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桜の死に神  作者: くまっち
第二話
14/36

7

 公衆電話の悪霊を圧倒的な力で倒した桜だったが、写真機の悪霊に対しては、思いのほか苦戦していた。自分の身の丈ほどもある刀身の大鎌は、必然的に動き(アクション)が大きくなり、素早い動きには向いていないのだ。何しろ僕でさえ不意打ちの初太刀を躱せたのだ、俊敏な動きの写真機の悪霊とは、相性が悪いと言わざるを得ない。

 写真機の悪霊は軽快なフットワークで桜の刀を躱し、後ろに回り込んで下からのアングルで、数回、フラッシュを焚いた。

「ぎゃあっ。ドコ撮ってるのよ」

 短めのタイトスカートの裾を抑えた桜が赤面する。しかし写真機の悪霊の表情は何だか納得がいってない。どうやら期待したものが撮れなかったらしい。

 桜は食品にたかる蝿を払うかのように大鎌を振り回すが、写真機の悪霊は相手の緩慢な動きを嘲笑うかのように、こともなげに大鎌の刃先を鼻先で躱す。

「へいへい、バッター扇風機」

「野次るな、バカタレ。こいつ、意外とすばしっこくて、やりにくいったら」

 なおもデタラメに桜色の大鎌を振り回す桜。しかし桜が冷静さを失えば失うほどに大鎌の軌道は大きく、そして単調になってゆく。

「くっ!」

 大鎌の軌道の隙間を縫うようにして、写真機の悪霊は桜の懐に侵入する。桜はバックステップで間合いを広げようとするが、写真機の悪霊は桜の懐にぴったりと貼り付いたまま離れない。写真機の悪霊が、焦りの色を浮かべた桜の顔目掛けて、執拗にフラッシュを焚き続ける。

 堪らず桜の花弁で払う桜。だが写真機の悪霊は、躰を沈み込ませてその太刀筋を躱した。ついでとばかりに、悪霊は素早いステップで後退する桜の踵をつま先で引っかける。

 桜はバランスを崩し、思わず地面に片手を付いた。空中で身体を反転させることで何とか姿勢を維持したものの、着地と同時に桜の目の前に写真機の悪霊が姿を現した。

 写真機の悪霊は、桜の大きな瞳をじっと見つめたかと思うと、不意に彼女の額の前に手をかざし中指を弾く。ビスケットを割ったような音と共に、桜の首が後ろにズレた。

「痛ったああああッ!」

「柴木のデコピンより痛そうだ!」

 決定打を欠いたまま、桜は次第に劣勢へと追い込まれていった。

 桜の花弁を振り回すが悪霊には掠りもしない。格下の悪霊相手に傷ひとつ付けることのできない状況。桜の顔に明らかに焦りの色が浮かぶ。

「当たれ、当たれ、当たれえええええッ!」

 写真機の悪霊は桜の太刀筋を完全に見切っていた。攻撃をくねくねと軟体動物のような動きで躱す。それどころか桜が攻撃を仕掛ける前に彼女の背後に回り、グラビアカメラマンのように何度も何度も繰り返しフラッシュを焚く。

「ちょろちょろと小蝿みたいにうるさいわね!」

「桜、後ろ後ろ!」

 敵の姿を完全に見失った死に神の背中に、写真機の悪霊が前蹴りを入れる。地べたに俯せに倒れ込んだ桜の死に神は、またもクマのパンツを、衆目に晒すことになった。

「一度ならず二度までも……」

 桜はなぜか僕を睨み付ける。

「いまのは僕のせいじゃないだろうが」

 写真機の悪霊が桜の頭めがけて踵を落とす。桜は咄嗟に身体を反転させてそれを避ける。すんでのところで頭が潰れるのを回避した。

「しまった!」

 しかしあろうことか桜は悪霊の攻撃を避けた拍子に、大鎌の柄を握っていた手をつるりと滑らせてしまった。彼女の生命線とも言える桜の花弁が、死に神の手中から滑り落ちる。咄嗟に腕を伸ばす桜だったが、再び大鎌を掴むことは叶わなかった。

 写真機の悪霊は、そのチャンスを見逃さなかった。庭に落ちていた金属バットをゆるりと拾い上げると、ゴルフのスイングで二、三度素振りをすると、桜の花弁へと照準を合わせて、思い切りよく振り抜いた。大鎌は庭の外の道路まで飛んで行った。

 果たして桜は丸腰になった。

 桜は隙をみて大鎌を拾いに走る。が、写真機の悪霊はそれを許さない。桜の数倍早い動きでその行く手を阻む。その度に無神経なフラッシュが桜に向けて浴びせられた。

「そんなことを繰り返したって――」

 突然、桜の膝が、がくりと折れる。

「どうしたんだよ、桜。別の武器を出せばいいじゃないか」

「そんな都合の良い武器などあるか。『桜の花弁』は、世界中のどこを探してもその一本しかないのだ。それに何だか……身体に力が……」

 柿原の喉の奥、悪霊の赤い双眸を睨みながら、桜はじりじりと後じさりする。

「他に手はないのかよ。死に神なんだから、他に悪霊を退治する手段くらい、いくらでもあるだろう?」

「当然。と言いたいところだけど、残念ながら今のところはお手上げね。我々死に神は、鎌の『存在の力』を借りて悪霊を浄化しているのだ。私の『桜の花弁』は千年桜から精製されたもの。つまり桜の死に神は、千年間生きた桜の生命の力を借りているのだ。従って、桜の花弁を持たない桜の死に神は、悪霊の浄化も満足にできない、死なないだけのただの神でしかないのだよ」

「ただの神って、全然御利益がなさそうだな。存在価値ゼロじゃん」

 柿原の喉の奥から覗いた仄赤い瞳が、チャンス到来とばかりに嬉々として歪む。

「のおおおおおおおおおおおおん、のおおおおおおおおおおおおおん」

「てえか言っちゃっていいのかよ、そう言うこと」

「ハッ! 言っちゃった。思わず敵に塩を送っちゃったじゃない!」

「お前、バカだろう」

「うっさいわね。だいたいアンタがあまりに良いパス出すものだから、つい調子に乗って喋りすぎちゃったじゃないのよ」

 ――一瞬だった。

 その時、ほんの一瞬だけ。時間にして僅か一秒足らずの時間。桜は写真機の悪霊から目を逸らした。ほんの一瞬の、その瞬間を、写真機の悪霊は見逃さなかった。

 写真機の悪霊は、肉眼では捕らえきれないほどの速さで桜の背後に回り、手にした金属バットを、桜の脳天めがけて振り下ろした。鮮血が霧となって周囲に散る。

 不意を突かれた桜は意識が飛んだ様子で、現実にはそこにはない桜の花弁を振った。当然にそれは空を切り、桜はその場でたたらを踏んだ。

「うぅ……」

 桜は膝からくずおれ、顔面から床に倒れ込んだ。桜の頭部から、真っ赤な血溜まりが見る間に広がっていく。

 惨劇だった。まるで殺人現場のようだった。

 写真機の悪霊は、倒れた桜の脳天を、手にした金属バットで何度も何度も殴りつけた。僕は何も出来ずに、それをただ見ていることしかできなかった。標的が僕に移るのが怖かったのだ。

 どの位そうしていただろう。桜の手足がヒクヒクと痙攣をし始める。

「お、おい……やばくないか? これ」

 死に神は死なないはずだ。だって人間よりも回復が異常に早いのだから。だがこれは明らかにまずい。僕の直感は、そう僕に伝えている。

 死なないが、もう二度と動かなくなるかもしれない――。

「のおおおおおおおおおおおおん、のおおおおおおおおおおおおおん」

 悪霊が歓喜の雄叫びを上げる。

 横たわる死に神の瞳から、光が失われた。

「おい。返事をしてくれよ、桜。桜!」

 僕は甘く考えていたのかもしれない。死に神は狩る者であり、悪霊は狩られる者であると。それはこの世の摂理であり理であると、そう思っていた。しかしそれは都合の良い妄想でしかなかったのだ。

 桜は言った。再生不可能になるまでバラバラにされても死ぬことができないと。つまりそれはそういう状況に陥ること、言い替えれば悪霊に敗れることもあるということだ。悪霊に敗れ、未来永劫、永遠に痛みに耐えている死に神がいるということなのだ。

 死に神と悪霊の関係は、決して捕食者と被食者の関係ではないのだ――。

 僕がやらなければ。桜を救うことができるのは、いまここには僕しかいないのだ。何度となく執拗にバットを振り下ろす悪霊は、幸いにもトドメを刺そうと桜に夢中だ。意識は完全に桜に向けられている。僕に対しては背中を向け、完全に無防備になっている。これはチャンスだ。この時を逃せば、恐らくチャンスは二度と巡ってこない。

 だがもし失敗したら。もし悪霊に気付かれでもしたら。僕は悪霊に簡単に命を奪われてしまうだろう。そんなリスクを冒してまで彼女を救う義理が、僕にはあるのだろうか?

 否。そんなもの僕にはない。何せこいつは僕の命を奪おうとしたのだ。

 逃げ出せ。無かったことにすればいい。そうすれば明日からいつもの日常が戻ってくる。むざむざと命を投げ出す必要はない。分かっている。

 それなのに――

 僕の足はいま、庭の外まで投げ出されたものに向かっている。足音を立てないよう細心の注意を払いながら、気配を悟られないように極力息を殺しながら、歪に湾曲し太陽の光を冷たく反射させる桜色の大鎌「桜の花弁」に向かっている。

 そうして目の前まで近づいて眺めた桜の花弁は、まるで生きているかのような存在感を放っていた。ただの道具でしかないはずの大鎌から、その刀身から滲み出た生気のようなものが、まるで呼吸をするかの如く大気を揺らめかせている。これが「存在の力」なのだろうか。

 改めて見ると、刀身の大きさがより一層際立っている。見るからに重そうだ。桜が大鎌を地面に下ろした時の、鉄球を落としたような重たい音が頭を過ぎった。

 僕はこの巨大な武器を扱うことが、本当にできるのだろうか? だがしかし、いまこの状況を打開できるのは、僕しかいないのだ。

 僕は複雑な意匠が彫り込まれた大鎌の柄の部分を、相当の覚悟で握り込んだ。しかし僕の意思に反して、桜の花弁は明らかな意思を持って、身悶えるような動きで僕の手の中をすり抜けた。

「……あ、あれ?」

 まるで僕に怯えるように、桜の花弁はその身をブルブルと震わせる。彼――性別があるのかは不明だが――は一度振り返ると、刃先から柄までを器用に捩らせながら、まるでシャクトリムシのような動きで僕から距離を取る。

 僕は逃げる桜の花弁を追い掛けた。すると今度は、我が子を護る母猫のように、刃先を二枚に割った口で「キシャーッ」と僕を威嚇してきた。

「……嫌われている?」

 千年桜の存在の力を借りているとは聞いたが、よもや生きているとは。

「んの?」

 写真機の悪霊は動きを止めた。

 しくじった。

 桜の花弁が発した威嚇の声に、写真機の悪霊が気付いてしまった。

 柿原の喉の奥から覗く仄赤い双眸が、マゾスティックに笑った。

 写真機の悪霊は、血で真っ赤に染まった金属バットを引き摺りながら、僕の方にゆっくりと近付いてきた。俊敏なくせに歩いてくるのは、たとえ僕が逃げ出したとしても、すぐに捕えることができるという自信の表れなのだろう。もしくは僕にじわじわと恐怖を与えるのが目的なのかもしれない。

 桜は虫の息。桜の花弁には逃げられる。写真機の悪霊には気付かれる。絶体絶命という言葉の意味を、今更ながらに身をもって知った。もっとも今更知ったところで、僕は目の前の悪霊に殺されるかもしれないのだが。

 というか、きっともう殺された。

「のおおおおおおおおおおおおん、のおおおおおおおおおおおおおん」

 写真機の悪霊が、余裕の表情で金属バットを振り上げる。

 桜の血液がのっぺりと付着した金属バットが、コマ送りで迫ってくる。

 死ぬ間際の人間は、数十分の一秒の出来事がまるでスローモーションに見えるという。僕は死にゆく運命を予感し、脳内の記憶密度を無意識に高めているのだ。思い返せば、何てつまらない人生だったのだろうか。

 昨日までの記憶が走馬灯のように、脳裡を次々と駆け抜け……

 ――ない。

 走馬灯のように駆け抜けない?

 写真機の悪霊の動きがコマ送りに見える。

 死に直面した者が体験するという現象そのものだ。そして僕は今確かに死に直面している。それなのに僕の思考は記憶の淵を辿るどころか、未だかつてないほどにクリアで冷静だ。僕の思考が周囲をコマ送りに見せているのではない。僕の周りの世界そのものがコマ送りで動いているのだ。

 これは幸運とばかりに、血塗れになった桜を安全な場所に避難させる。出来るだけ遠くに。写真機の悪霊の目に付かないところがいい。

 そうだ、この家の敷地の外に移動させよう。

 僕は桜を抱きかかえ、逃亡した桜の花弁のすぐ傍に寝かせた。この位置からは植え込みが死角になって、写真機の悪霊から彼女の姿は見えないはずだ。

 次に写真機の悪霊の手から金属バットを奪い取る。写真機の悪霊は、公衆電話の悪霊のように直接肉体を喰ったりすることはできない。恐らくはあのカメラで相手を撮影すると見せかけ、魂を奪い取っているのだろう。桜の体力が急激に失われたのはそのためだ。

 ここで僕はひとつの仮説を立てた。

 憑依とは即ち寄生だ。寄生虫は宿主の体内で孵化し、その肉体を喰らい栄養源とする。しかしその幼虫は、自分が成虫になるまでは決して宿主を殺さない。何故なら自分の食糧がなくなり、自らの生命に危機が及ぶからだ。つまり物質に憑依する悪霊とは、逆説的に言えば憑依する物質なしでは存在しえない悪霊なのだ。そうでなければ、わざわざ憑依などという面倒な作業をする必要がない。

 さて、写真機の悪霊はどのような形態で、今日まで宿主の身体を渡り歩いてきたのか。身体の機能が停止した人間の体内で、次の宿主が現れるのを待つのか。否、それでは効率が悪すぎる。恐らく柿原の時がそうであったように、悪霊の本体はあのカメラを媒体として次の宿主に乗り移るに違いない。

 結論。柿原の命が尽きてしまえば、悪霊はあのカメラにその身を移す。

 ではその身を移すべきカメラが、この世から無くなってしまったとしたら?

「のおおおおおおおおおおおおん、のおおおおおおおおおおおおおん」

 突如、コマ送りの世界がほどけた。

 金属バットを手にしていたはずの悪霊の両手が虚しく空を切る。悪霊は信じられない物でも見たかのように、交互に両手を見つめる。

 直後、悪霊はハッと我に返ると標的を再び僕に定めたようだ。

 しかし動じる必要などない。

 恐ろしいまでの速度で襲いかかってくる写真機の悪霊。僕はその右手にあるカメラだけに意識を集中させ、奪い取った金属バットを、思い切り良く振り抜いた。

 古びたカメラは空中に放物線を描きながら飛んでいった。アルミで出来た筐体はくの字に曲がり、レンズの破片を撒き散らしながら地面に落下した。その衝撃でカメラがバラバラに砕け散ったのが肉眼でも確認できた。

「のおおおおおおおおおおおおん、のおおおおおおおおおおおおおん」

 写真機の悪霊は空に向かって咆哮を上げ、崩れるようにその場に跪いた。

「そこをどきなさい、胡桃!」

「桜!」

 頭部を鮮血に染めた桜の死に神がそこにはいた。滝のように流れる血液が頬を伝い地面に落ちては染みる。いくら再生速度が速いとはいえ、全くダメージがないはずはない。

「大丈夫なのかよ、お前」

「トドメを刺すわ」

 桜は僕を押し退けると、写真機の悪霊に憑依された柿原に向かい、一歩前へ進み出た。

 桜の花弁を空中でひと振り――。桜色の閃光が螺旋状に閃いたかと思うと、周囲に大きな桜の竜巻が立ち上る。

「消えてええええッ」

 高さ一五センチのピンヒールで地面を蹴り、桜は悪霊との間合いを一気に詰めた。身体のバネを使い空高く舞い上がると、ちぎれそうな程に上半身を捻り、桜の花弁を身体の真後ろまで引いた。

「無ぁくなれええええええええええええええッ!」

 身体の回転を利用しながら、桜の花弁を真一文字に振り抜く。

「のおおおおおおおおおおおお……」

 切断面を滑るように上半身が横にスライドしていく。悪霊の断末魔の叫びは消え入りながら力なく途切れた。柿原の身体は胴体から真っ二つに分断され、地面にその憐れな亡骸を晒した。切断面から内蔵と大量の血液がどろりと流れ出した。

 と、柿原の口から、小さくて黒い宇宙人のような生物が這い出してきた。そいつは僕の視線に気が付くと、その場から小走りに逃げ出そうとする。

「僕がお前を、見逃す筈がないだろう?」

 プチッという嫌な感触が、足の裏から伝わった。


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