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桜の死に神  作者: くまっち
第一話
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 私服姿でいちゃつく同年代の男女を、恨めしそうに横目で睨みながら、僕、龍ヶ崎胡桃(りゅがさきくるみ)はひとり、午前八時四十七分S駅行きの電車に揺られていた。

 七月二十五日――。世間では今日から夏休みが始まる。僕が通うS市立青陵高校においても、それは例外ではない。

 本来であれば、太陽の光が真上から燦々と降り注ぐ時間に起床し、瞳に優しい活字の少ない週刊少年雑誌を一日中読み(ふけ)るという、健全かつ健康的な毎日を送るはずだった。あわよくば、日本の少子化対策についうっかり貢献してしまいそうな、隣のバカップル共のように、十七年間の淋しい毎日を遠い目で『思い出』と呼べる、そんな劇的なイベントが僕を待っていたかもしれないのに。

 それなのに――。


 S市立青陵高校はS駅から西の方角に五分ほど歩いた場所にある。

 夏休みであるにもかかわらず、いまから僕はそこへ行かねばならない。なぜなら、たった五科目の期末考査の赤点で、担任から夏休み中の補習を言い渡されたからだ。

 夏休み初日ということもあり、普段、様々な制服で溢れかえるS駅も、今日はハンカチで額を拭うサラリーマンの姿ばかりが目に付く。制服姿の自分が浮いて見えるが、何、気にすることはない。部活みたいなものだと思えばいい。

 改札を出た僕は、足早にS駅西口を目指した。

 そんな僕の前方五メートルほどの位置を、見慣れない制服が、きょろきょろと周囲を見廻しながら歩いている。

 案内標識を見ることなく一直線に出口に向かう人が多い中、目的地が見つからないのだろう彼女の動きは、周囲から浮き上がり、好奇の目を引いていた。

 膝上一〇センチの、赤地に黒いチェック柄のスカート。清楚なブラウスの白が目に眩しい。はち切れそうなブラウスのボタンが、存在をはっきりと主張するFカップ(推定)。僕はそれを追い越し様、気付かれないように横目でこっそりと凝視した。

 振り向くたび、彼女の黒艶の長髪が肩の上をさらりと流れる。その繊細で高潔な存在は、例えるなら、不毛の大地に咲く一輪の花だ。

 何かの拍子にハンカチでも落とさないかと期待するが、そんなひと昔前の恋愛小説のように都合のよい展開などあるはずもない。ありえない奇跡の展開を心の中で渇望するが、たとえあったところで声など掛けられるものか。何しろ僕は、お釣りを間違えたコンビニの店員にさえ文句を言えないほど、内向的なインチキ平和主義者なのだ。

 顔を前に向けたまま、視線は横に。一定の距離を保ったまま、僕は彼女と同じ速度で歩き続ける。変態のそしりなら甘んじて受けよう。いいじゃないか、巨乳だもの。

 頭上の案内看板をキョロキョロと見ながら、彼女は定期入れらしき物をスカートのポケットに突っ込んだ。

 その時だった。

 偶然にもピンク色の何かが、スカートのポケットから落下したのを、僕は視界の端に捉えた。しかも彼女はそれに気付いていない。僕は足を止め落下したものを拾い上げた。

 携帯電話だった。

 さりげなく。あくまでさりげなく。心の中で沸き立つ歓喜の何かを抑えつつ、個人情報でいっぱいの端末を拾い上げ、僕は落とし主であるFカップに声を掛けた。誤解しないで貰いたい。あくまでその背中に向けてだ。決して胸にではない。

「ちょっとそこ行く黒髪のきれいなあなた、ピンクの電話を落としましたよ」

 無視された。

 声の掛け方が悪かったのだろうか。きっとデブと痩せの凸凹コンビみたいなもの、落としてねえよ、とか思われてしまったのだろう。いや古くて分かんないか。

「携帯、落としましたよ」

 振り向いた彼女は、至極、不機嫌そうな表情だった。

 当然だ。こんな場所で声を掛けてくるような人間は、せいぜい怪しい化粧品のセールスか、AVのスカウトくらいだろう。

 しかし次の瞬間、意外にも彼女の表情は、不機嫌なものから驚きのそれに変わった。

「龍ヶ崎君? もしかして、龍ヶ崎君じゃない?」

 声を掛けた僕が逆に声を掛けられるという、不可思議な展開となった。

 しかし――。

 当方、巨乳の美人に知り合いはおりませんが? 心の中で問いかける。

「わぁ、久しぶりだね。覚えてない? ほら、S市第二小の時、同じ班だった竜峡。竜峡小梅(りゅうきょうこうめ)だよ」

「竜峡小梅って、あの竜峡小梅? え、本当に竜峡小梅なの? あれ、竜峡って学校この辺なのか?」

「違うよ。いまA市の小金井女子に通ってるんだけど、電車を寝過ごしちゃって。気付いたらS市まで来ちゃってたんだよね。本当は今日から夏期講習だったんだけど、でも、いいや。龍ヶ崎君に会えたから。今日はサボタージュしよっと」

 確かにこの時間にこんな場所にいたのでは、どちらにせよ講習には間に合うまい。

 A市は、S市から特急電車で一時間程の位置にある観光を産業とした町だ。近年、動物園の展示飼育で有名になったらしいが、情報に乏しい僕にはそのくらいしか分からない。それにしても、一時間の道程を寝過ごすとは、どれだけ本気で熟睡していたのだろうか。

「てっきり私の胸目当てのナンパかと思ったわよ。最近、多いんだよね」

「失敬な。僕をそこいらの変態野郎と、同類と思ってもらっては困る」

 言いつつも否定はできまい。おっぱい好きのどうしようもない変態野郎だ。そんな僕の心の声を知らない竜峡は、相変わらず辺りをキョロキョロと見廻している。

「どうした、さっきからキョロキョロして? 遠くから見ていたけど、お前超怪しいぞ」

「んー。S市ってさ。もっと近代的な街ってイメージだったけど……ちょっと意外。なんかこう、思ってたより古臭い感じ?」

「そうか? 住み慣れた人間から言わせてもらうと、これが普通って言うか、こんなもんなんじゃねぇの?」

「ふうーん。そんなものなのかな」

 竜峡は腕組みをしたまま小首を傾けた。そのまま何かを考えるように、彼女は虚空を見つめた。瞬きの度に睫毛が揺れる。まるで春風にそよぐ草花のようだ。美人は思案顔も様になる。

 突然、思い出したように彼女は言った。

「ところで、なんだけどね」

 彼女は途中で言葉を切り、一度言いかけた言葉を飲み込んだ。暫し逡巡すると、彼女は思い切ったように言葉を繋いだ。

「ねぇ、時間ある? 立ち話も何だし、どこかに入ろうよ」

 

 ファーストフード店の一番奥。人目に付きにくそうな席を彼女は選んだ。Sサイズのコーヒーとバニラシェーキを乗せたトレイをテーブルに置き、僕らは向かい合わせに座った。

 女の子と向かい合って茶を喫するなど、僕の脳内データベースには記憶されていない。必然、緊張して会話に窮する。こんなことになると分かっていれば、事前に話のネタを仕込んできたというのに。

「いい天気だよな」

「そう? 外、曇ってたけど」

 苦し紛れに僕から話を切り出してみたが、どうやらチョイスを誤ったらしい。

 彼女は顔を近づけて小声で話し始めた。

「笑わないで聞いてくれる?」

「お笑いは嫌いじゃないが、笑えない話題なら絶対に笑わないさ」

「そういう捻くれた物言い、変わらないね」

 彼女はクスリと笑い、そして表情を引き締めた。

「どこにでも、誰にでも通じる公衆電話が、S市にあるって噂。聞いたことないかな」

「はぁ? 公衆電話?」

 予想外の質問に、素っ頓狂な声が上がる。

「確かに公衆電話は、そこら中にあるけど……」

「そういえばS市って公衆電話多いよね。A市は随分と撤去されてかなり減ったけど」

「そうかな? あまり気にしたこと無いけど」

 この時の僕はきっと、不審な顔をしていたことだろう。

「ちょっと待ってくれ」

 僕は彼女を掌で制す。

「話の筋が見えない。だって電話なんか番号さえ知っていれば、どこの誰にでも通じるものだろ? それに竜峡は携帯電話を持っているんだから、公衆電話を探すみたいな、そんな面倒なことしないで、そいつで直接電話すればいいんじゃないか?」

 ピンクの電話で掛ければ、万事解決だ。

 彼女はトレイのブレンドコーヒーを手に取った。カップの縁を指で弄びながら、中の黒い液体を思案顔で覗き込む。左手の小指に彼女には似つかわしくない、おもちゃの指輪が嵌められていた。

「うーん。それはまあ、そうなんだけど……そうじゃなくてね?」

 彼女は、ぼそりと呟いた。

「私が探しているのは、ただの公衆電話じゃないのよ」

「だから、誰にでも通じる電話だろ?」

 公衆電話に普通とか特殊とかの区別はないだろう。

「どこにでも、誰にでもっていうのは、そういう意味じゃないのよ。機材や通信手段を言っているのではなく、何て説明したらいいかな……。つまり早い話が普通だと電話なんか通じない相手にだって、電話が繋がっちゃうっていう意味なの」

「アメリカ大統領だとか、内閣総理大臣だとか?」

「惜しい。地位とか立場の問題でもないの。物理的に不可能な相手、という意味なんだけど」

「電話番号を知らない相手とも、電話で話ができるってことか?」

「そういうこと」

「たとえば電車で偶然出会った素敵な異性だとか、いまをときめく超人気アイドルだとか、普通なら声すら掛けられないような相手と、電話番号を知らなくても会話ができてしまうと?」

「聞いたことないかな?」

「それは便利だな。そんなものがあったら是非使ってみたいものだ」

 多少の嘲笑を含んだ口調で答える。

 僕は格好をつけながらバニラシェーキをすすった。固くて飲めなかった。

「もちろんそんな話、私だって百パー信じているわけじゃないけどね」

 彼女は胸の前で、小さく両手を振った。

「でも、夢のある話だと思わない?」

「夢っていうか、どちらかというと都市伝説に近いよな。百キロババアとか、口裂女とかそんなの。早い話が作り話の類だろ、きっと」

「んー、まあ。そうだとは思うけどね」

 そう言って彼女は覗き込んでいたコーヒーにやっと口を付けた。もう随分と温くなっている頃だと思うが、彼女は液面にふうと息を吹きかけた。猫舌なのかもしれない。

 彼女は僅かに顔をしかめた。

「ほら、どこの学校にも学園七不思議ってあるじゃない? でね? 同じような噂がこの街にもいくつかあるらしいんだけど。知らない?」

 そんな噂は聞いたことがありません。

「真偽はともかくとして、そんな噂を調べてどうしようっての? 夏休みの自由研究とか?」

 高校生にもなって七不思議とは。内容がお粗末に過ぎるのではなかろうか。

「たまたま寝過ごした今日だけで、S市の七不思議を全部調べるつもりなのか?」

「まさか。私が知りたいのは公衆電話の噂だけ。どう?」

 どうと言われても。

「悪いけど、初耳だな」

「そう……だよね。ある訳ないよね、そんなの」

 彼女は存外にがっかりした様子だった。俯いたまま黙り込んでしまう。

 カウンターで注文を取る店員の、甲高い作り声が店内に響く。

「でも……もしさ、もしもだよ?」

「うん?」

「もし本当にそんな公衆電話があったとしたらさ。龍ヶ崎君、誰に電話する?」

 そう聞いた彼女の真剣な表情に、僕は疑問を抱かずにはいられない。

「なぜそこまで――」

「私はね。将来の自分かな?」

 僕の言葉も待たずに彼女は続けた。 

「ほら、未来の旦那様とかさ、どんな人か聞いてみたいじゃない?」

 きっとそれは本心ではない。

 笑わない彼女の眦が、それを語っていた。


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