃない。ただの幼馴染みの腐れ縁だよ」

 幼女に大鎌で脅され、ヒールの踵で蹴られているなんて、口が裂けても言えない。

「それにしても、せっかくの夏休みなのにねぇ、こんなにお天気なのにねぇ、なんで補習なんてするんだろねぇ。なのはバカだから、補習なんかしたって、ちっとも頭良くならないのに、青春のムダ遣いだよねぇ」

 そう言って彼女は、透き通るように白くて柔らかそうな頬を膨らませた。リボンを外した白セーラーの胸元を緩め過ぎて、腕に挟まれたブラジャーの意匠が紺襟の間からチラリと覗く。目のやり場に困った僕に、彼女はまるで気付く様子がない。

「まあ、そう言うなよ。世の中に無駄なことなんてないんだよ。きっと。この補習にだって意味はあるさ。いまはそれが無意味に思えたって、後の人生に何かしらの意味は生まれてくるものさ。たぶんな」

「おーっ、哲学的だぁ。いまガッキーが、ちょっとだけカッコ良く見えたぞー」

 彼女は驚いたような表情を作って、つんつんと人差し指で僕の頬をつついた。

「精一杯背伸びして言ったんだけどな。格好良かったのは、ちょっとだけかよ」

「あまり褒めるとりんごちゃんがヤキモチ焼くでしょー」

 舌足らずな彼女の喋り方は、彼女をあまり利発的に見せない。実際、学校での成績は、大抵、僕と最下位を争っているし、バス料金の十円玉を数えている間に、百円玉を落としてしまうような抜けたところもある。しかしその容姿と中身のアンバランスさが、彼女の個性であり魅力でもあるのだ。美しさは七癖を隠すのだ。

「えーっと、あれだな。最近、一ノ瀬、ちょっとだけキレイになったんじゃないか? ほら、なんての? 恋する女は何とかってやつ? 林田と付き合ってから、明るくなったって言うか、表情が更に柔らかくなったって言うか」

「林田くんとは付き合っているけど、別に恋って訳じゃないかなぁ?」

 そう言って彼女は、膝を抱えた身体を前後に大きく揺すった。

「身体の関係もないよ?」

 ドキッとさせる表現を、彼女は抵抗なく使った。思わず視線を泳がせた僕を下から覗き込み、悪戯な笑みを口許に浮かべた。

「おーっ。ガッキーひょっとして私に惚れたなぁ? うんうん、まぁ、それも仕方あるまい。何しろ私とガッキーは、前世ではラーメンとメンマの関係だったのだから」

「どっちがメンマかは想像に難くないが、僕とお前の間にもう少しマシな前世はなかったのか。既に生き物ですらないじゃないか」

「トンコツはお前だぁ!」

「そして形すら無くなったじゃないか。もはや成分だよ、成分」

 ラーメン好きな彼女は、ビシリと僕の頬を指さした。文字通り指がささっている。第一関節までもが僕の頬に食い込んでいるが、彼女は気にしていない。

「ところで一ノ瀬、お前、教室に戻らなくていいのか? まだ授業中だろ?」

「あ、忘れてたぁ。あのねぇ。久保田がそれ、もうやめていいって」

 そう言うと一ノ瀬は一拍遅れてから、僕の頬にささっていた指先をバケツへと向けた。

「ガッキーに教室に戻るようにって。久保田がそう言えって。そのために廊下に出てきたんだったぁ」

「それを早く言え。もうかれこれ体内時計で三時間だ。苦痛が快感に変わって、僕の中のいけない人格が顔を出すところだった」

 一ノ瀬と共に教室に戻ると、黒板には「通分」と書かれた数学の問題が出題されていた。教壇の上には算数のテキストと、小テストの答案用紙が乗せられている。それを数枚パラパラと捲った数学教師の久保田は、こめかみを押さえながら大きなため息を落とした。

 黒板の問題を見た僕と一ノ瀬は、同時に発声した。

「レヴェル高ぇな!」


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