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柳刃包丁を持った姫小町林檎が、僕の部屋のドアをノックしたのは、彼女が出て行ってから三〇分程経った後のことだった。玄関扉の魚眼レンズから覗いたりんごが、包丁を持った山姥のように見えたのは、決してレンズのせいだけではないだろう。
「ゴルァ、クルゥ。出てこんかい、あんたの性根を叩き直してやるわ」
「えーっと、警察呼ぶ?」
さらに一時間後、りんごの怒りが収まった頃を見計らって、僕は彼女を部屋へ上げた。
リビングの炬燵には、僕、桜、そして柳刃包丁を離さないりんごが一堂に会している。炬燵の天板には三つのコーヒーが置かれているが、残念ながら既に飲み頃はとっくに逃している。
桜が大きな欠伸をひとつ。
場に緊張が走る。りんごがキッと僕を睨む。僕は桜に目で助けを求めるが、桜はまるで興味がなさそうに爪の先を弄っているだけだ。どうやら僕は、自分が望まないおかしな三角関係に嵌り込んでいるようだ。
「どういう関係? 外来語を使わずに四百字詰め原稿用紙二十枚以内で説明しなさい」
りんごは僕を問い詰める。しかし僕は彼女との関係を説明しうる語彙を持ち合わせていない。つい先ほど居候することになった死に神とその家主です。と答えたところで火に油を注ぐ結果は明らかだ。大体そんな話、一体誰が信じるだろう。
「ちょっと待て。落ち着けりんご。興奮して質問が現国の期末考査的になっているぞ。それにお前、何か大きな誤解をしている。僕と桜はそんな爛れた関係じゃないぞ。な? 桜。な? な?」
命乞いにも似た僕の思いは、桜にはまるで届かなかった。桜は興味がなさそうに、爪の先の垢をフッと息で吹き飛ばしていた。
「うん? あぁ、そうね。二人で朝のコーヒーを飲む程度の関係よ」
「ちょーっと待て。その言い方は不味い。非常に不味いぞ」
「ふーん。あ、そうなのぉ……。そうねぇ……。じゃあ死刑確定で」
りんごは立ち上がり胸の前に柳葉包丁を構えた。ちなみに刃先は上を向いている。
「心配はいらないわ。一度で確実に急所を突いてあげるから。なあに、外して苦しませるようなことはしないわ。鳩尾の辺りから斜め上に一気に抉れば、確実に心臓まで刃先が届くでしょうよ」
邪気のない顔で笑うりんご。却ってそれが怖い。
「胡桃、転生部の者、呼んでおこうか?」
「それって全然、冗談に聞こえないから!」
誰のせいでこんなことになったと思っているんだ。
ゆらり、ゆらりと、細い身体を揺らしながらりんごが迫ってくる。僕は今きっと、人生で最大の危機を迎えている。
「い、従兄妹だ。そう従兄妹。夏休みを利用してS市見物にきた従兄妹だよ。そりゃあアンタ、朝っぱらから二人してコーヒーくらい飲むだろうよ。な? だからほら、それ、引っ込めろよ。危ないだろ?」
最高だ自分。最高の言い訳だ。これだけ流暢に日本語がでてくれば、夏休みにわざわざ学校くんだりまで足を運んで、かったるい補習なんざ受けなくても済んだだろうよ。
自己陶酔する僕に、桜がじろりと睨みを利かせる。
「従兄妹だとぉ? 貴様、自分の立場が危うくなってきたからって、口から出任せは――フゴォ」
僕は桜を押し倒し、手で強引に口を覆った。
「桜ったら、りんごに変なライバル意識持っちゃって。同じ高校生同士、同じ貧乳同士、仲良くやろうぜ、な?」
「とうとうそこまで堕ちたか。小さな女の子を部屋に連れ込むだけじゃ飽き足らず、押し倒して手籠めにしようなんて、最低を通り越してアメーバ以下よ。見損なったわ、クル」
「もはや単細胞生物ですらないのかよ! だから誤解だって」
「むごお! もごもごお!」
ひととおり暴れ倒した後、彼女は観念したように大人しくなった。僕の複雑な立場を理解してくれたのだろうと理解し、僕は押さえていた手を離した。
目尻に涙を浮かべた桜が、ふっくらした唇を噛んだまま、スッと僕から視線を逸らした。
「……優しくしてね」
「は?」
次の瞬間、僕の視界は大きく歪んだ。