Itan
「瑠衣を返せ。お前、竹とエミまで吹っ飛ばして、頭おかしいんじゃないのか」
お前らは俺には絶対に敵わんぞ、上からの物言いでそう言った各務に向かって、先生は慎重に言った。
「俺に従うなら、いったんは返してやっても良い。この施設での研究に参加し、協力するならな。どうだ、私と一緒に来るものはいないか?」
皆が、冷ややかな視線を送ってくる。
それでもう、各務は理解したようだった。
ウェイリンが、静かに話し始めた。
「お前の理屈はよく分かるよ。一昔前の、私たちと同じ考えだ」
私たち、とは台湾の能力者のことだろうか。
「けれど、今は状況が違う。私は、国の能力者の代表としてここに来た。丸井と約束したのさ、私たちは決して争わない。瑠衣はどの国にも属さないし、属させない」
「なんの話だ、それは」
「まだ最近出た話で、詳細は決まってはいないが、瑠衣に関しては、各国で不可侵条約のようなものを取り決めようという話が出ている。日本だけが、一国だけが、瑠衣を利用してはいけない、とね」
「それに各務さん、こんなことしてたら、それこそあんたが言うようになっちまうよ」
今度は、崎さんの声。
「もし、ここで戦うことになってみろ、ウェイリンやメイファ、ライズたちのバックが黙っちゃいない。それこそ、国同士で戦争になる」
そして、聞き覚えのない声。
細く高い声。
美しい旋律を奏でる、楽器のような。
「お前には、がっかりさせられたよ」
覚えのない声で、メイファが喋っていると分かる。
初めて聞く、声と言葉。
その物の言い方は、ウェイリンとかぶるものがあり、仲が悪いのも頷ける、そう苦く思った。
「メイファ、久しぶりだなあ。前から美人だったが、綺麗になったもんだ。俺を覚えていてくれたのか? それは、光栄だ」
この、私の声であるはずなのに私のものでない、地を這うように響く、低い声。
「大丈夫だ、メイファ。安心しろ、なぜなら絶対に戦争にはならないから」
「な、に」
「まだ分からんか、この圧倒的な力を見せつければ、他国への牽制も可能なんだよ。原爆の抑止力と同じ原理だ。この力で、我が国の防衛力は強大となった。 そして、その先は先手必勝の理へと、導いていくのだ」
「バカな、自衛隊ってのは専守防衛が理念なんだぞ。そんなことは許されない‼︎」
善光先生の声が響く。
「ふふ、変えられるぞ、ぬるま湯につかり切ったクソ憲法なんて。民意で簡単に、な。国民に広く問え‼︎ このまま他国に植民地として支配されても良いのかと‼︎ 数々の能力者とこの娘の力を、我が国が所有できると広く知れ渡れば、そしてそれが強力な兵器として使えるのだと知らしめれば、国民も考えを改めざるを得ないだろう。これを使う手はない、とね」
「か、各務、お前」
苦しそうな声。
竹澤先生の。
「瑠衣をさらし者にするつもりかっ‼︎」
エミりんを横たえながら、よろ、と立ち上がる。
爆風で飛ばされた時、怪我でもしたのだろうか。
左肩を、右手で押さえている。
「そうだ、それがこの娘の宿命だ。お前らは分かっていながな、そのための異端なんだぞ。けれど、まあ乱暴に使うつもりはない。安心しろ、俺はこれでも穏健派だからな」
「瑠衣、」
竹澤先生が、私の名を呼ぶ。
「聞こえているだろう、戻れ」
先生は何を言っているの?
私の身体は今、各務に乗っ取られている。
「分かるだろう、瑠衣、戻るんだ」
私ははっと気が付いて、先生の言葉の意図を理解した。
そして、意識を集中する。
一度、成功しているから、できるはずだ。
「竹澤、何を言っている。瑠衣は私が抑えている、おかしなことはさせるなよ」
けれど、もう私の意識は。
そこにはなかった。
そして、目を開ける。
床のひやりとした感触が頬に感じる。
腕を立てて立ち上がる。
私は今、各務の身体の中。
起き上がる自分の姿を見て、各務はきっと不可思議な感覚に陥っているだろう。
「ば、馬鹿な……お前、俺の身体の中に?」
そんなことができるのか、そんなことは報告になかったぞ、そう呟いて、驚きと動揺を隠せないでいる。
今、私は各務と意識を交換した状態になっている。
見ると、ゴツゴツした大きな手。
嫌だあ、私おっさんになってる、ううう、半べそで喋ると、崎さんが大声で笑い出した。
「くくっ、各務のおねえ言葉、めっちゃ笑える」
そして、次の瞬間、メイファの組紐が蛇のようにうねりながら伸びていった。
私の身体の方に。
同化している各務に、巻きついて拘束するのを見た。
身体は私だけれど、意識や感覚は各務に移っているから、拘束の痛みなどは一切感じない。
紐でぐるぐる巻きにされているのは、自分の身体なのに、知らない誰かの身体を、第三者の目から見ているようで、不思議な気持ちになる。
腕や足を縛られて、各務がくそっと言いながら、もがいている。
「ウェイリン‼︎」
メイファの脅すような声。
「るさいっ、やってる‼︎」
ウェイリンの乱暴な声と同時に、キラキラと光りながら組紐に霜がつき始める。
それはすぐに理解できた。
紐が、凍り始めているのだ。
各務が苦しそうにもがくたびに、美しい氷の結晶が、辺り一面に散らばる。
そして、ライズが手を上げた。
メイファの凍った紐に、電流を流している。
紐がチカチカッと光り走ったと思うと、私の身体はばたりと倒れてしまった。
自分の身体が。
まるで、魂の宿っていない人形のように見える。
死を。
間近で見たような戦慄が走る。
一瞬にして、お母さんの死がフラッシュバックする。
あの、冷たく、生気のない顔。
青白い、顔。
「瑠衣、戻れ‼︎」
私は、倒れている自分の身体がみるみるその生きる源を失っていくような気がして、それを第三者として見ていることで、恐怖で足がすくんでしまっていた。
そんな様子を、この各務の身体から、呆然と見ているしかできなかった。
「瑠衣、聞けっ‼︎ 自分の身体に戻るんだ、戻れっ‼︎ 瑠衣‼︎」
竹澤先生が何かを叫んでいる。
ぼんやりと遠くでそう思った時、
「このバカっ‼︎ お前、言うこときかねえなら、もう一度キスすんぞっ‼︎ 瑠衣、戻れ‼︎」
私は、その言葉ではっと正気を取り戻し、すぐに意識を高めた。
ふわりと浮遊する感触を得ると同時に、こちらに向かってくる善光先生と重なる。
道ですれ違うように。
最後に、どかっという音がして、各務の身体が倒されるのを見た。
善光先生が、私が抜け出すのと同時に、各務を殴ったのだ。
そして、私の身体は泥をまとったように重く、息苦しい感覚に陥った。
この感覚で、自分の身体に戻れたと悟ると、起き上がって座り込み、私は自分の身体を舐めるように確認した。
どうやら、身体から離れた時間が短時間であったからだろう、身体は重いけれど眠り込むようなだるさはない。
「でも、身体に電気流されてた、よね」
両手を眺める。
少しだけ、震えている。
ほっとしたように善光先生が、戻ったか、と息を吐く。
「瑠衣、大丈夫か。各務が入っていたから、身体のダメージはそんなにはないはずだが……」
腕を掴んで引き上げてもらう。
けれど、電気で各務を追い出すって。
「あ、そうか、私の指輪もライズさんに作ってもらったんだっけ。それで、電流」
納得できたところで、それまでうんともすんとも言わなかった各務の身体が、ようやく起き上がった。
首を捻りながら、苦々しく立ち上がる。
唇が切れて、血がたれていた。
善光先生に殴られた傷。
「くそっ、エミ‼︎」
その言葉で、まだエミりんを利用しようとしていると分かると、私は心から腹が立った。
ここまで嫌悪と憎悪と怒りで身が震えたことが、今までにあっただろうか。
私は真っ黒な心を抱えて、叫んだ。
「あんた、女子高生に助けてもらうって、援交じゃないんだから‼︎ いい大人がみっともないんだよ‼︎」
半分だけ身体を起こしていたエミりんが、私には見える。
私の大好きな、親友。
けれど、エミりんが手を伸ばし始めて、私は悟る。
エミりんはきっと、この男を愛しているんだ。
何もない空間に水の塊が、いくつも浮かび上がる。
それは、そのまま時が止まってしまったような光景だった。
各務がエミりんの近くに、よろよろと寄っていく。
さっきまでエミりんと一緒に居た竹澤先生は、すでにその距離をとってしまっていて、手を伸ばしたけれど、エミりんには届かなかった。
そして、各務は。
エミりんの横まで来ると、その水の球体の一つ一つを爆発させていった。
私の力を使っていないので、先ほどのような爆風の規模ではなかったが、ばっとそれは広がり、皆を襲ったのだ。
「痛っ」
「んう、」
崎さんやウェイリンの唸り声が聞こえた。
私は何が起こったのか、分からずにいた。
爆発といっても、それはただの水であるはずなのに。
理解が遅れたのは、こんな風に善光先生が守ってくれたからだろうか。
いつの間にか先生に抱き締められていた。
先生の腕の中で、顔を上げる。
先生も顔を歪めている。
はっとしてその腕から出て、周りを見ると、皆が片膝をついたり腕を押さえたりしている。
血が、
血が飛び散っている。
皆の周りを、囲むように。
エミりんの水は、それの形を円錐形にでもして先を尖らせ、さらにその強度を増して、爆発させられたのだった。
それが皆んなの身体を傷つけていき、血を滴らせている。
メイファはその美しく歪ませた顔を。
ウェイリンは横に避けたのか、左腕を中心に。
ライズは太ももに。
竹澤先生は身を翻したのか、それとも焔を使ったのか分からないが、あまりダメージはないようだった。
けれど、善光先生は。
「先生っ‼︎」
私は先生の背後に回った。
その背中は、服を貫通して無数の穴が開いていた。
シャツの穴一つ一つに、じわりと血が滲んでいる。
「ひどい、ごめん、先生」
「大丈夫だから、泣くな。今は、それどころじゃねえ」
血が沸騰した。
脳が沸騰した。
怒りで、怒りで、怒りで。
「……皆んなを、こんな目に合わせるあんたが嫌い。エミりんにこんなことをさせるあんたが嫌い。何が国のためだよ、こんなことのどこに正義があるんだっ‼︎ あんただけは絶対に許さないっ‼︎」
泣くなと言われたけど、我慢できずに。
私は、泣き叫びながら、そう言い放った。
すると、各務がエミりんの首根っこを後ろから掴んだ。
エミりんから、ぐうっと苦しい声が漏れる。
「エミを助けたかったら、言うことをきけ」
「やめてよっ‼︎ 手を離してあげて‼︎ あんた本当に最低っ‼︎」
泣きながら、狂ったように叫ぶ。
「おい、止めろ‼︎ エミは味方だぞっ‼︎」
竹澤先生も怒声を上げる。
けれど、各務の暴走は止められなかった。
そのまま腕を持ち上げる。
エミりんの足が宙に浮き始めた。
頸動脈を握り込まれ、顔を真っ赤にさせている。
「やめろ、各務‼︎」
竹澤先生と善光先生が、ほぼ同時に叫ぶ。
けれど、二人が叫ぶと同時に、私もまた意識を集中していた。
エミりんに向かって、意識を伸ばす。
エミりんに入り込むとすぐに、首の後ろがじんっと熱くなった。
二人、重なるようにして、首根っこを掴まれている痛みを享受する。
エミりん、私、あんたが大好きだよ。
エミりんに入り込んでそう言うと、後ろを捻り上げられている各務の腕を、彼女の両手を使って、掴んだ。
そして、水が。
ごぼごぼと。
水の塊が、各務の腕を伝っていく。
まるで、それは生き物のように各務の身体を素早く、うねりながら這い上がっていく。
そして、各務が何かを叫ぶ前に。
顔をすっぽりと覆ってしまった。
そのまま、水の塊はどんどんと膨れ上がり、各務の身体全体を包み込む。
そして、息ができなくなった状態の各務の膝がガクリと落ちた。
がぼがぼと、口から泡が大量に出ている。
首の後ろを掴んでいた手が離れていき、エミりんの身体は解放された。
ジンジンと熱く脈を打つ、首とこめかみ。
エミりんの身体のままで四つん這いになり、けれど各務を振り返って見た。
各務は苦しそうに片方の手で喉元を押さえ、もう片方の手で水を必死で掻いては、身悶えている。
水の塊は、四方へと飛ばされた。
各務が、爆発で飛ばしたのであろう、水しぶきが周りにばっと飛び散る。
けれど、さっきとは違い、それはただの水滴に終わった。
げぇげぇと、えずく各務が崩れ落ちるのを見ると、私は足を縺れさせながらも、エミりんの身体のまま、善光先生の元へと身体を滑らせた。
「エミっ、大丈夫か‼︎」
善光先生の大きく逞しい腕を、エミりんの身体を通して感じる。
無骨だけれど、優しいその大きな手。
泣いている時、私の背中を何度もさすってくれた。
確かに私は善光先生の前では、いつも泣いていたかもしれない。
でも、先生覚えてないかな?
初めて先生に会った、二人がまだ幼かったあの日。
私に小さなクマのぬいぐるみをくれた日。
私、すぐに泣き止んで、笑ったんだよ。
竹澤先生を、連れて帰りたい。
帰ったら、私言うの。
ちゃんと自分の気持ちを伝えるの、あなたに。
だから、竹澤先生を絶対に連れて帰るの。
私はエミりんの身体を抜けると、さらに意識を伸ばしていった。
善光先生に。
ウェイリンに、崎さんに、メイファに、ライズに。
そして、竹澤先生に。
ここにいる、皆に。
身体を引きちぎられ、バラバラにされるような、この感覚。
右手を、左手を、右足を、左足を。
それぞれ凄まじい力で四方八方へと引っ張られて、もぎ取られるようなひどい苦痛。
けれど、それぞれに入った感触は言葉にできないような、不思議な感覚。
皆がそれぞれの方を見て、それぞれの音を聞いて、それぞれの感触を感じ、それぞれの匂いを感じている。
私が、今入っている全員のそれが情報となって、一気に脳へとなだれ込んでくる。
私の視界は、早回しの映像を見ているように混乱した。
目が、眼球が、あちこちに自分の意思とは無関係に勝手に動き回る。
皆が見ている映像を、ぎゅっと凝縮した後に、一気に流し込まれるのだ。
それだけで、気が狂いそうだった。
それなのに、入ってくるのは視覚だけではなかった。
あらゆる五感のあらゆる情報が、怒涛のように、流れ込む。
私はもう少しで、自分を手離してしまうところだった。
感覚を一気にシャットアウトする。
意識を飛ばしたまま、感覚の情報だけを遮った。
「瑠衣、無茶だ、やめろ‼︎」
「死んじまう、瑠衣、やめてくれ、瑠衣っ‼︎」
何が起こっているのかを理解した二人の先生の声が混ざり合って、聞こえたような気がした。
「おい、各務っ‼︎ 俺たちに、今のお前らでは勝てねえ‼︎ 瑠衣によって力を増幅されてんだ。竹、お前なら分かるな‼︎」
「ああ、悪いが各務、分が悪い。ここにいる自衛官全員でかかっても、今の彼らには勝つことはできない‼︎ 頼む、今回は引いてくれ‼︎」
くそっと、血の混じる唾を床に吐くと、各務はつかつかと歩いていった。
壁をドンッと叩く。
そこで何かを操作したと思うと、ドームの重厚な扉がその口を開いた。
各務は足早に去っていった。
ドームの入り口付近で待機していた自衛官は、ざわざわとしながらも、各務の後を追うようにして、ついていった。
「瑠衣、戻れ‼︎ 早く、戻ってくれ‼︎」
善光先生に、身体を起こされる。
これは、私の身体?
それとも誰かの?
誰に入っているのか判断がつかないくらい、私の全てが狂っている。
「瑠衣、お前何てことしたんだ、もう戻ってるのか。なあ、戻ってくれ、お願いだ、瑠衣。戻ってくれ……」
先生、泣いてる。
「は、鼻血が止まらねえ」
口元をぐいっと拭われる感覚があった。
「どうしたら良い、助けてくれ、瑠衣が死んじまう。誰か助けてくれ、お願いだ、瑠衣、るい、」
大丈夫、私が側にいるよ。
愛してるの、先生を愛してる。
口が動いたような気はしたけれど、声にはならなかった。
だから、もう一度言わなければ。
目が覚めたらもう一度。