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桜の死に神  作者: くまっち
第二話
12/36

5

 道路から見上げた柿原の家は、どこか廃墟のような様相を呈していた。

 もう正午近いというのに、窓から見える部屋のカーテンは、その全てが閉じられている。

 庭の隅には錆びた自転車と凸凹にへこんだ金属バットが転がっており、もう長いこと庭の手入れがされていないことがひと目で見てとれた。夏になると元気なひまわりの花を咲かせていた畳一枚ほどの花壇も、いまは枯れた草花と虫の死骸で覆われ、動植物の墓場と呼ぶに相応しい。

 門から前庭を覗くと赤い屋根の犬小屋が見えた。いつも尻尾を振りながら、嬉しそうに近寄ってきた愛犬ベスの姿はもうそこには無かった。

 柿原の家に足を踏み入れるのは、何年ぶりになるだろう。僕は慎重に、柿原家の庭先に足を踏み入れた。途端に地面から立ち上ってくる湿気と、立ちこめる腐敗臭でむせ返りそうになった。思わず朝食のベーコンエッグを戻しそうになった。

 玄関では(からす)の死骸に銀蠅ぎんばえたかっていた。乾燥して表面が波打った目玉から、無数の蛆虫うじむしが体をよじらせながら這い出してくる。腐臭がするのはこれのせいか。

 僕は口許を片手で覆いながら玄関の呼び鈴を押した。鴉の死骸を踏まないように、少し離れたところからめいっぱい腕を伸ばして押した。電池が切れかけた呼び鈴の間延びした音が、玄関扉の向こうに響いたのが微かに聞き取れた。

 しかし暫く待っても、住人が顔を出す気配はない。

「おかしいわ……」

 途中で合流した桜の死に神が呟いた。

 柿原宅を訪問したのは、ほんの少し様子を見るだけのつもりだった。柿原の様子がおかしいのは受験ノイローゼか何かで、りんごの心配も杞憂にだろうと思っていた。ましてや悪霊が関与するようなことがあろうなどとは、考えてもみなかった。しかし彼女は死に神特有の能力で何かを感じ取ったのだろうか。僕が柿原の家に着いた時には既に、柿原邸前の電柱の上に腰を下ろし、僕の到着を待っていた。

「ああ。誰もいないというのはおかしいな」

「そういう意味じゃないわ」

 桜は小さなため息をついた。

「見て分かることをわざわざ口にするほど、私は話し相手には困っていない。友人も特定の異性もいない胡桃と一緒にしないで貰いたいものだ。私がおかしいと言ったのはだな……。ん? どうした」

「気にしないでくれ。少々胸が悪いだけだ。きっとお前の辛辣な言葉のせいなんかじゃなく、この腐臭のせいだな。そうに決まっている」

 僕は脱力し、その場に跪いた。

「すまない、続けてくれ」

「まあいい。私がおかしいと言ったのは、この空間のことなのだ。これだけの亡骸(なきがら)が転がっていながら、なぜ魂が放置されたままなのだ。残念ながらもうほとんどの魂は腐敗している。転生部の連中はいったい何をやっているのだ」

 不意に僕は、視線を感じてそちらを見た。

 玄関のちょうど真上に位置する二階の窓。そこから覗くカーテンが僅かに揺れた。りんごが話していた通り、この家には人が住んでいる気配がする。

 僕は再度、玄関の呼び鈴を押した。しかし扉の向こうでは、またも間延びした音が虚しく響くだけだった。やはり誰もいないのか? 二階のカーテンが揺れたのは、僕の見間違いだったのか?

 僕たちが諦めて、帰ろうと玄関に背中を向けた時だ。

「……誰だ」

 寝起きのように低く掠れた声が背中に聞こえた。僕らはビクリと肩を跳ね上げ、背後を振り返った。

「龍ヶ崎と」

 足元からじろりと桜を品定めするように見上げ、柿原は不躾に顎で彼女を指し示した。

「……それ、お前の女か?」

「違うぞ」

「違うわ」

 否定した声が重なった。

 玄関の扉を五センチほど開けた隙間からこちらを覗き見る柿原。らしき人物。そこから覗く彼の瞳は昨日の曇り空のようにどんよりと濁り、目の周りの皮膚はリクガメの皮膚のようだった。坊主頭で無邪気な笑顔だった彼の面影はもうどこにもない。

「初対面の者を『それ』呼ばわりした挙げ句に、この私をこの程度の(くるみ)の彼女ですって?審美眼のない凡人の友人は、所詮凡人ということだ。私の美貌とこの目鼻口を適当に組み合わせた福笑いみたいな男の容貌が本当に釣り合うと思うか? お前、精子からやり直しなさい」

「お前……それ、言い過ぎ……」

 柿原は口元に薄気味悪い笑みを浮かべた。そしてそのまま、何事もなかったように、玄関の扉を閉めようとする。

「ちょっと待てよ」

 僕は扉の隙間に足を突っ込んでそれを阻止した。柿原の顔に驚きと焦りの色がはっきりと浮かんだ。柿原は慌てて扉を閉めようとする。何かを隠しているとでも言うのか。

「させるかよ」

 ここで扉を閉められては彼の欠席の理由も、彼の変貌の理由も分からないままだ。僕は必死に扉を閉めようとする柿原の鳩尾(みぞおち)に前蹴りを入れた。痛みと息苦しさで柿原は(うずくま)る。

「せいぜい苦しめ。その程度の痛みは、僕が桜から受けた心の痛みに比べればまだ軽い」

「何だそれは。私が何か胡桃を傷付けるようなことを言ったか?」

「気付いていないのがまたムカツク」

 僕らは強行突破して家の中に上がり込んだ。

 そこで目の当たりにした光景に、僕は息を呑んだ。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご、りんご。

 部屋中、いや、家中がりんごの写真で埋め尽くされていた。

 笑っているりんご。

 怒っているりんご。

 泣いているりんご。

 食事中のりんご。

 着替え中のりんご。

 睡眠中のりんご。

 入浴中のりんご。

 排泄中のりんご。

 ありとあらゆるりんごの姿が、引き延ばされた総天然色の写真となり、至るところから僕たちを見つめている。

「ふん。胡桃にべたべたとくっつく、発育不全の勘違い女め。盗撮されているとも知らずに気の毒なことだ」

 桜が毒づく。

「いや違わないか? 桜、この写真何か変だ。盗撮なんかじゃあり得ない」

「何が違う? 全部こちらを向いてハッキリと写っている。間違いなくあの女だ」

「そうじゃない。写るはずがないんだ、全部こちらを向いてなんか」

 桜の表情がハッとする。どうやら僕の言わんとすることが理解できたようだ。

 りんごに告白した柿原。急に豹変した柿原。古めかしいカメラを持っていた柿原。そして僕は、ひとつの答えを導き出した。

「もし彼が、りんごに振られた後も、悶々と彼女への想いを募らせていたとしたら。もし竜峡小梅のように、弱った心をある存在に狙われたのだとしたら? 盗撮なんかじゃありえない。されども堂々と撮られた写真でもあり得ない。じゃあ自分に都合の良い写真を撮ることができる、そんなカメラがあったなら。そんな非現実が実現してしまうとしたなら。それってどういうことだと思う?」

「決まっているじゃない」

 引き摺っていた桜色の大鎌をひと振り、桜の周囲に桜の渦が立ち上る。花びらが中心から弾けるように散ると、そこに漆黒のスーツに身を包んだ『桜の死に神』が姿を現した。

悪霊(ゴースト)の仕業でしかあり得ないわ」


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